第226話 驟雨②

 そんな速水沙織に初めて出会ったのは、初恋の子、石山純子の家に電話をかけ、見事に振られた時だった。

 あの時、中学三年の時、速水さんは義父のキリヤマに激しい虐待を受けていた。 速水さんはキリヤマから逃げるように生きている。

 傷つき続ける速水沙織は、ずっと僕を追いかけていた・・

 そして、僕を文芸サークルに誘った。

 サークルに入ってから、すごく楽しかった。ずっと初恋を抱えて過ごしていた日々に潤いを与えてくれたのは、サークルであり、部員たちだ。その中心に速水沙織がいた。

 そんな暖かい環境の中で、僕は恋をしていた。


 自主透明化しようとする直前、そんな心が迷い込んできた。

 そして、僕が透明になっても、速水さんには僕の姿が見える。つまり、速水さんは、僕が透明化しているかどうか、わからないのだ。繰り返しそう思った。


 だが、今は速水さんのことは考えるな!

 水沢純子のことだけを考えるんだ。

 心臓が激しい鼓動を打つ。僕の思考が一点に集約されていく。

 これまでの僕を変えるんだ。好きな子がいても、何もできなかった僕。

 僕は変わる!

 自己透明化だ。いけええっ!


 だが、その瞬間さえも、僕は考えてはいけないことを思っていた。 

 どうして、僕は水沢純子のことを考えようとするんだろう。

 人を好きになるって、無理に考えたりするものなのか?


 そう思った時には、もう遅かった。

 えっ? 

 全てが、ねじ曲がった方向に動き出した。

 自主透明化は、失敗した。透明化できなかった。

 当然、速水さんにはそのことがわからないし、水沢さんにもわからない。

 透明には、失敗したが、結果が違っていたようだった。


 ・・その全てが、裏目に出てしまった。


 思い出した・・速水さんは僕に忠告していたんだ。

「透明化している時に、心が暴発すると、体だけでなく、心、つまり、魂まで消えてしまうのよ」

 そして、つい先日、こうも言っていた。

「嬉しい時の心の暴発にも、気をつけるのよ。透明化している時、心が嬉しさの極みに達すれば、同じように魂まで消えてしまう」

 速水沙織は僕のことを気遣い、くどいほど言っていた。

「鈴木くん・・これは私の忠告よ。鈴木くんの想い焦がれる女性の前で透明にならないこと・・それだけは言っておくわ」

 水沢純子の前で透明になってはならない。速水さんはそう忠告していたのだった。


 だが、僕は透明化しないまま、木陰に佇む水沢純子に声をかけていた。

「水沢さん」

 僕の呼びかけに、

「鈴木くん?」

 水沢さんが驚くような顔で反応した。「どうして、そんな顔をするの?」そう訊きたいくらいの顔だった。 

 すると、次の瞬間、

 水沢さんの体が僕の方に傾いた。

 まるで寄り添うように、誰かに押されたかのような勢いで倒れ込んできた。加藤の時とは違って、水沢さんは、自らの意思で僕に駆け寄ってきた。

 そんな水沢純子を僕が避けるわけがない。

 水沢さんの体をしっかり受け止めようとした時、

 ・・それは起きた。


「鈴木くんに、触れないでっ!」


 心を切り裂くような声で叫んだのは、速水沙織だった。

 速水さんの叫ぶ声と同時に、水沢さんの体が僕から離れ、遠ざかっていった。水沢さんは僕にではなく、後方の地面に向かって倒れ込んでいった。

 僕には、その光景がスローモーションのように見えた。

 速水沙織が、水沢さんの体を突き飛ばしたのだった。


 そして、その次の瞬間、僕がとった行動は、速水さんに手を上げることだった。

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