第95話 僕は君のために、彼女は誰のために?③

 すると、

「そんなの私たちの勝手でしょ! あなたたちに関係ないじゃないですか!」水沢さんはそう言った。

 びっくりするくらいの大きな声だ。

 そして、

「鈴木くん、こんな人たちにかまわないで行きましょう」と言って、僕の手を握った。

 一瞬で、手が、顔が、心が熱くなる。

「えっ・・でも、加藤さんを待ってるんじゃないの?」と僕は言った。

 しまった!

 ばれた!


「なんだ。やっぱり違うじゃんかよ」

「道理でな・・こんな存在感のなさげな奴が、美人さんの彼氏なわけないもんなあ」

 彼らはそう言うと、腹を抱えるように笑い出した。

 何がおかしい・・

 僕は存在感がないどころか、透明にだってなれるんだぞ! 

 ああ・・僕は激しく後悔していた。

 こんなに恥をかき、問題も解決できないのなら、最初から透明になって、こんな下劣な奴ら、殴ってやるんだった。

 

「いっそ、退屈しのぎに、こんな奴、やっちまおうぜ」

「ああ、そしたら、純子ちゃんが、俺たちに惚れるかもな」

 何かのドラマのように彼らは指をぽきぽきと鳴らし始めた。

・・純子ちゃん、だと! こいつら、水沢さんを純子・・と。


「み、水沢さんの名を、気軽に呼ぶな!」

 声が自然と出ていた。

「え、何て言った? 聞こえないぜ、僕」

 男たちはそう言っておどけた。

「隙だらけだぜ!」

 太った方がそう言ったかと思うと、僕の肩をずんと突いた。

 肩にかけた鞄がぶらんと揺れ、同時に体が大きくよろけた。

 僕は足を踏ん張らせながら、

 僕の心は・・僕の狭く小さな心は・・怒りに暴発しかかっていた。


「鈴木くん、もういいわ。いきましょう」水沢さんが声をかける。

「ダメだ!」

 何がダメなのかわからない。僕はこの場から逃げ出したくなかった。 

 足がガタガタと震えてくるのがわかった。

 いっそ、この場で透明に・・

 もうばれたってかまうもんか!

 透明化して、あんな奴ら・・

 

 その時だった。

 驚くことが二つ、ほぼ同時に起こった。

 一つは・・水沢さんがこう言ったのだ。

「・・来るわ」

 そう確かに水沢さんは言った。「誰かが来る」と言う意味なのか?


 二つ目は・・考える間もなく、

 僕の左耳に熱い息がかかった。

「ほんと・・世話の焼ける彼氏さんね」

 歌うような速水沙織の小さな声だった。

 僕は「はや・・」と言いかけて口をつぐんだ。

 けれど、速水さんの姿は見えない。速水さんは透明化している。ここに来るとき、部室のドアが開きかけていた。おそらく、僕らの姿を見て降りてきたんだろう。

「鈴木くん、心の暴発はダメよ」

 そう速水さんは耳元で囁いた。

 息遣い、足跡・・速水沙織が肌が触れ合うくらいに近くにいるのがわかる。

 その声は水沢さんに聞こえているのだろうか?


「おい、こら、どうした? どっちを向いてやがる。誰としゃべってるんだ?」

「こいつ、頭がおかしいんじゃないのか?」


 ザクザク・・乾いた地面の砂利を速水さんが踏みしだいていくのがわかった。足跡がぽつぽつと付いていく。

 速水さんが彼らの背後にまわったのが見て取れた。


 そして、速水さんは二人の男にこう言ったのだ。

「あら、頭がおかしいのはどちらかしら?」

 いつもの速水さんの口調だ。


 その声に驚きの声を上げ、男たちは振り返った。けれど、周囲には誰もいない。

「あれ?」

 まるで狐につままれたような顔をする。顔が泳ぐ。

 次の瞬間、痩せた方の男が「うわっ!」と変な声を上げて倒れ込んだ。

 太った男が「おい、どうした!」と呼びかける。


 おそらく、速水さんが渾身の力で突き飛ばしたのだろう。

 相手が見えないと女性の力でも男を倒せるのかもしれない。

 僕と水沢さんはそんな様子を声も出せずに見るだけだった。


 倒れた男は半身を起こし、

「だ、誰かに突き飛ばされたんだ!」と肥満男に言った。

「おい、何を言ってるんだよ。誰もいないじゃないか?」

 そう言っているが、この男も速水さんの声を聞いている以上、ある程度は信じている。


 次にまた速水さんの声が聞こえた。

「あなた・・ちょっと太り過ぎよ」

 速水さん一流の皮肉口調が炸裂する。

 男は「えっ・・今、何て?」と呆けたような口調で言った。

 辺りをキョロキョロする太った男の視線はどこともなく彷徨う。

 動揺した男は、拳を振り上げ、まるで、エアパンチでもするように空気を殴り始めた。

 拳が空を切り、意味のない空振りを繰り返す。

 そんな中、速水さんの悲鳴が一瞬聞こえたような気がした。


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