第14話 ようこそ、文芸サークルへ

◆ようこそ、文芸サークルへ


 速水さんの言う話の続きが何なのか? 

 そんな僕の疑問をよそに、速水沙織は、

夕暮れを背に、改めて得意の眼鏡くい上げをし直した。


「鈴木くん、文芸部はね・・・実は今は正式な部ではなくて・・ただのサークル・・文芸サークルなのよ」


 はあ、そうなんですか・・僕は声に出さず頷いた。それが僕に何の関係がある。

 小清水さんは真顔で速水さんの話を聞く態勢になっている。


「学校から正式に部活動として認められるのは、部員5人以上なの・・そして、サークルは3人以上が必要なのよ」

 はあ、そうですか・・そんな説明をされてもな。


「今は、私と小清水さん、もう一人男の子がいるのだけど、たまに来るだけの半分幽霊部員」

 速水さんはまだ話を続ける。

 チラチラと僕の方を見る小清水さんが気になる。

「上級生には、三年生の先輩が一人、いるのはいるのだけど、長期の休部中・・というか、休サークル中なのよ」

 だから?

「つまり、その先輩が、卒業してしまえば、サークルとしても危機的状況になるわけなのよ」

 それはまずいですね。これも声には出さない。


「当然、鈴木くんは断らないわよね」

 そう言って速水さんは優しい微笑みを見せた。

 え?

「何を?」

「わがサークルへの入部をよ!」速水さんの眼鏡の中の目が鋭くなった。

「え?」 

「入部をよ!」速水さんは強くそう繰り返した。

 速水さん、今、僕を睨んだぞ!


 助けを求めようと、小清水さんの方を見たが、なぜか嬉しそうな顔をしている。


 僕は小中高と、どこのクラブ活動にも所属したことがない。入学と同時に周囲の人がそれぞれの部に入部し始めても、いつも僕は「どこに入ろう・・」と迷っているうちに季節が過ぎてしまうというパターンだ。

 まず、スポーツ系は除外、音楽系もついでに除外、技術系・・無理、学問系・・わざわざ何で? いつもそうこうしているうちに出遅れている。


 速水さんは、淡々と話を進める。

「私、前に鈴木くんが、夏目漱石の『こころ』を読んでいるのを見たのよ」

 ?

 確かに家には夏目漱石の本が何冊かある。当然、有名どころの「こころ」の文庫本もある。ただ、それは学校に持ってきたことはない。

 速水さんはどこで、僕が「こころ」を読んでいるのを見たのんだ?

 図書室とか・・? まさか、僕の家に・・速水さんが透明化して・・

 それ、不法侵入だぞ!


「僕、そんなの学校で読んだ覚えはないよ」

 僕は速水さんに反論した。

 本当に僕の家に勝手に入ったのか?


「ごめんなさい。本屋さんで見かけたのよ・・・よね?」

「よね?」・・だと?

 速水さんは小清水さんに同意を求めていたのだ。

「沙希さんが、鈴木くんが本屋さんで『こころ』を買っているのを見たのよ・・そうよね。沙希さん」

 本当なのか? それ。いろいろと誤魔化されているような気がする。

 僕は小清水さんを問い詰めるように見たが、またまた小清水さんは仏のように微笑んでいる。

 しかし、特に、本好きでなくてもあの夏目漱石の名作「こころ」くらい読むだろ。

 

 小清水さんは、

「ごめんなさい、偶然、本屋さんで鈴木くんがその本を買っているのを見たものだから、速水部長に・・」と言った。

 いや、しかし、たかだかそれくらいのことで、部長に報告するのか。

 

「そういうわけで、前から私は鈴木くんに目をつけていたわけなの」

 速水沙織はご大層な判断を下したような顔で言った。


 前からって・・一体いつからなんだよ!


「鈴木くん。私からもお願いします」と小清水さんも頭を下げ言った。「鈴木くんが入ってくれれば、私、嬉しいわ」

 クラス一目立たない女の子からの切なるお願いだ。


 けれど、もうその時には・・このおかしな女の子たちの中、僕はこの空気の中に溶け込んでいる。そんな感じがしていた。

 居心地がいい・・

 風もないのに、心の中を風が抜けていく。そんな感じだった。

 影の薄い僕が・・

 少なくとも、教室、あの、僕の存在が認められていない世界よりはここの方が「僕がいる」・・そんな実感が沸く。


 速水沙織に強く言われるから、入るのではない。小清水さんが微笑んでいるから、というわけでもない。

 透明化のことについて、速水さんにもっと聞きたいからではない。


 しばらく沈黙が続いた。

 速水沙織は赤い空を背に涼しい顔をしているし、小清水沙希は仏様のような笑みを浮かべている。みんな悪い人じゃない。どちらかと言うと好意の視線が僕に向けられている。

 こんなこと僕の人生で初めてなのかもしれない。いや、初めてだ。

 それに、これから、本のことがもっと好きになるかもしれない。


「わかったよ」

 僕は、観念したかのようにそう言った。


「では、OKということね」と速水さんは確認するように言って涼しげな微笑みを浮かべた。

 それ以上に満面の笑みを浮かべたのは小清水さんだった。


 僕は速水さんの差し出した「部員届」にサインをした。その書式には文芸部に二重線が引っ張られ「文芸サークル」と書かれてある。


 文芸サークル・・ここには体を透明化できる人間が二人もいる。

 信じられない。

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