第3話 交渉「相手と話し合う」


 シルベスタを介したジークハルトの、ストーキングに対する牽制の効果は抜群だったようだ。


 以前のの時に、シズルが町まで行きたいと頼んでいたところ先触れがあり、翌々日にどこからか馬に乗って現れたのはシルベスタではなく、ジークハルトその人だった。自ら案内してくれるらしい。

 仮にも伯爵様が、ほいほい気軽に出かけていいのかとシズルが問えば、よくあちこちに遊びに行くので構わないという答えが返ってきた。

 偉い人なのに、随分とフットワークが軽いとシズルは感心した。


 乗ってきた馬もジークハルトに合わせたのか中々に大きく、シズルは、某世紀末覇者を思い出して遠い目になった。後ろに乗るように言われたが、体高の高い馬に四苦八苦していると、ジークハルトに苦笑され、ひょいと持ち上げられ後ろに乗せられてしまった。


 ぽくぽくと馬を進ませ暫く行くと、町の端に着いたようだった。そのまま町に入ると悪目立ちするということなので、町の入口の馬場に馬を繋いで、そこからは徒歩で中心部へ向かった。


 シズルが案内されたのは小さな町だった。

 店舗兼住宅といった感じの建物が並んでいて、日用品や食料などを売っていた。シズルの知る下町や外国の商店街バザールのような雰囲気だった。


 シズルは久し振りにリラックスして小さな町を歩いた。

以前はちょっとしたことで、すぐにトラブルに巻き込まれていたからだ。喧嘩っ早い者にもよく絡まれた。強いものは大抵の場合自尊心が高く、いくらシズルが固辞しても、簡単には見逃してくれることはなかった。

 ここではそんなことは起こりそうもなかったので、何の心配もせず町歩きが出来て、シズルは嬉しく思っていた。

 ちらりと隣にいるジークハルトを見上げた。


 やっぱりでかい。

 用心棒にうってつけだとシズルは思った。

 今日のジークハルトは、全体的に黒っぽい装いなので、本物のドーベルマンを連れているようだった。こんな大きな番犬を連れ歩いている、貧相な小娘に難癖つけようという猛者もいないだろう。

ただ、このドーベルマンは大層高貴なので、レンタル料がいかほどになるのか恐ろしい。などと、シズルはくだらないことを考えていた。


 あれこれ説明を受けつつ、表情は余り変わらないものの上機嫌で、シズルは町を散策していた。


 


 


 小さい。

 つむじしか見えないので表情は窺い知れないが、機嫌が良さそうだとジークハルトは思った。シズルは、あちらこちらを指しては説明を求めている。


「貨幣価値は大体把握しました。これがアグリオス、ですか? 食べ物も特に違和感はないようです。あとは仕事と家の探し方でしょうか。仕事はどこかに登録して斡旋してもらう仕組みですか? それとも働きたいと思う所に直接交渉でしょうか。最初は住み込みとかできれば良いのですが。あ、これは豚肉っぽいですね意外とイケます」


 シズルは串焼き屋の店先のテーブル席で、ジークハルトが買ってやったアグリオスの肉を、無表情のまま頬張っていた。


「手に職があれば、商業組合に登録して仕事を紹介してもらえる。あとは師弟制度で、どこかの職人に弟子入りするとかだろう。シズル殿は塔を出るつもりなのか?」


「そうですね、近いうちにとは考えています。いつまでも施しを受けるのもどうかと思いますし。そもそも、私を塔に留め置く理由はありませんよね」


「ならば私のやしきに来ないか?」


「お断りします」


 即答だった。


「何故か聞いても?」


 ジークハルトの問いかけに、シズルは先程までの無表情が嘘のように、綺麗な笑顔を浮かべた。


「貴方相手に取り繕うのも、今更な感じなので率直に言います」


 あの黒い瞳が、ジークハルトを真っ直ぐに見つめる。例の首筋がそそけ立つような威圧感が噴き出す。


「聖女だか何だか知りませんが、他所の世界から有無を言わさず人間を拉致しておいて、挙句帰す方法がないからと処遇を持て余し厄介払い。人をまるで物扱いで、誠意のかけらも感じられない対応をする人間たちに、嫌悪感しか感じないからですよ。それに貴方に関わっていると、貴方の甥っ子との遭遇率が、跳ね上がりそうなのでとても嫌ですね。今度あの赤毛を見かけたら、一発入れるのを我慢できそうにありませんから」


 ジークハルトはぐうの音もでなかった。

 無表情で分かりにくいが、シズルの内面は苛烈で、触ると火傷しそうだとジークハルトは思った。


「というわけなので、今まで通り放ったらかしにしてくれていれば、自力で勝手に何とかする予定ですので、今後監視は結構です」


「そうは言ってもなぁ」


 ジークハルトは首筋を撫でながら、困ったように言った。


「お前がこっちに来る原因となった、召喚の事実は未だ伏せられている。直接関与した者以外では、ある程度地位の高い者しか知らない話だ。よって今お前は、という事になっている」


 残酷なようだが、ジークハルトは今のありのままの事実を述べた。シズルは楽観的に考えているようだったが、状況はより複雑だった。


「もし仮に、召喚が成功だったとしても、お前は魔力を使えない只人で聖女ではない。聖女でない異世界人のお前に、只人以外の正式な身分が与えられることはない。只人というのはこの国では差別の対象になるんだ。お前の世界ではどうだったかは知らんが、魔力も身分ももちろん金もだが、何も持たない人間がこの世界でひとりで生きるのは生半可なことではない。命の危険さえある」


 この世界は、魔力の強さが全てを決めると言ってもいい。

事実、魔力の強い者は貴族がほとんどを占める。平民も魔力を持つが、貴族のそれとは比べものにならない。

 この世界にも、ごく稀に魔力を殆ど持たない者がいる。そういった者は只人と呼ばれ、身分の最下層に所属することになる。保護するものがいなければ、奴隷同然の扱いを受けることもあるのだ。

 

そもそも只人でなくても、この世界に根付いていない異世界人には、身元を証明するものが何もない。身元の不確かなものを、真っ当な職業のものが雇う事は稀だ。

 ただし聖女ともなれば、話は違ってくる。王家や教会が後ろ盾となり身元を証明し、『聖女』というのがその者の身分そのものになる。


 シズルには当てはまらない。


「フロトポロス伯、貴方は敵ですか、味方ですか」


 黙って話を聞いていたシズルが、不意に改まってジークハルトに問いかけてきた。


 




 シズルの置かれている状況はかなり厄介だった。

 理解しているつもりだったが、甘かったようだとシズルは溜息をのみこんだ。町歩きで思った以上に浮かれていたようだったと反省する。

 いつもいつも。望まないのに厄介ごとが向こうからやってくる。

 ほっといてくれれば、大人しく目立たないように生きていくのに。


 全く腹立たしいとシズルは思った。


 王や貴族が闊歩するこの世界では、しっかりとした身分制度が健在だ。しかも魔術とかいう、シズルにとっては未知の不確定要素もあった。

そんな中で、権力の中枢に近いものたちを相手にするなど、いくらなんでも無謀すぎる。それくらいはシズルにも充分理解できた。


 苛立ちと焦燥感で感情が揺れ、シズルは今にもジークハルトに飛びかかって、怒りをぶつけてしまいそうになるのを堪えていた。

 俯いてテーブルを睨みつけ、そろそろ睨みすぎで目からビームでも出るかと思った頃、ジークハルトの答えが返ってきた。


「俺は、お前の味方でと思っている」


 味方する、とか味方になってやるとか断言しないところはさすが、海千山千のお貴族様だとシズルは感心した。言質を取られないような返答で、冷静な上随分と用心深い。

 言葉の意味をしっかり理解したシズルは、確認するように言った。


「こちらが敵対しない限りにおいては味方である、という解釈でよろしいでしょうか」


「頭の回転が速い奴は嫌いじゃない」


 ジークハルトはにやりと悪者のような笑みを浮かべた。


「そちらが本来のフロトポロス伯の姿ですか。顔面詐欺も大概ですね、どこの悪代官ですか」


「ジークハルトでいい。『アクダイカン』が何か知らんが、別に隠していたわけじゃないぞ」


 シズルはもう一歩踏み込んでみることを決め、深呼吸をして正面からジークハルトに語りかけた。

 先程から、ジークハルトの口調が随分と砕けた感じになっている。今ならいけるのではないか、とシズルは考えていた。


「では改めて自己紹介を。私はと言います。モリヤマは家名になりますが、元いた世界ではこちらと違って、明確な身分制度はないので、平民と思っていただいて構いません。身分の問題はあるかもしれませんが、ひとりでも大丈夫です。基本、争い事は好みませんが無抵抗主義ということではありません。向こうでも、降りかかる火の粉は自分で払ってきました」


 ジークハルトも、シズルが置かれている現状を、包み隠さず話して聞かせてくれたのだ。シズルも、時と場合によっては敵対する可能性もある、と正直に話した。


「この際ですから、領主の強権で私をジークハルト様の領民にして下さい。領民という立場さえ頂ければ、後は市井しせいで目立たず生きていきます」


「強権とは何だ、暴君じゃあるまいし。例え領民にしたところで、その辺で野盗にでも殺られて野垂れ死なれたら、寝覚めが悪くて敵わん。無理な話だ」


 なかなか承諾しないジークハルトに、シズルは何と言って納得させようか思案していた。

 その時ジークハルトがふと思い出したように言った。


「お前そう言えば以前、実力行使がどうとか言ってたな。さっきの話もそうだが、女だてらに腕っぷしに自信でもあるのか?」


「まあそうです。自分の身は自分で守れるくらいには」


 嘘ではない。

 ただしだけど、ともシズルは思ったが、口には出さなかった。

 この世界で、魔法を使う相手に対しては、どうなるか分からないが、自分で言い出した以上、こうなったらもうやれることをやるしか無いとシズルは覚悟を決めた。


「それならそれを証明してみせろ。俺が納得できるほどの腕前なら、市井で生活するのを認め、領民にしてやってもいい。駄目だったら塔から出て、俺の邸で下働きからでも始めればいい」


「では誰か見繕って下さい。勇者や達人とか連れて来られると困りますが、普通の相手なら問題ないと思います」


「よし」


 かなり綱渡り感が否めないが、シズルは自由への機会チャンスを得たのだった。







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