第4話 委員長神城涼子
◆委員長神城涼子
僕の不安が当たっていたのか? それはどうかわからないが、松村の様子がおかしいのは事実だった。
授業中、先生に質問されても、何かうわの空だし、休み時間、僕にも話しかけてこない。突然、友人関係が消失したかのようだった。
更におかしいのは体育の授業だ。ドンくさいで通っている松村が妙に運動神経がよくなっている。それも、だんだんと良くなっていくのだ。
あいつ、走るの、こんなに速かったか?
つまり、成績は悪くなり、運動能力は高くなっていく・・
誰もおかしいとは思わないのか?
周りの生徒もおかしいとは思っていないようだし、教師に至っては猶更だ。誰も他人に興味を示さない。隣の誰かが急に顔が変わっても誰も気がづかないのではないだろうか?
しかし、そんなクラスの中でも周りに興味を示す人間はいるものだ。
「ねえ、屑木くん」
そう言って僕に話しかけてきたのはクラスの委員長の神城涼子だ。
自慢の髪や大きな胸をこれ見よがしに披露しながら近づいてきた。
「何だよ」と僕はぶっきら棒に答える。
答えながら彼女の豊かな胸に自然と目がいく。
「松村くんの様子がおかしいと思うのだけど」
遠くの席の松村に聞こえないよう、小さな声を出した。その分、顔が近い。胸も近い。
「最近、あいつとあまり話さないからな」
それは本当のことだ。
「屑木くん、松村くんと仲がよかったわよね?」
どう答えるべきなのか?
僕は「仲はいいけど」と言って「そう言えば、松村、なんか最近ちょっと変わったみたいだな」と答えた。それも本当のことだ。
僕はそう答えた後、「なんで松村のことが気になるんだ?」と訊ねた。
松村に気があるとか?
「だって、心配じゃない・・」
「松村のことをか?」
「違うわよ!」
ムキになって神城は言った。
「だったら、誰のことがだよ」意味が分からない。
「心配じゃなくて・・」と言い澱み、
「委員長としてよ・・私の責務なの」と言い直した。
私の正義感? そう言いたいのか?
委員長はそこまで気遣わなくていいと思う。
神城の話はそれでお終いかと思われたが、彼女は更にこう言った。
「松村くんは・・あそこ・・大学の裏手の屋敷に行ったみたいなのよ」
「知ってるよ・・行くって言ってたからな」と僕は答えた。
「松村くんがおかしいような感じを見せ始めたのは、その日かららしいわ」
それも知っている。
「それも、だいたいわかるけれど、神城がなんでそんなことを知っているんだ?」
僕の問いに神城涼子は、「ただの噂よ・・誰かが言っているのを聞いたのよ」と答えた。
「あんまり噂を真に受けない方がいいよ」と僕は彼女を戒め、「あいつ、一人でいったのか?」と訊ねると、
「まさか、そんなところに一人で行くわけないでしょ、もう一人連れがいたのよ」と答えた。
あまり興味を示さない僕に神城は更に無理難題を言い出した。
「それでね・・屑木くんにちょっと協力してもらいたいのよ」
「何を」
「一緒にお化け屋敷探検をしない?」
探検って・・幾つだよ。
「それも、委員長としての責務と言うやつか?」
僕の問いに神城は「個人的な興味よ・・」と言って神城は、
僕に顔を寄せ囁くように、
「だって、今朝の松村くんの顔を見た?」と訊ねた。
「今日はまだ見ていないな。僕の席は一番後ろだし」
松村の背中しか見ていない。
そう答えた僕に神城は真顔で、
「顔に・・穴が開いているようになっているのよ」と言った。
「穴だと」僕は思わず大きな声をした。
意味が分からない。顔に穴の開いた人間なんていないし、もし、そんな人間が町を歩いていたのなら大ニュースだ。
「ちょっと、屑木くん、声が大きいわ」
大きくもなるよ。
神城は息を整えながら、
「顔に穴が、っていうのはちょっと大げさだけど」と言って「どう言ったらいいのかな・・松村くんの顔・・そうね・・がらんどう・・そんな感じ」と言い直した。
「がらんどうって・・その表現は松村に悪いだろ」と僕は神城の言い方を責めたが、
神城は改めずに、
「いえ、あながち的を外した表現でもないわよ」と強く言った。
「でもな、人の顔を、がらんどう、って言うのは良くないと思う」そう僕は神城を戒めた。
「だったら、そう言うのならね、屑木くん、見てみなさいよ。松村くんの顔を」
神城の大きな声に、前で談笑していた男女が振り向いた。
僕は口に人差し指を立て、神城に「しッ」と言うと、「あとで松村に話しかけてみるよ」と言った。
あまりの神城の真剣な顔に動かされて、次の休み時間、前の席に座っている松村に声をかけた。
「なんだ?・・屑木」
そう言って振り向いた松村の顔は、
神城の言う通り、
確かに穴が開いているように見えた。
言い方を変えれば、そこには人としての魂が存在しない、そんな風にも思えた。
気のせいか、とも思い目を凝らして見る。
パッと目にはただの虚ろな顔なのだが、気を抜いて見てしまうと、
そこにぽっかりと穴が開いているように見える。
ずっと見ていると、顔の中に吸い込まれていくような気さえしてくる。
僕は「いや、なんでもない」と慌てて言った。
顔に穴が開いている。つまり、空洞だ。そこに魂の存在がない。
少なくとも、僕と神城にはそう見えたが、他の生徒にはどうなんだろう。
例えば隣の席の奴とか、何も思わないのだろうか?
教師はどうだ?
教師は、授業中、生徒と顔を突き合せている。松村の顔が変だとは思わないのか。
そんなことを思いながら、僕は自分の席に着いた。
数学の授業が始まる。教壇の教師が熱弁をふるう。
松村は前から二番目だ。先生の目がよほど悪くない限り、顔くらいは十分に見える。
それとも何か?
集団催眠のようなものにかかって、生徒も教師も松村の顔を見ない、あるいは気づかないふりをしているのか?
そう思った瞬間、僕はあることに気がついた。
教師に顔を突き合せている一番前に座る人間、
全ての中心に位置している人間、
それは伊澄瑠璃子だということを。
彼女の姿を改めて認識した瞬間、僕の体を生暖かい空気がすり抜けていった気がした。
それは五月らしくない、湿気た空気だった。
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