第12話 文芸部室

◆文芸部室


 薄暗い部室には、速水さんの言う通り誰もいなかった。

 けれど、こんな所に女子と二人きりでいいのか?

 この状況って、少しまずくはないか? 

 それとも何事も経験なのか。いつか、水沢さんと二人きりになった時のために・・・いや、それはたぶんないだろう。あって欲しいが・・絶対にない!


「鈴木くん、何か変なこと考えてる?」

 澄ました、かつ、淡々とした声で速水さんは言った。


 僕は思いっきり首を横に振り「何も考えていない」と言い「他に部員はいるの?」と訊ねると、もう少ししたら、あと一人来るわ」と速水沙織は答えた。「全部で何人?」と更に訊くと「4人よ」と答えた。

 

「どこか、その辺にかけてちょうだい。今、お茶を入れるわ」

 そう言って速水さんは部室の隅でお湯を沸かし始めた。


 速水さんがお茶の準備をする間、僕は部室の中を見回した。

 クラブ活動をしていない僕には物珍しかった。

 部員が何人いるのかわからないが、壁際の書棚にはちゃんとそれらしき本がたくさん並んでいる。ほとんど文庫ばかりだが、純文学っぽい作家の名前ばかりだ。

 芥川龍之介、夏目漱石、太宰治・・の有名どころ・・に加えて、知らない作家の名前もある。いや、僕が知らないだけで、ここの部員たちにとってはメジャーな作家なのかもしれない。

 大江健三郎、金井美恵子、安部公房、倉橋由美子・・他にも海外の作家、ディケンズ、トルストイ・・他に、文学評論の類も並んでいる。

 僕には縁のない世界だ。


 だったら、僕に縁のある世界は何だ? 音楽か? スポーツか? そんなに熱も上げていない。いたって無趣味の僕だ。自慢もできない。

 

 そして、ふと思った。この世界が僕には最も近い世界なのではないか、と。少なくともスポーツや技術系よりは近い。 


 本棚に見飽きると、給湯コーナーで手際よく動いている速水沙織を見た。

 改めて思う。僕の人生経験ではこのような状況になったことはない。僕のために一人の女の子が、お茶の準備をしている・・喜ぶべきなのか?


「それで、鈴木くん、どこから話を始めましょうか?」

湯呑を二つ部室の机に配して、僕の前に腰かけると速水沙織はそう切り出した。

澄ました顔、沈着冷静をモットーにするような顔が目の前にある。


「と、透明化・・についてだよ」

 僕は一番気になっていることを訊いた。

 なぜ、速水さんが、そのようなことを図書室で言ったのか?

 透明化のコントロールとは一体何なのか?

 そして、僕が透明化することができることを速水さんは知っているのか?


 僕が湯呑に口をつけると、

「鈴木くん、この前、授業中、透明になったでしょ?」

 速水さんはそう言った。

 知っていたのか? 速水沙織は「最初はわからなかったけれど、周囲の反応を見て、そうなんじゃないか、と思ったわ」と言った。

 信じられない・・

「私には鈴木くんが見えていたから」

 速水さんは周囲の反応で僕が透明化したことを知ったのか。


 僕の透明化が速水さんにばれていることはわかった。けれど、どうして速水さんには僕の姿が見えたのだ?


「僕、わからないんだ」

 僕は僕自身の透明化については観念して速水さんと話を始めた。

「どうして、僕が見える人と、見えない人がいるのか?」

 速水さんは、「それは・・」と少し間を置き、

「それは・・鈴木くんが影が薄いからじゃない」と冷ややかに答えた。

「そ、そうなのかよ!」

 冗談とも本気ともとれる言葉に怒りを込めて言葉を返した。

「みんな言ってるわよ。鈴木くんは病欠しても、みんな、気づかなかったり」

 僕はこの部屋にわざわざ傷つきに来ているのか。


「でも、それはね・・」と速水さんは一息つき、お茶を一口飲むと、

 真顔で速水さんは、

「鈴木くんの・・存在に、みんなが気づいていないだけなの」

 と言って眼鏡をくいと上げた。

「一緒じゃないかっ!」

 即答した。速水さんは僕のことをからかっているのか?


「それで、親御さんはどうなの? 鈴木くんのこと、見えているの?」そう速水さんは訊ねた。

「母親には、たぶん、見えてる・・妹はよくわからない・・お父さんは確認していない」

 本当によくわからない。


 そして、速水さんはこう言ったのだ。

「わかるわよ。私も初めて、そうなった時、他人の目はあんな感じだったから・・」

 速水さんはそう言うなり、窓の外を見た。

 僕は初めて速水沙織の横顔を見た。その頬に涙が伝わった・・そんな風に見えた。


「え?」

 速水さんは今、何て言ったんだ?

 

「私もどちらかと言うと、『鈴木くんよりの人間』なのかもしれないわね」

「え?」

 僕は再び「え?」と言った。僕は速水さんの言葉に返す言葉を用意していない。


 速水沙織は「わかるわよ、私も初めてそうなった時」「鈴木くんよりの人間」と言ったのだ。

 話を整理すると、速水さんは僕と同類?

 そして、僕と同じく、透明化が可能な人間だってことなのか?


「鈴木くん、察しの通りよ」

 そう速水さんは僕の心を詠んだように言った。


 更に「鈴木くんは、私の仲間ね」と続けた。


「仲間」・・それは喜ぶべきことなのか? 

 佐藤以外に特に話す友達もいない僕にとって・・しかも相手は女の子だ。

 速水沙織という女の子が僕の仲間だと言ってくれた。

 僕は生まれてこの方、女の子の友達なんて持ったことはない。


「でも、勘違いしないで・・友達じゃないわよ」

 再び、速水さんは僕の心を見透かしたように言った。もう余計な事を考えるのはよそう。


 話を切り替えよう。

 速水沙織という人間が、透明化する人間である、と認めた上で話を進めていくことにした。


「速水さんは、どうやったら、透明になれるんだ?」

 僕の場合は、眠気と戦うと透明化する。他にも方法があるのかもしれない。


「その前に、鈴木くんはどんな時に・・いえ、心がどんな状態の時に透明になったの?」

 速水さんの質問に僕は「眠気と戦っている時になる」と説明した。

 

それを聞いて速水さんは微笑み、

「私の場合は、もっと簡単よ」

 速水さんはそう言うと、少し俯き、目を瞑った。

「鈴木くん、見ていて」

 その時の速水さんは何か言っているようにも思え、何か考えているようにも見えた。

 速水さんの口から「私は・・いない」と言う小さな、消えてしまいそうな声が聞こえた気がした。

 気のせいだろうか・・速水さんが泣いている・・そんな気がした。


そして、その時間はまるで僕と速水さんの小さな約束のように訪れた。

 速水沙織は僕の前からふいに消えた。

 あの、くい上げ眼鏡も見えない。

 ・・目を疑った。

 僕が透明化した時の周囲の反応と同じように僕も目を細め、凝らした。

 

 この部室には現在、僕一人しかいない・・そんな空気が辺りに漂っている。

 けれど、その声は聞こえた。


「さっき、図書室で会った時は、この透明化の状態で、鈴木くんの前に座ったのよ」

 わっ! 速水さんの声だ。

 何もないところから声が! ちょっと、怖い!


「ちょっと、驚かせちゃったわね」また速水さんの声。

 どこから聞こえているのさえわからない。まさか僕の真横にいるなんてことは・・

「だって、速水さんが見えないのに声が・・速水さん、今、どこにいるんだ?」

「うふっ・・鈴木くんの目の前に座っているわ・・さっきと同じよ」

 位置が変わっていないことで少し安心する。


「どうやって、今、透明になったんだ?」

 僕の場合と違う、そんな気がした。

「それは・・」

 速水さんがそう言おうとした時、

 二人きりの部室のドアが勢いよく開けられた。

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