悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ

浅名ゆうな/角川ビーンズ文庫

世界が始まるプロローグ

 ローザリアはとある事情から、外の世界をほとんど知らずに育った。

 セルトフェルこうしやく家は国でも指折りの貴族家で、ていたくも広大なしきほこっている。

 けれどそこから一歩も出られないのであれば、それはローザリアにとって箱庭と大差ない。それでも、ただ運命を受け入れて生きてきた。

 生を受けて十六年。昔からけんめいだった彼女は、手に入らないものの多さを早い内に理解していたため、何かを望むことなどなかった。

 十四歳から成人までの四年間を過ごす、貴族のていのための学園に通えずとも。王族に始まりしやく家、だんしやく家、すべての子息息女が当たり前にざいせきし、たがいに交流を温めているとしても。家庭教師を自宅に招いて学ぶことに、不満などらさなかった。

 父母は早くにくしており、家族は侯爵である祖父と、彼がこうけいを任せるためにえんせきから連れてきたゆうしゆう義弟おとうとだけ。

 邸宅の規模からすると少なすぎるが、有能な使用人達。そして時折顔を出してくれる、幼少より定められたこんやく者。ローザリアのせまい世界では彼らが全てだった。


 ──その日、お気に入りの温室に向かっているちゆう、見慣れぬを発見するまでは。


 レスティリア王国の守護神とも呼ばれる騎士の中で、くつの強さを誇るこの騎士団。

 存在は知っていたけれど、実際目にするのは初めてだった。近衛だけに許される緑の制服に身を包んだ騎士ははだが浅黒く、しなやかな筋肉を全身にまとわせている。

 まるで戦神のような風格だというのに、どこか所在なさそうなぜいが不思議だった。そもそも、なぜセルトフェル家の敷地内にいるのだろう。もしや、侯爵邸と気付いていないのか。

 落ち着きなくさ迷う足取りがあまりにあわれをさそうので、ローザリアは声をかけることにした。

「もし、そこの方」

「あぁ、ようやくまともに人と行き合えた……!」

 青年は、子どものようにキラキラしたまなしでり向いた。

 正規の客人である可能性も考え振るいに気を付けてみたのだが、ついけいかいしんゆるむ。ローザリアはしようしながら歩み寄った。

「失礼ですが、どなたでいらっしゃいますか?」

「あの、俺はカディオ・グラントと言います。その、えぇと……」

「わたくしは、ローザリア・セルトフェルと申します。ところで、我が家に何かご用事が?」

「我が家……って、えぇ!? ここが、家!? すいません、公園だと思ってました!」

 青年が目に見えて狼狽うろたえるので、安心させるようにみを深める。

「このような場所に迷い込まれる方、初めてお会いしましたわ」

「大変申し訳ありません。あの、ちょっとげるために無断でしんにゆうしてしまいましたが、決してしん者ではないんです。出口さえ教えていただければ、勝手に出ていきますので」

「追われていらっしゃいますの?」

「まぁ、相手は知り合いなんですけど」

 くわしく聞いてみると、知り合いというのは近衛騎士団の団長だという。

「夜遊びできないくらいしごいてやるとか言われても、全然身に覚えなんてないですし。本当に、何でこんなことになってるのか……」

 何やら落ち込んでいるが、カディオ・グラントは確かにはなやかな容姿の青年だ。

 あざやかな赤いかみと、黄金のようにきらめく意志の強そうなひとみ。高いりようと形のいいうすくちびるかつしよくなめらかな肌。

 すらりと均整のとれたたいには厚みがあり、鎧を着ていても引きまっているのがよく分かる。どこにいても貴婦人の視線を集めるだろう容姿は、それだけで武器となるはずだ。案外楽しく遊び歩いているのではないか。

 女性の敵。という感情よりも先に、みにくしつ心がうずいた。

 おのれぐうなげいてもどうにもならないことは分かっている。

 豊かな暮らしができているのだから、それで満足しなければと。けれど自由のない生活をいられているローザリアにとって、人生をおうする様はあまりにまぶしく思えた。

「──よろしければ、わたくしに出口までの案内をさせてくださいませ。いくらお強い騎士様であっても、我が家の使用人達をこの先もけ続けられるとは思えませんもの」

 にこやかに接しながらも、心はれいたんだった。ローザリアは返事を聞かずに歩き出す。

 背後で躊躇ためらう気配が伝わってきたが、やがてカディオも大人しく従った。

「そうですね。何人かと行き合いかけましたが、とてもただの使用人とは思えない動きだったのでつい避けてしまいました。騎士団からの追手にひつてきするか、もしかしたらそれ以上の」

 セルトフェルていの使用人達は、厳しいせんとう訓練を受けている。このままいけば、彼はちがいなくだれかにばくされていただろう。

「彼らは少数せいえいですから」

「あれは精鋭、という言葉で片付けていいものなのか……。いや、とにかくごめいわくをおかけするのは心苦しいですが、よろしくお願いします」

 に頭を下げられ、おうよううなずき返す。

 戦闘にけた使用人が多いのは、ひとえにローザリアがねらわれやすいためだ。

 本当にしんらいの置ける出自やひとがらでなければ、面接の段階ではじかれる。名のある人物のしようかい状すらよう基準にはならないため、セルトフェル家で働くのは王城に仕えるより難しいとささやかれていた。

 そのように敷地内での安全が約束されているからこそ、ローザリアも自由に出歩くことが許されているのだ。

 ただの迷子とはいえ、使用人にはいじよされずここまでたどり着いた実力はきようたんあたいする。

 彼はとなりに並ぶと、人好きのする笑みをかべた。

「何かお礼がしたいのですが、俺はレスティリア学園内での任にいているので、なかなか自由に歩き回る機会がなくて。よろしければ、最近王都で流行はやっているや小物があれば、教えていただけませんか? あの、できればそれほど高価なものでなければ助かります」

「まぁ……」

 彼には警戒心というものは存在しないのか。先ほどから動くたび発言するたび、ポロポロと個人情報を漏らしていた。

 まず、王城勤務の騎士が学園内にいるということは、王族の護衛をしているのだろうと簡単に想像できる。確か王弟殿でんが今年十六歳になると聞いていた。

 そして王弟殿下の護衛を任されるのは、騎士団の中でも屈指のつわもののみ。

 使用人につかまらなかった時点でかなりの強さだろうと理解していたが、実力だけでなく王族からの信頼も厚いということだ。

 これだけ利用価値をサラリとばくしてしまう警戒心のなさで、彼の日常生活に支障はないのだろうか。他人ひとごととはいえ心配になった。

「ありがとうございます。ですが、お気持ちだけで結構ですわ。おずかしながらわたくしも、街のことはよく知りませんので」

 さりげなく自身の事情も付け加えてみると、彼は思った通り首をかしげた。

「えぇと。やはり貴族のごれいじようともなれば、お家の方が厳しいんですかね? 心配しようで遊びに行かせてもらえないとか」

「そうですわね、貴族の令嬢がそういった教えを受けるのは当然と言えます。ですが、け道はいくらでもあるのですよ? どなたでもいききは必要ですから、街に下りたことがないというご令嬢はめずらしいでしょう。わたくしの場合、事情が少々とくしゆなのです」

 言えるはんで説明すると、カディオはますますげんそうな顔になって首をかたむける。

「事情……自由に行動できない事情、ですか?」

「フフ。わたくしは、『薔薇ばらひめ』ですから」

 さらなるべつしようとして『ごくあく令嬢』というものもあるが、自主的に名乗る必要はないだろう。『薔薇姫』であることさえ明かせば、悪気なくローザリアを傷付けていることに気付くはずだ。

『薔薇姫』。現在、ローザリアのみに使われるしよう

 けれどそれがかがやかしいものでないことは、貴族ならば当然知っているはずだった。


 彼は果たして、どんな反応をするだろう。

 はっきりけんに顔をゆがめるだろうか。あい笑いを張り付けたまま、にじり去って行くだろうか。

 カディオの反応は、思いえがいていたどれともちがった。彼はてんがいったと言わんばかりに、くつたくのない笑みを浮かべたのだ。

「薔薇姫……。なるほど。確かにあなたは、薔薇のようにれいですね」

 思いがけない切り返しにめんらったローザリアは、目を丸くさせた。

 裏表のない表情を見れば心からの言葉だと、考えなくても分かる。王城仕えの騎士ならば、知識として聞いているだろうと思ったのだが。

 カディオはさらに、子どものように無邪気に首を傾げた。

「ん? だとすると、何でまんする必要があるんでしょう? 自分の人生なんだから、好きに生きればいいと思いますけど」

「────」

 何のてらいもなく投げかけられた問い。

 彼はおそらく、何の事情も知らないから無責任なことが言えるのだろう。

 けれど、ローザリアの自由を認めてくれたのも、今まで彼しかいなかったのは事実で。

 いつの間にか立ち止まっていた。

 心臓が初めて、音を立てて動き出した気がした。うるさいくらいねて、まるで体を飛び出そうとしているよう。

 身体からだ中をうねるようにめぐる血潮。こうようした気分に指先までじんと痺れ、目の前の景色が鮮やかにえられていく。

 胸がひどく熱い。


 ……それは、人形のように心を殺して生きてきた少女の、劇的な変化だった。

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