第2話 散歩「ぶらぶら歩く」


 ジークハルトから外出許可をもぎ取った、異世界人シズルこと守山モリヤマ静流シズルは、さっそく塔から出て周囲を散策中だった。といっても塔の周囲はぐるりと塀に囲まれていて敷地の外に出る事は叶わない。塔の敷地の中には小さな庭園と見張り小屋のようなものしかなく、あとは何もない広場があるだけだった。

 

 この世界に来て早々『只人ただびと』という、無能な一般人に認定されたシズルだが、警備兵を行動不能にする実力は持ってると思っていた。

しかしどうやらこの世界の人間は、魔術というものが使えるらしい。

 今回は、自分の力と相手の魔力との力量差を図りかねて、大人しく他の機会を待つ選択をしたのだった。

 

 シズルの生まれてからの現在までの二十四年間は、実に波瀾万丈だった。現在もその真っ只中ともいえた。

 平凡に擬態して大人しくしていても、どこからかトラブルが舞い込み、その度に散々な目に合ってきた。大人しく全てを運命に任せるタイプではなかったので、その時々で出来うる限り抵抗を試みていた。

 しかしトラブルや闘争けんかに巻き込まれているうち、次第に女性らしさからは遠くなり、いつの間にか警戒心ばかり強い、皮肉屋の人間嫌いになってしまった。

 幸か不幸か、幼い頃から色々な体術を習得していたおかげで、大した怪我もしないほどには危機回避能力は高かった。高いと思っていた。

 が、さすがに異世界転移などという、突拍子ないものに対抗する術など持ち合わせているはずもなく、そのためシズルはささやかな抵抗として、今回の出来事でも名を名乗っただけで余計な事は一切話していない。

 

 城で十日、転移陣とやらでここに飛ばされてから五日ほど。ほぼ軟禁状態でよく我慢したと、シズルは自分自身を褒めてやりたいと思った。しかし今回のことは、トラブル慣れしていたシズルもさすがに困惑した。

 

 トラブルの原因、聖女召喚とやらを主導したルーデリックは、赤い長髪のすらりとした優男で、見た目はいかにも貴公子然とした、誰もが認めるいかにもザ・王子様という風貌だった。

しかしその後の行動も鑑みて、シズルは密かにルーデリックを『軟派なチャラ男』と決定づけた。

 

 ルーデリックや、その場にいた他のローブ姿の男たちは、シズルと一緒に召喚された、篠宮シノミヤ瑠花ルカという女子高生には腰が低く丁寧な態度で接し、対するシズルにはやたら上から目線で扱いも雑だった。その態度から察するに、最初からシズルの事など眼中になかったようだ。

 

 確かにルカは大層可愛らしく、ウェーブのかかった柔そうな栗毛で、大きな瞳をうるうるさせて小動物のように震えていた。

 そんな庇護欲を掻き立てる可憐な美少女と、無表情で平然と突っ立っていたシズルを比べれば、前者が聖女に見えたのも仕方ないのかもしれない。

 

 ただし、両者がただの一般人と分かった後でもその態度はあまり変わらなかった。選択基準に、ルーデリックの嗜好が多大に反映されていたのは間違いない、とシズルは考えていた。

 だからといって自分を無視した挙句、謝罪も説明も他人任せで放置し、遠くへ追いやっていいわけがない。

 王太子か何か知らないが、人としてどうなのかとシズルは思っていた。

 

 そんな彼を甥っ子だと言ったジークハルトは、ルーデリックとは正反対の風貌だった。

 筋骨隆々ではないが上背もあり、がっしりとしていて存在感がある。黒髪短髪で精悍な顔立ちをしていて、装飾品の類は一切着けていなかった。その容姿も相まって、王家に縁のあるお貴族様というより、軍人だと言われた方が余程納得できる。チャラ男と似ているのはその碧い瞳だけだった。

 ジークハルトの後ろにいた美丈夫の金髪緑眼の従者の方が、よっぽど高貴に見えるとシズルは思っていた。

 

 召喚時の諸々を思い出してシズルは不機嫌になった。

 しかし、そのことよりももっと、現在進行形で神経を逆撫でしていることがあった。自由にと言われたのに、ジークハルトが去ってから、どこへ行っても誰かがついてくる気配がするのだった。

 

 人の気配に敏感なシズルは、始終感じる視線を大層鬱陶しく思っていた。恐らくはジークハルトの指示だろうが、シズルのことを完全な不審者扱いである。

でかい図体で短髪のドーベルマンのようなジークハルトは、いかにも脳筋でございという風貌だが、意外と慎重な性格なのかもしれない。先日の初対面の時も、あの碧い目で隙なくこちらを窺っていたのをシズルは肌で感じていた。

 

 さてどうしようかとシズルは考えた。

 

 とりあえずはいらつくストーキングを止めてもらって、仲良く一緒に散歩でもと平和的に頼んでみようか。

 シズルは、普段あまり仕事をしない表情筋を使って、悪い笑みを作った。

 

 

 

 


 シズルという娘は何をするでもなく、時折空を見上げながら塔の周囲をうろついている。

 こうして見ると、ジークハルトに平然と口撃を仕掛けたのが信じられないほど、普通の娘だとシルベスタは思った。ここ数日、付かず離れずの距離を保ちながら見ていたが、やはりジークハルトは警戒しすぎているとシルベスタは思っていた。

 

 と、目の前の人物が突然くるりと振り返って、猛然とこちらに突進してきた。

 

「え」

 

 シルベスタはそのあまりの素早さに、咄嗟に身体が動かずその場に立ち竦んでしまった。距離は充分保っていたが、今いる庭園には隠れる場所がどこにもなかった。

普通の娘と思って、完全に油断していたその隙を突かれたかたちになった。

 唖然としているシルベスタの目の前でシズルが立ち止まった。


「こんにちは」

 

 シルベスタを見上げる彼女の黒い瞳と目が合った。

 

「確か、フロトポロス伯のお供の方でしたよね? 私はシズルと言います。えーと貴方のお名前は確か・・・」

 

「護衛騎士の、シルベスタ・エシ・メントルと申します」

 

「そうそう。失礼いたしました、様、でしたね」

 

 以前会った時には名乗りを交わしていないので、今のやり取りで強制的に名乗らされたといえなくもない。

 してやられたようで、シルベスタは内心落ち着かなかった。

 

「で、何か御用でしょうか」

 

 シズルは微笑んでいるのに目は笑っていなかった。

 相手は丸腰なのに剣先を突きつけられているような気がして、シルベスタは思わず腰の短剣に手をかけそうになった。

 

「いえ」

 

 咄嗟に何も浮かばなかったシルベスタは言葉を濁した。

するとシズルが急に、納得したように手を打って嬉しそうに言いだした。

 

「ああ! 成る程わかりました。伯爵様に私の相手を仰せつかったんですね。嬉しいです! ひとりで退屈していたところなんです。ご一緒して下さって感謝します、メントル様」

 

 逃げ道を塞がれるように、暗に『ジークハルトに指図されているのだろう』と言われてしまっては『是』と答えるほかない。

 シルベスタは諾々とシズルと同行散歩することになった。

 


 

 


「それで塔の周囲を仲良く散歩してきたわけか」

 

 ジークハルトは、領主邸の執務机に顔を伏せ肩を震わせ始めた。笑っている。シルベスタが抗議の声をあげた。

 

「笑い事じゃないです、肝が冷えました。ジーク顔負けの腹黒さですあれは」

 

「おいちょっと待て、聞き捨てならん。俺のどこが腹黒だ」

 

「色々話をさせられましたが、天気の話から食べ物の話、そうそうあとは、ジークは何食べてあんなにでかくなったんだとか。本当に他愛のない話ばかりで、こちらの事情を探るような様子はなかったですよ。本当に、ただ散歩の相手が欲しかっただけにしか見えなくて、何考えてるのかさっぱり分からない」

 

「俺の話は無視かよ。まあいい」

 

 ジークハルトは先日の邂逅以来、シズルが本当に偶然召喚に巻き込まれただけなのか、それともどさくさに紛れて何某なにがしかの思惑のために、ここに送りこまれたのか計りかねていた。

 シズルという異世界人は、愛想もなく慇懃無礼で、怖いもの知らずな風だが決して馬鹿ではない。寧ろ頭の回転は早い方だと思う。今のところ実害はなさそうだが、彼女の底の見えない何かが、どうもジークハルトには引っかかっていたのだった。

 

「どうも胡散臭いが決め手がないな」

 

「でもジークの野生の勘に引っかかってるんだよな」

 

「確かにそうだが、他に言い方はないのか。最近益々俺の扱いが酷いぞ、シル」

 

「ああそれから、こんどは塀の外へ出て町が見てみたいそうですよ。案内していいんならオレが行きますよ」

 

「俺の話を聞けよ、全く。塀の外か、そうだな・・・」

 

 ジークハルトは気のない返事をした。

 

 品のいい呑気な若者に見えるこの側近シルベスタは、護衛騎士としての腕も確かで、見かけによらずデキる男だ。そんな男を手玉に取るような娘が、只人として国境沿いの辺境の地にいる。

そんな偶然は到底信じられない。

 ジークハルトの警戒心は、シズルに劣らずかなり強かった。







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