第177話 池永先生の教訓①

◆池永先生の教訓


「私、そんな話、ぜんぜん知らなかったわよぉ」

 いつものように語尾を伸ばす話し方。

 目の前にでんと池永先生の大きな胸がその存在を誇示している。純な男子高校生の目には毒であることは確かだ。声も胸に負けずと劣らず艶っぽい。しなだれかかるような口調だ。

 ここは、以前、先生と来たことのある喫茶店。前回は、店の窓につきまとい男が張り付いていた。今回は誰も張り付いていない。

 窓の向こうに顔はないが、先生の美貌と色香は男の目を引くらしく、あちこちの席の男たちが時折、先生に視線を走らせるのを感じる。


「一応、先生には言っておいた方がいいのでは、と思って」

 僕は、早川講師のことを話した。告げ口に近いのかもしれない。しかし、黙っているのも癪だった。

 青山先輩との話・・厳格な青山邸に爆弾のような「檸檬」を投じること。

 僕自身が檸檬だ。僕が青山先輩の交際相手として、青山邸に赴く。

 だが、それを実行する前に、池永先生に根回しをしておかなくてはならない。


 池永先生は、僕のクラスの担任ではないが、一応文芸サークルの顧問だし、頼りに・・いや、頼りになりそうにないが、生徒の話を聞いてくれる先生だ。いや、それも怪しいな。

 しかし、高校において僕に、込み入った話を打ち明ける先生は、池永かおり先生しかいない。

 そんな池永先生に早川講師のことは全て話した。

 早川から自宅に電話がかかってきて、青山先輩のことを根掘り葉掘り訊かれたこと。点数を明らかに贔屓していること。副業として青山邸から収入を得ていることなどをぶちまけた。


「鈴木くんは、早川講師が、すっごおく嫌いなのね」

 池永先生は笑顔のまま、そうダイレクトに訊いた。「別にいいわよ。そうです、って言ってくれても」

 池永先生に言われるまま「そうです。嫌いです。前から」と答えた。

「前から?」

「はい、ずっと前から」

「いつからなの?」

「顔を見た時から」

 僕がそう正直に答えると、池永先生は「ぷっ」と吹き出し、

「それじゃ、私とおんなじじゃない」と言った。

「えっ・・池永先生も、早川講師が嫌いなんですか?」

 そう言った僕に、池永先生は続けて笑って、

「先生も人間なのよ・・好き嫌いくらい、あるわよ」

「それはそうでしょうね」僕はあっさり答えた。


「早川先生には、色々と誘われたわ」池永先生が思い出すような表情で、

「でも、私、人を見る目だけはあるつもりだから、安っぽい誘いには乗らないの」と言った。

 人を見る目・・それ、本当かあ?

「早川先生は、一度、誘いを断っただけで、翌日から私のあることないことを、言いふらしているって、同僚の先生から聞いたわ」

 早川らしいやり口だ・・最低だな。

 日々、そんな男に監視されている青山先輩が気の毒だ。


 池永先生は続けて、

「私には一つ、教訓があってねぇ・・」と語り出した。

「どんな教訓ですか?」一応尋ねる。

「顔は心を表す!」池永先生はきっぱりと言った。

「名は体を表す・・みたいですね」

 僕がそう言うと、

「あれ?・・それって、一緒よね。でも、ちょっと違うかなあ」余計に先生を混乱させたみたいだ。


 少し落ち着きを取り戻した先生はコーヒーに口をつけた後、

「それで、鈴木くんは、これから何をしたいの? 私に早川先生の話をしたからには、鈴木くんには何かしたいことがあるんでしょう?」

 そう優しく訊いてきた先生に僕は、青山邸に赴くという一連の話を説明した。


 池永先生は黙って僕の話を聞いた後、しばらく沈思し、

「鈴木くんって・・本当に変わってるわねぇ」と感想っぽく言った。

「そうですか?」僕にはわからない。何が変わっていて、何がちゃんとしているか。

「だって、そんなこと、普通の生徒はしないわよぉ」

 普通はしない・・

「義憤に駆られて・・だと思いますよ。早川講師は、ムカつくし、青山先輩も迷惑がっているし」

「そうかな?・・そんな理由かなぁ」

 そう言って、先生はまた沈思した後、

「青山さんは、見かけ通りのしっかりした子よ。鈴木くんが、あれこれしなくても、ちゃんとやっていける子よ」

「それこそ、そうかな? と思います」

「ほらぁ、やっぱり・・鈴木くんは・・やっぱり、そうなのよ」

「おっしゃってる意味がわからないです」

「先生は口下手だからねぇ・・でも、鈴木くんのことはよくわかるわよ。顔に出やすいタイプだし」

 顔に出る・・誰かに言われたな。

「つまり、鈴木くんは、誰かを放っておけない人なのよ」

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