第34話 教室での出来事②
このことを上里先生に報告した方がいいのか?
ダメだ・・変に思われる。
知らないふりをするしかない。斜め前の神城も佐々木奈々も何も気づいていないようだ。
もちろん、首が曲がっていた白山も相方の黒崎みどりも、クラス全員が気づいていない。
ただ、何だ?
この空気の湿気た感じは? 空気の変化だけでも感じないのか?
その空気の変化の根源・・それは教室の一番前・・その中心に座る伊澄瑠璃子という一人の女子を中心に発せられている気がする。
そう思った時、ガラガラと、教壇側の扉が開いた。
そいつが、足音の主だった。
その姿を見るなり上里先生が大きく言った。
「大崎先生・・自宅謹慎だったんじゃ」
それは体育教師の大崎だった。
大崎は、上里先生の言葉が聞こえないのか、
「おおおっ・・おっ、おおっ・・」と意味不明の咆哮を洩らした。
「やだっ。あれ、本当に大崎先生なの? きたないわ・・」
女子生徒の嫌悪の声が上がる。
「生徒と淫行したんでしょ。どうしてここにいるのかしら?」
男子たちも、
「あの顔、やばくねえか? 傷だらけだぞ」と声を上げる。
あれは自分で掻きむしった痕だ。顔から涎のような血が垂れている。
「見てっ! 大崎先生の顔に、穴が開いているわ」
その女子は、目を凝らして大崎を見たようだ。
目を細めて見ると、顔の中心に渦のような穴が見える。
「ええっ・・そうは見えないけど」普通に見ている女子がそう言った。
「私には・・先生の顔ががらんどうに見えますよ」
そう言ったのは佐々木奈々だ。
斜め前の神城が僕の方を振り返り「屑木くん・・これって、おかしいわよ」と言った。
「ちょっと、大崎先生・・今は授業中なんです・・」
担任の上里先生は、大崎を制しようと、前に立った。
「あああ・・」
どう見ても普通じゃない大崎の様子に、上里先生は少し怯んだが、
「大崎先生、聞こえてますか? 教室から出て行ってください!」と強く言った。
「おおっ・・」
まるで極度に知能が低下した人間に見える。
伊澄瑠璃子との交配で、そうなったのか?
同じように伊澄瑠璃子の接触した松村は成績が下がった。
では、僕は?
「あっ」と言う小さな叫び声と共に、
ずだーんっ、と大きな音が教壇に響き渡った。
女子生徒、男子生徒の驚く声が巻き起こる。
大崎が上里先生を突き飛ばしたのだ。
その力と勢いは、ありえないものだったようだ。
上里先生の体は、窓際まで吹き飛んでいた。
スカートスーツのタイトスカートが、腰まで捲れ上がり太腿の付け根まで丸見えになっている。
その顔の様子を見ると、上里先生が気絶したことがわかる。
上里先生のあられもない扇情的な姿を見入る男子、逆に目を背ける者が入り乱れる中、
「きゃああっ!」
ようやく女子生徒の一人が叫んだ。それまで状況をうまく掴めなかったのだろう。
一人が叫ぶと、次々と声が沸き上がった。
この瞬間、僕たちのクラスは、
担任の上里先生の保護を失った。
そんな僕たちに大崎はゆっくりと、しかし、確実に向かってくる。
扉側の女子が立ち上がって、後退った。一人が後退すると、つられて他の生徒も立ち上がった。ガタガタと椅子の音が続く。
伊澄瑠璃子も同じように立ち上がったが、その場所から動かない。
「おおっ・・おおっ」
意味をなさない声をだけを発し、大崎はその目をぎょろぎょろ光らせている。
その時、委員長の神城が立ち上がってこう言った。
「みんなっ・・男子・・特に運動部の男子は協力して、大崎先生を押さえてちょうだいっ」
委員長の号令に力のある男子が立ち上がった。
「しゃあねえ。神城委員長の命令だ」
「あとで、委員長に飯でも奢ってもらうぜ」
そう言いながら数名の男子が大崎を取り囲んだ。
「おいっ、大崎っ、教室から出ていけよ!」
運動部の近藤が第一声を出すと他の男子も声を上げた。
「こいつ、前から気に入らなかったんだ。俺たちに自習ばかりさせてよ」
「本当だ。それで何をやってるかと言えば、大人しい女子をつかまえて淫行だとよ・・笑わせるよな」
男子の罵声が飛び交った。
大崎はそんな声を無視しながらひたひたと進む。
ずるっ、ずるっ、
普通ではない歩き方。足を引き摺っているわけでもないのに遅い。
「おいっ、大崎、聞いてないのかよ!」
一人の男子が「やっちまおうぜ」と言った。そう言ったのはいつも暴力沙汰を起こす、内海だ。
内海の一言に他の男子がじりじりと進み出た。大崎を襲うつもりだ。
そんな様子を見て神城が慌てて、
「押さえて、とは言ったけど、暴力はいけないわよ」とはやる男子を制した。
そう言っても一度火が点いた男子の心は治まる気配はなかった。
女子は女子で、
「なんだか、変よ、大崎先生、様子が普通じゃないわ」
「見て・・あの顔・・皮膚が捲れ上がっているわ」
「顔もへこんでいるわ」そう口ぐちに言う。
そんな中、男子の内海が、大崎に飛びかかった。内海はボクシング部だ。腕には自信がある。そんな内海は大崎を押さえつけるのではなく、いきなり殴りかかった。
神城の「内海くん、やめてっ!」と言う声は誰にも聞こえなかったようだ。
同時に、内海のストレートパンチが大崎の顔面を直撃した。
更に同時に女子たちの悲鳴が上がった。
「きゃああっ!」
その次に目に飛び込んできたのは、
大崎先生の頬にめり込んだ内海の拳だった。拳は見事に大崎の顔面を捕えていた。
だが、その状態が・・停止していた。
ああ・・こんな感じの瞬間を以前に見たことがある。
松村のデッドボールの時と同じだ。
松村の頬を直撃したボールは、回転しながらも松村の頬の上で停止していた。あの光景と似通っている。
「おふっ・・んほおっ・・おっ」
大崎は、意味不明の声を発している。その声は口からではなく、腹の中から出ているように思えた。
「なんだぁ?・・これ」
そう言った内海を見ると、拳を大崎の頬から外すのに腕をひねったりしている。
「くそっ、手が離れねえっ」
そう喚きながら、内海が拳を大崎の顔面から引き抜くと、顔の皮膚片が糸を引きながら散った。
「ひっ」
女子の声と共に内海が自分の手を見て、「何だ、これ? きたねえっ・・」と言う声が聞こえた。だが、教室にいる者たちは、内海の声を最後まで聞き取ることはできなかった。
その瞬間、内海のデカい体が吹き飛ばされたからだ。突き飛ばしたのは大崎の拳だ。
それは先ほど、大崎が上里先生を突き飛ばした勢いを遥かに上回っていた。
内海の体は、教室の最後部の壁に激突していた。
それも、天井に近い位置に・・一瞬、大の字になって、壁に貼り付いていた。
そして、内海の体はズルズルとずり下がっていった。
「どういうことなの?」
「あれ、人間の力じゃないわよ」
「大崎先生って、本当に人間なの?」
そんな疑問に応えることなく、
大崎は着実に自分の目的に向かって歩いているように見える。
内海がいとも簡単にやられたことで、怯んだ男子は後ずさりしている。大崎はそんな男たちに目もくれない。
そもそも大崎は何をしに教室に入ってきたのだ?
大崎の目的の対象・・それは内海のような男子ではなさそうだ。
ならば、女子か?
そう思った瞬間、女子生徒の中で「ひいっ」が何かを裂くような声が上がった。
声の主は、君島律子だった。
「か、体が動かないわ・・」
君島さんはそう言った。
彼女の体がガクガクと痙攣しているのが見て取れた。動かない・・彼女の体が何かに魅入られている・・そんな気がした。
それは、屋敷で黒崎みどりに喉元を噛まれた時、僕が体を動かせなかった・・それと同じ現象だ。
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