第35話 連鎖

◆連鎖(体育の大崎・君島・松村・吉田女医)


「君島さんが、危険だ!」

 僕の声に神城と佐々木が振り返った。

「どうして、君島さんが?」

「屑木くん・・どうしてですか?」二人とも君島律子の異変に気づいていない。

 今は二人と話すよりも、君島さんを助けないと、


 そう思った時、もう遅い・・そう思った。

 ああ、そうか・・あの時と同じだ。

 屋敷の中で僕の背後に一瞬で回り込み、喉元を噛んだ黒崎みどりと同じだ。

 一度噛まれた者は、体の動きが、信じられないほど敏捷なのだ。


 君島律子の後ろには体育の大崎が既に立っていた。

「あわわっ」

 君島律子が慌てふためく・・が、体が動かせない。

「はおおっ」

 君島律子の後ろで、大崎が口をあんぐりと大きく開けた。

 まずい・・君島さんの喉を噛むつもりだ。

 もうどうしようもない。

 僕の非力な力では、馬鹿力化した大崎をどうすることもできない。

 できないが、首を噛まれようとしている君島さんを放っておくこともできない。


「屑木くん!」 

 そう神城が僕の後ろで叫んだが、僕の体は勝手に大崎に向かっていた。

 だが、僕よりも遥かに速く、大崎に向かった者があった。

 それは、僕の友達・・松村だった。顔に穴が開いている・・そう見えた松村は信じられない動きで大崎に迫っていた。

「君島さん!」

 松村はそう君島律子の名を呼んだ。

 そして、松村は、「大崎っ!・・君島さんから離れろおっ」と叫びながら、大崎の脇腹を蹴り込んだ。大崎は「ぐふっ」とくぐもった声を吐き、君島さんの体から離れて、そのまま倒れ込んだ。松村も大崎同様に馬鹿力だ。

 君島さんは間一髪で、大崎の魔手から逃れることが出来たのだ。


 腰を抜かしその場に崩れた君島さんを松村は抱き起し、「君島さん・・大丈夫?」と、声をかけた。

「松村くん・・あ、ありがとう・・」

 それは・・伊澄瑠璃子が登場するまでは、クラスの高飛車女、と言われた彼女の素直な感謝の言葉だった。

 

 そんな二人の様子に、

「松村くんって・・あんなに、強かったの?」と声が上がった。


「おふっ・・おおっ、おっ、おっ・・」

 その声の方を見ると、大崎が立ち上がっていた。

「んふっ・・あ、頭が割れそうだあ・・」大崎は頭を抱えながら、生徒たちを見た。


「ひっ」女子の引き攣るような声が上がった。

 大崎の顔面がぐちゃぐちゃに崩れている。

 その様子を見た松村が、君島さんをガードするように両手を広げ、

「大崎っ、君島さんに手を出すなっ」と叫んだ。

 もしかして、松村は、君島律子のことを・・

 誰かが「松村くんって、なんか、格好良くない?」と松村を称賛した。少なくとも僕よりは格好いい。

 何もできなかった男子たちも松村の雄姿を見る。


「おい、教室から出ようぜ!」誰かが言った。

 懸命な判断だ。再び、大崎が向かってくる。

 それに教室にいる必要もない。 

「誰か、上里先生を」

 女子の声に、まだ気を失っている上里先生を数人の男子が担ぎ上げた。


 悪夢のような教室から脱出だ!

 委員長の神城も佐々木と共に、僕が松村に声をかけると、松村は君島さんに声をかけた。

「君島さん、みんなと一緒に教室から出よう」

 力強い松村の声に君島律子は「ええ」と頷いた。


「伊澄さん・・あなたはどうするの? ここから出ないの?」

 神城は、席に着いたまま余裕の伊澄瑠璃子に声をかけた。

 すると、伊澄瑠璃子は顔を上げ、

「大崎先生の、あのお姿は、いただけないわね」と言った。

 伊澄瑠璃子は、意味不明の言葉を言うなり、立ち上がった。

 そして、聞き取れないほどの小さな声だったが、

「・・あの出来そこない」そんな風に聞こえた。

 その伊澄瑠璃子の言葉と同時に、湿気た空気のエリアが更に広がったようだった。


 誰かが教室の後部の扉を開けるのと同時に、教壇側の扉を上里先生を担いだ男子が開けた。

「うわっ」

 扉を開けた男子が驚きの声を上げた。「びっくりしたあ!」

 そこには保険医の吉田先生が立っていた。以前にも増して妖艶さに磨きがかかったような姿に見える。白衣の下は、パンツの見えそうな黒のタイトミニスカートだ。

「うふっ・・」

 吉田女医は体をくねらせながら黒髪をかき上げ微笑んだ。


「保健の先生が、どうしてここに?」当然の疑問だ。

 だが、そんな疑問より、

「なんか、すげえ。吉田先生、エロくねえか。ムチムチだしよ」

「けどよお。あの先生、前からあんなにセクシーだったか?」

 男子のそんな評価の方が勝っていた。


 吉田女医はつかつかとヒールの音を響かせながら、教室の中を進んだ。

 そして、教室の真ん中で急に立ち止まると、ニコリと不気味な笑みを浮かべて、

「み~つけた」と楽しそうに言った。

 セクシー・・というよりも毒々しさの方が前に出ている。


 吉田先生の白衣を認めた大崎は目を見開いた。それは「怖れ」の目に見えた。

 保健室と同じだ。

 あの時も、大崎は吉田先生を怖れているように見えた。


「あ~ら、大崎先生、こんな所にいらしたのね。おいたをしてはダメじゃないのぉ」

 吉田女医は子供をあやす様に言った。

「うっ、うっ・・」

 意味不明の声を発し大崎は後ずさりを始めた。

 あの怪力、あの瞬発力を持つ大崎が恐れおののく吉田先生って・・いったい何者だ?


 その状況を見て、一人の女子生徒が、

「吉田先生! 大崎先生が、生徒に暴力を振るっているんです! 助けてください」と言った。

 確かに暴力には違いない。

 しかし、あの屋敷での体験をした僕には、大崎が、吸血鬼の菌のようなものに感染した人間に見える。

 そう思うのは、僕だけではないだろう。僕と行動を共にした神城、佐々木もそう思っているに違いないし、大崎と同じように感染した松村も同様だと推測する。

 あと、このことに気づいている者がいるとするのなら、

 伊澄瑠璃子と取り巻きの黒崎みどり、白山あかねだ。

 その三人は平然な表情で、教室の様子を伺いながらじっとしている。

 だが、伊澄瑠璃子が、その中心の存在のような気がしてならないのは、変わりない。


 すると、それまで呻くような声しか出していなかった大崎が、

「あ、頭が、おかしいんだ・・」と訴えるように言った。

「見りゃ、わかるよ。大崎、お前はおかしい!」男子の怒号が飛んだ。

「ついでに、顔もおかしいわよ。きたないし」と一人の女子が言った。


 そんな生徒たちの罵声の飛び交う中、

 吉田女医が豊満なバストを揺らしながら進み出た。

 そして、白衣のポケットに両手を入れたまま「大崎センセイ・・」と呼びかけ、

「うふっ、その醜いお顔・・どうかと思いますわ」と冷笑した。

 そして、

「それに、この教室のお偉いお方・・その方の意にそぐわない行動をとられるのは頂けませんわ」と言った。大崎のとっている行動を断固否定するような言い方に聞こえた。

 教室の偉い人?・・誰のことを言っているのだ?

 伊澄瑠璃子のことのように思えたが、言い方に違和感が残る。

 

 伊澄瑠璃子は、先ほどの神城の呼びかけに応じ、後退した生徒たちの中に佇み、胸元で両腕を組んでいる。落ち着いた様子に見えるが・・

 伊澄瑠璃子の切れ長の目が更に細くなっている。仮に、その目の状態が彼女の心情を表すのなら・・それは怒りだ。

 だとしたら、彼女は何に怒っているのだ? 

 おそらく、大崎のあの状態は、伊澄瑠璃子に起因するものと思われる。だったら、なぜ、彼女が怒る必要がある? 

 それとも大崎がこの教室でしていることは伊澄瑠璃子にとっては想定外のことなのか?

 それは、大崎の行動か、それとも、吉田女医の登場なのか?


「うぐっ・・んおっ」大崎は上手く話すことができないようだ。吉田女医に何かを伝えようとしている風にも見える。


「大崎先生・・生徒のみなさんにご迷惑をおかけするのは、ここまでですわ」

 男子生徒の視線を集める吉田女医は、そう言って大崎に近づいた。

 大崎が吉田先生を睨んだ。

 吉田先生が、危ない!

 誰しもがそう思った。

 大崎が吉田女医に飛びかかったからだ。大崎の動きは信じられないほどに速い。

 きっと吉田先生も、ボクシング部の松村のように吹き飛ばされる。

 そう思った瞬間・・

 よく見えなかったが、吉田女医は大崎の突進をかわしたようだった。いつのまに避けたんだ?

 勢いを止められなかった大崎はそのまま教壇の上に転がり込んだ。地響きのような音が教室に響き渡った。

「あら、汚れてしまったわね」

 見ると、吉田先生の白衣に大崎のどこかの皮膚片のようなものが付いている。

 それを指で拭うと赤い唇の上で消すようになぞった。

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