その2

 半ばごういんに追い立てたため、祖父の動きはじんそくだった。

 もしかしたら、自由にしてやりたいうんぬんという彼の言は、案外本音だったのかもしれない。

 リジクはわずか三日で入学手続きを済ませると、すぐさま学園へと送り出してくれた。

 レスティリア学園の所在地は王都内で、自宅から一刻もかからないきよにある。ぜんりようせいのため、しばらくリジクとは手紙のやり取りのみになるだろう。

 そしてついに、ローザリアは侯爵邸の門からみ出す。

 初めての外の世界だが、きようじんもなかった。信頼するミリアとグレディオールもいつしよだし、けんさんを積んできた自分自身を信じている。

 今日は記念すべき、学園編入初日。

 制服は、品のいいのうこんのワンピースだった。

 ワンポイントのネクタイはむなもとまでの短いもので、色はカスタードクリームのように優しい。しゆう入りのまるえりはやや大きめで、足元のショートブーツも合わせると、全体的にはせいながら愛らしさもある。

「ローズ様、よくお似合いです」

「そうかしら? わたくしはこの通り目元がきついから、こういった可愛かわいらしいデザインとはあいしようが悪いと思うけれど」

 大きな姿見の前でスカートを押さえながらクルリと回ってみせると、ミリアが断固とした口調で否定した。

「何をおっしゃいますか! ローズ様は清楚さと高貴さの中にもにおい立つようなつややかさがございますが、だからこそ少女らしさを強調した格好をなさいますと、どこかあやうげなふんに変化して得も言われぬりよくが……」

「よく分からないけれど、結局似合っていないという結論でいいのかしら?」

 部屋のすみひかえたグレディオールをかくにんするも、彼は目を合わせようとしない。

「グレディオール?」

「命令ならば、ローザリア様を傷付けると承知の上で本心をさらすかくもいたしましょう」

「よく分かったわ、もう結構よ」

 くろかみに金緑の瞳、たんせいな顔立ちなのに言い寄る女性がかいなのは、この歯にきぬ着せぬ発言にえられるつわものがいないせいだろう。

 ローザリアにあたえられた寮の一室は、主に王族が使用するためのものだった。

 本来ならばぜまな二人部屋ににゆうりようする予定だったのだが、とくしゆな事情をかんがみてきゆうきよ一人部屋ということになったらしい。

 おかげであまりのけんらんさに、寮という雰囲気からは遠い。自宅にいるのとほとんど変わらなかった。

 つうの若者らしい日々が送れると期待していたローザリアは、少しだけガッカリした。いつぱん的なれいじようの暮らしというものを、じっくり観察してみたかった気もする。

 貴族の子どもばかりが集まるこのレスティリア学園でも、『薔薇ばらひめ』は王族並みの厳重けいかい態勢を取られるらしい。

「ともかく、早くカディオ様にお会いしたいわ。落とすためにも」

おんな本音をかくす努力くらいはしてくださいませ。カディオ・グラントは王弟殿でんの護衛をしていらっしゃいますから、気軽に会うのは難しいでしょうね」

「そうね。まずは王弟殿下にごあいさつをしなくてはね。こんやくの件もあるし、そこそこいい関係を築いておきたいところだわ」

 王族の護衛はほとんど付きっきりだ。

 学生のように放課後もないし、食事きゆうけいは他のとの交代制だろう。それだって王弟殿下の授業中にひっそり終わらせるはずだ。

 同じく学生であるローザリアにできるのは、王弟殿下とお近付きになるくらい。カディオのあるじからの覚えがよければ、何かとゆうずうくだろう。

「殿下と同じクラスなら、機会もすぐにめぐってきたでしょうにね」

「問題はそこではない気もいたします。最近折り合いが悪いアレイシス様と、例の特待生の少女と同じクラスなんて、本当にだいじようでしょうか?」

「心配することなんてあるかしら? わたくしは、フォルセ様もアレイシスもほねきにしたという女性に、じゆんすいに興味があるけれど」

 こんやく者であるこうしやく家の三男、フォルセ・メレッツェンとの関係は、何も昔から冷えきっていたわけではない。彼も当初は誠実だった。

『薔薇姫』という問題をかかえるローザリアを常に尊重し、婚約者としてあつかってくれた。セルトフェル家への訪問も以前はひんぱんだった。

 ほとんど顔を見せなくなったのは、去年の春ごろからだろうか。手紙のやり取りもなくなり、どんどんえんになって。

 こいではなかったけれど家族のようなきずなを感じていたので、当時はとてもさびしさを感じた。

 アレイシスにしてもそうだ。

 一族の直系がローザリアしかいなかったために、当主となるためぼうけいから引き取られた義弟。

 ゆうしゆうさを買われたとはいえ実の両親と引き離され、幼いころかげでよく泣いていた。少しずつ年月を重ね、彼はセルトフェル家にんでいったのだ。

 昔の彼はよく、外出のできない義姉あねのために外での思い出話を色々してくれた。それこそ、本当の姉弟きようだいのように。

 アレイシスは入学当初、週に一度の休日のたびに帰省していた。ローザリアとリジクの顔を見るためなら苦にならないと言って。なのに今では、長期きゆうになっても顔すら見せない。

 その原因が彼らの口のによく上っていた特待生にあることは、ミリアの調べで分かっていた。

 彼女はふんまんやる方ないといった様子でうなれる。

「……その特待生の少女に、本当にこんはないのですか?」

 弱々しいつぶやきに、ローザリアは僅かに微笑ほほえんだ。調査をしている間も、彼女はずっと同じような表情をしていた。

「あったらすでに、それ相応の報復をしているわ。フォルセ様の心変わりは、わたくしに魅力が足りなかったからこそ起こったことだもの。だれかをうらむのはすじちがいよ」

「ローズ様は物分かりがよすぎます!」

「そうかしら? つなぎ止めようとすらしなかったのだもの。わたくしも悪いと思うわ」

 特待生の少女には、ほかにもさいしようこうけいしやと目されている者まで夢中だというのだからおどろきだ。

 一人の女性に三人の男。彼らの関係はまともに成立しているのだろうかと、むしろそちらの方が気になってしまう。

 その程度の感想しかいだけないから、やはりローザリアにも非があるのだ。

 窓の外、朝日にかがやく校舎を見つめる。

 赤レンガでできた歴史あるがいへきは古く、ところどころヘデラがしげっている。

 ずっと仕方がないとあきらめていたレスティリア学園に、本当に通えるのだ。

 これもすべて、カディオの一言があったからこそだ。情けない顔を思い出し、ローザリアはうすんだ。彼はあの出会いを覚えているだろうか。

「ミリア。人生を捨てていたのは、昨日までのわたくしです。今はやりたいことが、いくらでもあるのですから」

 東向きの窓から差し込むしに、ローザリアのシルバーブロンドが輝く。

 自信に満ちあふれたアイスブルーのひとみはきらめき、今までにない生気を放っていた。

 ミリアは感動と共に自らの主を見つめたが、宣言の意味をしやくすると再びガックリ項垂れた。

「やりたいことって、どうせしよみんのご飯が食べてみたいとかじゃないですか……」

「街で話題になっている食べ物や定番の甘味を分かりやすくまとめた資料作り、たのむわね」

 そこそこ深刻ななげきに軽口で応じていると、グレディオールが口をはさんだ。

「ローザリア様、そろそろ登校なさいませんと授業におくれます」

「あら、もうそんな時間なのね」

 グレディオールから通学かばんわたされ、エントランスに立つ。

「では、行ってくるわ」

「くれぐれも、お気を付けて」

 しんらいの置ける使用人らに見送られながら、ローザリアはゆうに歩き出した。



 整然としたいしだたみの道のりようたんには、手入れの行き届いた花々が生徒の目を楽しませるようにほこっている。

 うららかな季節をいろどるのは、さわやかにかおり立つラベンダーにアマリリス、むらさきや白のすいれんなデルフィニウム。

 ダイアンサスの小さな花に根元をかざられているのは、雪のような白が美しいマグノリアの花木。

 けれどローザリアは、咲き乱れる花よりも注目を集めていた。

 五月の半ばというちゆうはんな時期の編入生に、興味を抱くのも無理はない。視線を向けるわりに近付いて来ないのは、既に『薔薇姫』であるとうわさが立っているからかもしれない。

 こうの目をものともせずに進んでいくと、前方に目的の人物を発見した。

「ごきげんよう、王弟殿下」

 声をかけて礼をとると、すらりと背の高い青年がり返った。

 太陽のようにばゆきんぱつ、王家にのみ受けがれるんだ緑眼。はなやかさには欠けるけれど、見る者の心をおだやかにする落ち着いたぼう

 レンヴィルド・ヴァールへルム・レスティリア王弟殿下。背後にはカディオもひかえている。

 レンヴィルドはローザリアを認めると、温かみのある笑みをかべた。

「おはようございます。あなたが今日から編入されるという、ローザリア・セルトフェルこうしやくれいじようですね。話は兄上からうかがっています」

 ということは、リジクに無理を言って編入を実現させたことも聞いているのだろう。ローザリアはさらに深く頭を下げた。

「『薔薇ばらひめ』として静かにしようがいを終えるかくをしておりましたが、このたびその道を外れることを選んでしまいました。みなさまにおかれましてはごめいわくをおかけすること、はじをしのんでお許し願いたいと思っております」

 長い歴史上、数名ほどの『薔薇姫』がかくにんされているが、その全ての行動を制限してきたのは、まぎれもなく王家だ。

 幼少時にフォルセと婚約を結んだのも、王家の後押しがあったからこそ。

 ローザリアは彼らのげんそこねないよう、しんちように振るう必要があった。

 けれどレンヴィルドは、あくまで笑顔のまま首を振る。

「私はどんな理由であれ、たった一人の人間に全てを背負わせるような解決法はちがいだと思っています。あなたのゆうかんせんたくに、敬意を表します」

 ローザリアが『薔薇姫』であると承知しているにもかかわらず、王弟殿でんは公平に接した。どころか、彼は古い慣習をよく思っていないらしい。とてもじゆうなんな考えの持ち主だった。

「ありがたきお言葉にございます、王弟殿下」

「今日から私達は学友となります。どうぞ気軽に、レンヴィルドと」

「では、わたくしのことはぜひローザリアと」

 微笑みをわし、次に視線をカディオへと向ける。

 目が合うと、彼もすぐに笑顔を返してくれた。

「わたくしのことを覚えていらっしゃいますか、カディオ様?」

「はい。その節は大変お世話になりました」

 ローザリア達の親しげな会話に、レンヴィルドは目をまたたかせた。

 カディオがくわしく出会いを説明する。

 自らの護衛の失敗にしようするレンヴィルドと、頭をいてずかしそうにしているカディオ。

 彼らの信頼関係を見ていると、数ヶ月前からおくそうしつだという噂がまるきりのデマに思えてくる。

 カディオは照れくさそうな笑顔を、今度はローザリアに向けた。

「でも、よかったです。お礼をしようにも、自宅に何か送り付けたら迷惑になるだけですし、どうしようと思っていました。編入なさったならいつでも会えるので、何とかなりますね」

「まぁ、本当にお気持ちだけで十分ですのに。カディオ様はとてもな方なのですね」

「いえ、そういうわけでは。そうだ、よければ今度、俺の買い物に付き合ってくれませんか。もしローザリア様の気に入るものがあれば、俺の方からおくらせていただきます」

 思いがけない、まるでわなのようにうまい話を提案されたローザリアは、レンヴィルドもいるというのに表情を取りつくろうことも忘れてしまった。

 それでもお近付きになる絶好の機会をのがすまいと、そくうなずこうとする。その時、親しげな声が会話に割って入った。

「レンヴィルド様、カディオさん! おはようございます!」

 振り返ると、はつらつとしたふんの少女が笑顔でけ寄って来るところだった。

「おや。おはよう、ルーティエじよう

「おはようございます。今日もお元気ですね、ルーティエさん」

「はい! 元気が取りですから!」

 昇降口前で交わされるなごやかな朝のあいさつを、じやつかんかやの外に感じながら見守る。ルーティエという名前には、とても聞き覚えがあった。

 ──彼女が、例の特待生なのね。

 名前を聞かずともそうだろうと思っていた。

 貴族れいじようではあり得ない振る舞いや、なぜかそれを不快に感じさせないてんしんらんまんさ。つつましい女性としか接したことのない貴族令息達は、のきみこれにやられているのだろう。

 女性側の意見として言わせてもらえるならば、れ馴れしい態度に不快感を覚える者も多かろうといったところか。

 えんせき関係でもないかぎり、男性とは適度なきよかんで接しなければ余計な誤解を招く。特に貴族の令嬢はそういった教育を厳しく受けているのだ。

 だからこそ、さりげなくレンヴィルドのうでれるルーティエは、学園につどう少女達の非難の的になる。現に今だって複数のとげとげしい視線が送られていた。

 本人はこれに気付いていないのか、はたまた気付いた上でこの態度なのか。だとしたら、かなりの食わせ者かもしれない。

 冷静に周囲を観察しつつ、ローザリアはがおで会話に割り込み返した。

「カディオ様、そちらの方は?」

「あぁ。彼女はルーティエさんと言いまして、この学園ゆいいつの特待生です。勉学のかんきようが整っていない城下街育ちで、結構苦労をしているみたいで」

 カディオは説明中も、少女へ親しげな笑みを向けたままだ。今朝までは何とも思っていなかったルーティエに対し、急速に危機感が芽生える。

 華やかな過去の女性へんれきを考えればライバルはさぞ多かろうとんでいたが、そこそこ自家のしやくが高いためどうとでもなると思っていた。

 けれど相手が平民では、高位貴族からのさぶりなどあまり意味をなさない。

 特に、天真爛漫に見えるすべてが演技なら、下手に手を出すと逆に利用されそうだ。

 ルーティエのしようぶりにみする思いだが、ローザリアはおくびにも出さず頷いてみせた。

「そうなのですか。ルーティエ様、わたくしはローザリア・セルトフェルと申します。仲良くしていただけるとうれしいわ」

 ようやくルーティエの視線がこちらに向けられた。

 金色に赤の交じったストロベリーブロンドに、パッチリと大きいひとみは明るいすい色。

 顔立ちは可憐で、一見すると深窓の令嬢にしか見えない。けれどひと度動き出せば、教育の行き届いた令嬢との差は歴然だ。所作の一つ一つに気配りが足りない。

 なのに溌剌とした表情や仕草から目をはなさずにいられない、光のようにりよく的な少女だった。美の追求に余念がない令嬢達と比べると、あつとう的な天然の美しさがある。

 彼女は、なぜかかたい表情でローザリアをぎようしていた。

「おかしいな。あのゲーム、こんなに早く『薔薇姫』が出てくる設定だった……?」

 口中でのつぶやきは、かろうじて聞き取れる声量だった。

 ローザリアがげんに首をかしげると、ルーティエは表情を取り繕うようにほおを上気させ、胸の前で両手を合わせた。

「ごめんなさい、あんまりれいだかられちゃってました! 私、こんなに綺麗な女の子を見るのは初めてです! 今日編入したんですか?」

「ええ。分からないことばかりで、ご迷惑をおかけするかもしれないけれど」

「こちらこそ! 平民なので、不快にさせることもあるかもしれません」

 当たりさわりのない会話をしながら、やはり油断ならない女性だと断定した。

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