第141話 こんな時間がずっと続けばいい①

◆こんな時間がずっと続けばいい


「鈴木くん、待たせたわね」

 僕と池永先生の二人きりのところに、いつもの決め台詞で現れたのは、

 わが文芸サークル部長の速水沙織だった。

 眼鏡をかけていない見慣れない速水沙織の顔がそこにあった。

 いや、眼鏡のことよりも、気になったのは、その格好だ。

 水着は黒のワンピースタイプ。

 そして、速水さんの左腕・・その肩から肘にかけては包帯替わりのようなサポーターが巻かれている。

 照りつける太陽の元、そんな速水さんの姿が不健康に見えた。

 けれど、胸は大きい・・曲線美と格好がアンバランスに映る。


「あらあ、速水ちゃん。遅かったわねえ・・何かあったの?」

 リクライニングの背を立たせながら池永先生が心配そうに訊ねる。

「大丈夫よ。先生」

 池永先生は速水さんの顔をしばし見た後、

「やっぱり、なんかあったのね」と再度訊ねた。

 そんな会話のやり取りを眺めながら、僕は思った。

 速水沙織と池永先生しか知らないことがある・・と。


 先生に問われた速水さんは、「先生には隠せないわね」と諦めたように言って、

「逃げてきました・・あの男から」と小さく言った。

 その声は僕に聞かれることを避けたような声のトーンだった。

 速水さんの「逃げてきた」という言葉に先生は、

「あの男、叔父さんの家にいたの?」と小さく問うた。

 そう言った先生の表情はこれまでに見たことのないものだった。

 いつもの艶っぽく、ちょっといい加減な先生・・それとは対を成すような顔をしている。

 

 速水さんは先生の問いにコクリと頷いた。

 これ以上黙っていられなくなった僕は、

「速水さん・・何かあったんだろう?」と訊ねた。

 僕の問いに速水さんの顔が僕に向けられた。

 その顔は・・いつもの速水さんらしくない表情をしていた。

 ・・何かに追い詰められたような顔だった。


 僕と速水さんの会話が始まろうとした時、

「速水部長・・来てたんですかぁ」三つ編みの小清水さんが駆けてきて言った。

「沙織・・遅かったね」人魚の浮きを抱えた青山先輩。

 さっきまで小清水さんに泳ぎを教えてもらっていた和田くん。

 三人が戻ってきた。

 小清水さんは速水さんの水着には触れなかったが、

 青山先輩は、速水さんの姿をしばらく眺めた後、

「沙織・・あれから・・いろいろあったんだな」と小さく言って「私は、何も知らなかったんだな・・」と更に呟いた。

 青山先輩に対して速水さんは何も言わなかった。

 速水沙織には青山先輩の知らない過去の時間が流れている・・

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