第2話 ジャムサンドクッキーと秘密

その1

 レスティリア学園に編入して二週間。

 春の花々の最盛期は過ぎたけれど、える若葉のあざやかな緑が胸を打つ季節となった。

 ローザリアの学生生活は、今のところ順調なすべり出しと言える。

 たとえ義弟があれ以来、意中の相手がだれであるのか、しきりに気にしてきても。ぼうなことはやめるよう、事あるごとに説得されていても。

 ローザリアが順調と言い張れば順調なのだ。

 ──そもそもいつぴきおおかみを気取っているあの子には、表立ってわたくしに話しかけたり、ましてや泣き付くことなどできませんものね。

 アレイシス的には、義姉が心配でもルーティエへのアプローチをおろそかにするわけにはいかない。来年度のしつこう入りも決まっているようで、彼はなかなかいそがしい身のようだ。

 全力を出しきれない義弟のついきゆうを、のらりくらりとかわすことなど容易たやすかった。

 教室内ではぜんとして遠巻きだが、アレイシスとルーティエが話しかけてくるので周囲にけ込めていないこともない。

 誰とも話さずにいてもローザリアは気にしないのだが、えんかつな人間関係のためには周囲を大切にしなければならないだろう。

 なのでルーティエとのわりの悪い上辺だけの会話も、探りを入れられているようなかんも、時折向けられるとげのような視線も、すべて気にしないことにしていた。

 りようでの暮らしは慣れないことばかりだが、ミリアとグレディオールが全面的に支えてくれるので何とかやっていける。

 特に食堂という制度は、引きこもりだったローザリアにはしんせんに映った。

 広い空間に大勢の人間がつどい、思い思いのものを注文して食べる。

 さすがに貴族ばかりが集まる場なのでさわがしいとまではいかないが、大きな窓からさんさんと日が差し込む食堂内はいつもにぎわっていた。

 書物で読んだ通りの景色が目の前に広がっていて、利用初日は興奮をかくすのに苦労したものだ。

 けれど内部構造は書物の通りとはいかず、選ばれし特権階級のみが食事時に使用できる区画、特別席というものが存在した。王族であるレンヴィルドや、執行部の役員達がそれにがいとうする。人気のある者をめぐるトラブルをかいするためのらしい。

 確かに学業ゆうしゆうでカリスマ性もね備えた執行部員達は、卒業前に親しくなっておきたいいえがらの者ばかりだ。王族もまたしかり。

 ここになぜか、『薔薇ばらひめ』という理由だけでローザリアも組み込まれてしまっていた。

 つうならば反感を買いそうなものだが、だからと大衆に交じることも許されない。不満に思う者も言い出せないのが現状だろう。

 執行部のせんぱい方は現在ぼうのようで、食事の時間はほとんど重ならない。

 朝早かったり、逆に消灯時間のぎわだったりと、彼らは利用時間にかなりゆうずうくようだ。しかしそれはつまるところ、実質王弟殿でんとほぼ二人きりということで。

 今も、となりに座るレンヴィルドが赤ワインでんだ牛のほほ肉を、実にゆうな所作で口に運んでいるところだった。

「食堂の味には慣れましたか?」

「はい。自宅の料理もおいしいですけれど、こちらの料理人も一流ですわね。さすが、王族にも料理をっているだけあります」

 学食とは名ばかりで、見た目も味も非常にせんさいだ。ローザリアが食べている鹿しか肉のシチューも絶品で、赤身の多い肉質にもかかわらずやわらかく、くさみが全くなかった。

「これだけらしいお食事ですと、に授業を受けるより食後のお茶をゆっくり楽しみたいと、つい思ってしまいます」

 貴族にとって、食後に二時間程度のお茶の時間は当たり前だ。けれど授業日程に合わせなければならないので、学園にいればそうもいかない。

「失礼な言い方になるけれど、あなたは真面目に授業を受けているようには見えませんよ?」

「あら、気付かれておりましたか」

「それはもうあからさまに、別のことを考えていると分かるから。まぁ、おそらく教師じんかんぺきだませているだろうね」

 退たいくつな内容を聞く気になれず、授業をしんけんに受けているふりで乗り切っていたのだが、レンヴィルドはされなかったようだ。

 食事を共にすることもあって、彼とはくだけた口調で話せるほど親しくなっていた。しむらくは、カディオと同じテーブルを囲む機会にめぐまれないことだろう。

 護衛だから当然なのだが、仲良く食事でもすれば親密になれるかもしれないのに。

 レンヴィルドといるおかげでそれなりにお近付きになれているが、なかなかゆっくり話すことができなかった。

 だが、頭をなやませているのはそれだけではない。

 シチューを食べる手を休めると、ローザリアはものげにため息をついた。

「レンヴィルド様とのお食事は楽しいのですが、しつの視線が少々わずらわしいですわね……。手っ取り早く解決するには、わたくしがあなたの隣に立ってもそんしよくないほど優秀であると、一目で分かるよう示すべきなのでしょうが」

 手っ取り早い、という品の欠片かけらもない言い草に、レンヴィルドがしのび笑いをらした。

「そうだね。一番手っ取り早いのは、やはり前期テストかな。来月の頭に行われるし、成績順がけいばんり出される」

「前期テスト、ですか?」

「そうか、あなたは編入生だから知らないか。まだ教師から説明を受けていないのだね」

 彼によると、ここでは年に三度の学力考査があるらしい。一番重要なのは年末に行われる後期テストで、結果によっては進級にもひびくのだそうだ。

 前期テストは教科の数も少なく、かくてき難易度が低い。それまできちんと学んでさえいれば、確実に点数をかせげるものだとか。

 一通りの説明を終えると、レンヴィルドはクスリと笑った。

「でも、私の隣に立って遜色がない女性というのは、別の誤解が生じかねないのではない?」

 ひとみをいたずらっぽくきらめかせるレンヴィルドは、彼のきさき候補と誤解され、ますますねたまれるかもしれないと暗に告げている。

 レンヴィルドのこんやく者は、十年ほど前にくなっていた。それ以降彼の隣は空席のままだ。

 確かに、こうしやく家のれいじようならば身分的にもり合いがとれる。けれどローザリアには、ゆいいつにして最大の難点があった。

「──『薔薇姫』が王弟妃になるなんて、彼女達は考えすらしないでしょう」

 歴代の『薔薇姫』の中で、王家にとついだ者はいない。というより、セルトフェル家の血筋自体をされているのだ。万が一にも王族から『薔薇姫』を生み出さないために。

 ローザリアは、王弟妃の座をねらう令嬢達からすれば完全なる問題外だった。

 レンヴィルドが、まるで顔を近付けるように首をかたむける。

「あなたは分かっていないね、自分自身の価値を」

「え?」

「『薔薇姫』を王弟妃とする過程には、確かに多くの困難があるだろう。けれどあなたには、それら全てをねじせてでも欲しいと思わせる価値がある」

 真剣なこわささやくように小さく、め事めいたふんにおわせている。王族固有の緑瞳に間近で見つめられれば、吸い込まれてしまいそうだ。

「レンヴィルド様、それは結構本気のかんゆうだったりいたします?」

「勧誘、と言い切るあなたのごうたんさが、妃として何よりりよく的に思うよ」

「……」

 どうやらこの王弟殿下は、たちの悪いじようだんを平気で言えるらしい。底の知れないみは何とも思わせぶりだが、おそらく深い意味はないのだろう。

 ──けれど『豪胆さが魅力』というのは、この方の本心なのでしょうね……。

 レンヴィルドの幼い婚約者の死因は、自殺。

 彼のやさしさや慣習にとらわれない考え方は、きっと当時の悲しみが作り上げたものなのだろう。冗談の奥に隠された、さびしさとどくかいる。

 ──だれにでも、背負うものはあるのね。『薔薇姫』じゃなくても。

 ローザリアは果実水を一口飲むと、ことさらいたずらっぽい笑みを返した。

「殿下のお申し出、大変うれしく思います。ではもしわたくしがおくれたなら、その時にはぜひ引き取ってくださいませ」

「それは、その間私にもけつこんするなということ?」

めつそうもございません。わたくしなど、まつたんの側室で十分ですわ」

「側室をむかえる予定はないし、そもそもあなたの中で、私はどれほどたくさんの妃をかかえているのだろうね?」

 冗談を言い合う内に、レンヴィルドがいつもの調子を取りもどしていくのが分かった。

 できることがあるとすれば、こうして気分を変える手伝いをするくらいだ。友として。

 ローザリアもまた、彼とわす軽快なやり取りをここいいと感じていた。

 レンヴィルドの瞳が、急に真面目な色になる。今度は冗談を言い出す雰囲気じゃなかった。

「ともかく、あなたに価値があるのは本当だ。それは『薔薇姫』だからと、容易たやすく消えてしまうようなものじゃない」

「はい。……ありがとうございます」

 だから、くつになる必要はないと。

 逆にはげまそうとしてくれる優しいレンヴィルドに、ローザリアは柔らかくうなずいた。

 レスティリア学園に編入して初めて言葉を交わした王弟殿下は、身分や性別、生まれ持った事情にかかわらず接してくれる、得がたい友人となった。



 放課後。りようの自室へ戻ると、待ち構えていたミリアが一通のふうしようやうやしく差し出した。

だん様からお手紙がございました」

 聞いたたん、ローザリアは盛大に顔をしかめた。セルトフェル家のもんふうろうにした、しようしんしようめい当主からの手紙だ。

いやだわ。そろそろカディオ様をあきらめたころいとでも思っているのかしら」

 できることなら受け取りきよして送り返したい。

 盛大なため息をつくと、ローザリアはかくを決めて封を切った。

 内容は簡潔だった。すぐに読み終えてたたみ直すと、グレディオールがすかさず受け取る。

 ミリアはぜわしげに身を乗り出した。

「ローズ様、旦那様は何と?」

「フォルセ様とは会ったのか、話し合いはできたのか。要約するとそんなところね」

 もちろんローザリアも早急に片付けたいと思っているが、こういった繊細な問題は段階をんでいかねばならないものだ。まだ二週間しかっていないのに成果を求めるとは、気が早すぎるというもの。

 ──わざわざわたくしから出向いて差し上げるというのもごうはらですし。

 たんそくしながら、紅茶の準備が調ととのえられたテーブルに座る。

 おちやけにスコーンやクッキーの軽食もあったので、ローザリアは糖分を求めてフィナンシェに手をばした。アーモンドのこうばしさとバターの風味が口いつぱいに広がると、ささくれ立ちそうだった心もだいに落ち着いていく。

「わたくしとしては、フォルセ様との話し合いはすぐにでも決着すると思っているの。なのでまずは、もう少しカディオ様と親しくなることを優先させたいわ」

 護衛の任務にいている者に話しかけるわけにもいかず、なかなかこいには発展しない。

 むしろ今のところ、じようきようもわきまえず気軽に話しかけに行くルーティエの方が、彼とのきずなを深めているのではないだろうか。

 ──アレイシスにフォルセ様、そして次期さいしよう候補と言われているジラルド・アルバ。これだけのめんとりこにしておきながらカディオ様まで狙っているとしたら、わたくしも本気で迎えたねばなりませんわね……。

 ストロベリージャムをたっぷりと入れた紅茶に口を付けながら、ローザリアはこめかみをたんねんみほぐした。

「カディオ様と今以上お近付きになるには、どのような方法が有効的なのかしら。やはりここは、意外な一面でも見せるべき?」

 勉強ならば人一倍してきたが、れんあいは初心者だ。

 おもいを伝え、なおつ相手にも同じ想いを返してもらうためには、何をするべきなのだろう。幼いころ気まぐれに読んだ恋愛小説でも参考にすればいいのか。

 恋愛経験のなさで言えば似たり寄ったりなミリアに相談をもちかけると、彼女はしんけんな顔で提案した。

れいこくこうまんこうしやくれいじようと見せかけて、雨にれた捨てねこを拾う優しさを持っている、というのはどうでしょうか?」

「……ミリアがわたくしをどう思っているのかよく分かったけれど、まずその条件を整えることが至難でしょうね」

 面と向かって悪口を言われたのはまだいい。問題は、彼女が提案したほうもない作戦だ。

 まず雨天であること、学園のしき内に捨て猫がいること。何よりその場面を、都合よくカディオに見せ付けること。

 すべてをがつさせるのはおそらく不可能なので自作自演しか方法はなくなるが、その場合失敗した時の居たたまれなさの責任はとってくれるのか。

 次に、恋愛経験のすら読めないグレディオールがめずらしくちんもくを破った。

れいてつごうまんな侯爵令嬢と見せかけて、親しみやすいうっかり屋というのはいかがでしょう。例えばさいを忘れて買い物に行く、魚をくわえた猫を裸足はだしで追いかける、などです」

「……財布などわたくしは持ち歩かないし、なぜ猫が魚をくわえているだけで追いかけねばならないの? 状況が全く分からないわ。侯爵令嬢として、理解のできない行動はたとえ演技であってもできません」

 裸足でかいどうを走れば足を痛めそうだし、全力しつそうの難しい状態ですばしこい猫を相手にするなんて、ぼうとしか思えない。猫だって生存競争を勝ちくために必死なのだろうし。

 ローザリアに対するひどい印象にもおどろくが、何よりグレディオールの久々の発言がこれとは残念すぎる。

 らしい提案が得られないまま頭を抱えていると、とつぜんとびらがノックされた。

 ていたくちがってひかえの間がないので、直接対応しなければならない。ミリアは急ぎ足でエントランスに向かった。

 ろうの外から、彼女の驚く気配が伝わってくる。

 そのため訪問者が誰なのか、何となく察しがついた。グレディオールとばやく視線を交わす。

 対外用に取りつくろったミリアがかたわらまでやって来た。

「おじようさま、フォルセ・メレッツェン様がいらっしゃいました」

 想像通りの名前に、ローザリアもまた令嬢の仮面を素早く装着した。きっと今このじよが仮面を外したら、手が付けられないほどいかくるうに違いないと考えながら。

 ミリアの案内で現れたのは、ゆるえがいたダークブロンドとオリーブグリーンのひとみの青年。神経質そうにも見えるせんさいようぼうの、フォルセ・メレッツェンだった。

「お久しぶりですわね、フォルセ様」

 がおむかえた不実なこんやく者は、以前より少しやつれているように見えた。

 二週間なやみ抜き、ようやくローザリアのもとを訪ねる決断をしたのだろう。ほかの女にうつつを抜かし、婚約者をぞんざいにあつかったのだ。気まずいのも当然だった。

 ローザリアは微笑ほほえんだまま立ち上がる。

「わたくしの私室で二人きりというのは体面が悪いので、学習室の一室でもお借りいたしましょうか。もちろん、ミリア達も共に」

 申し出た途端、フォルセのまゆがぐっと下がった。今までセルトフェルていで二人きりになることも多々あったのに、同じ状況をはっきりときよぜつしたのだ。

「分かった。……分かりました」

 しゆこうを返す婚約者の表情は、苦いものでも飲み込んだようだった。



 寮は相部屋なので、学習室は静かなかんきようで勉強したいという者のために存在する。

 貸し出し制の個室になっているため、密談するにも最適だった。

 対面に座すると、ミリアとグレディオールが背後に控える。まずはローザリアから口を開いた。

「わたくしから申し上げたいことは一つ。こんやくに賛成していただきたい、ということです」

 なぜかそうな顔をするフォルセへの同情をち、まずは言いたいことを言い切る。

「セルトフェルこうしやく家当主であるお祖父じい様からは、すでに許可をいただいております。残るはメレッツェンこうしやく家ご当主からのご許可と、かんようなる王家のお許しのみ。婚約を問題なく破棄させていただけるよう、わたくしからレンヴィルド様に願い出ておきましょう」

 通常婚約とは、家同士のつながりを強固にするために行うもの。けれどメレッツェン公爵家は、もろを挙げて『薔薇ばらひめ』をかんげいなどしていなかったはずだ。侯爵家であるセルトフェルの方が下位だが、たがいの意見がいつしたという形を取ればどちらの体面も保たれる。

 しかしここで問題になるのは、婚約時の王家のかいにゆう。この婚約を命じたのは、だれあろう当時の国王陛下だったのだ。

 となると、成人前の子どもの婚約と言えど、両家のみの問題ではなくなってくる。

 ここで生きてくるのが、学園に編入したことでできた王弟レンヴィルドとの繋がりだ。

 彼は『薔薇姫』の扱いに同情的だったし、ローザリアと婚約者との冷えきった関係にも気付いている。うまく相談すればこの婚約を破棄する方向で、国王陛下に進言してくれるかもしれない。そうなれば、よりえんかつに婚約破棄の手続きが済むはずだ。

 今後の流れを理路整然と説明すると、彼は言葉の波におぼれるように口を動かした。

「君は……それでいいのか?」

 苦しげな声を発するフォルセのオリーブグリーンの瞳が、ローザリアをひたとえる。

 彼は、やさしすぎる。

 ルーティエに心をうばわれたことへの罪悪感なのだろうが、それでもおさなみのように育った婚約者を断ち切れないのだから。

 そこに例えば打算がかくされていたとしたって、これまで積み重ねた年月は変わらない。妹のように大切にされたおくは、胸の奥に。

「……はなれることが互いのためになるのなら、わたくしに不満はございません。けれど、あなたを家族のように思う気持ちがなくなることはないでしょう。どうか、これからもお幸せに」

 フォルセの顔が泣きそうにゆがんだ。

 特大の皮肉と受け取ったなら、それこそごうとくだと思ってほしい。彼の不誠実ないに、確かに傷付いたこともあったのだから。

 新たな婚約者に目星を付けていることを明かさなかったのは、ささやかなふくしゆう

 ローザリアは席を立つと、ゆうに礼をとった。

「──フォルセ様。あなたの婚約者でいられたおだやかな日々、わたくしは幸せでした。今まで本当に、ありがとうございました」

 ついに、引導をわたした。

 彼はしばらくどうだにしなかったが、やがてうつむいたまま立ち上がると学習室をあとにする。わす言葉ははや一つとして残されていなかった。

 ローザリアはかたの力を抜くと、に座り直した。

 づかわしげな従者達の気配に、うっすらと口角を上げる。

「……ありがとう。あなた達がついていてくれたから、心を強く保てたわ」

 在りし日、共にセルトフェル家の庭をけ回った時の、フォルセのじやな笑顔がよみがえる。未来など疑いもせずにいたあの頃。

 ローザリアは一度だけ強くめいもくすると、しっかり顔を上げた。

 まだほんの少し胸は痛むけれど、これでようやく前を向ける。

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