第3話 授業中

◆授業中


 5月の日差しが、教室の窓に反射している。

 窓際の席にはまるで後光が差しているような女の子、水沢純子が懸命に教師の話を聞いてノートをとっている。

 その姿を切り抜いて額に飾りたいくらいだ。

 僕は水沢純子に恋をしている・・

 

 けれど、眠い・・

 午後の眠くなるような時間、教師の声が更に眠気を誘う。

 この時間は授業を受けるというよりも眠気と戦う時間だ。

 昨夜は受験勉強に加えて、あのおかしな出来事だ。更に眠い・・


 その時だった。

 体が宙に浮くような感覚が襲った。

 何だ? 今度は・・

 そう思って掌を見てみる。

 案の定、予想通り・・

 透明だった。

 だが、これはまずいぞ!

 今は授業中だ。

 眠気も一気に醒めた。


 気になって右横の男子の佐々木を見る。

 その男子、佐々木は目を細めながら僕を見ている。目を細めた後は目を擦った。

 今度は左の女の子、加藤ゆかりを見る。スポーツ万能女子だ。

 やはり僕を見ている。

 普段は女子に見られることのない僕が、だ。


 そして、肝心の後ろの席・・

 おそるおそる、振り返る。

 後ろには女子、僕と同じ眼鏡の速水沙織がいる。無口な女子だ。勉強ばかりしているイメージがある。水沢純子が健康的な文武両道女子なら、速水沙織は勉強一筋なのかもしれない。


「何?」

 後ろを見るなり、眼鏡をくいと上げ速水さんは言った。

 速水さんは真顔で僕の顔を見てる。眼光が鋭い。

 速水さんに「ごめん」と言い、前に向き直った。

 あれ? 速水さんには僕が見えるのか?

 それとも背中は見えるのか?

 それはおかしい・・

 いや、今はそんなことはどうでもいい。この状況はどうしたらいいんだ?

 保健室に行ったらいいのか?

 そして、先生には僕が見えるのだろうか? 

 手を挙げたらいいんじゃないか?

 ああ、どうしたらいい?

 思考が錯綜する。

 

 そんなことを考えながら、僕は斜め前の窓際の席の水沢純子を見た。

 僕の苦しみとは対照的に水沢純子が涼しげに先生の話を聞いている。

 窓の外の青い空に水沢さんの黒髪が溶けている・・そんな風に見えた。

 ああ、このまま、透明のままだったら、あの髪に触れることができるのだろうか。


 だが、僕は彼女を見ながらも別のことを考えていた。

 僕の透明化は服ごと、メガネごと消える!

 眼鏡を外してみても、眼鏡が見えない。

 体がガタガタと震えだした。

 試みに眼鏡を机の上に置いた。

 僕の手から眼鏡が離れると、眼鏡が出現した。慌てて僕は眼鏡をかけ直した。これで眼鏡は消えたはずだ。

 左横の加藤が訝しげにこちらを見ている。

 自分自身の目を疑っているのか、何か考えている様子だ。

 僕を見ているのか、さっき置いた眼鏡を見ているのかどうか、わからない。

 いや、もうそんなことはどっちでもいい。


 この状況を整理する。

 僕の身に着けているものは透明化し、僕から離れれば見えるようになる。

 そういうことだ。

 けれど、一つおかしなことがある。僕の後ろの席の速水沙織にはおそらく僕が見えている。どうして?


「なあ、鈴木ってさあ、今日、休んでたっけ?」

 右横の佐々木が更にその隣の田中に訊いている。

 まずい、まずい・・僕のこの病気が他の奴に知られたら・・

「さっき、いたような気がするぞ」

「いた、いた・・けど、今はいない」

「でも、鞄、掛けてあるよぉ」

「トイレに行ったんじゃない?」

「もう鈴木なんて、どうでもいいじゃん。」


 そうか・・やっぱり、僕は影が薄いんだ。

 人間って、存在感が薄くなり過ぎると透明になるものなんだ。


「ちょっと、そこっ、授業中はしゃべらないように!」

 教師の声に右の佐々木も左の加藤も前に向き直る。後ろ席の速水沙織の様子はわからない。


 こうなったら・・こうするしか。

 僕は思い切って手を挙げた。

 その手も僕には見えない。

 教師には何の反応もない。周囲の生徒にもない。

 僕に見えないものに誰かが反応するわけがない。


 すると、背中をペンか何かで鋭く押された感触があった。

「鈴木くん、何してるの? 手なんか挙げたりして」

 振り返ると速水沙織がシャーペンで小突いているのだった。


 おそらく、僕の姿は・・速水沙織を除いては誰にも見えていない。

 それが僕の出した結論だ。


 教科書に手を触れると、教科書も消え、同じように筆記用具も消えた。

 机に掛けている鞄を持つと、予想通り、鞄も消えた。


 僕は静かに立ち上がり、抜き足差し足で音を立てないように教室を出た。

「鈴木くん!」

 誰かが呼びかけたような気がしたが、それが速水沙織の声なのか、他の誰かなのか、もう判断できなかった。


 廊下に出ると、心臓の鼓動もそうだが、全身が痙攣し、寒くもないのに、震えていた。

 

 家に帰る他はすることもない。

 帰途につくと、自然と涙が溢れだしだ。

 あとは、家にいる母・・僕の帰りを待っているお母さんしかいない。

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