第26話 本屋さんで透明化②
「僕、小清水さんや速水部長ほど、本のことあまり知らないんだ・・たぶん、純文学なんて、数えるほどしか読んでいないし」
少し丁寧に答えた。本当に本のことは詳しくない。
「そ、それじゃ、これから、学校帰り・・一緒に本屋さんとか・・行って・・一緒に・・探すの・・手伝ってくれないかな?・・」
そう小清水さんは切れ切れに言った。体の中から絞り出すような話し方だった。
なんだ、最初からそう言えばいいのに。
「いいよ」別に今日も何の予定もない。
「鈴木くん、つき合ってくれるの?」
?・・この言葉は・・
「うん」
つき合う・・前に小清水さんが言っていた「つき合ってくれる」って、このことだったのか?
重ねて「うん」と言った僕の言葉を大事そうに呑み込んだような小清水さんは、
「駅前の本屋さん・・でいい?」
「ああ、あそこね・・いいよ」
女の子と本屋さん・・これも人生初めての経験だ。
加藤ゆかりとは、これも人生初の女子と喫茶店。
やっぱり、部活に入って良かったということかな?・・
こんな僕でも女性に縁のある日々が訪れるものだ。
校舎を出た所で小清水さんと待ち合わせをした。
「鈴木くん、お待たせ」
部室内で見るより小清水さんは少し大人びて見えた。いつも座っている様子しか見ていないせいだろうか。
長い黒髪・・綺麗に揃えた前髪、背は低い方で、痩せ気味、肌は白く、見方によっては少し病弱にも見えたりする。
僕と同じように影が薄いと言われるのも、僕とは違う理由のような気がする。
僕の場合は、単に目立たない。没個性的、無口・・
けれど、小清水沙希は・・線が細い・・おそらくそいうことなのだろう。
「鈴木くん、あとで、速水部長も本屋さんに来るって・・本を選んだら、どこかでお茶でもしよう、って・・」
「速水さんが?」
なんだ。完全に二人きりというわけでもなかったのか。どうせなら最後まで二人きりの方が・・なぜか複雑な心情だな・・ま、いいか。
こうして二人並んで歩く・・なぜかドキドキした。加藤ゆかりの場合は加藤が率先して歩いていたのに比べて、小清水さんとの場合は同等に歩いている気がする。
決して、二人とも教室では影が薄いとかの理由ではなく。
いつも部室で雑談しているのに、こうして外に出ると変に意識してしまう。
小清水さん・・痩せ気味なのに、胸が大きいな・・などと不純な目線も交えながら。
こんな風に並んで歩いているのが、もし、小清水さんではなく、水沢純子だったらどうなのだろう? 小清水さんには悪いが、どうしても考えてしまう。
「初めてだね・・鈴木くんと学校の外に出るの」
そんな楽しそうな小清水さんの言葉に僕は「そうだな」と不愛想に答える。
部室ほど会話も弾まなく、市街地に入り、本屋さんに着いた。
この本屋はチェーン店らしく、大きな駅の近くでよく見かける。
「私ね、よくここに来るのよ。ほとんど文庫のコーナーばかりだけど」
「僕は月に一回来るか来ないかだ」
僕たちは文庫のコーナー前にいる。
僕たちは顔を合わせず、文庫本の表紙を眺めながら会話をしている。
たくさんの文庫が背を見せている。新潮文庫、角川文庫・・
「これから、鈴木くんが本のこと、もっと好きになってくれるといいんだけど・・」
それはそうかもしれない。
一通りの会話が終了すると、小清水さんは「何にしようかなあ・・」とゆっくりと本の表紙を見つめながら歩を進める。僕は間をあけてついていく。
「鈴木くんは海外文学には興味ある?」
「海外文学・・・・『老人と海』なら読んだことあるよ・・ずいぶん前だけど」
「ヘミングウェイね」
「そうそう・・ヘミングウェイ」・・だったと思う。
「海外文学は翻訳小説とも言って、訳す人によってすごく印象が変わるのよ」
ふんふんと頷きながら小清水さんの話を聴く。
小清水さんは二冊の海外文庫本を書架から抜き、あるページを広げて見せた。
「ここ・・湖でボートに乗った女の子が、水しぶきを浴びるシーンなんだけど」
そんなページ・・憶えているのか・・小清水さん、すごいな。まさしく文学少女だ。
小清水さんは本のある個所を指して、「ほら。ここを見て」と言って、
「ジュディという女の子が、こっちの訳だと『風が冷たいわね』と言うのだけど、もう一人の訳だと『風がつめたーい』って言うの・・ここにはないけど、別のだと『すごく冷えるわね』よ。風が出てこなかったり・・・言葉で全然女の子のイメージが違ってくるでしょ・・年齢も違って聞こえるのよ」
言葉で印象が変わってしまう・・言葉は大事だな。
そんな小清水さんの楽しそうに語る表情を見ながら、小清水さんの声を聴いているうちに・・
まずい・・まずいぞ・・眠くなってきた。
まさか、本屋さんでは眠くならないだろうと思って、いつものカフェインを飲んでいなかった。
小清水さんの翻訳小説の話は結構興味が沸いてきたのだけど・・
今はそんなことは言ってられない!
「小清水さん、ごめん!」
僕はそう一言だけ言い残し、店内のトイレに向かった。
小清水さんの「鈴木くん!」と言う声だけが頭に残った。
右腕をチェックしながら小走りしたが、小清水さんの視界にどれだけ、僕が映っていたのかわからないが、トイレに行く途中で体がゼリー状・・透明化していた。
悪い。小清水さんに、本当に申し訳ない。
小清水さんが一生懸命、本について話してくれていたのに。僕にもっと本を好きになって欲しいと・・そんな思いで僕に話しかけてくれていたのに。
トイレのボックス内で思わずそんな感情が込み上げて来て、泣きそうになる。
これからどうする?・・
いつもなら、2、30分内で元の体に戻るはずだ。
トイレから出て小清水さんには平謝りに謝るしかない。
それより、小清水さん、まだ、さっきの文庫コーナーにいるのだろうか?
ひょっとして、店の外に出て僕を探したりはしないだろうか?
それも、まずい。しかも悪い。僕はトイレにいる。
何をやってるんだ、僕は!
トイレの中で、じっとして・・僕は一体何なんだ!
こんな役にも立たない能力を持って、小清水さんみたいないい人を傷つけているだけじゃないか。
ちくしょうっ! ・・ちくしょう、ちくしょう・・
こんな体を恨めしく思う気持ちと、自分に対する腹立たしさもあった。
自分への怒りと猛烈な感情が込み上げてきた。
これは「心の暴発」なんかでは決してない。
透明でもいい。こんな所にいつまでもいられない。
もうどうとでもなれ!
バーン!
僕は勢いよくトイレのボックスのドアを開けた。
用足しをしているおっさんがびっくりして、ズボンのチャックも締めることが出来ず、辺りをキョロキョロしていたが、もうどうでもいい。要するに、まだ透明のままだということだ。
僕は走って、元いた場所、小清水さんが翻訳小説の説明をしていた文庫コーナーに戻った。予想通り、小清水さんはいなかった。
やはり、店の外か。
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