第350話 決着へ①

◆決着へ


 将棋部室では、水沢さんと石山純子の対局がまだ行われていた。時計を見ると、あれから一時間ほど経っている。

 水沢さん、ごめん。

 ここでずっと見ていると言っておいて、肝心な時に透明になってしまって、遅れてしまった。本当に、ごめん!

「鈴木くん、ずいぶんと長いトイレだったね」真山部長が微笑んだ。

「お腹でも壊したのか?」阿部がからかうように言った。

「すみません」と僕は呼吸を整えながら言った。謝ることでもないのにそう言った。「知り合いに会ったんです」と適当に流した。

 神戸高校文芸部の男子の森山と阿部は、真剣に対局を見ている。大人しい小川さんも同じように観戦している。

 どちらが優勢なのか気になるところだ。

「どうなんですか?」僕は真山さんに訊ねた。

 すると真山さんは、

「私の見立てでは、五分五分・・いや、若干、水沢さんの方が優勢だね。部の連中もそう言っているよ」と強く言った。

「鈴木くんの彼女、強いじゃない!」茶髪の榊原さんが嬉しそうに言った。小川さんもそれに合わせた。

 おかしなことに、みんな自分の高校の子より水沢さんの優勢が嬉しいようだ。

「水沢さんは僕の彼女じゃないですよ」

 僕は否定しながら思っていた。

 二人は、「五分五分」なのに、水沢さんが強いと皆が評価しているのは、それほど石山純子が強いということだろう。改めて僕の知らなかった彼女の一面を見た気がした。


 将棋盤を挟んで向き合っている二人に目をやった。いや、二人とも向き合ってはいない。二人の視線は将棋盤に注がれている。微動だにしていない。 

 そして、僕が最も気にしているのは・・

 水沢さんが石山純子の心を読んでいるかどうかだ。自主的に読まなくても、石山純子の次の手が流れ込んでくる可能性もある。

 そんな方法で、仮に水沢さんが勝ったとしても、本人はもちろんのこと僕も嬉しくないだろうし、ここにいる神戸高校文芸部のみんなにも申し訳ない気がする。

 僕は願っている・・水沢さんには、石山純子の心を読まずに勝ってほしい。


 水沢さんの次に、石山純子の顔を見た。

 おそらく、こんなに長く見たことは初めてのことだ。

 振られてからも、その残像を拭おうにも脳裏から消えなかった彼女の笑顔だ。その顔が真剣になり、かなり焦っているのが分かる。次の手に行き詰っている顔だ。

 対局が開始した時の落ち着いた様子ではない。彼女独特の仕草も今はない。肩をすくめたりしないし、当然、笑顔もない。焦燥感に駆られた顔だ。

 彼女が授業の問題を解く時の顔は見たことがないけど、数学の難問を解く時、こんな顔をしていたのだろうか。

 それを裏付けるように男子部員の森山が、「だんだん石山らしさがなくなってきたな」と言った。

 逆に水沢さんの顔は淡々としている。澄ました表情だ。

 水沢さんの中にあるのはどんな感情なのだろうか。石山純子の手を読んでいるのか、それとも石山純子の悔しがる心が流れ込んできているのだろうか。

 ああ、知りたい。

 水沢さんの心を・・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る