ヴァラシスィの名を承た幼女

―凄いっ! 凄いぞぉっ! 何だこの世界は! 驚きすぎて妾の感情が追い付かないのじゃっ― 


 ヴァラシスィは、宮中から一徹と二人で解放されてから興奮しっぱなし。


 皇都桐京は、京破魔桐北線の破魔松町駅から臨海に所在する港から水上バスに乗り込んだ。


―なんじゃあの景色は! この船はこんなにも大きくてどうしてこんなに早いのじゃ? 人足はいずれも怪力に違いない。この国にも獣人の類はあるのか? 魔技術とか!?―


 広い広い桐京湾内を近代的なビルや工場が並んで囲む光景に、幼いヴァラシスィは窓に顔面付けて釘付けになった。


―んじゃ、チョット……―


―ま、まて山本一徹。妾を置いてどこに行く―


―手洗いだよ。航行中の船舶の上。周りは海の中で、船外のどこに出れるって言うんだ?―


 だがヴァラシスィのお楽しみは、あくまでこの世界の桐桜華皇国を熟知している一徹が傍にいるから成り立っている事実。

 分かっているヴァラシスィはまた不安になって一徹の腕にしがみつくが、説得力ある言葉にゆっくり身体を離した。


―……お勤めご苦労様です木ノ元さん―


 ヴァラシスィから離れ、一徹が向かうのはトイレではない。船内は結構に離れた一席。

 その席は、遮蔽物もあって一徹とヴァラシスィをギリギリ見れるか見切れるかというところ。


 白手はくてで鳥の頭部のような彫刻が持ち手にあしらわれた杖を持つ、ダブルスーツに身を包んだ男、木ノ元なにがしに声を掛けた。


 國賭から聞かされている一徹だから。

 皇命で、一徹には木ノ元の監視が常についているのは知っていた。


―文句は受け付けぬと心得よ。これは皇命。それでなお疑義申し立てるなら、このそれがしが……―


―いや、何か今日食べたいものあります?―


―……は?―


―どうせ俺の部屋の近くに監視拠点を張るんでしょ? つっても、俺も貴方がマークしているのは知っている。だったら飯でもどうかとね。別に飯を食ってワイワイガヤガヤ騒ぎながら俺を見張ればいいんじゃないです?―


―なれ合いは好まぬ―


―皇族皆さまをお守りする護衛方の頭領なのに? リーダーシップの中にはコミュニケーションが必要不可欠なところもあるでしょう?―


―それは務め。部下の者達も分かっている。意思伝達など最低限で充分―


―忍者みたいな人ですね……と、そういや國賭さんが陰陽御庭番とか言ってたような。 御庭番……は良いとして、陰陽ってなぁ一体?―


―殿下は許したのだろうが、某の前でその呼称は止められよ。それに、貴殿の問いに答える義務はない―


―貴方は私を見張って色々知りたい。だったら私だって貴方の詳しいところを知りたいじゃないですか―


―……貴殿は、貴殿が監視対象として張られる自覚をもっと持つべきではないだろうか? それなりの立ち振る舞いを自覚されい―


―監視されているとか思うと気が滅入る。いくら皇命とはいえ気が滅入ることまで承服するのは、違うでしょう? だったら俺は、監視されるこの状況も楽しみたい。そだ、木ノ元さんご結婚は? お子さんとか―


―娘が一人……と、いい加減に……―


 監視対象に話しかけられては木ノ元某も苦しい所。


―ハイハイ、そこまでですよ―


 親し気に一徹が話してから少し経ったところ、二人に、別の声が掛けられた。


 この船舶は一階、中二階、2階と三層構造。


 元は一階にいた一徹が中二階から見張る木ノ元に声を掛けたところ、今度は更に上階、2階から声を掛けた者がいたのだ。

 

―やぁっと馬脚を出してくれましたね山本さん。どなたです? そちらの御仁―


―お友達です―


―でしょうね。まぁ、貴方のことだから当然ただのお友達ではない。誤魔化さなかったことは褒めてあげますよ。まぁ、海上で逃げ場もなく、仕方がなくでしょうが―


 しつこく一徹に食い下がる、公安の初老の男だった。


―お客人、この男は?―


―この人も……お友達?―


―ふむ、誰と会うのも自由とは言ったが……―


 木ノ本某は質問の先である一徹が同じ答えを見せると立ち上がろうとしたが……


―無駄な足掻きはお勧めしない……確保ぉっ!―


 公安の男の一喝に、舌を打った。


―あんま、好ましくないお友達です―


 続く一徹の発言が聞こえたかどうか。


―総員! 戦闘配備っ!―


 さぁ、次に咆哮を上げたのは木ノ本某だった。


―おっほ。こりゃこりゃ。知らなかったわけじゃないが、いざ見てみるとなかなか壮観な光景だね―


 船内客席、二人の声とともに乗客全員が立ち上がる。

 市井に紛れるための私服姿だが、その表情はいきり立っていた。


=掛かれっ!=


 そうして……木ノ本某と公安初老の男の号令で、それぞれ立ち上がった者たちの衝突は始まってしまった。


―なんじゃっ! 一体何が起きたんじゃ!?―


―お前に楽しんでもらおうと、ちょっとした演し物を用意させてもらった―


―だ、だしものって。争っているではないかえ?―


―そうだよ? 喧嘩だ。桐桜華は旧お穢土の名産品。『喧嘩と火事は穢土の華』ってね? それに国技として、ぶつかり合う競技もあってね。相撲と言う、神聖な技さ―


―そ、そうなのか? 暴力沙汰ではなく、神事?―


―そうそう……と、もうすぐ麻草に到着しそうだね。念の為、船員さんに警察への通報をお願いしておくかな―


 十何人同士のぶつかり合いに初め圧倒されていたヴァラシスィ。

 しかし少し幼すぎるのか一徹の言う事を鵜呑みにし、目を輝かせながら集団の衝突を観戦した。

 その裏で、一徹は泣きそうな乗客を装って船員に一刻も速い麻草着を願った。

 

 因みに、麻草に到着してからは、ヴァラシスィをお姫様抱っこして一徹はさっさと水上バスを降りる。

 そこから数百メートル先の人混み溢れるアーケード街に溶け込んだ。


「「「「……あ……」」」」


 それと同時、遠くからのパトカーの音色の数々。水上バス停泊場所に到着、重なった。


 だからルーリィたちも声を漏らしたのだが、記憶の中の一徹は「突入〜っ!」との掛け声をBGMに薄ら笑いを浮かべるのみ。



――カロンコロンとの足音は、決してこの街でおかしいことじゃなかった。


―のう、今度はあれ食べたい! あれも買って!―


―食べてばっかりだなお前さん。で、せめて今はその手にある綿菓子を食べきってから言いなさい―


―食べるのに勇気がいるんじゃもん! この世界は雲すら食べられるのか? きっと口に入れた瞬間、稲光が弾け妾の口の中を焼くのじゃろ!? さっきの《こぉら》みたいに―


―なんないよ―


 ヴァラシスイの手を引いて人混みを進む一徹。ヴァラシスィのもう一方の手は綿菓子付きの棒を握っている。一徹はもう一方の手で持って銀色の缶を煽った。


 ふたりとも、纏いを変えていた。


 麻草は切符の良いお穢土下町風の空気を売りにした街。和装の着付けを生業とした店も多い。


 金に糸目をつけずに商品で出ていた和装をヴァラシスィの分も併せて買った一徹は、その場で着付けてもらった。


 なお一徹が併せて買ったのは、外国人観光客の中でも一部が垂涎の、トーオーキッシュ・タトゥー和彫り柄の肌襦袢。

 着物袖が短いと、傷の走った腕が見えてしまう。これなら肌着として上から纏える。

 傷が見られる心配はない。

 そうして、サングラスと麦わらで編み込んだ中折れ帽。

 出店で買った銀のイヤカフを、両耳に取り付ける。


 ヴァラシスィの方は艷やかな髪を後ろに束ねる。

 柴犬の、口元だけ開けた面を被った。


 自由を求めた一徹なりの変装だった。


―うっ……―


 ヂャっと、下駄が地面をかく。

 それとともに、カラビエリは立ち止まる。


―どうした?―


―こ、これ以上先は、行きたくないのじゃ―


―行きたくない? なんで?―


―わ、わからん。だが、なにか凄まじい念を感じるのじゃ。妾に対する怒りのような―


―……気配は感じない。完全に、監視の目は蒔かれてる。なのにお前に対する念? といってもこの先は……―


 小さい体ゆえ、一徹が無理やり引きずることは可能。

 だが、ヴァラシスィの恐れる方に目をやって、一徹は納得した。


―麻草寺。そういうことか。素戔嗚尊は然道の神。どこまで仏門と関わりがあるかはわからないが、同じこの世界を見守る存在同士、なにかあるかもしれないね―


 端的に言って、純粋に異世界の存在であり、異世界の神の流れを色濃く受け継ぐヴァラシスィに、《天照大御神》はオコだろう。


 なら、どこかの兼ね合いで寺社仏閣、もしかしたら教会からもかもしれないが、それらパワースポットからヴァラシスィに向けられるものもあるのだろう。


―えぇい、意気消沈してんじゃないよこのバカちんが―


 が、納得した一徹。軽く空手チョップをヴァラシスィにかました。


―せっかく楽しませてやってるのに、喜びリセットは俺に対する冒涜と思え?―


 オカルティックな話だが、一徹だって何も知らないわけじゃない。

 ヴァラシスィが怯えているなら、本当に不可視の何かが怖いのだ。


―良し。じゃあいっぺん切り替えるか。お前を別世界に連れて行く―


―べ、別世界? 主、一体何者じゃ!? そんな簡単に世界間を移動できると言うのか!? だから一つの世界への思い入れは薄く、あんな……―


―うっさい―


 新たな提案を見せた一徹に反応したヴァラシスィ。だが、一徹のデコピンで思いっきり頭が後ろに振れる。

 結構の衝撃に黙ってしまって、弾かれた額を、ヴァラシスイはさするのみ。


「師匠のデコピンかぁ。あれ、痛いよなぁ」


 その場面を目に、かつて同じ箇所同じことをされたアルシオーネが懐かしむ。


「痛えんだよ。なぁ、アンタたちもそう思うだろ?」


 自らの額をさすって、だが嬉しそうだった。


「あまり触れ回らない事ですグレンバルドお嬢様。それは実は嫌味ですよ?」


「妹扱いは妹扱いで、私達対等扱いには決して見せない、してくれないことも多い。君や

ナルナイ、リィンを手放しで可愛がるような事は、私達にはしないからね。時々……羨ましささえ覚えることがある」


「たまには、私達にしてくれてもいいのに。羨ましいというか、嫉妬ですね」


「げっ!?」


「ハハッ……良いな……」


 魅卯は、細かい所で見せつけられる。

 ちょっと怖くもあった。


 もし魅卯の一徹が目覚めたとして、もし彼の視線の先がやはりルーリィとシャリエールだったら。

 妹としてナルナイやアルシオーネを、魅卯の一徹はまた猫可愛がりするのだ。

 

 なら、じゃあ魅卯とは、一徹のなんなのだろう?

 一徹の記憶にまで来たくせして、所詮、ただの、友達ではないか。


 ルーリィは魅卯に、「自分たちと同格になりせしめた」と言ったがどうだろう。


 過去の一徹の記憶を見るだけじゃない。


 過去の一徹と現実に傍にいたシャリエールと山本小隊を前に、幾ら魅卯が取り合っているのは魅卯の一徹とは言え、太刀打ち出来る気がしなくなってきそうだった。



――三時間後ほど。


―大丈夫かヴァラシスィ?―


―大丈夫じゃ……―


―本当に?―


―……ない―


―だなぁ―


 一徹は、放心したヴァラシスィをおぶって街をゆく。

 一徹の背にグッタリ体を預けるヴァラシスィは、首まわして一徹の顎下先で組んだ手でポップコーン桶を持っていた。


―食っていい?―


―駄目じゃ―


―食わせろって。ジャンボサイズねだったくせに、食えなかったのはお前じゃないか―


―ムゥっ、別世界が怒涛のように流れ来て、圧倒されて、それどころじゃなかったのじゃ―


 致し方無しに、ヴァラシスィは一つずつつまみ上げては、一徹の口元へ。

 モシャッと音がなる。

 

―獰猛な野獣の群れが暴れ出した。妾の目の前でどんどん人が食い荒らされて行くのじゃ。羽の無いドラゴンも迫ってきて……―


―あぁ、お前パニックになっちゃったもんなぁ。上映中に悲鳴上げるわ、抱きつくわ。五月蝿いから周りに怒られるかと思ったぞ。幼いお前を見て、失笑してたけど―


 またパリッとの、咀嚼音。

 ポップコーンは少ししけってしまったからかか、締りのない噛みしめ音も。


―映画って言うんだ。詳しく言ってもわからないだろうが、劇だと思っていい。迫真の演技、演出、音楽が、観てる者の目の前に世界を連れてくるのさ―


―別世界じゃったよ。確かに―


―怖かったか?―


―あぁ、怖かった。じゃが……―


―楽しかった?―


 最後一徹の問いに、ヴァラシスィはユックリ頷くことで答えた。


―作品毎に、違う世界があるのかえ?―


―アクション、コメディ、ホラー、サイファイ、ファンタジー、ミステリーにラブロマンスに―


―なんじゃそれは?―


―何って、ジャンルさ。要素の事だよ。激しく身体を動かして格闘するのがアクション。面白おかしいものがコメディ。身の毛のよだつほど怖いのがパニックやホラー。恋愛ものがラブロマンス―


―ラブロマンスとは何じゃ?―


―いやだから、恋愛モノで……―


―恋愛とはなんじゃ?―


 背負いながら歩く一徹は足を止める。

 今の問には感情が見えなかった。それこそ「道は何処ですか?」どころでは無い。


―アクションやコメディやホラーはなんとなくわかった。動きや、感覚で説明があったから。だが恋愛とは、どんな動きがある。感覚がある―


 ほんの小さな子どもが、「ミカンとは、リンゴとはなんだ?」と聞いているかのよう。

 「わからないのか?」とも聞きたくなったが抑えた。

 何と言うか、嫌な予感がしたゆえだった。


―さて16時半か。そろそろ今日の寝床探しだね―


 ヴァラシスィを背負い直す。

 周囲を見渡した所で一徹は舌を打った。

 どう見ても巡回服の警察官が、じっと一徹達を見ていたのだ。

 目を合わせずとも、視線を向けずとも警官の動向を察知できる一徹だが、警官はゆっくりと近づくではないか。


―っと、どうする?―


 無い口髭をなぞる動作で一瞬考える一徹。すぐに閃いた。


―わっ、ちょっとお客さ……ミスター! ミスター! イージーイージー!―


 すぐ近くにて乗客呼び込みをしている人力車の車夫に、異世界の言葉で、陽気な感じだがまくし立てる。

 これには車夫も驚き不可避だった。


 そんな光景、一徹はわざと近づいてくる警官に見せつけたのだ。

 近寄る警察官は一瞬足を止めたが、先程よりもスローペースなれど近寄るのを止めない。


―どうしたのじゃ山本?―


―面倒事に巻き込まれたくなければ俺に合わせろ。楽しい桐京ツアーも終わっちまうぞ? なぁに、今みたいにこの言語で会話してればいい―


―よくわからんが、良いじゃろう―


 明らか雰囲気が変わるヴァラシスィだが、今頼れるのは一徹しかいないから、言われたことに乗ることにした。


―キャニュスピークイングリッシュ? アイドゥソー。トライユージング。ゼン、アイキャンプロバイドサービス―

 

 車夫は異世界言語でまくし立てる一徹に、鋭語で宥めようとし会話を試みる。

 物怖じせずに、自身の鋭語の総力を持って挑んでくる車夫に一徹は驚きつつ、イタズラ一徹は中亜華国語で更に車夫に声を掛けた。


―ニーシー、ジョンヤー? ウォブナンハンユー。トライイングリッシュ。イングリッシュ―


 更に驚くべき事に、車夫は中亜華国語を持ち出した……と言っても「喋れない」の意味だけ。

 あとは鋭語で説得を頑張る。


 ここに来て初めて、近づく警官は今度こそ足を止め、それ以上は近寄らなくなった。


―で? 何かしたいものはあるか? 食ってばかりだから腹一杯だろうから、別のことをねだってもらって構わないぞ?―


―何を言っているのじゃ。まだまだ食べるわ。この世界は妾を驚かせる食に溢れておる。魚なんてどうじゃ?―


―ホホホゥ。したら寿司か煮付けか天ぷらか。ここは麻草。なら桐桜橋にでも行ってみるかね。まず目指す先は……桐京天樹タワー……は、移動手段がシンプル過ぎるな―


 話を合わせろと言ったこともある。ヴァラシスィとは再び異世界言語で話すから、見ている車夫はゲンナリだ。


―……植野か?―


―う、植野? ディジュセイド植野?―


 が、車夫にとって天与の助け。知ってる単価が目的地先名なら、人力車の車夫にとって充分な発注情報だった。


「やれやれ。策士だね一徹」


「一見して一徹様は変装しても桐桜華皇国人顔。だけどヴァラシスィ様との、私達の世界での言語による流暢な会話に、一転車夫は、一徹様への桐桜華皇国人認識を改めた」


「だから車夫さんは鋭語でコミュニケーションを狙ったのに、一徹さんは中亜華国語を次のメイン言語で話した。狼狽え焦って車夫さんはなにも考えられなくなった」


 ヴァラシスィの身を、車夫の助けも借りて人力車に乗せた一徹。

 パァンと柏手一つ。クイッと首を傾げ、照れたようにはにかんで……


―ト〜オ〜カ? スコ〜シ。ごめんネ?―


 こんなことを言って見せる。


「別に師匠が今の姿を見せたいのは車夫じゃねぇ。近づく警官にだった。見ろよ。警官、離れて行きやがる」


 アルシオーネの言った通り、警官はもとの位置に戻っていった。

 だが近づくときの警戒した表情は薄れていた。


「見事に山本一徹は、桐桜華皇国人から、外国人旅行者としての像を作り出してみせたんだね」


―オー! ポリスマン! ト〜オ〜キッシュポリスマン!―


 人力車は動き出す。

 あえて警官に意識を向け、自身が狙われるような存在ではないことをアピールしてるかのよう。

 車夫はコレを乾いた笑い声を上げて……


―そういや近づいてきてたような。ま、そうか。入れ墨モンモン背負った巨漢が外国人の幼女を連れてる。普通に会話してたからきっと家族かなんかだろうが、ただの桐桜華皇国人が連れてたとしたら、犯罪の匂いしかしないもんな―


 ……ボソリ。


―はぁう!―


 いくら外国人に化けたからと言って、当然ながら一徹は列記とした桐桜華生まれ桐桜華育ちである。


 呟きはバッチリ耳に入って、理解した。

 ……和装がダブつくことで露出してしまう傷跡を隠すために着込んだ和彫り柄の肌襦袢がリスクであることも。


「そこは気にしてなかったんだね」


「寧ろそこを気にするべきだと思うんだが」


「師匠って、時々そういう時あるよね?」


「その隙も、一徹様の可愛らしい所じゃないですか」


 魅卯とルーリィとアルシオーネは苦笑いだが、シャリエールだけが両頬に両手を充てて楽しむ。


 なにはともあれ、麻草にスーツ姿の桐桜華皇国人して現れた一徹は、モンモン背負って傍目からは何連ピアス取り付けた、実にパンキッシュな外国人観光客として、麻草の街を離脱した。



――完全に犯罪な匂いしかしない。

 これはその翌日、朝の話だ。


―起きよ! 起きないか山本!―


―う……ん? どうした?―


―どうしたじゃないわ! 朝が来たぞ! さぁ、出発するのじゃ。今日も妾に一杯面白いもの、美味しいものを紹介するのじゃぞ?―

 

 結局、桐桜橋は都会でも開けていることもあって一徹たちが向かったのは銀坐と築路市場の間の街。

 実は夜は結構暗く、人目につかないのだ。


 そこで入ったのは、一泊5,000円程の安宿。

 ここを一徹は偽名で宿泊した。


「アウトだよ一徹」


「アウトってどういうこと?」


「旅館業法第六条だよ」


「偽名と偽りの住所での宿泊は違法なんです」


 ちなみに外国人の宿泊の際にはパスポート提示を求められるから、受け付けでの一徹はあくまで桐桜華皇国人の体でいく。


 だがそれでは、夜遅くに異国人と思われる美少女を連れるとなると犯罪臭しかない。


 とんでもなく大きなボストンバッグ。

 これまで大戦斧を振るってきたギッチギチでキレッキレな肉体の一徹は、ヴァラシスィの入ったボストンバッグの持ち手を右手一本で持ち上げ、一人の体で宿泊手配を実現させてしまった。


「同じく同法の違反」


「宿泊人数の虚偽かな? 流石は、三泉温泉ホテルのスタッフだね」


 公安と、それよりもっとヤバいかもしれない陰陽御庭番だか皇宮警備隊という国家権力の尾行と追跡を逃れて二日目。


 なのに一徹は特段不安することもない。

 寧ろ、ホッとした様に笑った。


―ホラ、行こう!―


 未知のもの、光景と出来事への遭遇に期待に胸膨らませたヴァラシスィの、目をキラキラさせた笑顔が眩しく思えたのだ。


―おん? なんじゃあ? 急に、妾の頬に手なぞ添えて―


 だから思わず、触れてしまった。

 これも……犯罪かもしれない。


―良い顔してるよ今のお前さん。ちょっとホッとした。俺のせいとは言え、この世界に流れ着いたばかりのときのお前は、血の気も抜けた、今にも死にそうな顔をしていたからさ―


―あっ……―


 ハッと、言われたことに目を見開いたヴァラシスィは、両手で持って一徹が触れてきた手を引き剥がす。


―ならばさっさと支度せい。主は妾に贖罪を果たさねばならぬ責があろうが―


 プイッとソッポを向いてしまって、座り込む。


―御意に―


 一徹は、クスリ笑ってムクリ上半身を起こすと、ヴァラシスィの頭を撫でる。

 立ち上がった。

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