第31話 小説「冬の夢」

◆小説「冬の夢」


「鈴木くん、今日はずいぶんと浮ついているわね」

小清水さんまで「本当・・鈴木くん、何だか、にやにや笑いが止まらないっていうか」と普段仏の笑みではなく、少しお叱りを受けているような感じになっている。


「鈴木くん、厭らしいわね・・男子特有の笑い顔だわ。不潔・・」

「速水部長・・それ、言いすぎでしょ!」

 僕は眼鏡をくい上げしている速水さんに軽く抗議した。


 いや、たぶん、速水さんの言い過ぎでもないのかもしれない。

 本日は土曜日、初めての読書会なのだが、全く身に入らない。

 テーブルの上座には速水部長、僕の向かいには小清水さん。 


 読書会は、担当になった部員が一冊の本を選び、進行役をし、その本について議論したり、感想を述べ合ったりする。

 ただ、それだけの会だ。特に結論というものはない。所要時間は2時間程度。

 話が脱線することも多々あると、小清水さんは言っていた。


 今日の本はフィッツジェラルドの「冬の夢」・・先日、小清水さんが翻訳の違いを語ってくれた本だ。

 訳は「風が冷たいわね」ではなく「風が冷たーい!」の方だ。高校生のサークルなので、両方とも買え、などとは誰も言わない。二冊共持っているのは小清水さんだけだ。

 

 そんなことよりも・・

 僕はずっと考えている。昨日の二時間目からずっと。

 加藤に呼びとめらてから、ずっと・・

 それは、明日、日曜日のことだ。まだ梅雨入り宣言もされていないこの季節。爽やかな気候を更に楽しもうとする計画がある。

 それは加藤ゆかりの立てたダブルデート案だ。

 最初、加藤から聞かされた時には実感できなかったが、今は違う。

 緊張・・期待・・わくわく・・

 興奮冷めやらず。そして、準備。

 どんな服を着ていこうか? 時間はどれくらい? 昼飯はどこで?

 何を話せばいい? 話す時間はあるのか?

 特に水沢純子とは、どんな話題がある?

 いや、今回のデートは、僕は単なる数合わせに過ぎない。そこまで考えなくていい。水沢さんは加藤の親友だからつき合ってるだけで、僕はそれほど関係ない。

 そんなことはわかっている。わかっているんだ!

 でも、わくわくするんだから仕方ないじゃないか!


 読書会の担当の小清水さんが「冬の夢」の概略を改めて説明した。

 長編ではなく短編なので、さすがの僕もきっちり読んでいる。


 今日は、わくわく感も手伝い、カフェインもそれなりに飲んでいるので。透明化はないはずだ。


・・・「冬の夢」はゴルフのキャディをしている若い主人公が、ゴルフ場で富豪の娘ジュディに出会ったところから物語が始まる。

 ジュディは美少女だ。周囲の年嵩の男たちが称えるほどの。

「あの少女は、将来、男たちを振り回すようになるぞ」と言われるほどの。


 本なので、はっきりとはイメージできないが、気位が高く、少しきつめの少女。

 目鼻立ちが綺麗で、知性的かつ男を惹きつける蠱惑的な魅力を兼ね備えている。

 こういう女の子が小悪魔的というのだろうか?


 主人公は仕事を辞め事業家に変貌を遂げる。

 事業に成功すると人生の目標であったかのようなジュディと再会し二人の交際が始まる。

 けれど社交界の花形のジュディの周りには十人以上もの男たちが取り巻いている。

 

 小清水さんが説明してくれた二人でボートに乗るシーンもちゃんとある。


 色々あったが結局二人の気持ちはすれ違い、別れることになる。

 主人公の男はやがて、アイリーンという女性と結婚する。。

 そして、何年か後、ある知り合いから、ジュディは結婚したが、夫と上手くいかず、まだ二十代なのに昔の輝きを失っていることを知らされる。


「彼女が綺麗じゃないって?・・・そんなはずはない・・あのジュディが、あんなに輝いていた女性が・・」


 それだけの話だが、ここで語られているのは人が生きていく上での言いようのない「喪失感」だ。

 事業に成功し完璧な人間になったと思っていた主人公は二度の喪失体験をする。

 一度目は人生の目標であったジュディと別れたこと。

 二度目はジュディ自身の容色が衰えてしまったこと。

 一見、誰にでもあるような喪失感のようだが、そこは作者の力量、文章表現、舞台設定などで名作に仕上げているようだ。


 せっかくの名作なので、僕は物語のヒロイン、ジュディを水沢純子に置き換えてみた。

 しかし、ジュディと水沢さんの共通点は見つからない。

 知性的、男を惹きつける・・これは同じだ。

 けれど、きつくはない。

 きついとは・・気性が激しい?・・棘がある? 

 ジュディは、気位が高く、蠱惑的・・小悪魔? うーん・・


 いずれにしても、水沢純子には当てはまらない。

 どちらかというと、水沢純子は掴みどころがないイメージだし、それにソフトな感じもする。棘なんてどこにも見当たらない。蠱惑的でもない。


「次は鈴木くんの番よ」

 速水さんのきつめの声で妄想から現実に切り替わった。

 進行役は小清水さんのはずだが、どうしても速水さんが前に出てくる。


「か、可哀想なイメージの女性だよな・・ジュディって」

 僕が初めての読書会で放った言葉がそれだ。

「結局、ジュディの人生って何だったのだろう・・」

 継ぎ足す言葉が中々見つからない。


「フィッツジェラルドの小説・・名の通っている名作はそのほとんどが悲劇なのよ」

 そう速水さんは語りだす。

 速水沙織によれば、フィッツジェラルドの小説で人気があるのは、アメリカンドリームが描かれている・・そして、その先に待っているのは、深い喪失感による悲しみ、だと言う。


「よくわからないけど、この中の男も女もそれぞれ、結婚してるんだよな」

 主人公もジュディも、相手の気持ちを持ち切れず、というより、流れに任せて、と言う風に結婚している。


「あら、結婚なんて、そのほとんどが、流れに身を任せてよ」

 ほんとかよ!

「速水部長~・・結婚って、そんなものなんですかぁ・・」

「ええ、沙希さん、そうよ。」

速水さんはきっぱりと言ったぞ。夢多そうな乙女の小清水さんに。


「そんなの、何か、いやですよねえ。鈴木くん」

小清水さんは訴えかけるように僕の顔を見る。


 僕は速水さんほど擦れてはいない。かといって小清水さんほどでもなさそうだが、結婚にはそれなりに夢のようなものを抱いている。

 

「小清水さん、速水部長の言うことを、真に受けない方がいいと思うよ」

「そうですよねぇ」

 小清水さんの顔に笑顔が戻る。

 僕の言葉に、速水さんは「あら、私にしては、意外と的をついた意見だと思ったのだけど」と言った。

 この話の脱線具合が読書会の醍醐味なのかもしれない。


 小清水さんが、

「それで、鈴木くん、この小説の文章表現とか、気になった所とかなかった?」と訊ねた。

「たぶん、ここが良いと言っても、他の訳者で、全く違ってたら何にもならないよな」

 そう僕が言うと、

「そうよ。鈴木くん。いい所をついてきたわね」速水さんがそう僕を称賛する。馬鹿にされているのかもしれないぞ。

「いや、小清水さんに、色々、翻訳で変わることを教えてもらったから・・」

 僕のその言葉に小清水さんは更に笑顔を上書きした。


「鈴木くん、言葉で、色々、変わってしまう・・それは文学だけでなく、実生活でもあることなのよ」

 と、少し怖めの表情の速水部長。

「そうなんですよ。だから、人は文学を学ぶんですよぉ」

 続けてそう言ったのは、文学少女の小清水さん。


「鈴木くんは、もっと小清水さんから文学について教わるといいわ」

「そんなっ、私が鈴木くんに教えるなんてっ」

そう言って小清水さんは顔の前で手をブンブンと振った。

 それはそれで楽しみだ。


 きつい言い回しの速水さんとおっとり系の小清水さんの会話を交えながら、僕の初めての読書会体験は滞りなく終了した。

 それから、一時間ほど、他愛もない話をしながら僕の初めての読書会は終わった。


 二人には明日のダブルデート?のことは言わないでおいた。

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