第455話 「夜の底が白くなった」②

「ごめんね、鈴木」

 電話の向こうで加藤の小さな声が聞こえた。

 読書会を楽しみにしていたのに、どうしても部活を抜けられなくなった、と加藤は事情を説明した。

 寂し気な声だ。加藤の気持ちが電話を通じて伝わってくるようだった。

「でも、私、ちゃんと読んだんだよ。難しかったけど、面白かったよ」

「何度も読んだのか?」

 何だか想像ができない。と思っていると、

「あ、今、私が本を読んだなんて、信じられない、って思ったでしょ!」加藤はむくれるように言った。

「いや、そこまでは思ってない」

 僕が慌てて否定すると、

「嘘を言っても、顔に書いてあるわよ」と言ったので、

「電話だから見えないだろ!」と笑って返した。


 加藤が、「雪国」を何度も読んだことは驚きだった。嬉しくもあり、そんなに読んだのなら、是非とも加藤の感想とかを聞きたかった。

「今回の読書会は、残念だな。でも・・」

 僕が言いかけると、

「私、本を読んで思ったよ。速水さんや沙希ちゃんはこんな難しい本を読んで、話し合っているんだなって」と加藤は感心するように言った。

「僕もそれほど分かってはいないよ」

 読んでも分からないから、読書会があるのかもしれない。誰でも分かる小説で、ただの感想の語り合いだったら、それほど面白くはない。

 加藤は続けて、

「私なんか、小説の出だしの文章からつまずいちゃった」と、はにかむように言った。

「出だしって?」

「ほら、国境の長いトンネルを・・その次に、『夜の底が白くなった』ってあるじゃん」と言った後、「まず『夜の底』っていう言葉がピンとこないんだよね」と率直に言った。

 普通は読み流すところを加藤は気になるみたいだ。

「確かにな」

「それが『白くなった』なんて・・」

 僕は気にならなかったが、加藤の視点から見るとそうなのだろう。気になる箇所は人それぞれだ。

「その話は、読書会で僕が話を出すことにするよ」

「本当? じゃ、後でみんなの感想を教えてね」

 加藤は嬉しそうに言った。電話ではなく、今の加藤の顔が見てみたかった。


 加藤は続けて、「一番よく分からなかったのは、人間関係だよ」と言った。

 確かに「雪国」には人間関係が分かりにくいところがある。特に、幻想的な葉子という少女が世話をしている男との関係がよく分からない。

 けれど、僕は分からなくてもいいと思っている。それは主題からずれた所に位置していると思うからだ。

 本題は、主人公の心の推移だと思っている。

 加藤はそのことに気づいたのか、

「それでさ、鈴木に訊きたいんだけど」加藤はそう前置きして、

『雪国』の主人公の島村っていう人・・結局、誰が好きだったの?」と言った。「芸妓の駒子なの? それとも少し謎めいた葉子さん?」

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