第27話 最低の男

◆最低の男


 僕は透明の体のまま、本屋さんの外に出た。途中、誰かにぶつかったような気がしたが、どうでもよかった。

 小清水さんはすぐに見つかった。

 すぐ近くのケーキ屋さんの前にいた。

 速水さんもいた。

 僕は慌てて、透明人間のくせに近くの立て看板の陰に身を潜めた。まるで尾行する探偵みたいだ。

 ここなら二人の会話は聞こえる。

 だが、今、二人の前に出て行くわけにはいかない。

 なぜなら、速水さんには僕が見え、小清水さんには僕が見えない。

 今、出て行くと速水さんが僕を見つけ声をかけるに決まっているからだ。

 本当に不便な能力だ。


 小清水さんの前に立つ速水さん・・

 小清水さんは・・泣いている・・ように見えた。

 もし彼女が泣いているのなら、そうさせているのは紛れもなく僕だ。


「やっぱり、私、鈴木くんに嫌われてるのかな・・」

 そんな悲しげな小清水さんの声が聞こえた。

 そうじゃない。小清水さんを決して嫌いなんかじゃない。

 けれど、そう思われても仕方ない。小清水さんは僕に本をもっと好きなってもらおうと懸命に話していたのだから。

 そんな彼女を無視するように、ほったらかしにして、逃げるようにして僕はその場を立ち去った。

 ・・本当にひどい男だ。

 僕がそう思うのと同時に、

「そうね・・鈴木くん・・本当に、ひどい男ね・・」

 速水さんがそう言ったのが聞こえた。

 違うんだよ、速水さん、僕は小清水さんの声を聴いているうちに眠くなって・・

 ああ、それもひどい話だ。

 ひょっとして、速水さんはそのことに気づいて「ひどい男」と言っているのだろうか?


「本当にひどい男だわ。鈴木くん、どこに行ったのかしら?」

 速水さんはそう言いながら、周囲に目をやった。

「あんなにひどい男はそうそういないわね。こんな美少女を放っておいてどこかに行っちゃうんだから」

 その速水さんのきついセリフに小清水さんは、

「あ、あの、速水部長・・鈴木くんは、別にひどい人だとは・・私は、私の話が面白くなくて、帰っちゃったのかなって・・」

 小清水さんは速水部長を抑えるように言った。


 ダメだ・・泣けてきた。小清水さん、何ていい子なんだ。


 すると、速水さんは、

「鈴木くん、まだ帰っていないと思うわよ」と言った。「案外、その辺にいるのかもしれないわね」

 速水さんは眼鏡のフレームの右側を手で押さえそう言った。

 気がつくと、物陰から顔をだしている僕と速水さんの視線が合っていた。

 けれど、まだ体が透明化したままだ。


 速水さんは「沙希さん。その店でケーキでも食べて、鈴木くんを待っていましょうか」と小清水さんを促した。

「でも、鈴木くん、まだ本屋さんの中にいるかもしれないし・・私、慌てて出てきちゃったから」

「あのひどい男のことだから、その可能性は低いわね・・きっと外よ」

 そう断言する速水さんに小清水さんは「私、鈴木くんはひどい人だとは・・」と繰り返した。


「それに・・鈴木くん、この店の中に私たちがいるって、わからないし、もう家に帰っているかもしれないわ」

 そんな小清水さんの言葉に、

「鈴木くんがひどい男ではなかったら、ここに来るはずよ・・そうでしょう。沙希さん」

 と速水さんは自信ありげに言った。


「さあ、沙希さん、この店で鈴木くんを待ちましょう」

 絶対に僕があのケーキ屋さんに来るとでも言わんばかりに速水さんは、肩を落とす小清水さんを店に引き入れた。

 ケーキ屋さんは喫茶の部もある店で、速水さんは僕に気を利かせてなのか、窓際の席に座った。

 外から小清水さんの前髪を綺麗に揃えたお下げの髪と、速水さんの眼鏡の中の鋭い目がよく見える。

 そして、再び、僕の目と速水さんの視線が合った。 

 早く、元の体に戻らないの? とでも言いたげだ。

 速水さんには僕が透明なのか、そうでないのか、分からないのだ。

 僕はぶんぶんと首を横に振った。、まだ体がゼリーのように見える。


 二人にはしばらく時間潰しをしていてほしい。

 元に戻れば、僕は必ず行く。

 腕、下半身を見る・・

 元に戻った・・もうゼリー状じゃない。時間通りだ。

 小清水さん。今、そっちに行くよ。

ごめん、せっかく翻訳小説の話をしてくれてたのに・・途中で・・


 そう思った時だった。

「鈴木くん?・・」

 聞き覚えのある声が後ろで聞こえた。

 恐る恐る振り返ると、

 同じ高校の制服の女子高生。

 僕の想い焦がれる、初恋の女性。

 眺めているだけで十分な存在。

 水沢純子、その人だった。

 端正な顔立ち、通った鼻筋、輝くような瞳、小さな口・・

 かつて僕は水沢さんを透明感がある、と評したことがある。

 けれど、ここにいるのは透明感とか、そんな非現実的なイメージの女の子ではなく、ちゃんと肉体として存在するふくよかな女性だ。


「み、水沢さん・・」

 どう言葉を発していいのかわからない。嬉しいけど、この状況はちょっとまずい。

 僕が口を開くより先に、

「私、目がおかしいのかしら?」と水沢さんは言った。

「目が?・・」

「さっき、鈴木くんが目の前に突然現れたような気がして」

 水沢さんは不思議な物でも見るように僕を見ている。

 これが、通常場面なら、喜ぶところだ。あの水沢純子にまじまじと顔を見られているのだから。

 しかし、今のこの状況は・・

 水沢さんに見られた? 僕が透明状態から、元に戻るところを。

 どう確認したらいい? どう弁解したらいい?

 本当のことを言うか・・「僕、本当は透明人間なんです。水沢さんの家の近くまで透明状態で行ったこともあります」・・とか。

 ダメだ、ダメだ!

 完全に嫌われる。

 それに・・それに、この立ち位置・・僕と水沢さんは速水さんと小清水さん二人のいるケーキ屋さんの窓から見えている!

 早く二人の元に行きたいのに、体が動かない。


「鈴木くんって、本当に面白いわね」

 そう言って水沢さんは微笑んだ。

 え?・・

「面白い」・・確か加藤ゆかりから聞いた言葉だ。「鈴木くんって面白い」

「前にゆかりと話してたの」そう水沢さんは言った。


「鈴木くん、急に現れたりするし、態度も、話し方も普通の人と違うし・・」

 これって褒められているのか? それとも馬鹿にされているのか? おそらく後者だろう。

「そ、そうかな・・僕、そんなに面白いかな」それくらいの言葉を返すのがやっとだ。

 かなり神経が昂ぶっているのがわかる。心臓がドキドキしている。

「面白いわよ。この前、私の家の前で会った時も変だったし」

 変?・・確かに変だっただろう。

「それで、鈴木くんはこんなところで何をしていたの?」

 何をしている。僕はここで何をしているのだ?

 まさかその返事に、この前みたいに「散歩」という訳にもいかない。

「ほ、本屋さんに行ってたんだ」その通りだ。嘘はついていない。

「水沢さんはこれからどこに行くの?」

 突っ込まれる前に逆に質問した。

「行くところじゃなくて、もう帰るところなの」

 どこから? とか訊いた方がいいのか。

「ほら、あそこ」水沢さんは本屋の隣の合同ビルを指差し「あそこで、特別講習を受けていたの」と言った。


 塾か。さすがはクラス一の秀才・・そう思っていると、


「ねえ、鈴木くんも本屋さんの帰りなら、一緒に帰らない?」

 そう確かに水沢純子は言ったのだ。

 ほんの少し笑顔を見せながら。


 えーッ! 

 一緒にって、あの「一緒」にか! 

 歩くのか、水沢さんと一緒に歩けるのか! 肩を並べて・・

 これって夢じゃないだろうな・・

 本屋に来てよかったあ!・・

 そもそも・・何で、僕は本屋に?・・

 え・・

 ちょっと、待て、僕は、読書会の本を・・小清水さんと・・


「水沢さん。ごめん・・」僕はそう言った。水沢さんに初めて言った「ごめん」という言葉。

「僕、喫茶店に友達を待たせてあるんだ」

 本当にごめん。

もう誰に言っている言葉なのかわからなくなってきた。


「そうだったの。残念・・」と水沢さんは本当に残念そうに言った。

 残念?・・

 そんな言葉を残し水沢純子は「また学校で」とポニーテールを揺らし立ち去っていった。


 しばらくの間、水沢さんの後ろ姿を眺めた後、僕はケーキ屋さんに向かった。

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