第96話 僕は君のために、彼女は誰のために?④

 空振りをする男に、まだ立ち上がれないままの男が、「き、きっと、幽霊だ!」と叫んだ。

「俺も聞いたことがある・・旧校舎の幽霊だ・・」

 男は起き上れない。「ゆ、幽霊が・・本当にいたんだ!」と言って腰が抜けたようになっている。

 太った男が痩せた方を無理やり起き上がらせ、「おい、もう行こうぜ」と言って、僕たちを見もせずに校庭の方に去った。


 ・・僕は知っている。旧校舎の幽霊なんて存在しない。

 それは、透明化した速水沙織という名の少女だ。


 ただ、この現象を水沢さんはどう捉える?

 僕は隣の水沢さんを見た。水沢さんは僕を見てはいなかった。

 水沢さんは男たちがいた場所を見ていた。

 そこにはまだ速水さんがいる。

「誰なの?」

 水沢さんの視線は、速水さんの立っている位置に向けられている。「そこにいるのは誰なの?」

 速水さんの動きが止まっている。ざくっと砂利の鳴る音がした。

 速水さんはじっとしている。

 僕にもわからない速水さんのいる場所を水沢さんは正確に捕えている。


 加藤は言っていた・・

「純子には、人には見えないものが見えるんだよ」

 それは僕の母や、妹、小清水さんの見え方とは違う。おそらく別の見え方だ。

 水沢さんには人の魂そのものが見えるのだろうか?

 だが、それは速水沙織の姿としては認識していないようだ。


 速水さんは沈黙を保っている。どうやら、動けないらしい。

 速水さんが静かに立ち去れるように、

 僕は「水沢さん、もう行こう」と言った。

 けれど水沢さんは「鈴木くん・・ちょっと待って・・」と言った。

「あれを見て!」

 水沢さんはおそらく速水さんが立っているであろう地面を指差した。

 僕は目を凝らした。

 

 血だ!・・

 速水さん、さっきの男に殴られたのか。

 体から流れ出た血は、本人の体を離れれば、実体化する。少量だが、それは間違いなく速水さんの血だ。

 地面のあんな小さな血が水沢さんには見えるのか? 僕には最初確認できなかった。


 しかし・・どうしたらいい? ここで速水さんに声をかけるわけにはいかない。

 そんなことをしたら・・

 僕と速水さんの二人だけの秘密がばれる。二人が透明化能力を持つ人間だということが。

 それだけは絶対にダメだ!

 

 速水さん、どこを怪我したんだ?

 痛かったのか? 早く手当を・・

 

 けれど・・速水さん、ごめん。今は君をどうすることもできない。

 そう思った瞬間、水沢さんはこう言った。

「彼女・・鈴木くんの知ってる人?」

 え?・・彼女って・・

「どうして?」

「そんな気がする・・」水沢さんは呟くように小さく言った。


 その時だった。別の懐かしい声、暢気な声が聞こえた。

「ごめ~んっ、純子、待ったあ?」

 加藤ゆかりだった。予想通り、水沢さんが待っていたのは加藤だった。

 加藤の属する茶道部は旧校舎の二階だ。


「あれえっ、鈴木まで・・二人揃って何してんの?」

 暢気な加藤が声かける。

 加藤がやって来たの同時に、速水さんが立ち去ったのがわかった。


「ゆかり、私、今度から、ここで待つのはよすわ」

「え、純子、何で、何でっ?」加藤にしたら状況が全く分からない。

 僕が「あのさ、さっきまで水沢さん、結構大変だったんだ」と事の顛末を話した。

 速水さんのことは触れずにおいた。


 加藤はしばらく俯いて考え込んだ後、顔を上げ、

 小さく「ごめん、純子・・それ、私のせいだ」と言った。

「ゆかりのせい?」

「そう・・私のせい・・私、先輩に聞かれたんだよ。純子の名前を・・私、てっきり、先輩が純子に気があるのかなって思って・・名前くらいはいいと思って教えたんだ」

「そうだったの」

「でも、その先輩は全然悪い人じゃなくってさ。私もまさか、先輩が誰かに純子の名前をを他の人に教えるなんて・・思いもつかなくって・・」

 そう言いかけ、加藤は少し泣きじゃくりだした。「本当にごめん」


「ゆかり、わかったから、もういいわ。名前なんて、隠したって、すぐにわかるし」

 水沢さんは親友をそう言って慰める。二人が本当に仲がいいのだとわかる。

「本当にごめん・・今度から気をつける」加藤はしょんぼりそう言った。

「もういいって」水沢さんはそう言って笑顔を見せた。

 加藤は今度は僕の方を見て、頭を下げた。

「鈴木もごめん」情けないような声で加藤はそう僕に言った。

「え? 僕が?」

「だって、純子のこと、守ってくれたんでしょ」

 加藤は顔を上げると笑顔でそう言った。

 なんだか、照れる・・僕が水沢さんを守る・・なんて・・

 でも、僕は水沢さんを守ってなんかいない。

 守ったのは・・・速水沙織だ。彼女は身を呈して僕たちを守ってくれた。

 え? 

 速水さんは誰のために?

 僕なのか?

 水沢さんを・・なのか・・


 そんなことを考えていると、加藤が僕に声をかけた。

「ねえ、鈴木、これから、純子とお茶しに行く予定だったんだけど、鈴木も来る?」

「本当ね。鈴木くんも・・私たちと一緒に」

 水沢さんまで笑顔で僕を誘ってくれる。

「はい、行きます!」と言いたいのは山々だ。


 でも、僕は・・

「ごめん、水沢さん、加藤・・せっかく誘ってくれたのに悪いんだけど、この後、部活があるんだ」と言った。

「あれえっ、文芸サークル、今日は休みじゃなかったっけ?」と加藤は言った。この前、速水部長に説明されたのをしっかり覚えている。

「ちょっと、調べものがあるんだ」

 僕は適当に言い訳を並べ立て部室に戻った。

 

 二階に上がりながら僕は・・

 あ~っ、僕は何をやってるんだ。

 せっかく、水沢さんと話せるチャンスを棒に振って・・と男らしくない後悔にかられていた。それにこの状況、いつかのケーキ屋さん前の時と同じだ。

 あの時も水沢さんに一緒に誘われて、速水さんと小清水さんの待つケーキ屋さんに行った。

 何度、僕はチャンスを不意にしているんだ!


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