第76話 マドンナ先生のために①

◆マドンナ先生のために


「鈴木くん、今、帰り?」

 部活の帰り道、そう声をかけてきたのは、あの豊満、かつ、子供っぽいマドンナ先生、池永かおり先生だった。

 僕は校門を出て、坂道を下っているところだった。受験勉強も待っているし、母の作る夕飯も待っている。


 僕が「家に帰るところです」と即座に答えると、

「ねえ、鈴木くん、ちょっと、お願いがあるんだけど」と言われた。

 池永先生のお願い?

 池永先生はわが文芸サークルの顧問だ。そして、合宿プランの立案者でもある。

 有難いような・・少し迷惑なような存在だ。

 ただ、今、目の前にいる先生は・・ 

 なんだか息が荒く・・その豊かな胸が更に大きく上下しているように見えるのは気のせいなのだろうか?

「簡単な話ですか?」と僕が訊ねると、「ちょっと、私の家までつき合って欲しいんだけど」と答えた。

 家?・・池永先生の家?

 何で?・・しかも、生徒である僕が・・ 

 この先生、やっぱりおかしいんじゃないか? 部室で失恋話をしてド派手に泣いていたし。


 大きな声で「先生、なんで僕が?・・僕は家に帰って受験勉強を・・」と言いかけると、

 先生は口の前に人差し指を立て「しっ」と言った。

「気づかれるわ」

 そう池永先生は言った。気づかれる・・誰に?

「鈴木くん、家に行かなくてもいいから、先生と一緒に駅まで歩いてちょうだい」

 駅・・僕の家、反対方向なんだけどな。

 先生の勢いに負けて、とりあえず僕は先生と一緒に歩を進めた。

 歩きながら先生は、

「鈴木くん、後ろを振り返ってはダメよ」と言った。

 後ろを見たら石にでもなるのか?

 それに、周囲の目も気になる。僕の横を歩く大人の女性は・・

 少し、ネジが外れたような人だが、そんなことを知らない男子にとっては憧れのマドンナ先生だ。

 ほとんどの男子が池永先生のナイスボディを見て憧れている。

 そんな先生と歩くのは非常に恐縮・・気が引ける。

「ごめんね。鈴木くん・・私、たぶん、つけられてるのよ」

 つけられてる?

「あの・・つけられてるって・・先生がですか?」

「もちろん」

 即答された。

「どうしてなんですか? 何で先生が誰かにつけられるんですか?」

 何か悪いことをしているのか? ひょっとして借金取りから逃げているとか?

 取り立て屋なら、僕を道連れに歩くのもおかしい。

 いや、待て、

 もしかしたら先生は僕をボディガードに? でも、僕は腕っぷしは弱いから役に立たないぞ。

「あとで説明するわ・・とにかく今は急いでっ!」

 何が何だかわからぬまま、僕は池永先生に手を引かれ・・

 そう・・気づかぬうちに僕は池永かおり先生に手を引かれていたのだ。

 ごく自然に・・自分の年齢よりずっと上の人に僕はぐいぐいと引かれていく。

 体が近い・・先生の匂い・・大人の匂いがした。


 後ろを見るな、と言われても見てしまうのが人情だ。先生に気づかれないように僕は横目で後を見た。確かに胡散臭そうな男、40代くらいの男がこっちに向かって歩いてくるのがわかった。だが、あの男が先生をつけている男なのかどうかはわからない。


 学校を離れ、駅前が近くなると、人通りも多くなってくる。さすがに先生は握っていた手を離し「ごめんねえ、鈴木くん、突然でびっくりしたでしょ」と言った。

「はい・・驚きました」そう答えるしかない。

 池永先生は歩を緩め、

「実は、私、ある男の人につきまとわれてるのよ」と言った。

 すかさず僕は「先生は借金をしてるんですか?」と訊いた。僕の推測に先生はぷっと吹き出し、

「そっかあ・・」と頭を掻きながら「そう思われても仕方ないわね」と笑った。

「私、誤解されやすいのかな・・」

 誤解? 借金取りの線は当たっていないのか?

 先生はあたりを見まわし「もう大丈夫ね」と何かに安心したように言って「鈴木くん、迷惑をかけたから、お詫びに冷たいコーヒーでも奢るわ」と笑顔を見せた。

 僕はよくわかならないまま、賑やかな駅前の喫茶店に先生と入ることになった。

 ・・いや、先生に無理やり喫茶店に入らされた、と言った方が正しい。

 お詫びよりも、僕は早く家に帰りたいんだけどな・・


 幸いにも、店内は学校関係者は見当たらなかった。仮に誰かいたとしても、この先生は気にしないだろうな。

 

 先生と僕は店の奥の暗いコーナーの席に向かい合わせで座った。

 僕は壁を背に座り・・いや、座らされ、先生は店の明るい方に背を向けて座った。

 誰かに見られたとしても、一応文芸サークルの部員と顧問の先生の間柄だ。言い訳は立つ。けれど、男子生徒は羨むだろう。


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