テスト・テスト・テスト250

 そんな、「かのお方々がお待ち」言われても……


 一族の集まりから数日。


 保護するヴァラシスイが満足するほどの夕餉ののち、迎えに来た木ノ本某の車に乗りたくない一徹は、ズイズズイと顔近づけ連呼された「かのお方がお待ち」に耐えきれず、夜の外出相なった。


―酒の匂いが強すぎる。なんたる不敬か―


―いや何たる無礼だよ。突然押しかけ車で連れ出したアンタのことを言ってるんだ。分かる木之本さん?―


 木之本某からは嫌われているらしい一徹だが、今回ばかりは遠慮せずに毒づく。

 運転手とは別の助手席に座る木ノ本某は黙り込む。


―……美しいのぅ……―


 夜の首都高を走る車両の後部座席から、流れる景色にヴァラシスィは惚けたように溜息を溢す。


―のぅ一徹。滅びをどう考える?―


―なんだいきなり―


―数多の戦。滅び。そうして再構築の果てに、この景色が生まれたのじゃろ?―


―は?―


―既存の世界を変えることに、抵抗する勢力もおったじゃろう。じゃが、もっと美しい世界に変えるため、一旦滅ぼす必要があるとしたなら? そのためには、そういった抵抗勢力に犠牲を強いることも必要じゃったんかの?―


―コイツ、まーた変な映画に影響受けてやがるな?―


 赤だ緑だ黄色だ。

 首都高高架路から眺める港湾部、ウォーターフロントのタワマンやビジネスビルが発するとりどりの光はイルミネーションの様。

 幻想的な夜景に目移りしたヴァラシスィは何かを感じたのだ。


―綺麗だな?―


―言葉もない―


―お前の論理に則りゃ、『もっと良くなるから、お前が今目を奪われた光景全てが滅び、灰塵と化すのも仕方ない』ってこった―


―あっ―


―破壊と再生ね。再生があればいいね。でないとこの光景はただ崩れ落ち、寂しさしか感じられない廃墟と化して終わる―


 一徹は、笑みにも言葉にも皮肉をふんだんに混ぜ込む。


―お前の目に映る極彩色は色褪せ、白か黒か灰色に満ちた時の止まったような世界になる。そんな場所、誰も寄り付かなくなる―


 図星と言うか、理解出来た突っ込み。


―それが破壊の真実じゃない? 再生されたって美化されるもんでもねぇ。だって評価するのはずっと後の時代の奴さ。破壊の犠牲となった奴は、約束されない、いつかの再生に「はいそうですか」って言えるもんじゃない―


 驚いた顔で一徹を見やったヴァラシスィは、


―主は、優しくないのじゃ―


―そか?―


―ロマンもない―


―そーだな―


 たちまち嫌そうな顔を作った。


―だから弁を尽くすもんだと信じたい。強いる者から、強いられる者に。犠牲にさせるからには、破壊したあとのより美しい展望と未来を、強いられる者が納得するまで説明する。それは強いる者の義務だよ―


―それでも和解出来ず、落し所がなければ?―


―うん?―


―争いになるのか?―


 今度は一徹が狐につままれた顔になった。ヴァラシスィがどんな意図で聞くのかも掴みかねた。


―そう……なるんだろうよ。今度は権利の話さ。誰しも思惑があって、誰もが己が唯一にして絶対の主。それぞれ自我があって、譲れない一線がある。どうにも出来ないからやがて力に頼る。相手に無理を強い、都合の良い状況に動かそうとする―


―争うことも権利か―


―互いに、己の利と正当性を主張するからには。ま、それは義務を果たすことで自由意志を許され、主張が権利として与えられたこの国だけの概念かもしれないが―

 

―ふぅん―


 とはいえ、なんとか考えを絞り出す一徹。先ほど視線向けてきたヴァラシスィはまた景色を眺めるから、後頭部しか見えない。

 ヴァラシスィの浮かべる顔は気になるところ。


―妾は映画が大好きじゃ。ゲームもアニメも。でも創作物の中で、戦争ものは嫌い。生々し過ぎる描写が嫌―


―質問の原因か―


―美しく完璧な、この魔法の様な世界でさえ、戦争の呪いからは抜け出せんようじゃ。ならば少しでも理由が、言い訳が欲しかったのじゃ。より美しく完璧なものに変じて行くためにも、戦争は致し方のない通過儀礼なのだと―


―俺の答えが気に入らない?―


―わかっておる。美化して見ようとすることで、妾は言い様もない醜い現実を直視したくないズルい存在。じゃが明らかに妾の世界より優れ、発展し、賢きこの世界ですら争いが止められぬなら、妾の世界の衝突についても諦めたくなろうが―


―なるほどね―


―主は大人じゃ。淡白な奴じゃ―


 ヴァラシスィはソレっきり。


「素戔嗚尊の封印が解かれてからコッチの世界に弾き飛ばされたヴァラシスィ様。見たこと無いこの世界に浮足立ち、二次元三次元作品に没頭し、現実逃避し続けていると思ってましたが……」


「現実逃避とは即ち、気を抜けば常に眼の前に逃れたい現実がチラつく……ということ。なんにもないよう装って、常に私達の世界で勃発した《白と黒の大戦》が気になっていらした」


「あくまで俺らの世界であって、俺らのことじゃねぇ。個人に注目し食指が動くことは滅多にねぇ。だって神だもん」


「まだこのときは神では無い。どこでどのように、飛神したかは気になるところだね」


 言うだけ言われてしまった一徹。参った様に息を吐き、椅子からずり落ちそうに姿勢を崩す。



――本日、臨時点検。展望中止。


 一徹はなんとなしに申し訳なさを覚える。

 立て書きに書いてある案内を前にブーブー鳴くブタさん(失礼)、もとい来場客の眼の前で、ヴァラシスィの手を引き展望フロアまでのエレベーターに乗ったからだった。


―わ、妾は昇りとうないっ―


―ガキと猿は高いとこが好きっていうだろ? 可愛げ出しとけって―


―天をも突き聳え立つ。神の御業で建てられた塔なんじゃろ? 上階にはこの世界の神が鎮座しとるじゃろ?―


―安心しな。んなプロジェクトは太古の昔に頓挫した。神の頂き目指し塔建てようとした人間は、神の怒りに触れ伝達ツールの言葉を幾つも分けられた。関西弁、東北弁、関東弁。訛りや方言があっても桐桜華皇国語一つで建てられたこのビルの高さ程度じゃ、神の歯牙にも掛かんなかった―


「ば、バビロンの塔伝説。武蔵天剣タワーに、そんな考えが用いられると思わなかった」


 高速エレベーターに乗るヴァラシスィ。ガクブルで一徹にしがみつく光景に、苦笑いを浮かべたのが魅卯だった。


 ポーンとの到着のチャイム。

 今、魅卯が浮かべたのと同じ表情を、開閉ドアが開いた途端一徹は浮かべた。


―やぁ、急な呼び出しスマなかった山本君。木ノ本、案内ご苦労―


 「かのお方々がお待ち」とは聞いていた。

 初手、挨拶してきたのが國賭名のこの国の第二皇子であることは予想していた。

 ただ流石に……


―初めまして。そしてスミマセン。なかなか、体調が優れるときが少なくて―


 想定しない人影。國賭の握る手押し椅子に座る人物の登場には……

 一徹はエレベーター降りるなり、すぐさまひっつくヴァラシスィを押しのける。


 床に跪き、両手をつく。当たり前のように降頭した。


―皇太子殿下……―


 次の皇を約された相手を前にしては、意表を突かれたと言っていい。


 皇。皇后とは面識がある。

 國賭は畏ばらなくてよいと聞いた。

 皇太子相手には、やっぱり礼を見せたかった。


―頭をあげ給え山本君。兄が驚いてしまう―


 國賭の言葉に、一徹は少しだけ顔を上げる。

 皇太子の全貌を見ないよう、視界は顎先を辛うじておさめるくらい。

 やがてコクンと顎が頷いた動きを見せるから、ゆっくり顔を一徹は挙げた。


「致し方ないこととはいえ面白くないね。皇。皇后。皇太子。そして第二皇子。幾らこの国の皇族とは言え、私の一徹がこう何度も頭を下げては」


「私達の一徹様ですが」


「ま、これまで立場ある相手を前に礼は見せても、ここまで畏まり慄くことはなかったからな」


「そ、そんなことを言ったら、アーバンクルス王子殿下を前にしたトリスクトさんのことも、山本さんは面白くなかったんじゃないかな」


「ぐっ。私達に並び立って良いと認めた途端、君も言うようになったじゃないか魅卯少女。それはつまり、久我舘隆蓮を前にした君の体たら……」


「情けないですねぇトリスクト様。同じレベルで物事を語るなど。案外月城生徒会長と仲が良いんじゃ無いですか?」


「うっ」

 

 記憶を眺める者達が言い合う余所に、皇太子を見つめた一徹の目尻は下がり、下唇を噛んだ。


―私の事が気になりますか?―


―あまりニュースでお顔を拝見することもありませんでした。その、御身は……―


―生まれつき強い方ではなくて。20代中盤までは騙し騙しやってきましたが……まぁ、いいんです。娘は残せた。私が今生に成し遂げるべきはなせたのだから―


―そ、そのように仰っしゃられては……―


 華奢というより、肉がかなり痩けた様な細さ。

 表情には気迫が抜けてて、車椅子に座っていると言うより、尻を軸に身体全体を預けているような。


「……皇室は、このすぐあとに四季皇女殿下を皇位継承権第一に迎えた」


「この皇太子が登極を迎えずにだね?」


 魅卯が呟き、ルーリィが反応する。

 そういうこと。


 皇太子は、もう間もなく潰える。命の話だ。

 

―貴方なら、この話を知っても大丈夫。私の直感がそうさせます―


 言われ、一徹は焦ったように皇太子と國賭を交互に見やる。

 國賭は苦しそうで、皇太子の方は力ない笑顔で掌を「気にするな」とはためかせた。

 

―此度は、なぜ私めを?―


―純然たる興味ゆえでは行けませんでしたかね。立ち話もなんです。折角だから景色を見ながらお話しましょう―


 皇太子は頷く。

 返すように頷いた國賭は車椅子を押した。


 なお神の気配は感じなかったようで、ヴァラシスィはワッと飛び出すと展望台窓に向かって走り出し、手近な手すりに齧りついた。


―この塔は?―


―登るのは初めてです―


―なら丁度いい。実は私もなんです―


 皇家の側がどう思っているかは不明だが、一般人に違いない一徹からして皇家からのフランクな態度は暴力である。 


―うーん。凄いな。壮大だ。これを見てしまうと、この星は確かに球体であると頷けますね―


 ただでさえ普通は話しかけてはならない病ん事無き方々が、わざわざ気軽に接しようとしてくれる。 


―さようで。ハッハハハ……―

 

 なら同じくフランクに返すべきか。それでも礼を尽くすべきなのか。

 考えさせられる時点で、もはやストレスには違いない。


 333メルトルの桐京タワーを遥かに凌ぎ、名に武蔵冠する高さ634メルトルの塔。

 流石に展望台はその高さにないが、それでも2つ備わる展望台の上階は、桐京タワーの全高に勝る。

 より遠くを、より高きから見渡せる。

 となると、何処か眼下の景色は、より遠く見渡せる範囲まで手中に収めた気分にさせた。


 建物や障害が視界角度的に問題にならないから、見えるギリギリが地平線の認識と同等だった。

 水平線と同じ、「平」とは付くものの、視界の左端から右端まで僅かに楕円に湾曲しているのが見て取れた。


―桐京タワーも素晴らしいけれど、どこを切り取っても都会の風景でしかない。それはそれで国の隆盛度合いを主張しているようで面白いんだが―


―やはり彩玉、千覇など、桐京から離れるに連れ、夜景の光が失われますね―


―賑やかさは静まっていく。そう思ったら風情がありませんか?―


―雅な受取られかたかと―


―……可能な限り、この国の行く末を見ていたかった。だが、どうやらそれは私ではないんだろう?―


―なっ―


―兄さん、病は気からとの言葉もある。気持ちが折れたら、蝕みは一層早くなるぞ―


 皇太子の不意なる弱音に一徹は唾飲み込む傍ら、國賭がフォローを入れた。


―だがそれならそれで、國賭なり、娘なり、私の後に見守ることになるだろう者達が心配です―


―国を見届けること以上に、見守る責と負担が重いので?―


―皮肉ですよね。使命の重さ、事の重大さを知る私が役に立たない。一方で体力も気力も十分な後進たちがどこまで理解しているか、疑問が残るところです―


 皇太子は時間をかけて顔を上げる。車椅子のハンドルを押す國賭に「いいよ」と言うと、そのまま目だけ一徹に向けた。


―押して頂けますか? 二人で話しましょう―


 言われた側の一徹は、チラリと國賭を見ようとしたがやめる。「ハッ」と、承服かただ短く息を吐いたか。ついでハンドルを握った。


―最近の弟は過保護でねぇ。何をするにも目を離してくれないので少し気が引けるんですよ―


―恐れながら兄弟とはそのようなものでしょう。状況にも寄るでしょうが、兄が弟を、弟が兄を心配する。生涯関係の悪い兄弟もいる中では、好ましくはあれ、悪いものでもないのでは?―


―ご兄弟が?―


―兄が一人―


―そうですか。まぁ、時代が時代なら、兄弟で皇太子の座を争って害し合う世代もあったとは聞くから、恵まれてはいるんでしょうね―


 皇太子が座る車椅子を押す。

 教習で初めて車を運転することになったおっかなびっくりを一徹は思い出した。


―私はね……もう間もなく閉じる―


―ッ!?―


―だから残り僅かを片時も無駄にしないよう、國賭は私といる時、噛み締めるように過ごしています―


―終の美学。終わりゆくものに感じる儚さを大事にするのだと。以前ご一緒させて頂いた時に伺いました。その……皇太子殿下のことだとは……―


「破壊力は抜群かよ」


「そもそも皇一族に生涯通して一度でもお会いするほうが少ない。一徹様はあまつさえ言葉までかわすのですから」

 

「普通、初対面の相手にこんな話はしない。ううん。もう自分に時間が無いのはわかっていた。だから余計に時間をかけて人間関係を構築する間も惜しい」


「あり得るはずのない、皇族からの呼び出し。本題に入りたいのか」

 

―終わりを惜しむのは、終わらないものの特権ですよ。終わりゆく者から見れば、永らえることの方がずっとずっと意義がある。特に悠久の時の中、連綿とヒトが生まれ、死にゆきながらなんとか紡いできた物は―


―話が……読めません―


―この世界には、やがて激動が訪れる。正しくはこの世界にも……というのが正しいのか。貴方の世界もそうなのでしょう?―


 一徹は、2つの意味で固まってしまう。

 恐らく、皇太子はこの世界以外にも様々な世界が広がっていることを知っている。今指し示したのは異世界に違いない。

 だが、「貴方の世界」と言った。一徹の世界は、この世界であるべきなのだ。


―境界にて外圧を感じます。やがて歪み、ひずみ、ヒビは生じて剥がれ……虚が生じるでしょう―


―何を仰るんです?―


―我が神は動き出しました。弟を、その腕に再び抱きたいのだと。取り戻す。そのためには、この世界を、この国を、貴方の世界の境界にぶつける事だって辞さない。そう。私掠船が目的のために、別の船に体当たりするように―


―貴方様の神。では、両陛下様と同じく、貴方様にも……―


―なんと残酷な。私より有能で健全健康な國賭に、その力が継がれれば良かったのに。私は出来損ないの身。どうせすぐに逝くことになるなら、この力も継がずに、ただの役立たずのままでいたかった―


 ハッキリとした答えではないが、皇太子にも特殊能力があるのだと一徹は伺えた。


―世界がぶつかり合うことで互いにできる虚。その虚同士、本来結ばれないはずの道もできるかも知れません―


―自由に、行き来が出来るようになると?―


―ただ人々が行き交うだけじゃありません。200年前の黒船来航も衝撃だったんだ。大陸を発見された側のアメリゴも、アメリゴを発見した側も、大わらわだったでしょうね―


―衝突が……始まると?―


―それが神同士のものなのか、現地民同士かはわかりません……が、何も無いことは無いはずなんです。人はね山本さん、理解できないものは否定から入ってしまうんです―


―残念ながらそれが真理。いや、自らの命と無事を天秤に賭けての習性なのでしょう―


―ハハ、宮内に籠もりきりの私の口からでは、宮外を知る貴方には馬の耳に念仏ですね。留学も海外勤務も経て、あまつさえ異世界でも生きて、貴方の世界として生き抜いてこられたんだから―


―お、お待ち下さい―


 なんとなくだがここまで聞いて、なぜ呼ばれたのか一徹には分かってしまう。


―皇太子殿下は私に、一体なんと仰せになるものですかっ?―


―…………助けてください―


 随分溜められた。開放された。一徹は、体を波打たせた。


―貴方しかいない―


「これはまた……酷な……」


 戦慄。驚愕。

 一徹の顔には、この2単語。


―粗粗は父と母に聞いています。貴方があちらに造詣が深いことも、清濁の理解があることも、並では生きていかれぬ地にて生き延びた、並々ならぬ存在であることも―


 こんな持ち上げられ方があっては堪らなかった。


―そしてあちらの、貴方の世界では、貴方が素戔嗚尊の巫であるのだと―

  

―巫? 違う。私は所詮傀儡だった―


―私達の世界から素戔嗚尊が離れてしまってから、貴方の世界では貴方の神との戦を始めたと伺っています。取り戻すために、私達の世界は貴方の世界とぶつかり始めています―


―で、殿下?―


―天照大御神が貴方の世界にいる素戔嗚尊に助力するかもしれない。そのためにこの国の民を向かわせるかもしれない。なれば貴方の世界に立ち入る我が民は、斜に構えて貴方の世界の者達と接触するでしょう―


「畳み掛けてきたね」


「なんと酷い」


―そうなったら今度は私達の世界と貴方の世界とで戦になるかもしれません。果たして話し合いになるかどうか。あまりに異文化すぎる由、話し合いになる前に長かれ短かれ争いになると思います―


 出会ったときは話をゆっくりしてたが皇太子だったはずなのに。


―そうなれば貴方が想う者にも危険が及ぶと思いませんか? 貴方の、私達の世界で出来た恋人、友。貴方の兄、家族―


―殿下ぁっ―


―直接危害が加えられなかったとして、この国が戦時に突入したとしたなら? 国が壊れ、街が壊れ、生活も壊れてしまうでしょう。そのとき貴方は大切な者達の人生が壊れるのを見て、己を許せますか? 限りなくゼロに近くても解決策を持つ貴方が―


 そこまで言い切って、場は静まる。

 パララっと、俯く一徹から雫が落ちた。


―私は……これまで貴族や大将軍なんて存在を目にして参りました。醜悪で、悪辣な者達も山程いました。貴方様は違う。語気も柔らかい。対する相手にも、優しく接される―


 止まらない。

 俯き、重力によって前髪垂れ下がり、表情見えない一徹の顔の部分から、ポツポツと、幾滴か落ちた。


―ですが、貴方様程に手強く手厳しい……残酷なお方は、かつてこれまで、私は出会ったことがありません―


 それは涙に違いなかった。

 当然だった。


―殿下、私は、貴方の民では無いのですか!?―


「る……ルビコンの決断……」


「魅卯少女、るびこん……とは?」


「俗にね、覚悟を決めて一線を超えることを指すんだ。かつて外国でとある将が軍を率いた時、ルビコン川を渡るか否かの選択を迫られた。其は分水嶺。渡れば死地には違いなくて、自軍全滅のリスクが高かったの。だから渡れば、勇断だった」


「わからない。その例えと今の展開は重ならないと思うが」


「もう一つ逸話が有るんだ。だからこそ、率いられる兵たちは臆病風に吹かれた。躊躇するんだ。将軍は……その時なんて言ったと思う?」


「んっ?」


「『よくここまで付いてきてくれた。貴方がたの献身に感謝する。後は自分と自分の同志達に任せ、諸君らは平穏で素晴らしい道を歩んで欲しい。祝福する』って」


「そう……ですか……」


「『さぁ、残ってくれた同志達よ、気持ちも新たに、ルビコン川を渡ろうじゃないか』って、将軍が言うものだから……」


「躊躇した者達は焦ったんですね? 共に戦地を駆け抜けた。ルビコン川直前まで、躊躇した者達だって苦楽を共にした同志の筈だった。でも……」


「急なる他人行儀。《同志》と言う対等な立場から梯子を外された。そりゃあもう、ある意味差別じゃねぇか。突然無二の戦友だったはずの母隊から、距離を置かれたんだ」


「それと同じ事を一徹はされたというのか……」


―かように私めを異世界の人間となさいますか?―


―貴方は、我が父母から国賓待遇を受けていますね。格別貴方に注目し、期待をしているゆえの特別待遇ではありますが、実はその言葉の通りだった―


 駄目だ。

 打ちのめされた一徹は、その場で膝から崩れ落ちた。

 肘まで床に付け、項垂れた。


―他の世界から、他の国から来た、私達この国が一際の期待を寄せる重要人物だから当てられたんです―


―お、お願いで御座います。認め……お認めくださいっ―


 ポタッポタッと、雫は止まらなかった。


 最早ハンドルを握られていないから、皇太子は自らの腕力で車椅子を操作する。

 これまでずっと一徹に背を向けてきたが……


―卑しくともこの私も、殿下から憂いられるべき、この国の民草なのだと! 私は、この桐桜華の……―


―……逝く前に最後、生きた証を私にください―


 一徹は訴えかける……が、車椅子に座ったまま皇太子が放った願いに、一徹は絶句し、顔を挙げた。


―私の願いに、首を縦に振ってください。期待に、応えて下さい。私の望みを見事貴方が叶えてさえくれれば、きっとこの世界と貴方の世界が衝突することはない。私の愛するこの国は、争いを免れ救われるのかもしれせん―


「あぁ、コレは……駄目だ」


「知らなかった。一徹様は、これ程の葛藤を……」


 一徹だけでない。記憶を覗く四人らも分かってしまう。


―最後に一つだけ、本来は継ぐはずだったこの国の次代の皇として、この国を守ったとの実績と誇りを私に下さい。私の冥土への手土産として。私を……漢にしてください―


 これこそまさに一生のお願い、一世一代と言って相応しい。


―私達皇族は、貴方を最早この国の、この世界の者として見ることは出来ない。ただ、貴方が応えてさえくれるなら、貴方が私の騎士となって構わない。次代皇。この桐桜華皇国皇太子唯一無二の守護者に―


 もう一徹を桐桜華皇国人として見てやることは出来ない。

 だが、この状況を打開できるのが一徹だけなら、一徹はこの国にとっての切り札。

 せめて最後に、これから最期を迎える皇太子最強の兵として辣腕を振るう間だけは、皇太子だけがこの国至高の号を贈ろうというのだ。


 他の誰でもない。

 この国の次代の皇になるはずだった皇太子だけの者になる。

 それを誉れと思って、葛藤と悲嘆を飲み込んでくれないかと。

 そういうこと。


「戦国時代とかなら、皇の側に控える最側近として、これ以上無い栄誉だったかも知れないけど……」


「そんな提案、そんな称号、一徹は要らないのにね」

 

「一徹様が望んだのは、ただ、平穏だった」


 一徹は何も言わない。

 ただ、車椅子に座る皇太子の前で、床に顔から突っ伏した。蹲った。黙った。微動だにしなかった。


―調子はどうだ兄……なんだこの状況は?―


 そこに、國賭が現れる。

 兄が一徹と二人きりになりたいと言って、だがら気になったのだろう。

 当然、広がる光景には戸惑いを隠せなかった。


―あぁ國賭、今、私は私が産まれてなすべき使命を本当の意味で達成したのかもしれない。今回の国難は私が止めた。やっと守ってくれるばかりのお前を、初めて俺が守ってやれた―


―何を言ってる兄さん?―


―後は、お前に任せる。自分の信じた道を選ぶといい。娘を皇に据えるも、お前が皇となるのも。大事なのは誰が皇となるかじゃない。国が安寧のままにいられるなら、誰が皇になっても良いのだから―


 光景を目にするなり、「国は救った。後のことはお前を信じる好きにしな」と言われた國賭は反応しようがない。


 話は……勝手に進んでしまう。

 なまじ、一徹は皇太子の希望に承服すらしていないのに……


「あ……れ? えっ?」


 ここまで光景眺める魅卯。展望台内の暗がりにて、何かに気付いた。

 そうして……


「陛下っ!?」


 叫び、馳せ参じた。

 魅卯が駆けつけた先を認めて、ルーリィやシャリエールは嘆息した。


「そうか。ここまで辿り着けたのか」


「それでも、ここまでだったんですね」


「初めての師匠の記憶へのダイブ。しかも単身でここまで来たその精神力は認めてやっても良いけどよ……」


「「「四季……」」」


 魅卯が気付いた先、日輪弦状四季。

 当代桐桜華皇国皇。


 自身の実父と本来の一徹との間にある密約。

 四季が因縁あった伯父の國賭が、四季の父からこの国を確かに任された現実に、心が耐えきれなくなったのだろう。

 

 体育座り。膝を抱えてピクリとも動かない。

 心が折れてなお記憶に飲み込まれないのは、体の表面に何か光る幕が覆っているから。

 四季が父から受け継いだ、そして父が「我が神」と言った、天照大御神の加護の一端に違いない。

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