第457話 「夜の底が白くなった」④

 そして、加藤が泣いた喫茶店での会話も昨日のことのように憶えている。

 あれは、僕にとっても加藤にとっても初めてのデートだった。それと同時に偽りのデートでもあった。

 あの時、加藤を誘ったのは、その場にいた石山純子に対する当てつけだ。そこに居合わせた女の子なら誰でも良かったのかもしれない。水沢さんがいればそうしたかもしれない。

 その時はそう思っていた。

 だが今はそれが違うと、はっきりと分かる。

 そして、そんな僕の提案を加藤は知っていて承諾した。


 三宮の喫茶店での加藤とのやり取りをはっきりと思い出せる。

 初めてのデートでどこへ行っていいか分からず戸惑う僕に加藤は、

「純子と、デートする時は、ちゃんと予定を考えておくんだよ」と言った。

 言葉を返せない僕に加藤は続けてこう言った。

「鈴木、安心して・・私、鈴木のこと、好きじゃないから」

 それが本意じゃないことは分かっている。分かっていても何も伝えられない。


 僕は、心の中で加藤に謝り続けている。あの時のことを思い出すだけで、胸が痛む。

 謝りながら、僕は思っていた。加藤の存在を大きく感じていた。

 加藤の存在は、人生の中で突如現れる「光」のようなものではないだろうか、と感じていた。


「ねえ、鈴木、聞いてる?」

 電話口の向こうで加藤が言った。加藤の声で現実に引き戻された。

「ああ、聞いてるよ。どこで二人で読書会をするかの話だろ?」

「どこで・・というか、どの喫茶店でするかでしょ」

 加藤の快活な声に僕は、

「場所は、加藤と三宮でデートした時に行った喫茶店だ」と言った。

 しばらくの沈黙の後、加藤はこう言った。

「それ、いいわね」

 電話口の向こう、加藤の笑顔が広がった気がした。


 加藤は決して断らない・・

 僕は彼女を信じていた。


「それとさ、加藤」

 この機会に加藤に訊いておこうと思い、着替え中の男連中の噂話を切り出した。

 どこの誰かは知らないが、恐れ多くも加藤に告白したという話をすると、

「あははっ」

 加藤独特の軽い笑い声が聞こえた。

「そんな話が耳に入ったんだ。鈴木って地獄耳だね」

「いや、男連中の会話が勝手に聞こえてきたんだ。僕の聴力はいたって普通だ。悪くもないし、それほど良くもない」

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