その3

 彼女の発言は、周囲で聞き耳を立てている令嬢達に対して失礼きわまりないものだし、ローザリアがここにいる理由にもちゃっかりさぐりを入れている。にぶい男性は気付かないかもしれないが、『仲良くしてほしい』という申し出に対する返事もこうみようけていた。

 しかし、最もけいかいすべきは直前の呟きだ。

 ローザリアの名前を聞いただけで『薔薇姫』と理解するなんて、とうてい平民らしくない。

 ──いいえ。名前を聞いてというより、わたくしの顔を見て判断したような……。

 とはいえ、カディオとちがって貴族間の情報に詳しいのは確かなようだ。

 彼らのこのちぐはぐさは、一体何なのだろう。

 ぼつらく気味とは言ってもだんしやく家であるのに、貴族としての知識がないカディオと。

 全くの平民であるはずなのに特待生として入学できるほどの学力を保有し、また貴族の常識にも詳しいルーティエと。

 何より、彼らの印象は全く逆であるはずなのに、同一の空気を感じるのはなぜなのだろう。かんは深まるばかりだった。

「──せっかくですし、教室までご案内しますよ」

 空気を変えるようなレンヴィルドの一声に従い、ローザリア達はようやく校舎に入った。

 印象をよくするため、すかさず礼を言う。

「レンヴィルド殿下のおこころづかいに感謝いたします」

「殿下は必要ないですよ、ローザリア嬢。けれど、少々意外でした。アレイシス殿どの義姉あねということですが、立ちいが全く似ていませんね」

 義弟おとうとの目に余る素行不良を思い、ローザリアはゆううつなため息を押し殺した。

「義弟は、殿下にごめいわくをおかけしていないでしょうか? 根はいい子ですが思春期のためか、年々ぼうになってしまって」

 頬に手をえてゆるく首をってみせると、レンヴィルドは思わずといったふうに苦笑した。

 王族らしい気品に満ちた雰囲気が、たんに年相応の青年らしくなる。

「失礼しました。ローザリア嬢は、ちゃんとお義姉ねえさんをしているのですね。今の表情、私の兄上にそっくりでしたよ」

 お義姉さん、という言い方が微笑ほほえましくて、ローザリアもつい笑ってしまった。

 王族であることとは別に、きっといい兄弟関係を築いているのだろう。

「レンヴィルド様も、いい弟さんなのでしょうね。あの子にも見習ってほしいくらいです」

 こうしやく位をぐための勉強はおこたっていないようだが、最近の彼ははんがいにもしゆつぼつしているらしいとはミリアの言だ。悪い仲間とつるむあまり、染まってしまわなければいいのだが。

 品行方正であれとは言わないが、しようだけは気を付けてほしいものだ。

「アレイシス殿は、おそらくだいじようですよ。今は少々視野がせまくなっているようですが、自らの義務をよく理解しています」

 レンヴィルドの視線が、いつしゆんだけ背後に向いた。

 ややきよを置いた後方に、笑い合うカディオとルーティエの姿がある。

 ローザリアは意外に思って目をまたたかせた。あらゆる男性がとりこにされているのだと思っていたが、冷静に彼女をきわめる者も中にはいるらしい。

「こうして、心から心配してくれる義姉もいることですしね」

 いたずらっぽく付け加える彼には、なぐさめる意図もあるのだろう。もしかしたら最近えんであることを、あくされているのかもしれない。

 それでも、温かな心遣いが嬉しい。おだやかなぼうそのままのひとがらに、こんやくのことがなくても親しくなりたいと思った。

「……ありがとうございます。わたくしもアレイシスとのきずなは、つうの姉弟のものと変わらないと思っております」

「はい、私もそう思いますよ」

 レンヴィルドの笑顔に、ローザリアは何のふくみもない笑顔を返した。

 開け放たれたろうの窓から、花のかおりを乗せた風がき込んだ。絹糸のようになめらかなシルバーブロンドが、こうを振りきながらやわらかくい上がる。

 葉先が陽光をはじいてきらめき、にじいろかがやいていた。

 青い空も緑の色も箱庭にいる時と少しも変わらないはずなのに、何もかもが違って見える。

 ──やっぱりわたくし、勇気を出してよかった。

 窓の向こうの景色をながめ、改めてかんがいふける。

 外の世界は何もかもがまぶしくて、あざやかで。

 胸をせいりような風がでているような、ひどくかろやかなここだった。

 知らず足を止めていたローザリアを、レンヴィルドが見つめていた。微笑み、再び歩き出す。

 それからしばらく進むと、ようやく教室が見えてきた。一学年に二クラスしかないためちがえるほど部屋数も多くない。

 そうしよくの少ない教室には三列の長机があり、列ごとに段差が設けられている。後方からでも授業内容を分かりやすくする仕組みだろう。席順は自由なようだ。

「──義姉さん」

 聞き慣れた声が耳を打つ。

 教室の奥から近付いて来たのは、義弟おとうとのアレイシス・セルトフェルだった。

 彼はレスティリア学園にはめずらしい、粗暴なふんをまとった青年だ。

 銀というより灰色に近いかみは無造作にばされ、はくいろの瞳はするどく切れ長。身長はカディオを除けば、教室内にいるだれよりも高いかもしれない。

 アレイシスはレンヴィルドにそつなくあいさつすると、すぐにローザリアを見た。その際未練がましくルーティエに視線をすべらせたのが、何とも分かりやすい。

「……久しぶり、義姉さん」

「久しぶりね、アレイシス。あなた、また背が伸びたのではない? それに制服をあまりくずすのは感心しないわね」

 笑いかけると、アレイシスの近寄りがたい雰囲気がほんの少しやわらぐ。けれど彼はすぐに表情を引きめ、乱暴に頭をいた。

「別に、そんなのどうだっていいだろ。それより手紙で聞いてはいたけど……義姉さん、学園に編入するなんてどういうつもりだよ」

 非難するようなくちりは、ほぼ全生徒の総意と言っていいだろう。おおらかに許容してくれたレンヴィルドが少数派であることは、ローザリアも承知している。

「心配しなくても、迷惑はかけないわ」

「そういうことじゃねぇ。何が目的か聞いてんだ」

「アレイシス、ことづかいがまた悪くなったわね」

「繁華街にちょこちょこ顔出してるからな。って、そうじゃなくて」

 話がだつせんしてしまうことにいらったアレイシスは、いかりをしずめるように大きく息をいた。

「……少し、場所を変えよう」

 確かに衆目があれば、本音でのやり取りは難しいだろう。特に意中の女性の前であっては。

 幸い始業時刻まで、まだ時間がある。心配そうに見守るレンヴィルドに小さくしやくをすると、ローザリアは義弟のゆうどうに従った。

 連れられてきたのは歴史学の資料室だった。

 教室と同じ校舎だというのに人の気配はなく、き当たりのため誰かが近付けばすぐ分かる。学園生は穴場としてひんぱんに利用しているのかもしれない。

 資料室のとびらを閉めて振り返ったアレイシスは、先ほどまでのな雰囲気を一変させていた。

「義姉さん、一体何考えてんだよ。危険だから外には出ないって、リジクお祖父じい様とあんなに約束してたじゃないか」

 情けなく下がったまゆじりに、そうな表情。

 はくの鋭いひとみは今にも泣き出しそうなほどうるんでいた。

「アレイシスったら、大きくなっても泣き虫は相変わらずなのね」

「当たり前だろ! 何年とうが俺は義姉さんが心配なんだから!」

 れるまなしで、義弟はやるせないとばかりにさけぶ。

 なみだもろくて家族思い。これが、だんは不良ぶっているアレイシスのほんしようなのだった。

「ありがとう。でも、体を動かす授業があるわけではないし、危険は少ないわ」

「『薔薇ばらひめ』としてのことを言ってるんじゃない! じゆんすいに義姉さん自身を案じてるんだ!」

 どうやら彼だけは、『薔薇姫』が周囲におよぼすがいしているわけではないらしい。

 ローザリアは目を瞬かせて小首をかしげた。

「わたくし?」

義姉ねえさんは本当に、自覚がなさすぎる! じっとしてるとせいこうな人形とまがうほど義姉さんはれいなんだよ! 大輪の薔薇だってかすむほどだ! いくら貴族ばかりとはいえ、学園内は安全なんて保証はどこにもないんだからな!」

「あら、そちらの心配だったの?」

 ローザリアは察しのいい方だが、アレイシスのやくした思考を理解するのは長年の経験上あきらめている。彼の想像力がななめ上すぎるのだ。

「あなたって昔から過保護よね。そもそも義姉あねに対してそこまでしい表現を使うなんて、どうかと思うわよ」

「比喩じゃない。義姉さんは、俺が今まで出会ってきた誰よりも綺麗で、てきだ。少し底意地が悪いところもまたたまらない」

「おかしなせいへきばくはいいから。それにわたくし、少しなどという言葉で収まりきるような小悪党ではないわよ」

 それなりにすぐれた容姿であることは自覚しているので、確かに性格は悪いのだろう。

 長年不自由なきようぐうえ続けてきたため、多少性根がねじ曲がってしまったのは仕方のないことだと思っている。

 ローザリアは口角を上げると、意地悪げに目を細めた。

「けれど、美しさよりも心を揺さぶるものに出会えたのでしょう?」

 人は、美しさだけに心をうばわれるものではない。

 てきすれば、彼は目に見えてひるんだ。

 家族だけの場になると、アレイシスはなおで不器用な本性をさらす。ローザリアはことづかいがくだけたものになり、皮肉屋の一面を見せる。そのため、上下関係がより明確になるのだった。

「ルーティエ様が好きなのね」

「……うん」

 長身できようぼうそうなアレイシスが真っ赤になる姿は、そこはかとなくいじめがある。

「好きすぎて、わたくしやお祖父様のことなんて頭からけ落ちてしまったのね」

しきに帰らなくなったことを言ってるなら、ごめん。でも、そんな頻繁に帰らなくてもいいって言ったのはそっちだろ」

「ものには限度があるでしょう。あなたときたら、長期休みにまで顔を出さないのだもの」

「う、ごめん」

 義弟は大きな体を縮めて頭を掻いた。

「あまりに顔を出さないから何かあったのではと心配になって、ついミリアにあなたの身辺関係をさぐらせてしまったわ」

「それは、いつぱん的な心配のはんいつだつしてるだろ」

「ひどいわ。わたくしがやりすぎだと言いたいの?」

「あー、すみませんでした」

 十分に八つ当たりは済んだので、義弟のこれまでの不義理は水に流すことにした。

やつかいな方を好きになったわね、アレイシス。ルーティエ様と話してみたけれど、あれはおそらく相当なくせ者よ」

「分かってる。そんなところも義姉さんみたいで、いいと思ってる」

「あら。わたくしには遠く及ばないわよ」

 おもい人の性格の悪さを明かしても、彼が引き下がらないことは分かっていた。血はつながっていなくても、十年以上いつしよに暮らしてきたのだ。

 ローザリアは、不敵なみをくちびるいた。

「ライバルは多いわ。わたくしに構うひまがあるのなら、とにかくがんらないと。油断している内に出し抜かれてしまうわよ」

 げきれいのつもりで放った一言だったのに、彼はなぜかひどく不満げだった。傷付いたような顔をされると、義姉としては弱い。

「ライバルにフォルセ様がいらっしゃるから、不安なの? 確かに強敵だけれど、わたくしにできることがあるなら協力するわ」

 昔は、フォルセのやさしさに救われた時期もあった。彼のことも家族同然に感じている。

 けれど、毎日そばにいて支えてくれたのはちがいなくアレイシスだったし、何より他人にはわかちがたいきずながある。おうえんするなら断然義弟だった。

「フォルセ兄上は、義姉ねえさんが学園にいることを知ってるの?」

「手紙でお伝えしたけれど、さほど興味もないのではないかしら? あなたも知っての通り、あの方はルーティエ様にごしゆうしんでしょうから。近い内、こんやくする方向で話し合うつもりよ」

 サラリと今後の予定について打ち明けると、アレイシスは目を丸くした。

「え? 婚約破棄? フォルセ兄上と? え、ちょっと待って。本気で意味が分からない」

「そうよね。あなたも子どものころから、兄上と呼んでしたっていたものね」

「いやそれは将来義兄あにになるという打算があったからで……ってそうじゃなく。義姉さん、都合が悪くなるとけむに巻こうとするくせ、いい加減直してよ。話が進まないだろ」

 フォルセが訪問している間だけ素直な義弟を演じていたことには気付いていたが、呼び方にまで気をつかっていたとは初耳だ。

「えぇと……婚約破棄? そういえば、何が目的で学園に来たのか、まだ聞いてなかった」

 アレイシスは顔をおおっていた手を下ろし、おそる恐るといった様子でローザリアを見る。

 頭のいい彼のことだ。点と点が繋がって、今もうれついやな予感にさいなまれていることだろう。

 ローザリアは義弟の不安をき飛ばすように、ことさらはなやかに微笑ほほえんでみせた。

「もちろん、好きな殿とのがたにお会いするためよ。わたくし、こいした方を射止めるために来たの」

 ぼうぜんと口を開けたままの義弟おとうとをよそに、時計をかくにんする。もうすぐ授業が始まる時間だ。

「それでは、同級生としてこれからもよろしくね」

 ローザリアは笑みを深めると、ゆうな足取りで資料室をあとにする。

 ずっとこうちよくしていたアレイシスがぜつきようするのは、この数秒後のことだった。

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