砂糖のかけらは甘くない

依澄礼

只人は甘くない

第1話 邂逅「思いがけない出会い」

 さて、どう切り出せばいいものか。


 溜息をひとつ、辺境伯であるジークハルトは考えを巡らせた。

 エデル国国王の箱入り息子、王太子のルーデリックが自分の魔力を誇示するために、長い間忘れられていた召喚術を強行した結果が今ここに在った。


 ジークハルトにとっては義理の兄である現エデル国王は、現在病に臥せっていて、その名代を務めているのがまだ若い王太子のルーデリックだった。だが実際の実務は、病床のエデル王の指示の下、国の重鎮たちが執り行っていた。


 この甥っ子は、賢王と誉れ高い父王に憧憬とそれと同等の劣等感を抱いていて、いつも認めてもらいたいと強く思っていた。

 その承認欲求を、権力に目の眩んでいる取り巻きや、召喚術そのものを試してみたかっただけの魔導士たちに上手く利用されたようだった。


 世界を救うとされる聖女召喚。

 

 多大な魔力を必要とするその術は、千年前の大災害、あとは数百年に一度起こる、魔物の大発生時に数回行われた記述がある。ここ最近では、百五十年前に行われたのが最後だった。

 召喚を行う際には、諸侯や魔導士が協議を重ね慎重に行われた。召喚には多大な魔力が必要となる上に、異世界からどのようなものが召喚に応ずるか分からなかったからだ。最終的にはその時々の王の決断で行われるものだった。


 今回の召喚は、ルーデリックの王太子という立場をより確かにするための、ただの権威付けに過ぎなかった。よって聖女を召喚する事に何ら意味はなかった。

 そんな意味のない行為だったためか、城の召喚の間にふたりの女性が召喚されてしまったのだった。その場にいたものは困惑した。即座に立ち合っていた高位の魔導士が調べたが、ふたりからは魔力を感じることができなかった。


 聖女召喚は失敗だった。


 召喚に応え現れたのは、何の魔力も持たない『只人ただびと』だったのだ。

 そんな只人の異世界人のひとりは、可愛らしい少女だったようで、ルーデリックはその少女に一瞬で心を奪われたらしい。

 少女は異世界からの召喚に応じたのだから、聖女に間違いないと言い張り、訳の分からないまま怯える少女を華麗にエスコートし、その場からさっさと連れ去ってしまったのだった。


 残されたもうひとりは少女よりも年嵩で、どこにでもいるような凡庸な娘だった。ルーデリックの言い分ならば、彼女も召喚に応じたのだから聖女という事になるが、やはりその娘からも魔力は感じられなかった。

 責任者ルーデリックが出て行ってしまい、残された者は娘の扱いをどうすればいいのか途方に暮れた。それでも召喚された娘なので放ってもおけず、暫くは城に留め置いていたようだった。

 だが十日ほど経った頃やはり扱いに困ったのか、あろうことか城にある長距離移動用の転移陣を使って、辺境にある貴人専用の塔へ飛ばしてしまったのだ。


 程のいい厄介払いである。


 その塔は貴人専用には違いないが、貴人の『罪人』を軟禁するための建物だった。

 いきなり塔の転移陣が発動したのに驚いた建物の管理者が、魔導士を伴って駆けつけると、塔の転移の間に全身黒ずくめの変わった格好をした娘が、所在なさげに立っていたという。


 塔のある、辺境の地フロトポロスはジークハルトの治める土地で、外遊で領地を離れていたその滞在先で、事の次第を聞かされる事になった。

 慌てて領地に帰り、休む間も無くやしきの転移陣で王都に押しかけたが、甥のルーデリックが捕まらず、代わりに召喚に立ち合った魔導士のひとりをひっ捕まえて詳細を確認し、その足で即座に引き返し、飛ばされてきた娘の世話をしていた者に話を聞き、やっと本日の邂逅となったのだった。


 この時点で、娘がここへ飛ばされて来て五日経過している。召喚されてからだと二十日近く経っている計算になる。


 厄介払いされる事になった、その異世界人の名は『シズル』といった。こちらの戸惑いもよそに、凡庸と言われたその娘は、怯えもせず至って冷静に事情説明を求めた後、そのまま大人しく部屋に滞在しているというのだ。


 ジークハルトは俄かには信じられなかった。

 いきなり見知らぬ世界に連れてこられた挙句二十日も放置され、それでも文句も言わず平然としているなど、そんな肝の座った女性が存在するのか。衣食住は保障されていたとはいえ、聖人君子でもあるまいに、文句のひとつやふたつ言いそうなものである。


 今、目の前にいる娘は、窓際に置いた椅子にちょこんと座っていた。


 想像していたよりも小柄で、成人していると聞いていたが少女のようだった。肩ほどの黒髪を後ろで一つに束ねて、こちらで与えられたのだろう簡素なワンピースを着ている。飛び抜けて美人ではないが、意志の強そうな目が印象的だった。

 しかしジークハルトはその黒い瞳に見つめられた途端、首の後ろの毛が逆立ったような気がした。異世界人の娘が、まるで子供が興味津々に虫や草花を観察するように、こちらをじっと観察しているのに気がついたからだった。


 こんな目をする娘のどこが凡庸なのだ、こんな者が普通の筈がない、とジークハルトは思った。

 そして、出来るだけ平静を装って話しかけた。


「初めてお目にかかる、異世界のお客人。私はジークハルト・アフティ・フロトポロスという。この塔の建つ伯爵領を治めている領主だ。所用で領地を離れていて対応が遅くなって申し訳ない。この度は甥のルーデリックが大変失礼した。私からも改めてお詫びする」


 謝罪しながらも注意深く、気取られないように娘を観察する。


「今回の大体の事情は聞いているが、何か不都合はないだろうか。できるだけの事はさせてもらいたいと思っているので、遠慮なく言ってくれ」


「初めまして、伯爵様。異世界人のシズルと申します」


 シズルは立ち上がり軽く礼をしてから話を続けた。


「先ほど客人と言われましたが、その割にはあちらこちらたらい回しで困りました。随分とぞんざいな扱いでしたが、貴方様の謝罪はお受け致します。これは私感ですが、元いた世界とこちらとでは大層常識が違うようですし、なにぶん私は下賤の者ですので、こちらこそ失礼があってもどうかお許しください」


 いきなり慇懃無礼な言葉で横っ面を叩かれた。

 ほら見ろ、どこが凡庸なんだとジークハルトは思った。


 シズルの話はまだ続くようだった。


「こちらの皆様には良くして貰っています。軟禁されている割には環境は整っていると思いますので、どうぞお気になさらずに。ただ、そろそろ解放して頂きたいのですが。それに、貴方様の甥御さんとやらからは謝罪は一切受けた記憶がありませんが、はて、私の記憶違いでしょうか」


 にっこり微笑んでジークハルトを見るが、目は笑っていなかった。


 シズルからすらすらと吐き出される、棘だらけの言葉がジークハルトに刺さった。至って冷静な態度で言葉は丁寧だが、激怒しているのが手に取るように理解できる。当然だと思った。

 しかし言われっぱなしなのも些か業腹なので、棘は気にせずシズルに聞いてみることにした。


「シズル殿から強く外出を望まれた事はない、と聞いたが?」


「部屋の外に張り付いている警備の方にお願いした事はありますが、何度か止められて諦めたんです。さすがに実力行使で無理矢理というのも、警備の方が気の毒ですし」


 今度は何やらジークハルトの耳に不穏な言葉が聞こえた。


「・・・分かった。貴女は罪人ではないのだから、確かにここに閉じ込めておく理由もない。出来るだけ自由に出歩けるよう、こちらで手配しよう」


「ありがとうございます」


 シズルは静かに頭を下げた。ではまた、とジークハルトは部屋を後にして、やたらと緊張した初対面は終了した。


 部屋から出たところで、ジークハルトの後ろでずっと控えていた、側近兼護衛のシルベスタがすぐ側まで近寄って話しかけてきた。


「ありゃ何だジーク! アレのどこが凡庸で大人しいんだよ」


 乳兄弟でもあるふたりは、仕事以外でほかに人目がない時は、友達のような気安さで話す事も多かった。


「言うなシル、俺が聞きたい。あの小さい身体で何て威圧感だ。漏らすかと思ったぞ」


「ちびるなよ。あの娘は魔力を持ってないんだろう? 実力行使ってなんだ、何するんだ」


「本当に漏らすわけなかろうが。何するかなんぞ知るか! というか知りたくない。異世界人怖い」


 誰もいない回廊でひとしきり戯れ合った後、ジークハルトは急に真顔になった。仕事用の顔に切り替わったのを察したシルベスタも、先程までの軽い雰囲気を引っ込めた。


「シルベスタ、あのシズルとかいう異世界人を暫く監視するんだ」


「私は貴方の護衛なんですが」


「この領内で俺に敵う奴がいるのか?」


「いませんね」


「俺が今この場で一番恐ろしいと思ったのはあのシズルだ」


 辺境伯の顔に戻ったジークハルトはあるじとしてシルベスタに命令した。









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