第1話 鳥籠を壊す音

その1

 セルトフェルこうしやく家が所有するていたくは、王都でも五指に入る立派なしきだ。

 整然とした庭と白いがいへきしようしやな建物は住まう者の性格を反映しており、かざり気は少ないながらも品のあるたたずまいだった。

 その邸宅の一室。日当たりのよい談話室に、セルトフェル侯爵家当主とそのまごむすめが、向かい合って座っていた。

 体が深くしずみ込むどういろのソファとこうたくのあるローテーブル。その上には白磁のティカップが二客と、せんさいなレース模様が美しい銀のケーキスタンド。

 ケーキスタンドには、一口サイズのマドレーヌやカップケーキが盛り付けられていた。

 フィナンシェを口に運ぶ祖父をながめ、ローザリア・セルトフェルは息をいた。

「お祖父じい様、いくら甘いものがお好きだからといって、ものには限度がありますのよ」

 三段ある内の、二段がすでに空っぽだ。

 祖父は甘いものに目がない。ていさいを気にして外で食べない分、家でのせつしゆ量はすさまじかった。

 本人は日々頭を使っているから仕方がないと言っているが、やはり体に悪い。どうせ聞かないと分かっていても、ついいさめてしまう。

し上がっても体形にえいきようはないようですが、目に見えて太らない方が危ないと聞きますわ。とつぜんたおれられでもしたら、国政にもさわりが出ます」

「安心しろ。太らないのは頭脳労働をしているからだ」

「またそれですか。──西方の国には、フォアグラというちんがあるそうですわね。何でも、肥え太らせた鳥のかんぞうだとか。もしやお祖父様は、どんなお味なのか身をもって教えてくださるつもりなのかしら?」

 リジク・セルトフェルは、たんに顔色を悪くした。

「……ローズ、お前は本当に底意地が悪いな」

「あら。こんなにもお祖父様を心配する、可愛かわいい孫を捕まえて。たった一人の肉親ですもの。お祖父様には長生きしてほしいわ」

「そうは言ってもな、俺がお前より先に死ぬことは変えられない」

 リジクはどっかりソファにもたれると、自棄やけになったように紅茶をあおった。

 聞く耳を持たない祖父にため息をつきながら、ローザリアもブルーベリーのジャムをはさんだクッキーに手をばした。

さびしいことをおっしゃらないでください。お祖父様以外にわたくしの家族と言えるのは、とうとうこの家の使用人だけになってしまいましたのよ」

「アレイシスは義弟おとうとだろうが。それにいずれ、お前はフォルセにとつぐ」

「あの子は最近めっきり態度が悪くなりましたし、こんやく者様にも愛などないようですわよ。最近は別の女性に夢中になっているようですし」

 ローザリアのカップが空くと、専属じよのミリアがすかさずポットを手に取った。

「というわけで親愛なるお祖父様。わたくし、こいをしてしまいました」

 とつぱつ的な重大発表に、若くして有能なミリアが珍しく紅茶をこぼした。

「も、申し訳ございませんだんさま、おじようさま! お召し物にかかっていらっしゃいませんか!?」

だいじようよミリア。あなたのせいじゃないわ」

 かべぎわひかえていた従者のグレディオールがばやく手伝ったことで、すぐにしゆうしゆうがつく。けれどその間も、リジクはみような体勢でこうちよくしたままだった。

「お祖父様、体力をしようもうする一発芸は、あまりすいしよういたしませんわ」

「芸のつもりはないし、これでかせげるとも思えない。それよりローザリア、今何と?」

 ようやくかなしばりの解けたリジクが問い返すと、ローザリアは花のようなみをかべた。

「ですからわたくし恋をいたしましたので、すぐにもフォルセ様との婚約をしたく思います。説得のため、学園に通うご許可をと」

じようだんも休み休み言いなさい。というか先ほどの発言に加えて、要求がずいぶん増えていないか?」

 打ち返された答えは取りつく島もない。それでもローザリアのてつぺきの笑みにはひびかなかった。

「いちいち静止されても不安ですので、一息にすべてを言わせていただきました」

「俺の体が心配で、ではなく話が進まなくて、という本音がけて見えるのだが」

「気のせいでございましょう。いまだ政治の最前線でかつやくするお祖父様におかれましては、とうとうもうろくしてしまったのでしょうか」

「年寄りあつかいするな。俺はまだまだげんえきだ」

 祖父とはいえリジクはまだ五十代前半で、見た目もかなり若々しい。

 白髪しらがのないシルバーブロンド、灰色を帯びた青のひとみこうおおかみのようで、ローザリアと並べば親子にしか見えなかった。

「俺とて、お前を自由にしてやりたいのは山々だがな。とりあえず、言い分を聞こうではないか。フォルセが意中の女性を追い回していることは以前から知っていたはずなのに、なぜ今さらそのようなことを言い出した?」

「お祖父様こそ、それを知っていらしたくせに孫娘を嫁がせようなどと。随分人が悪いですこと」

 皮肉を言いつつ、リジクにもどうすることもできないことは分かっていた。

 幼少期に結ばれた婚約には王家がかいにゆうしているため、両者の合意だけでは破棄できない。王族のめんを考えると、政治のちゆうすうになう祖父とて安易に口は出せないだろう。

 ローザリアはカディオ・グラントとの出会いを、きやくしよくを織り交ぜつつ話した。彼のこうていによって勇気を得たことは特に強調して。

「わたくしとカディオ様の恋、お祖父様もおうえんしてくださいますわよね?」

 祖父に視線を向けると、苦々しげな顔でたんそくされる。

「やめておけ。カディオ・グラントと言えば、社交界でも有名な遊び人だぞ」

「彼の身元については、わたくしの方でも調べております。カディオ・グラント、二十五歳。新興貴族であるグラントだんしやく家のご長男。ご実家は弟君がぐことになっており、本人は十五歳で団に入団。花形である近衛騎士団に勤め、現在は学園にて王弟殿でんの護衛の任にいております。実力は確かでもくしゆうれいですが、女性とのうわさには事欠かないとか」

「うむ、れる要素が全くないな」

「けれど数ヶ月前から、なぜか女遊びが絶えているそうですわ。まるで人が変わったようにになったともつぱらの噂で」

 おくそうしつとかさとりを開いたとか、下半身にのろいをかけられたとか様々なおくそくが飛びっているようだが、夜遊びについて身に覚えがないというなげきは本心であるような気がした。

 カディオに対するかんはともかく、彼はちがいなくローザリアにとって恩人だ。あの出会いがなければ自由に生きたいと願うことすら、この先もあきらめ続けていただろう。

 外に出たらやりたいことはたくさんある。

 書物の中でしか見たことのないもの、聞いたことのないものに直接れることができるのだ。胸には希望が満ちていた。

「出血への対策ならば、グレディオールがいれば十分でしょう。──お祖父様。わたくし、籠の鳥は卒業いたします。どうか学園に入学するご許可を」

 ローザリアは、大輪の薔薇ばらのごとく微笑ほほえむ。

 リジクは小さく嘆息した。こうなったローザリアは決して自分を曲げないと分かっているし、何より祖父として願いをかなえてやりたかった。

『外に出たい』。この小さな我がままを、十六年間まんし続けた、かしこくも不器用なまごむすめのために。

 めいもくしたのはいつしゆんだった。

「問題を起こした時は、分かっているのだろうな?」

「あらお祖父様、わたくしをおどすおつもりですか? そんなことをおっしゃったら悲しみのあまり、ついうっかり国をほろぼしてしまうかもしれませんわ」

「……お前こそ、身内を脅し返すんじゃない」

 ついうっかりなんて、冗談にしてもたちが悪い。

 あくまで笑顔の孫娘に、リジクは早々に白旗を上げた。



 私室にもどるなり、ミリアは性急に口を開いた。

「あの、ローズ様。恋とは一体何ごとなのでしょうか? 正直全く理解が追い付いておりません。そのようなお考えであったなら、なぜ事前に相談してくださらなかったのですか?」

 くりいろかみをまとめたしっかり者の侍女は、少しねたようなおもちだった。

「何って、運命の出会いをしてしまったからよ?」

「もうっ、はぐらかさずに説明してください!」

 ミリアは使用人のみになると、こうしてくだけた口調で話す。幼少のころから家族のように育った彼女は、ローザリアにとって姉のような存在だった。

「なぜカディオ・グラントを調べるよう命じられた時、教えてくださらなかったのですか! てっきり政敵やはいじよすべき相手と思っておりましたのに」

「ミリアったら、人聞きが悪い。わたくしが他人をとしてばかりのように聞こえるわ」

「実際今まであれこれお命じになってきたのは、ローズ様ではありませんか」

 他家の侍女へも通じているミリアのじようほうもうは、かなり広かった。

 どんなにかんこうれいいたとしても、人の口に戸は立てられない。厳重に守りたい秘密であるほどかくし事は不可能なものだ。

 セルトフェルの使用人らしくある程度の体術は身に付けているものの、彼女のしゆわんが最も生きるのは情報戦だった。あらゆる情報をしようあくして利用する彼女の右に出る者はいない。

 とはいえ、ただのむすめだったミリアが人脈を使して情報をあやつれるようになったのは、ひとえに主人のちやぶりにこたえるためなのだが。

「カディオ様に恩義を感じているのは本当よ。あの方の言葉に、不思議と背中を押されたの。けれど本当に恋をしていたなら、こんな利用するようなはできないでしょうね。ただの理由付けであることは、お祖父じい様だって気付いておられるでしょうけれど」

「理由付け、ですか?」

『薔薇ひめ』は、こうしやくていしきを出ることが許されない。

 自由になるには、その古くから続く慣習を破る理由が必要だった。

 目的のためならば、ローザリアはどんなものでも手段として利用できる。おさなみのような相手とのこんやくも、自らのこいごころいつわることさえも。

「わたくしを編入させざるを得ない、というていさいが必要だったのよ。形式だけのことだけれど、社会的地位があるお祖父様には大切な過程だわ。恋して暴走する孫娘に、脅されて仕方なく許可を出した、というね」

 そこまでして自由を望むのは、悪いことだと思っていた。自分の都合しか考えないのは、ごうまんで利己的だと。

 ──今までは、全てを諦めていたけれど……。

 心を殺して生きるのはもうやめた。

「どうしたって、新たな婚約者は必要になるわ。カディオ様ならば、二十五歳という若さで王弟殿下の護衛をなさっているという点だけでも十分有望でしょう? うそまことにしてしまうのも、一つの策だと思うの」

 侯爵家と男爵家ではり合いが取れていないが、どうせ『薔薇姫』の夫になりたい者などいないのだから問題はないだろう。

 それでもミリアはなつとくがいかないようで、表情を少しもゆるめない。けんに寄ったきようこくのようなシワが、不満をはっきりとうつたえている。

「……まさか、ほかに男性を知らないから手近なところで、なんて理由じゃありませんよね?」

「何より、『薔薇姫』を知らない点にも興味があるわ」

「手近で選んだことは否定しないのですね……」

『薔薇姫』が意味するところは貴族ならばあんもくりようかいだし、平民だとしても騎士になった時点で上司から聞かされるはずなのだ。男爵家出身の彼が知らなかったことに、どうしても違和感がある。

 けれどぐうな主人を見守り続けてきたじよにとって、そんなことはどうでもいいらしい。

「ローズ様はまず、カディオ・グラントの女遊びが激しい点を気にしてください! 相手はどうしようもないほうとうむすですよ。むしろ条件で言えば、カディオ・グラントの方が悪いのではないでしょうか? フォルセ様との愛のないけつこんもどうかと思いますが、みすみすそれ以上の不幸を背負う道を選ばれるなんてどうかしてます。あぁ、嘆かわしい。ローズ様が『薔薇姫』でさえなければ、もっと広い世界を知り、真っ当な男性を選ぶ目も養われたでしょうに……」

「それは、カディオ様にもフォルセ様にも失礼な発言ではなくて?」

 くちしいとばかりかぶりる侍女に、ローザリアはおっとりと首をかしげた。ひように、祖父ゆずりのシルバーブロンドがかたからすべり落ちていく。

 き父から受け継いだアイスブルーのひとみでグレディオールをうかがうが、彼は我関せずとちんもくを守っていた。同じ男として、口を出さないのはけんめいせんたくなのだろう。

 それにミリアの嘆きは、ローザリアを心から案じるゆえのもの。

 こうして時々愛情が暴走してしまうこともあるけれど、彼女のやさしさにはこれまで何度救われてきたか知れない。

 ──とはいえ、今回ばかりはお祖父様同様、納得してもらわないと話が進まないわね。

 納得というよりリジクは諦めただけなのだが、細かいことは気にしない。

「あぁ。なぜローズ様が、下半身で生きているようなばんな男を……! いっそ出会ったこと自体が間違いなのですわ! 巻き戻せるものなら時間を巻き戻したい!」

「ならばわたくしは、そのちがいにすら感謝いたしましょう」

 ローザリアは、しようどう的に不満をぶちまけるミリアの手を取った。

「カディオ様は、だれよりもわたくしを解き放つ言葉をくださったの。遊び人という一面があの方のすべてではないと、わたくしは確信しているわ」

「ですが、」

「もう決めたことよ、ミリア。恩ある方を利用する形になってしまうことは不本意だけれど、自由を手に入れるためなら手段は選ばない。はじも外聞もなく、全てをなげうってでも──カディオ・グラントを必ず手に入れる」

「ローズ様……」

 りんと微笑むと、彼女はくしゃくしゃに顔をゆがめた。

「~もうっ! あなたは昔から、一人で何でも背負い込んでしまうのですから! 私達は決しておそばはなれませんので、どうかたよってくださいね!」

 結局ミリアは、妹のように大切にしている主人の気持ちを優先することにしたらしい。

「もちろんしんらいしているわ、ミリア。グレディオール、あなたも」

 視線をると、もくなグレディオールはただうやうやしく頭を下げる。変わらぬいんぎんな態度に、ローザリアとミリアはしようした。

 なおこの時点では、カディオ本人の意向が全くこうりよされていないことに、グレディオール以外誰も気付いていない。

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