第5話 兵士「と会話する」

 城から塔に飛ばされてから怒涛のような数日が過ぎた。

 シズルはジークハルトの領主邸に住処すみかを移すべく、塔をあとにした。


 移動する時ジークハルトに教えられたところによると、塔は元々貴人専用の監獄のようなものだそうだ。最近は殆ど使用することはなく、長い間無人のままだったという。

 そもそも領地の端の辺鄙な場所にあって、鉄格子はないものの、腰を落ち着けて住まうような所ではなかったらしい。その証拠に、近くにあるのはジークハルトと行った小さな町だけだという。


 引っ越しするといっても、突然の召喚でこの世界に来たシズルは、文字通り着の身着のままというやつで、荷物らしい荷物はない。この世界で用意して貰った、僅かの物を持って邸に移動となった。

 といっても移動は、城や塔、ジークハルトの邸にある、転移陣を使ったのであっという間だった。


 この世界に来て、風景が楽しめない移動ばかりのシズルは、ジークハルトに、邸のある領都の事を聞いてみた。すると辺境とはいえ、やはり『都』というだけあって人が多く賑やかなのだそうだ。その話にシズルが興味を示すと、領都の街中で問題が起きると対処が面倒なので、単独での街歩きは当分我慢してくれと言われてしまった。


 伯爵邸の敷地は広く、伯爵の抱える私兵の兵舎や厩舎、図書館も併設されているらしい。シズルは基本的に、この敷地内を自由に移動できる許可を得ていた。


 邸に着いたシズルは一応護衛官ということで、シルベスタと同じく、ジークハルトの居住区近くの部屋を与えられることになった。この配置は単に、自分のことを監視するのに便利だからだとシズルは考えていた。

 シズルは服装も今までのワンピースではなく、この間シルベスタと手合わせした時のような格好になった。

 童顔で化粧っ気もなく、黒髪をただ無造作にひとつ結びにしたパンツ姿で上着を着ていると、見習い侍従の少年にしか見えず、シズルはジークハルトとシルベスタに、しこたま笑われたのだった。


 護衛官といっても、完全な信頼を得ている訳ではないので、武器の類は持たせてもらっていない。シズルも、普段持ち慣れない凶器など持っても碌な事にならないと思っているので特に問題はなかった。

 そもそも、ジークハルトの正式な護衛官は騎士のシルベスタで、臨時雇いのシズルの仕事はジークハルトに纏わる雑用だった。

 ジークハルトは領主様なので文書仕事も多い。決済された書類の山を、広い敷地内のあちこちに届けるのが、現在のシズルの主な仕事になった。


 書類を抱えて敷地内を動き回るシズルは、すれ違う人たちに何度か声をかけられた。頑張れよ、と激励されることが殆どだったが、いちいち訂正するのが面倒で、シズルはそのまま放置していた。

 すると邸の住人たちは、シズルの事を見習い侍従だと勘違いしたままになってしまった。


 邸に来て、そんな生活をしていたある日。

 敷地内にある兵舎の近くを通りかかると、何やら野太い声が聞こえてきた。声の合間には金属音も響いている。


 書類を届け終わって、ジークハルトの執務室に戻るところだったシズルは、兵舎を回り込んで声のする方を覗きにいった。思った通りそこは鍛錬場らしく、兵士たちが交代で剣の打ち合いをしていた。

 もしかしたら、何か魔法を使う場面が見られるかもしれないと思ったシズルは、その場に立って、兵士たちの様子を遠巻きに観察していた。


 訓練の様子を凝視しているのに気がついたのか、待機中の若い兵士の一人が、シズルの側に近寄って来た。


「お前、最近ジークハルト様のそばでよく見るやつだな。新しい侍従か?」


「身の周りのお世話をするように言われていませんので、侍従ではありません」


「じゃあ小間使いか何かか」


「今はそんな感じですね」


「今は?」


 何やらきな臭い、嫌な予感がしてきたが、嘘をつくのも後々面倒な事になりそうだと思ったシズルは正直に説明した。


「正式な仕事はシルと同じ、護衛官ですかね」


「はぁ? 護衛? お前が?」


 兵士が素っ頓狂な声を上げた。


「しかもシルベスタ様のことをシルだと⁈」


「はぁまぁ。本人からそう呼ぶように言われたので」


 兵士は目を丸くして驚いた後、シズルを上から下まで胡散臭そうに眺め、鼻を鳴らした。


「ふん。どんな縁故を頼ったのか知らないが、仮にもシルベスタ様と同じ護衛官を名乗るなら、ちゃんと戦えるんだろうな」


 どうやらこの兵士は、シズルの存在がお気に召さないようだった。

 シズルは、売られた喧嘩はきっちり買う事にしていたが、今は雇われの身であるので、どうしたものかと考えた。

 しかし、まともに相手をするのが次第に面倒くさくなってきたシズルは、前を向いたまま投げやりに答えた。


「戦闘能力を買われて、ジークハルト様に直接採用していただいたのでご心配なく」


「ならその実力を見せてみろよ」


「雇い主の許可なく私闘しとうはできません」


 相手が引き下がる気がないのは充分承知していたが、一応はジークハルトに、話を通すように水を向けたみた。

 しかし頭に血が上っているのか、この兵士には通用しなかったようだった。ますます語気を強め、だんだん声も大きくなっていった。


。普段からきちんと戦えていないと、いざという時困るだろう? それとも、お飾りの護衛官には必要無いってか?」


 このあたりになると、さすがに他の兵士たちも騒ぎに気付いて、何事かとわらわら集まって来た。


 やはり脳筋には普通の言葉は通じないようで、シズルは内心で溜息をついた。

 シズルが黙り込んだことで、お飾り発言を肯定されたと思ったのか、兵士は更に吐き捨てるように言った。


「何も言い返せないのか。役立たずのお飾りなんか必要ないんだ。さっさと親元にでも帰れ、


 歯をむき出して威嚇する兵士を見て、帰れたら苦労はないんだけどとシズルは遠い目になった。

 集まった兵士たちは、面白そうに成り行きを見ているだけで、仲裁する気配は見受けられない。何もしてくれる気がないなら、他人のことなんかほっといて、鍛錬でも何でも好きにやってりゃいいのにとシズルは思った。

 脳筋って奴は本当にしつこい。鬱陶しい。ウザい。あー本当に面倒くさい。


「面倒くさい」


「何だと!」


 声に出てしまったようで、シズルはしまったと思ったが遅かったようだった。

 兵士は怒りでぶるぶる震えて、今にも殴りかかりそうになっている。


「俺たちが、一般兵士だと思って馬鹿にしてるのか⁈」


 シズルは今度は本当に溜息をついた。

 彼はどうしても、肉体言語での会話がご所望のようだった。






 シズルは鍛錬場の真ん中に引き出され、絡んできた若い兵士と対面している。

 その周りを他の兵士たちがぐるりと取り囲んで、即席の闘技場コロッセオのようになっている。兵士たちは皆、これから起こる事に興味津々の面持ちだった。

 輪の中心にいるシズルと兵士は、互いに鉄剣を持っていた。


「おいちびっこ。その細っこい身体で剣が振れるのか」


「ご心配なく」


 一応剣道の経験もあるが、シズルはもちろん、鉄剣など扱ったことなどない。一番軽いものを選ばせて貰ったが、仮にも相手は兵士なので到底通用するとは思えなかった。

 しかしこれはどのみちので、竹刀だろうが鉄剣だろうが技術はあまり関係ない。

 売られたのやり方はどこでも同じだ、とシズルは開き直っていた。


「模擬戦用で刃は潰してあるが、まともに喰らったら骨が折れるかもな」


「ご心配なく」


「逃げるなら今のうちだぞ」


「ご心配なく」


「後悔す」


「ご心配なく」


 シズルは言葉を被せた。

 煽り耐性の低い脳筋兵士は案の定、一瞬で顔が真っ赤になった。


「パノプリア・デルマ!」


 何か叫びながら突っ込んできたが、予想通り隙だらけだった。

 シズルは頭上に振り下ろされた剣を下から跳ね上げ、そのまま半回転してガラ空きの胴に剣を叩き込んだ。


 シズルはすぐに違和感に気づいた。


 いくら鍛えている兵士とはいえ、生身の人間にしては随分硬く、まるで鉄の柱を叩きつけたような感触がしたのだ。

 兵士はダメージを受けた風もなく、後ろに下がりながら嘲笑わらった。


「なんだ、身体強化くらい当たり前だろう? お飾りのちびっこには出来ないのか」


 どうやら先ほど叫んだのは、何かの呪文だったらしく、魔力と呪文を使って、通常より身体を硬くすることができる魔術のようだった。


 これは丁度いいとシズルは喜んだ。

 多少の無茶をしても、そうそう怪我もしないだろうし、魔力や魔術がどの程度のものか確認できる。

 喧嘩を買った甲斐があるというものだ。


「では遠慮なく行かせてもらいます」


 シズルは地面を蹴って一気に駆け寄り、そしてその勢いのまま躊躇なく兵士の急所こめかみを、剣の腹で思いっきりぶん殴った。


 普通の人間相手にやると大変危険だが、身体強化とやらで通常より頑丈になっている、と思っているシズルの行為は容赦がなかった。

 予想通り、兵士は一撃で昏倒する事はなかったが、強烈な一撃を受けてたたらを踏んだ。その様子に、打撃技は急所であってもあまり有効ではない、とシズルは即座に判断しあっさり剣を放り出した。

 そして兵士に体勢を立て直す隙を与えず、剣を握っている兵士の右腕を素早く掴み関節をきめると、ついでと言わんばかりに肩も外してやった。


 嫌な音がして、鍛錬場に絶叫が響き渡った。


 足元で肩を抑えて悶絶している兵士を眺めながら、シズルはふむ、と独りごちた。

 さっきの身体強化は、身体の表面を頑丈にするもののようで、想像していた通り、関節の可動域などは通常と変わらないようだった。だから綺麗に関節技をきめることができたのだ。


 それよりもシズルが気になるのは、自分自身の事だった。


 シルベスタとの手合わせでも感じたが、やたらと身体が軽いし動作も速い。元の世界の時より、格段に身体能力が上がっているような気がするのだった。

 魔力がないのは、この世界では初っ端でお墨付きをもらっているので、魔術とは関係ないだろう。単純に環境に慣れたという事かもしれない。


 考え込むシズルを中心にして周囲はしん、と水を打ったように静まり返っていた。


 そこへ、土煙を上げる勢いで、男がふたり駆け込んできた。大男のほうが、その勢いのままシズルに拳骨を落とした。


「何するんですか、ジークハルト様」


 シズルが頭を押さえて抗議した。

 それを上から睥睨するジークハルトの後方には、呆れた顔をしているシルベスタが見えた。


「何してるかは俺が聞きたい。何で兵士を虐めてるんだ、お前」


「虐めてません、人聞きの悪い言い方は止めて下さい。少しお話ししていただけです」


「話、だと?」


「肉体言語で」


 今度は、ジークハルトの大きな手が、シズルの頭を鷲掴んだ。


「お前な、何であの時、俺がわざわざシルに相手を頼んだと思ってるんだよ」


「知りませんよそんな事! あだだだだ潰れる、潰れるから! それよりほら、そこの兵士を治療しないと」


 ジークハルトは溜息をついて手を離した。

 シズルは頭を摩りながら、脂汗を流して悶絶している兵士に声をかけた。


「えっと、肩の関節を戻しますね。さっきより痛いかもですけど我慢して下さいね」


 ジークハルトと兵士は、シズルのその不穏な言葉にぎょっとしたが止める間はなかった。シズルのその手が兵士の肩にかかった途端、また絶叫が上がった。

 ジークハルトが再びシズルの頭を掴み上げ、今度はそのままずるずると引きずって、鍛錬場から連れ去っていく。


 それを尻目に、シルベスタがその場にいた兵士たちに向かって笑顔で注意を促した。


「シズルの実力は見ての通りだから。小さいからと甘く見てると、噛みつかれるから注意するように」


「シル酷いですー。私は噛んだりしませんよー」


 シズルは遠くから抗議したが、シルベスタはそれを無視して踵を返すと、ジークハルトの後を追って鍛錬場から出て行った。







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