その2
前期テストの対策という口実で、レンヴィルドを自習に
二人きりだと問題があるため、今回は学習室の中までカディオがついてくることになっている。
王立
フォルセと初めて学習室を利用した時、この作戦を思い付いたのだった。そこそこ
前期テストの教科は全部で五
数学と古代レスティリア語、政治経済学、社会学、世界史のみ。中期や後期になるとさらに八教科増えるらしいので、確かにレンヴィルドが言うように前期テストはまだ易しいようだ。
放課後のまだ
「わたくしは社会学から始めようかしら。レンヴィルド様はいかがなさいます?」
首を
「私は政治経済学を。すぐに変化していくものだから、常に動向を
「レンヴィルド様。おそれながら政治経済学のテストには、教科書に書いてあることのみが出題されるかと。現在の政治経済を把握することは、ただのご政務と申します」
「それを言うならあなたこそ、本当に勉強をする気があるのかな?」
王弟としての公務を始めようとしているレンヴィルドに冷ややかな視線を送るも、彼は
フォルセと話し合いの場を設けたのはつい先日だというのに、婚約を破棄したいと考えていることがもう知られているのだろうか。めぼしい相手としてカディオに目を付けていることも。
そのため
体の重心がグラリと傾ぐ。
だが、
「お
「カ、カディオ様……」
従者として適度な距離を保っていたのに、いつの間に距離を詰めていたのだろう。カディオが心配そうに、背後から
金色の
背中に
「カディオ様、ありがとうございました。おかげで転ばずに済みました」
「当然のことをしたまでですから。あなたにお怪我がなくて、本当によかった」
動揺を隠して微笑むと、それ以上の笑顔が返ってきた。心からローザリアの無事を喜んでいると分かる、
「……」
彼が女性の人気を集めている理由が分かった。何というか、女性のツボを心得ている。
しかも天然でやってのけるので、
照れ隠しに一
学習室にたどり着くと、筆記具や問題集を用意し、ひとまずは
三十分ほど続けたところで、レンヴィルドがふと席を立った。
「参考にできる
付き従おうとするカディオを制し、彼は
見送りを終えるとローザリアはニッコリと
「カディオ様、よろしければ
少々
彼は、
「いえ、俺は勤務中ですので」
「少しの間休んでいても構わないという、
「ですがローザリア様もまだ、勉強を始めて間もないのでは……」
「全く問題ありませんわ」
生菓子だと勉強の合間に食べづらいので、クッキーやマカロン、バウムクーヘンなどを用意していた。残念ながら紅茶はないが、もう少し親しくなれば振る舞う機会もあるだろうか。
ローザリアが
あのクッキーは甘党のローザリアが糖分補給に食べるもので、
「カディオ様は、学生の
会話のきっかけ程度に話を振ると、彼の表情が急に
「あ、俺は……どうでしたかね。勉強は
騎士となるために
彼は何かを
「えぇと、体の効率的な
カディオの態度を
「学生の頃から騎士になるための努力をなさっていたのですね」
「体を鍛えるのは、
「分かっております。カディオ様とレンヴィルド様の固い
あえて同調しているとはいえ、それは
彼らは主従の関係であるが、時折軽口を交わすことがあった。視線の動き一つとっても強い信頼が
「殿下のことは尊敬しておりますし、感謝もしてるんです。殿下に必要とされなかったら、
彼の横顔が、
「すみません! 私語がすぎました!」
今の会話のどこに失言があったのか分からない。続きが気になるところだが、ローザリアはこれもまた
カディオの瞳の奥に、恐れに近い不安を見た気がしたからだ。
まだ、心の内をあけすけに語れるような
ローザリアは
「いいえ。カディオ様のお話は興味深いものばかりで、つい聞き入ってしまいました。お話ししていてこんなに楽しい
男性が喜びそうな言葉を、意図的に選んだ。
計算高いと
彼は
そしてゆっくりと、顔中に笑みを広げていく。少年のように、青空のように鮮やかに。
「はいっ。殿下はとても
こんな、心から自然とわき上がるような笑みを見るのは初めてだった。
彼の燃えるような
計算していた方向には全く意識してもらえなかったが、カディオの笑顔を見ているだけで何もかもどうでもよくなってくる。
じわじわと胸を満たしていく温かな感情に、いつの間にかローザリアも笑みを浮かべていた。
カディオはすぐに立ち上がり、任務へと戻っていく。
「……何を話していたのかな?」
レンヴィルドが、クッキーに手を伸ばすついでのように小声で問いかける。
彼にわざわざ報告するような会話はしていない。けれど、どこか胸が満たされているように感じるのは確かだった。
ローザリアは視線だけで笑みを返す。
「わたくしとカディオ様だけの秘密にしておきましょう。レンヴィルド様が胸やけするような事態になっては、申し訳ございませんから」
ジャムサンドクッキーをかじったレンヴィルドが珍しく顔をしかめたのは、口に広がる甘さのせいか、糖度の高いのろけのせいか。
「これは、クラクラするね……」
頭痛を堪えるようにしながら
自宅の
外界に興味を
そんなローザリアからしてみれば、名門と言われるレスティリア学園のテストだってさほど難しいものではなかった。
前期テストが終わり、翌日の朝には結果が
『一位 ローザリア・セルトフェル 五〇〇点』
全教科満点というあり得ない点数に、
そこに、護衛を
「ローザリア
「おはようございます、レンヴィルド
異様な
「カディオ様も、おはようございます」
「おはようございます、ローザリア様」
カディオの
「──なるほど。こういうことだったのだね」
順位表を眺めていたレンヴィルドが、
「おめでとう。さすがだね、ローザリア嬢」
「そうおっしゃるレンヴィルド殿下も、素晴らしい成績ではありませんか」
「私は
レンヴィルドの名前は、しっかり三学年の一位を
二人の会話を聞いて、カディオはようやく掲示板に視線を移した。一位に連なる名前を見つけて目を
「殿下もローザリア様も、首席なんて本当にすごいですね。お二人とも、
何のてらいもない賞賛に、ローザリアはほんの少し気まずい思いを抱く。あの勉強会の真の目的は、テスト対策では決してなかった。
──わたくしが
観察をしている内に気付いたことがある。
おそらくカディオは、誰もが知っていて当然の建国史を知らない。
だからこそ、ローザリアがおざなりな勉強をしていても気付かないのだろう。彼は歴史の教科書の内容を、まるで初めて見るような顔付きで眺めていたのだ。
考え込んでいると、明るい声が思考を
「おはようございます、レンヴィルド様、カディオさん! それにローザリア様も!」
ストロベリーブロンドをなびかせ
「おはよう、ルーティエ嬢」
「おはようございます、ルーティエさん。今日も元気ですね」
なぜ彼女はさりげなく、異性の体に
「おはようございます、ルーティエ様。昨日のテストの結果が貼り出されておりまして、今はその話題で持ちきりですのよ」
「あっ、本当ですね。今回は少し難しかったなぁ」
特待生であるルーティエも、順位表の上位者だ。それでも今回は順位を下げたのか、ほんの少し顔を
彼女の目が、一位のところで止まった。驚愕に染まった表情はピクリとも動かない。
ルーティエは呆然と、うわ言のように呟いた。
「──あり得ない。こんなの、初めから答えを知ってたとしか……」
「……そうだよな、やっぱりおかしいよな」
「
ルーティエの投じた
いつの間にかルーティエを始め、多くの生徒達が
助けは期待できないだろう。
レンヴィルドは王族として中立の立場を保たねばならないし、アレイシスはまだ登校すらしていない。視界の
きっと負の感情には
その背中を
疑いがあるのなら、自分で
「『
「ずっと閉じ
「さすが、『
ローザリアは
「先ほどおかしいとおっしゃったあなた。では、わたくしが何をしたとお思いですか?」
発言者に顔を向けると、相手は目に見えて
校則では学園内での身分の上下はないとされているが、それでも格上の
「では、先ほど不自然だとおっしゃったあなたは、どうお考えに?」
「わ、わたくしはそんなこと、一言も……」
「『普通に考えて、満点なんて不自然だわ』。いただいたお言葉は
名指しされた令嬢は、一気に青ざめた。
ローザリアは、
「
氷の微笑を
「レンヴィルド殿下、前期テストで行われた五教科の内、いずれかの教科書はお持ちですか?」
「あ、あぁ。今は政治経済学のものしかないが」
「では、何ページでもいいのでご指定ください」
彼はローザリアの意図が分からない様子だったが、
「それならば、一七八ページにしよう」
「かしこまりました。殿下は、指定したページをお開きくださいませ」
ローザリアは体の前で両手を組み、すう、と深く息を吸う。
ゆっくり
「……『五六二年にこの法が制定されたのは、マラナス地方での
「待ってくれローザリア
レンヴィルドからの制止がかかり、ローザリアはようやくそらんじるのをやめた。周りを見回せば、
レンヴィルドは
「えぇと。あなたはまさか……教科書の内容を、一言一句違えずに覚えているのかい? しかも、三学年のものまでも」
ローザリアは胸に手を当て、ニコリと微笑んだ。
「全学年の分ですわ、殿下。わたくし、記憶力はいいのです」
「そういう次元の話ではない気もするが……」
「ウフフ。ですから、今この場にいらっしゃる皆様のお顔とお名前は、全て
にこやかに
ページ指定をした者との共犯を疑おうにも、レンヴィルドの身分が高すぎる。これでこの
ローザリアは息の根を止めるように、とどめの
「その程度の
二度目はない。言外に圧すると、
ローザリアの
「ローザリア・セルトフェル君」
やって来たのは、数学の担当教官。手には一枚の用紙を持っている。
「君の答案について話をしたいのだが……」
教官が口を開いた途端、勝機とばかりに目を
「あの、先生。もしやカンニングの疑いでもあったのですか?」
勢い込んで聞くも、教官は
「一体何の話だ? 私は彼女と、ぜひ数学について語り合いたいだけだが」
彼が
「これは、私が作成した
どうやらただの
ルーティエが瞳を
「ごめんなさい、ローザリア様。私、あんまりにもすごいから
「いいのよ。誰にだって間違うことはあるわ」
疑いのきっかけを口にしたルーティエが
けれどやはり、ルーティエの言動は気にかかる。
まるで、悪意を先導するようだった。場を支配する
数学談義へのしつこい
悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ 浅名ゆうな/角川ビーンズ文庫 @beans
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