第100話 図書館のラウンジ②

「鈴木くん・・あとで、時間、あるかな?」そう水沢さんは小さな声で言った。

 このあとで時間・・ある! 時間なら、たっぷりある。

 試験勉強の夕方分をキャンセルすれば、十分、時間がとれる。水沢さんから何の話があるのかわからないが、今一番大事なのは「このあとの時間」だ。


「鈴木くんに相談したいことが・・あるの」

 相談・・僕に・・勉強のこと? それはない!

「僕に相談?」

「この前の・・裏庭のこと・・そして、わたしのこと・・」

 よくわからないが、立ち話で済む話ではなさそうだ。


 僕はドアを後ろ手で締めながら、小さく「このあと、帰るだけだから」と答えた。

 水沢さんは少し微笑み、「じゃ、私、下で待ってる」と言った。

「水沢さん、下はまずいよ。この前の裏庭のことだろ?」

 水沢さんはしばらく考えた後、「それもそうね・・校門前で待つことにするわ」と場所を言って去った。

 水沢さんの後姿を見送りながら心が浮足立つのを抑えられなかった。

 いったん鞄を取りに部室に戻ると、

 さっそく池永先生に「あらあ、鈴木くんも隅に置けないわねぇ」とからかわれた。

 僕はこれ以上、皆の注目を浴びるのを避けるために素早く部室を出た。



 校門前・・

 先に水沢さんは僕を待っていた。

 胸が高鳴るのを抑えられない。体が宙に浮かんでしまいそうになる。

 これまで何度か、水沢さんと二人きりになったことはあったが、水沢さんとだけ待ち合わせをしたのは初めてだ。


「ごめんね。鈴木くん。急に呼び立てたりして」

 僕の顔を見るなり、水沢さんはそう言って少し笑みを浮かべた。

「かまわないよ」

 全然かまわない。恋する人に呼ばれるのなら僕はどこへだって行く。


「今日は、暑いね」二人揃って同じようなことを言ってしまって。言葉が詰まる。

時刻は4時。曇っているとはいえ、昼間の熱が地面にまだ残っている。

 まさか、水沢さんといる時に眠くはならないと思うが、念のため、カフェインをいつもの倍、飲んでおいた。

 これで透明化は大丈夫。

 人生で何度訪れるかわからないようなことを透明化で不意にしてしまっては目も当てられない。


「図書館だけど・・いい?」

 水沢さんは頭を傾けながら訊いた。

「図書館って・・市立の図書館だよね? あんな静かな場所で話ができるの?」

 図書館は僕も何度か訪れたことのあるが、閲覧者や、受験勉強の学生でいつも一杯だ。

 僕がそう訊くと、水沢さんは、

「閲覧室の外に、ラウンジがあるのよ。あそこなら、涼しいし、お茶もできるわ・・私、あの場所が好きなの。よく一人でいくのよ。勉強もできるし」

 図書館のラウンジ・・

 そういえばあったな・・水沢さんに似合いそうな場所だ。水沢さんが一人で勉強している光景が目に浮かぶ。


 図書館は学校からさほど遠くはない。

 駅に向かって10分程歩くと、緑に囲まれた厳かな西洋建築物が徐々に現れてくる。

 アンチークな旧館と現代的な新館をジョイントさせた大きな建物だ。何度か改修に改修を重ねて、現在の姿を保っている。

 閲覧室は三つほどに分かれていて、飲食のできるラウンジは一番大きな部屋に隣接している。ラウンジは室内とオープンテラスに分かれている。


 セルフサービスのアイスコーヒーを注文し、僕が空いている席を探し、水沢さんと向き合って座った。オープンテラスの方はさすがに暑い。

 水沢さんが、「いつかの水族館みたいね」と言った。

 その通りだ。あの時もフードコーナーで一緒に二人で休憩をした。途中、透明化した速水さんが現れたりもした。

 僕と水沢さんの間には小さな丸テーブルがあり、その上に、ストローを差したアイスコーヒーのカップが二つある。


 緊張する・・こうして改めて水沢さんと向き合って座ると、すごく緊張する。

 いつも教室の窓を背景に見ている彼女とはまた違う。

 今は真正面の水沢純子だ。直視するのも眩しく感じる。

 僕は斜め前の水沢さんの後ろ姿を眺めている方が性に合っているのではないだろうか。


 ラウンジはクーラーがよく効いていて、すぐに汗が乾いていくのが感じられた。

 大きなガラス窓の向こうには図書館を囲む緑の木々が広がっている。近くには大きな花壇もあり、目のやり場に困ることはない。


 水沢さんとの間に特に話題もない僕は「水沢さん・・それで、相談って何なの?」僕は水沢さんに訊いた。

「ゆかりから、何か聞いていない?」

 僕は記憶をさかのぼった。

「加藤が部室に来た時に、話してたこと・・かな?」

 その話しかないような気がする。加藤が言っていた言葉・・

 ~純子には人には見えないものが見える~

 水沢さんがそれを実感したのが、あの雨の日の午後、僕が水沢さんの前で透明になった日だ。その話しかない。きっとそうだ。

 速水部長が、一度水沢さんの話を聞いてみたいと言っていた。


「たぶん、それ・・」と水沢さんは言った。「私、ゆかりに話したから」

 水沢さんがそう言ったのを受けて、

「その話だけど、他の人・・僕のサークルの仲間も一緒に聞いた方がいいんじゃないかな」

 ・・と僕は水沢さんの気持ちも考慮せずに言った。


 水沢さんはコーヒーのストローに口をつけ、

 しばらく沈黙した後、顔を上げ、こう言った。

「私は、鈴木くんに話したいから、鈴木くんと、ここにこうしているのよ・・別に、私は速水さんに話したいわけじゃないわ」

 目つきが鋭い・・

 水沢さんは気分を害したのに違いない。何て僕はバカなんだ。

 僕は「ごめん・・」とすぐに謝り、「僕が受けた相談だ。ちゃんと僕が聞く」と言い直した。

 そう言いながら気づいたことがあった。僕がさっきサークルの仲間と言ったのを、水沢さんは「速水さん」と個人の名前を出した。特に意味はないのかもしれないが、少し気になる。

 僕は静かに、

「水沢さんは・・人に見えないものが、見えるって、加藤が言ってたけど・・それ、本当?」

 まず、そこから話を切り出した。

 水沢さんはコクリと頷くとこう言った。

「こんなこと、話せるの・・鈴木くんしかいないの」

 僕の中で時間が止まった気がした。

 感情を紛らわせるためにアイスコーヒーに手をつけた。

 え・・僕しかいない?

 それって、素直に喜んでいいことなのか? いいこと・・なんだよな・・

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