第114話 太陽のせい?
◆太陽のせい?
陽が傾いた。
この巨大プールにいると、一日が終わるのを肌で感じる。
ここはひと夏の楽園だ。
人々の肌を焼き、恋の移ろいを感じた後、一日は素知らぬ顔で去っていく。
いつも、この時間、物悲しさを感じる。
今日は、あんなハプニングがあった後なので、それもひとしおだ。
「そろそろ、帰るか」小西と岡部、どちらが言ったのかわからない声がした。
シャワーを浴び、更衣室に着替えに入った。陽に焼けた肌が痛い。
この巨大プールからは、専用のバスが出ていて、近くの駅に行ける。
時刻は4時半・・まだ高い位置にある太陽を背中に感じていると、
小西に「おい、鈴木」と声をかけられた。
振り返ると、小西に言われるまでもなく、
すぐ近くに、陽に焼けた加藤ゆかりが立っているのがわかった。
肩にサマーバッグをかけ僕を見ている。目が合うと僕に向かって手を振った。
加藤・・陸上部の連中と一緒じゃないのか?
そう思っていると、
「ほら、行ってこいよ」と岡部が僕の肩を押した。押された勢いで、僕は加藤の真ん前まで歩み進んだ。
そんな僕を見て加藤は、くすりと笑って、
「鈴木たちが、帰るのを見てさ。追いかけてきちゃった」と言って舌をぺろっと出した。
僕が「さっき、僕を探してたんだって?」と訊ねると、
加藤は「そうそう」と強く返事をして、
「ねっ、一緒に帰らない・・方向、一緒でしょ」と強く言った。
まあ・・一緒は一緒だけど、
「バスを降りたところに、私の好きな喫茶店があるんだよ。そこに行かない?」
僕が「いいよ」と返事をすると「じゃ、決まり!」と加藤は言って、二人でバスに乗り込んだ。バスの中では小西と岡部の冷やかすような視線が背中に痛かった。
あとで、二人には「加藤とはそんな仲じゃないんだ」と言っておこう。
バスを降りると僕は加藤の好きだという喫茶店に入った。
「これが、加藤の好みなのか?」
僕は席に着くなり、そう言った。店内の壁という壁にはマンガ本がぎっしり詰め込まれている。店長の好みなのか?
それぞれ、注文をした後、「鈴木は漫画は読まないの?」と加藤が訊くので「読まない」とあっさりと答えた。
そんなことより、もしかして・・
「水沢さんも、ここに来るのか」と僕が訊ねると、加藤は勢いよく手を振って、
「ないない、純子はこんな所に来ないよ」と笑った。
「純子と来ることはないけど、私は、よくここに来るんだよ。陸上部の子と来ても、お互いに黙って漫画を読むの」
そう楽しそうに加藤は話した。
「でもねえ・・」と加藤は静かに言った。「私、漫画の読み過ぎかなあ」
「何かあったのか?」
たぶん、プールでのことだ・・
加藤は「私、結構、SFっぽい漫画を読むんだよねえ」と言って、
「さっき、プールで変な目にあっちゃった・・」と言った。
僕が黙って聞いていると、
「陸上の先輩や、同期の子に言っても誰も信じないんだよ」
少し興奮気味に加藤は語る。
「それで・・鈴木なら、信じてくれるかもって・・さっきプールで探してたんだよ」
僕なら信じる? 加藤のことを? ま、加藤とは色々あったからな・・
「鈴木って、誰の話でも、受けとめそうじゃん」
誰でもって、そんなことはない。
「何の話なのか、見えてこないよ」僕はとぼけた。加藤、ごめん。
僕がそう言うと、
「私、透明人間に抱かれちゃったっ・・」
加藤は屈託のない笑顔でそう言った。
ぷっ! 僕は飲みかけのアイスコーヒーを吹きかけた。慌てて飲み込む。
「な、何だよ・・いきなり、透明人間って」それに、抱かれるって・・僕はそこまでしていないぞ。
「やっぱり、鈴木も信じないんだね」
加藤はそう言って意気消沈する。
「いや・・ごめん・・いきなりだったから」僕はそう弁解した。加藤の話を無下にするのはよくない。僕が原因なのだから。
「ちゃんと最初から説明するとね。あの大波がザブンと来るプールがあるでしょ」
「うん」
「そこで、私、陸上の子らとはぐれて、他の子を探してたんだよ」
「うん」加藤の声に耳を傾ける。
「わりと浅瀬に近づいた時、水が・・プールの水が、変な形で浮かんでいたんだよ」
それは僕の水をまとった人型だ。
「私、びっくりしてると、波に押されてさ・・・変な形の水の方に流されて・・」
加藤はそこまで言うと、「こんな変てこな話、信じないよね?」と言った。
僕は「大丈夫、信じる」と答えた。
加藤は嬉しそうな笑みを浮かべると、
「たぶん、あれって、人間だよ・・透明の・・」と言って、「透明人間は、人間でもちょっとエッチな男だよね。私の水着を脱がそうとしてたんだもの」と思い出すような顔をして言った。
違うんだ。あの時、偶然、加藤の水着に指が入り込んで・・
そう思っていると、加藤は、
「人間じゃなかったら、水の向こうに見えた太陽だよ」と意味不明のことを言った。
僕は加藤の言葉に「きっと、太陽だよ」と返した。
僕がそう言うと、加藤は笑って、
「鈴木なら、そう言うと思った」と言った。
「何で?」
「だって、鈴木は文芸部でしょ」
「そうだけど・・何かそれが関係あるのか?」
「有名な小説があるじゃん・・『太陽のせい』って」
「カミュの『異邦人』だな・・よくそんなもの知ってるな」
僕がそう訊くと加藤は、
「だって、私、読書会とか、参加しようと思ってるからさ。中学時代の文学とかよく知ってる友達に訊いたんだよ」
「本気かよ」
「この前、速水さんに皮肉みたいに言われたから、一応ね・・題名しか知らないけど」と言って加藤は笑った。
「加藤って、すごく負けず嫌いなところがあるんだな」
僕がそう言うと、
加藤は「鈴木の言う通り、私、負けるのは悔しいけどね」と言って、
「でも、今回は完全に負けだよ。頭で理解できないことには負け!」と投げ出すように笑って、
「・・私・・すごく、怖かったんだよ」
いきなり加藤の声のトーンが下がった。
「あとから考えると、何で、私、こんなこと経験しちゃったのかな、って・・この世界には知らなくても、それで済む現象って一杯あるのに、なんで私が・・」
よほど怖かったのだろう。加藤は今の今まで気を張っていたのに違いない。僕に全てを話すことで気が抜けてしまったのだろう。
そして、加藤を泣かせている張本人は僕だ。
「加藤・・ごめん」
そう言いながら、僕はプールで加藤の体を受け止めた時の肌の温もりを思い出していた。
「なんで鈴木が謝るんだよ!」
「いや、何となく・・加藤が泣いているみたいだから」
加藤に本当のことを言う訳にはいかない。
「べ、別に泣いてなんかいないわよ」
「そ、そうか?」
泣いているように見えたぞ。
「そうよっ・・何よっ、たかが、透明人間くらいっ!」
加藤の大きな声にあちこちの客が僕らを見た。
声の出し過ぎに気づいた加藤は、声を小さくして、
「もしかして、あの透明人間・・純子が校庭で出会ったのと、同じじゃないかな?」と言った。
同じだよ、加藤。
「この前、言ってた優しい感じの・・あの時は、幽霊とか言ってなかったか?」
「同じじゃん。幽霊も透明人間も」
「同じじゃないよ」僕は強く言った。
僕は幽霊じゃない。
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