第5話 兆候と誘い
◆兆候と誘い
「さっきは悪かったな」
昼休み、弁当を食い終わると、僕は神城に声をかけた。
神城は同じクラスの佐々木奈々と机を突き合わせてお弁当を食べているところだった。
神城は少しツンツンと気取ったイメージがあるのに対し佐々木奈々はどこか子供っぽいイメージのする女の子だ。
食事が終わり、お下げ髪の佐々木奈々との談笑に移ったところを見計らって声をかけた。
僕の声に小柄な佐々木が僕を見上げ、そして神城に目を映し「涼子、屑木くんに何かされたの?」と訊ねた。人聞きの悪い。
神城は「違うのよ」と答えて、一連の経緯を佐々木に説明した。
「ふーん。あの屋敷ねえ」と言って、
「結局、お二人で屋敷探検に行くの?」と僕たちの顔を見比べながら訊ねた。
それに対して神城は、
「それがさ、屑木くん、怖がりでね」とくすっと笑いを堪えるように佐々木に言った。
そう言われてむっとした僕は、
「怖がりよりも、子供みたいに探検ごっこをしようと誘うのもどうかと思う」と抗議した。
僕がそう言うと、神城は椅子の音をガタンと立て、
「子供みたいって、なによ」と大きく言った。
神城はこんなにも怒りっぽいのか。
佐々木奈々は僕たちに「お二人さん、まあまあ」となだめ、
「それよりね、今朝の新聞見た?」と話題をし始めた。
神城が「見たけど、奈々、何か面白いのあったの」と尋ねた。
「この町、神戸市東灘区の人口が異常に増えているらしいのよ」
「奈々、それ、新聞の折込の区民便りだよね」と神城は佐々木に確認して「あれ、いつも読まないのよねえ」と言った。
「それが、ちょっと面白いのはね」佐々木はそう言って薄気味悪い笑みを浮かべて「住宅はそれほど増えていないのに、人口だけが増えているんだって」と言った。
神城は、「それって、子供をたくさん産んでいるんじゃないの? いいことよ」と微笑んだ。
住宅が増えていないのに、人口が増えている。
東灘区の統計課もちゃんと仕事をしているんだな。
「でもさ、そんなに赤ちゃんとかを普段見る?」
佐々木が僕を見ながら言ったので「赤ちゃんなんて、その辺を歩いているわけがないだろ」と返した。
僕の言葉が可笑しかったのか、神城はくすくすと笑って、「赤ちゃんがその辺をぞろぞろ歩いていたら面白いわね」と言った、
僕は「思わず想像してしまっただろ」と言って一緒に笑った。
佐々木は「赤ちゃんの行進よね、どこかに集められていたりして」と不気味なことを言った。「ハーメルンの笛吹かよ」佐々木はこういう妄想癖があるのか。
そんな佐々木に僕は、
「あのさ、その統計って、男女比とかもわかるのか」と興味を持って尋ねた。
佐々木は質問されて嬉しかったのか、目を輝かせて「それがね、増えたのは女子ばかりなんだって」と答えた。
女性ばかり、
そんなことってあるのだろうか。
この町に転居してくるのが女性ばかりということなのかな。
僕は人口がどのようにして増減するのか、専門的な事は知らない。
だが、
「あのさ、佐々木はどうして、そんな話を面白いと思ったんだよ」と佐々木奈々に訊いた。
訊かれた佐々木は、僕の顔を見て首を傾げた、
「あれ、私、どうして、こんなことを話してたんだろ?」
そう言った佐々木に神城が、
「奈々ったら、なによ、それ、意味わかんない」と言って笑った。
しかし、佐々木の方は真剣で、「おかしいな。私、こんなことに興味なんてないのに」と言った。「それに新聞もあまり読んだことないのに」
そんな佐々木に神城は「もしかして、五月病?」と言って笑った。
五月病・・まだ連休前の4月だが、目の前の佐々木も屋敷に行った松村も五月病みたいなものなのだろうか?
顔が空虚、空洞になる病気、突然、意味不明のことを語りだす病気。
松村と佐々木奈々。
頭の中で二人の名前を並べると、気になる。
「なあ、神城、松村があの屋敷に一緒に行った連れ、っていうのはもしかして」と僕が言いかけると、
佐々木が手を挙げ「は~い、それ、私で~す」とふざけ口調で言った。
松村と佐々木奈々がちょくちょく話しているのを見たことがある。それほど仲がいいようには見えなかったが。
「でもつき合っているわけじゃないわよ」と佐々木は男女の仲を否定し「幼馴染なんだよ」と説明した。「松村くんに頼まれたの」
そこへ神城が「奈々は、途中で帰ったんだって」と言った。
途中、すると松村はもっと中に入ったっていうわけか。
佐々木は「あんなの埃臭いし、蜘蛛の巣ばっかりだし」と思い出したくないように言った。
神城は「ええっ、奈々、そんな奥まで入ったの?」と驚き言った。「私、中に入るのはやめといたほうがいいって言ったよね」
佐々木奈々は「そうだっけかなあ。涼子にそんなこと言われたかなあ」と記憶を探るように言った。
そう言っている佐々木に僕は、
「それで、あいつ・・松村は屋敷のどこまで入ったんだよ」と尋ねた。
「知らないわよ。あれから松村くんと話してないし、話しかけても返事が返ってこないんだもん」
返事がない。それは僕が声をかけた時の虚ろな感じと同じということか。
そんな松村は今は席にいない。
「あの屋敷、大学の音楽部の物置だっただろう」と佐々木に確認した。
「確かにそうだったわよねえ」と佐々木は言って「でも、あのたくさんの楽器のケース、本当に使ってるのかなあ」と小さく言った。
「窓に楽器のケースが立てかけているのが見えるぞ」と僕は言った。
いや、待て、楽器を使うのと、楽器がそこにあるだけとは大違いだ。
そう思っていると佐々木が、
「私、奥まで行かなかったんだけど、楽器のケースが本当にたくさんあるのよ。しかも大きいのばかり」と言った。
大きな楽器のケース。それもたくさん。
そこで神城が、「大学のサークルの物置でしょ。オーケストラとかじゃないの」と言った。
たしかにそうかもしれない。
それに大学生が出入りしている場所だ。怪しい事なんてないだろう。
おかしかったのは松村の顔と、佐々木奈々の言動だけだ。
そう思った時、誰かの手が背筋をそっと這うのを感じた。
ぞっとした。それは急に温度が下がった時に感じるものだった。
気がつくと、
椅子に座ったままの佐々木奈々が立っている僕の顔を見上げている。
いや、佐々木は僕の後ろを見ているのだった。
「伊澄さん」と佐々木は僕の後ろの人物に声をかけた。
静かに振り返ると、佐々木が声をかけた通り、そこには伊澄瑠璃子が立っていた。
長い髪、白い顔、細く切れ長の瞳、折れそうな細い体。
そして、
「行ってみる?」
そう伊澄瑠璃子は言った。
心臓がドクンと一回大きく跳ねた。
そして、もう一度、「みなさんで行ってみる」と繰り返した。
佐々木の向かいの神城が、佐々木と同じく伊澄瑠璃子を見上げ、
「伊澄さん、いつのまにそこにいたの」とびっくりしたように言った。
突然の出現に驚いたのは僕だけではなかったようだ。僕は慌てて伊澄瑠璃子に立ち位置をゆずった。彼女が用があるのは僕ではないだろうから。
佐々木奈々が彼女に、
「どこに行くんですか?」と言って、
神城が「私たちの話を聞いていたの?」と訊ねた。
すると、別の女の子たちの声。
「伊澄さん。どうかされたのですか?」
そう言って伊澄瑠璃子の脇を固めだしたのは、
彼女の取り巻きの、黒崎みどりと白山あかねだ。いつも金魚の糞みたいに彼女の そばにいる。彼女の信奉者みたいに。
伊澄瑠璃子はありふれた景色でも見るように彼女たちの方に首を向けた。
そして、伊澄瑠璃子は現れた二人には関心を示さず、
「旧ヘルマン邸二号館よ」と言った。冷たく抑揚のない声だ。
ヘルマン邸二号館・・あの屋敷、そういう名前だったのか。
いや、それよりも、僕たちの会話が聞こえていたのか。そんなに前から、彼女は僕たちの近くにいたのか。
そう思っていると、まるで双子のような黒崎みどりと白山あかねが、
「私たちも行きます」と声を揃えて言った。
白山は「ねえ、伊澄さん、私たち、3人で行きましょうよ。そのなんとか二号館に」と言った。
白山は伊澄瑠璃子が言った屋敷の名前も覚えていない。
続けて黒崎みどりが「そうですわ。わざわざ委員長や佐々木さんと行かなくても」と付け足した。
その言葉に神城が、
「わざわざ、委員長って何よ。気分の悪い」と二人に噛みついた。
神城に比べて温厚な佐々木奈々が「まあまあ」と神城の気を静めた。
委員長、佐々木奈々、そして双子のような黒崎と白山。
4人の女の子が声を交わす中、伊澄瑠璃子は僕の顔をじっと見つめている。
まるで彼女の目には他の女の子が映っていないかのように。
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