第4話 生きた心地

「困ったなぁ、」

 烏丸はテキトウな所へ座ってしまった。セーフティフェンスの横にあった腐った生ごみが入っているであろうゴミ箱へ。唾棄すべき男を前にして、それでもあたしはまだ期待をしているんだろう。そっと耳を傾けた。

「暴力は簡単だ。故に傷口が痛むと、生きている心地がする。痛みは生存を望んでいる、それが肉体にとっての幸せだから」

「痛みは生きている感覚をよりいっそう感じ取れる、あたしは好き。相手にも生きている感覚を叩きつけてやりたい」

「俺だって、アズサと同じ事を考えていた。だから、こうして今まで夏の延長戦をしている」

 初めて会ったのは真夏。出会いは最悪、忘れもしないあの日は炎天直下だった。学校にはバイト届も出さないで、小遣い稼ぎではじめたホール業務。バイト先はメイドカフェ、その時は休憩時間中だった。すぐ裏口を潜りリストカットを試みていた。搾取をされるがままに行われるこんな資本主義へ、とうとう嫌気がさして、手首から真っ赤なカーテンを引いたあたしに、通り魔的犯行でビンタして、今から嬲ろうとしてきたのが烏丸だった。抵抗も虚しくて、たくし上げられたスカートに手を突っ込まれ、「――生きた心地がしたことあるか」烏丸はそう言った。声を聴いて、そういえば、あのクソッタレな箱庭で似たような顔があったことを思い出したのだ。「烏丸、? だっけ。あたしは死んでいるも同義だよ」太ももを抱えられて、あたしは叫ぶことも諦めていた。烏丸だって自分が自分であることを認識さえされなかったら、そのまま次へすすめていただろう。予想していない展開に、烏丸は驚いたようだった。「誰だ、お前」と、そっちは記憶力が最悪だったようで、あたしがクラスメイトであることを言うまでわからなかったみたいだ。

「あたしは津波黒。あんたと同じクラスだったりする」

 烏丸が掴んでいる部分がヒリつく。太ももについた傷、それは自傷だけではない。他人が付けた傷だってあったんだ。珍しい事ではないかもしれない、だから烏丸だってあたしのそんな姿を見ても、とくに表情の変化もない。汚染された下半身はたとえて言うなら、環境汚染に苦しむ人魚のソレだ。ぺらぺらの文庫本みたいな喩え方。烏丸は高校生のクセに、自身のポケットから出したセブンスターへ火をつける。口元から少し離れたところでホタルみたいに灯る赤色へ、あたしは自分の血液よりもいい色だと思えて仕方がなかった。「なんで、ここで客引きしてんるだ」ちらちら燃えるその火を横目に「お金が欲しくて」なんて、上の空で答える。続けて烏丸は「メイドカフェ? 援交の方が儲かるじゃん、」と、「再婚した父親があたしに対してソレだから、勘弁なんだ」「複雑なんだな、俺んちは母親が犯罪者」「あぁ、だから春に越してきたんだね」気にも留めていなかったけど、三年の春に転入生なんて、そういう裏があるわけだ。烏丸が答える「そうだよ」の気にも留めてもない様子、やはり類は友を呼ぶみたい。低レベルのところには低レベルがやってくる。つまりあたしのブランドもそれまでなんだろう。

「ねぇ烏丸、」

 言いたかったことがあるのに「カラスでいいよ」と阻まれた。呼称なんてどうでもいい、初めはそう思っていたけれど、烏丸がそんな風に言うから、あたしも「じゃあ、あたしはツバメでいいよ」とノってしまった。

「なんでツバメ?」

 咥え煙草で首を傾ける烏丸へ「つばくろってツバメの別称」なんて、解説を入れる。

「へぇ、馬鹿だから知らなかった」

「賢くなったでしょ」

 つまらない談話をしているつもりは無い。とっとと小脇に抱えたあたしの両足を下ろして欲しかった。

「まだあたしに欲情する?」

「正直しない」

 もしも欲情するなんて言われても、初めから諦めがついていた。儲けもんみたいなもんだったから、つい調子に乗ってしまった。

「なら、今からムカつく奴らに生きた心地を教えにいこうよ」

「瀉血していたわりには血気盛ん、血の気が多い女だな」

「なにその頭痛が痛いみたいな言い回し」

 烏丸が自分で言った事なのに、あたしのツッコミでカラカラと笑う。セブンスターの煙もそれにあわせたようにモワモワと立ち込めた。拍子に落ちた煙草の燃えカスが、借り物である制服のメイド服へチリッと焼け穴を残す。まるで烏丸が妄想の産物ではなく、リアルに生きている人間である事を証明しているかのように。


(続く)

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