第7話 大鴉、Nevermore.

 ――カラスはあたしを見下すのだ。あたしは綴じられたアルバム、カラスが捨てた過去というのなら。

「ねぇ烏丸、あたしにもタバコ、頂戴よ」

 意図を取りかねて、カラスは「アズサ、」とあたしの名前を呼んだが、「いいから、」とせかした。案外簡単に箱ごと寄越した。痛む体を起こして、セブンスターの白い箱から不慣れに一本取った。ライターはアルバムを燃やした時から持っている。コンビニで売っているハデなカラーリングの、ガスライター。――ウール五十%とポリエステル五十%のセーラー服は、はたしてキチンと燃えるだろうか。


 馬鹿な事だと思ったけれど、思い出は火に焼べる。思い出はよく燃えるもの、――だから。


「火遊びなんてガラじゃねーだろ」

 カラスはそう言って、ライターを持つあたしの手を掴んだ。――なにをしようとしていたのか、完全に読まれていた。

 もう片方の手に握り込んでいたセブンスターの箱と、あたしの安いライターを取り上げて、カラスは自分の煙草に火をつけた。あたしがフェイクで咥え込んでいた煙草に、シガレットキスをする。わずかに灯った赤色に、思わず涙が一粒だけ、ひらりと零れる。あたしはこの赤色が好きだった、あたしの血液よりもずっと健康的な、いい色だった。

「今度は俺の話をしてもいいか、」

 カラスが口を開く。その紫煙の香りは好きになれない、自分の口元から同じ煙が細々と上がる。不思議な気分だった、あたしは煙草の香りを知っていても、一度も喫った事がなかったから。

「なぁに、カラス」

「当然、俺はアズサとは違う境遇でここにいる」

 それは長い独白だった。今まで必要最低限しか自分の事を話さない事で成り立っていた関係の終わり。だからと言って、特別になれるわけでもない。あたしたちの関係なんて、先が見えている。

 ――俺の母親は人殺しだった。アルツハイマーよくあるボケたの祖母の介護に嫌気がさして、包丁で刺したぐらいだ。たかが、人一人殺したぐらい。情状酌量だってされる案件、それなのに地元の宮城では大きな事件として取り上げられた。だからわざわざこんな大都会に引っ越してきた、こっちなら人間関係が希薄から。よくある話となって熔けこむから。親父の苗字へ変わった時、それから俺はカラスになった。自暴自棄と言われればそうなのかもしれない、もはや、鳥ですらいいとも思っていた。アズサと会ったのも薄幸で断れない女を引っ掛けて、駆け落ちをチラつかせて自分より不幸な人間へ幸福のまがい物を与えてやる事で気分が晴れると思っていた。けれど、アズサは一向にまがい物へ期待をしないから、諦めた。アズサは本当の不幸者だったから。

「その不幸者を見て、いまどんな気分」

「とんでもないメンヘラを引っ掛けてしまったなって」

「それはご愁傷様で」

 ふかした煙の一部が口腔内に留まっていたせいで噎せそうになった。ほんの少しこらえて、肺に煙を落としこむ。はじめての主流煙だけど、内臓は拒絶しなかった。

「でもアズサ、俺はお前を嫌いになれない」

 烏丸の喫いなれたソレ、カラスがいつも喫っているソレ。あたしもソレと同じレベルだったら、なんて。

「別れを言いたくなかったから、また会う気でいたから、別れを告げずに行こうと思ったのに。アズサときたら、ウチの前で燃やしているんだから、参ったよ」

「本当に、サヨナラなんだね」

「別に、海越えてアメリカとか、そういう遠いところにはいかねぇぞ」

「わかってる」

――頭ではわかっている。わかっているけど、心が追いついてこなかった。

「あたしはね、母さんが悲しむ顔は見たくないから、再婚相手の父親に何されようがどうでもよかった。あたしが我慢すれば母さんが幸せそうに笑っているから。本当の父親は、あたしに愛想をつかしたのか、母さんに愛想をつかしたのか、どっちだっていいけれど、もうあたしを愛してはいない事を誰よりも知っているから、――とうとう母さんから打たれるとは思っていなかったけど。義父ぎりパパの苗字になってから、汚らわしい津波黒の姓を迫られてから、あたしはツバメになった。その苗字が嫌いだったから」

 羽ばたけやしない、ヒトだから。翼なんてなかったから。みすぼらしい背には、肩甲骨には、これといって羽毛が生えているわけではないから。

「お互い、ツラいな」

「ツラいから、烏丸の事だって赦せたんだよ」

 じゃなきゃ出会いの時点で警察に突き出していた。――そして、そもそもこんな関係にはなっていなかった。

「そうだな、共犯者」

 カラスが笑った。その笑みは本当に楽しそうに。


(続く)

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