第4話 試験「試して、評価」


 町での話し合いの数日後、ジークハルトとシルベスタは塔の中庭にいた。


「話は分かった、いや本当は何ひとつ理解できないけど、何故オレがその相手をするんだ」


 言い出したら聞かないジークハルトに、シルベスタは無駄と知りつつも一応抗議する。

 事実、兵士でもない女性を相手に手合わせなど、騎士としても男としてもあり得ないとシルベスタは思う。


「いいかシル。他の兵士を当てがって、万が一にでもシズルに負けてみろ、そいつはもう一生立ち直れんぞ。兵士は伯爵領の大事な財産だ、壊されるのは困る。その点、お前なら女にやられたくらいで精神こころが折れたりしないだろう?」


「誰かさんのせいで、もう既に折れそうだけど。しかもオレが負けるの前提デスカ。まあジークのことだから、彼女に適当に華を持たせて居場所を作ってやるつもりなんだろうけど。少しくらい殴られてやるのは構わないが、彼女の方が怪我しないか?」


「・・・まあな。兵士が財産云々は建前で、単純に俺があいつの実力を見てみたい。だからお前に相手をしてもらうんだ。真面目にやれよシル。相手が只人だから魔力を使うのは禁じるが、それ以外で手を抜いたら減俸だ」


「うわぁひでぇ」


 いつものようにふたりがぎゃあぎゃあやっていると、向こうからシズルがやってきた。


「お待たせしました」


 今日の彼女は、黒髪をひとつ結びにしているのはいつも通りだが、動きやすいように白いシャツと黒いスラックスにショートブーツ姿だ。あまり凹凸がなく、まるで少年のようだった。


 挨拶の後、こちらをみて眉を顰めている。


「・・・普通の人をお願いしていたと思いましたが」


「シルベスタは普通の男だぞ」


 ジークハルトはしれっと答えた。


「領主の護衛騎士を任されるような人がとは思えませんが、まあいいですよもう」


 シズルはその場で、仕方がないというように溜息をついた。シルベスタを相手に手合わせする事に対して異存はないようだった。


 しかしシルベスタは最後の抵抗を試みた。


「・・・本当にやるんですか?」


 ジークハルトがそれに答える前に、シズルから声がかかった。


「もう面倒ですし、折角ですからやりましょう。ああそう言えば、女性に負けるのは、とやらを大層傷つけるものらしい、と聞いたことがあります。どうしてもお嫌でしたら止めましょうか?」


 シズルはあからさまにシルベスタを煽っている。


 ジークハルトは思わず吹き出し、シルベスタの眉がぴくりと上がった。

  しかし、かといって簡単に女性を相手にできるものではないとシルベスタが逡巡していると、更にシズルが、畳み掛けるように言い放った。


「それに私には、やる気のない相手を、一方的に甚振いたぶるような趣味はありませんから」


 シルベスタは苦渋の決断を迫られ、深い溜息と共にくるりとシズルの方を振り向いた。


「大変不本意ですがお相手します。恨まないで下さいよ」


 シルベスタは速攻で決めるつもりだった。

 口の減らない、この娘の意識を一撃で刈り取ってしまえばいいことだ。そうすれば要らぬ怪我を負わせることもない。

 後はジークハルトが何とかするだろう、とシルベスタは思った。


「よろしくお願いします。では行きます」


 シズルがぺこりと頭を下げた。

 シルベスタも頭を下げようとしてぎょっとする。下げた目線の先に、いきなり黒いものが飛び込んできたのだ。


 シルベスタは反射的に後ろへ飛び退った。

 見れば、先程まで自分がいた場所に、シズルが半身はんみの構えで立っている。一瞬の間に距離を詰めてきたのだ。シズルのあまりの早業に、シルベスタは嫌な汗をかいていた。

 そういえば以前も速さに対応できず、まんまとやられたのを思い出した。

  相手はシズルだ。普通の娘ではないのだ。現に目の前の小さな身体から発せられる威圧感が半端ない。

 シルベスタは気を引き締めて身構えた。


 


 


 ジークハルトはあの時、ほんの気紛れで条件を出した。

 シズルの力量を測って見たかったのは事実だが、実際に誰かと手合わせをしてどうにかなるなどと、本気で考えていた訳ではない。

 ひ弱そうで、弁が立つだけの自信過剰な異世界人に、現実を分からせてやるつもりだった。その上で自分が邸で保護しようと考えていたのだ。


 ジークハルトは今自分が見ているものが信じられなかった。

 開始ほんの数秒で、シズルは散々手合わせを渋っていたシルベスタを本気にさせた。華を持たせるとか怪我をさせるとかとんでもない。そんな生易しいものではなかった。


 シルベスタは鋭く拳を繰り出しあるいは手刀を振り、時には蹴りも交えて攻め立てているが、当たらないのだ。体格差体重差があるので、一発でももらえばシズルはただでは済まないだろう。シルベスタはそれほどの攻撃を仕掛けているのだ。

 シズルは死に物狂いでただ逃げ回っているように見えるが違う、とジークハルトは思った。


 あの黒い瞳が相手をじっと見ているのだ。


 シルベスタとの間合いを測り、攻撃の軌道を読み、時に軽く手でいなして、ひらひらと舞うように確実に攻撃を避けているのだ。その間に虎視眈々と何かを狙っているようで、シルベスタが酷くやりにくそうに顔を顰めている。


 どれくらい続いていただろうか。

 接近戦の合間、体勢を整えるためかシルベスタが手を止め、一呼吸置いた。僅かにできたその隙を逃さず、シズルはするりとその懐に滑り込んだ。

 と同時に、両手でシルベスタの右腕をがっしり掴んで身体を半回転させた。


 一瞬のことで何が起こったのか分からなかった。


「そこまでだ」


 ジークハルトはふたりに声をかけた。

 ゆっくりと歩み寄ると、当のシルベスタは地面に仰向けのまま、訳が分からないという顔をしている。

  あの一瞬の隙をついて、シズルが自分より大きなシルベスタを投げ飛ばしたのだ。


 シズルを見るとかなり息があがっている。あれだけの攻撃を全て躱してみせたのだから当然だろう。一体どれだけの集中力が必要だったのか、よく見れば汗だくだった。

 シズルが息を整えているうちに、放心状態から抜け出したシルベスタがゆっくり立ち上がった。


「負けました。まさか一撃も当てられないとは」


 負けた、と言う割にはシルベスタには悔しさも悲壮感もなかった。ただ呆れたような感心したような声色で言った。

 ジークハルトの気持ちも同じようなものだった。


「運が良かっただけです。それに異世界効果ですかね、何だかいつも以上に動けていた気がします。ですがもう少し長引いていたら、体力的に私の方が危なかったです。散々煽った罰ですね、すみませんでした」


「いえこちらこそ、貴女を侮っていたようで、す・・・あの、シズル殿、その、」


「お前、汗だくでシャツが透けて下着が見えてるぞ」


 ジークハルトは言い淀んだシルベスタに代わって指摘した。


 シズルは一瞬絶句したが、「どうも」と素っ気なく返しただけでその場を後にして部屋に戻っていった。

 その後ろ姿を眺めながら、ジークハルトはつまらなそうに言った。


「少しは恥じらって、喚声のひとつでもあげれば可愛げもあるのに、つまらんやつだ」


「羞恥心を遥か彼方に捨ててきたようなやつがそれを言うか」


 若干顔を赤くして、呆れたように言うシルベスタの指摘は無視して、ジークハルトは尋ねた。


「で、どうだった」


「完敗、だな。まさか投げ飛ばされるとは思ってなかったけど。それに、手を抜いてた訳じゃないのに掠りもしない。魔力で身体強化でもしてれば理解わかるけど、彼女は只人だよな? 何もしない生身であの動き、あれは尋常じゃないよ。強い。強いのもそうだけど、それより彼女、シズルは戦い方がえげつない」


「逃げ回るだけで手も出さないのにか?」


「ずっと視線で攻撃されてた」


「はぁ⁈」


 ジークハルトは素っ頓狂な声を上げた。


「圧が半端ないんだよ。常に視線があちこちの急所に向いてて、今にも何か仕掛けてきそうで、一瞬足りとも気が抜けない。視線を気にして急所を庇うように体勢を変えれば、動きがぎこちなくなるし。とにかく身体中に視線がびしびし刺さって、やり難いったらなかった」


「常に急所に視線・・・痴女かあいつは」


「・・・オレの話聞いてたか? 人が真面目に答えてんのに、感想がそれか。急所は一か所だけじゃないんだぞ、頭沸いてんじゃないかジーク」


 静かに怒り出したシルベスタを、ジークハルトはまあまあと宥める。


「そう怒るなよ。実際俺も見ていて思ったよ。お前、ずっと観察されてたぞシル」


「力量を計られてたんだな。全くやってくれる」


 ふたりは顔を見合わせ揃って苦笑した。


 




 シズルが汗を流し、着替えが終わった頃を見計らったように、同じく着替えを済ませたシルベスタを連れて、ジークハルトがやって来た。

 シズルは前置きもそこそこに本題を切り出した。


「どうでしたかジークハルト様。納得はして頂けたでしょうか?」


「ああ。お前、やっぱり俺のところに来ないか?」


「・・・お断りしたはずですが」


「そうだな、確かにお前は強そうだ。あれなら市井に有っても野垂死にはしないだろう。だがもし、生活に切羽詰まった状態になった場合、野党にならないとは誰にも証明できない。しかもお前にはそれをやれる力量がある」


「力を証明しろと言ったのは貴方ですが」


「実はまさかあれほどとは思ってなくてな。あれでは周囲の人間の方が危なくて、とても市井には行かせられん」


 ジークハルトは悪びれもせずに言った。

 とんだ狸だ。ちょっと力を示しただけで、危険人物扱いをされている。

 シズルは臍を噛んだ。

 しかしジークハルトの言うことも理解できる。


 散々煽ったが、領主ジークハルト護衛騎士シルベスタと互角以上に戦えるとは、シズル自身も思っていなかったからだ。

  未だ魔法がどれほどのものかは知らないが、ジークハルトは万が一にも、シズルが領民を傷付けるのを危惧しているのだろう。

 しかしいくら何でも、手当たり次第に喧嘩を売る訳でもないのに、一体、自分を何だと思っているのかとシズルは釈然としなかった。


 憮然としているのが分かったのか、ジークハルトは苦笑しながら話を続けた。


「それにお前は、この世界の事をまだ詳しく知らないだろう? 俺の所に居れば色々学べる。市井に行くのは、その後からでも遅くはあるまい。今と同じ客人の待遇のままで、施しを受けるのが嫌なら俺が雇おう」


 次々と条件を提示してくる。

 どうあってもシズルを解放する気はないらしい。


「雇う、とは」


「一応は俺の護衛というのではどうだ? お前は侍女という感じでもないしな」


 何やら大層失礼な発言をされたので、シズルは眉を寄せてジークハルトを見た。それに気づいたのか、ジークハルトはわざとらしく話を付け加えた。


「それに俺やシルベスタと行動を共にすれば、かなり自由度は高い。悪い話ではないと思うがどうだ? シルもそれでいいな?」


「オレは、ジークハルト様が決めた事なら否はありませんが、シズル殿はそれでよろしいので?」


「・・・私の方も、メントル様が良ければ異存はありません。それと敬語は必要ありません。シズル、で構いませんよ」


 シズルはこれ以上ごねても仕方がないと判断した。

 ジークハルトに上手く転がされた感は否めないが、この辺りが妥協点だろうと考えた。


「では、オレのこともシルと呼んでくれ。シズルももっと砕けて話してもらっても構わないぞ」


「私、普段も大体こんな感じなんです。役に立つかどうかは分かりませんが、これからよろしくお願いします、シル」


「俺もジークで構わんぞ」


 ジークハルトが横から口を挟んできた。


「私が構いますよ。仮にも雇用主をそんな風に気安く呼べません」


「意外と細かいな。まあいい。よしこれで決まりだ。直ぐにでも塔から俺の邸に移ってくれ」


 シズルの当初からの目論見とは随分かけ離れて、何故かジークハルトの護衛官になってしまったが、とりあえずは塔から抜け出す事には成功したようだった。







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