3度目の、そして最後の帰郷

「嘘……でしょ?」


「嘘って信じたいね」


「でも嘘ではないんでしょうね」


「嘘だったら、どんなに良かったか」


 六畳一間の木造建築から、地獄絵図でしまったはずの回想録は再開する。


―……解放……されたのか?―


 力も覇気もない声で、やっとこさ寝たきりから上体を起こした一徹。

 周囲の光景を前に、呆然ながらつぶやいた。


 正化後半何年のカレンダー。

 どことなく感じられる醤油の香り。

 ガタンッ……というブリキの弾き、当たる音共に、バラララと離れていくエンジン音。

 

 極めつけは……


 ―おはようございます! おは(よう)モル(ゲン)ニュースの時間です。今日のトピック! 皇女殿下10歳のお誕生日と……―


 知性と美貌を際立たせる女性アナウンサーの、薄型モニターからの挨拶から、ソレを一徹は感じ取る。


 ラリッたようで焦点の定まらない、気持ちのこもらない眼差しを周囲に巡らせた一徹は……


―う……ん……―


―チッ、クソが。終わったんじゃねぇのかよ―


 おもむろに目にした光景に毒づいた。闇に濡れてぬめった様な声を上げた。


 身を包んでいた布団をはぎ取る。

 掛布団の外に、睡眠中ゆえ無意識だが、ブルブル身を震わせ、寒げな人影が横たわっていた。

 浅黒い肌。ボロボロの白のワンピース。なのに一見ぼさぼさな黒く長い髪は艶やかという。


―オイオイ。まさかだろ連れてきちまったのか?―


―母様ッ!?―


 圧倒的な美少女が、言うなれば添い寝をしていたのだ。

 だが一徹は揺れることは無い。

 寧ろ興味なさげというか、関わりたくなさげに視線を外した。


―チッ、繋がらねぇ。本当に……クソの役にも立たねぇな。カラビエリのクソアマが―

 寝顔を眺めていたが、突如飛び起きる様にも興味はない。

 だが、同じ部屋に少女がいるのが都合悪いと思った一徹。数年ぶりの携帯電話はおぼつかない手つきで扱う。

 希望の先に繋がらないから、舌打ちした。


―……あ……主は……―


―よう、起きたか?―


―ッツゥ!? 一体どうしてくれる! 貴様のせいで、スサヌ……―


―……うるせぇよ。黙れよクソが―


―あっ―


 あぁ、一徹は荒んでしまった。

 打ちのめされるだけ打ちのめされた。かつて絶望の淵にいた時はヴィクトルがいたものだが、シャリエールでは駄目だったのだ。


 違うか。

 シャリエールでも良かったかもしれない。ただそれは……彼女を抱いてしまって見方と捉え方が変わってしまった一徹では通ることは無かった。


 魔族と人間族の交わり。

 リングキ―の一件で禁忌として忌避した一徹が、その轍を踏んでしまったことで己を呪う。

 シャリエールが望む望まないなどどうでもいい。

 自分で抑えていたはずの欲望とケジメを破り、秘められた思いを踏み倒してしまった自己嫌悪が、シャリエールを遠ざける。


 結果、シャリエールの想いを遠ざけ、拒絶したことで誰からの心配をも届かなくなった一徹は、ただただ己を呪った。

 荒んでしまって、見るもの全てを遠ざけた。


 それが、今目覚めた少女がちょっと声張り上げただけで、横っ面を張ることに繋がった。

 女に男が手を出す。

 信じられないだろうから、殴られた少女は殴られた箇所に手を当て放心した。


 どうでもいい。一徹にとってはどうでもいい。


―……平日か……そうか―


 その少女がどれだけ美しかろうが、そんなもの元の世界に戻った一徹にとってはどうでもいいのだ。


―もう……無理だよな? さすがに……―


 一徹は、布団近くに位置していた平机の上に置いてあったノートパソコンを開く。

 起動させてから出てくる、ログインとパスワード要求画面を前にして、しばらく考え込む。

 眉間に指添え数十秒。

 「やっぱり無理か」と、落胆のため息を一つ、A4サイズの紙切れ一つと筆ペンを持ち出した。



――桐桜の平日と言えば、勤め人の多くが務めているものだ。

 そして一徹の身分と言えば、桐桜華皇国の中では、一介の専門商社の主任。会社員に過ぎない。


 だから……


―わかった。受理しよう―


―あの……―


―どうした?―


―その……素直に受け取られるんですね―


―皮肉は辞めてくれ。こっちも辛い。だが仕方ないというか。それが君自身の原因なのはわかる?―


 一徹は、辞表届を上司に提出した。

 引き留めは無かった。

 上司は受け取ると、苦い顔こそしすれ、その場で受理。人事部への辞表届の展開を先制したのだった。 


―君は、最近急におかしくなった―


―……それは……―


―辞めてしまうからこそ君に正直に告げよう。君は……会社にとても評価されていた。海外支社から帰国し、本社海外事業部への凱旋。まごうこと無き出世ルート。君の優秀さは誰もが認めたところ。君が部下になってくれることが私も誇らしかった―


 一徹が何も言わないのは、辞表届を受け取った上司が言い足りないことが理解出来たからだ。


―何より我が社の格じゃ到底取引が出来なかった石楠グループの中核企業に果敢にアプローチ。見事、案件を獲得した胆力と根性は誰の目にも凄まじく映った。国内じゃ相手にされないからと、まずはシェンガポーでアプローチするとは―


―あぁ、あれは私も一世一代の勝負でした―


―楽しかったか?―


―……楽しかったですよ。窓口担当は凄い怖かった。よくよく話してみたらいい人でしたが、どうやら新任のシェンガポー支社長がモーレツで怖かった。二十歳になったかなってないか位の才媛。グループ総帥の娘の世話役も務めたようです―


 一徹が初めてルーリィの世界に飛んだのは28の頃だった。

 そして異世界で6年過ごし34歳には違いない一徹は……引き続き28歳として当時の勤め先に出たのだ。


「と、トリスクトさん? 今出てきたシェンガポー新任支社長って……」


「十六夜・ネーヴィス・風音。グループの跡継ぎとは出てきたけど灯里の名は挙がらないか。多分だけど、まだ10の年か。いや九つか。そういや先程テレビのニュースで言われていたけど、皇女殿下といったなら……」


「簒奪皇でしょう」


「そ……そんなことって……」


「おかしくないよ。私の世界と君たちの世界は時の流れ方が違う……だけじゃない。君の世界に生きるべき一徹が私達の世界に来た時点で、君達の世界の時は止まってた」


「……えっ……?」


 展開が、魅卯にはわからないのに、もっと酷い。


「このときの一徹の世界籍は君の世界にあった。存在すべき者がいなくなったから、君の世界の時は止まってしまった。そりゃそうだよね。君の世界で、一徹が普通に暮らしてれば自然の流れで起きていた事象は起きなくなる」


 駄目だ。

 ルーリィの解説だけでは理解が魅卯には追いつかない。


「一徹は私達の世界で6年を生きた。でもこの世界では一徹が戻ってきて時が再開する」


「六年でこんなに変わってしまった一徹様。初めて私達の世界に飛んだ日から、1ヶ月も経過してないこの世界で当てこまれることになった」


―帰国し、ウチの部署に転属したのが一月前……なのに、君のその目や醸し出す空気感。尋常じゃない。私も、今君の目を見るのが怖い。課員も怯えてしまってる―


「そんなのね、安全で平和な桐桜華皇国じゃ異質すぎる異質なのさ。そりゃそうだろ。自らの手と身体を返り血に染め何人殺した? 思惑を持って間接的に、見えざる手で虐殺した数だって千じゃない。万を超える」


 夢と希望を持って大学卒業して入社した会社。

 一徹は野心と充実感を抱きながら邁進してきた。

 辛いことも多かったが、楽しいことだって。

 思い入れの強い、確かな一徹の居場所のはずだった。


―君の纏う空気はゆめゆめ……カタギじゃない―


―……御世話に……なりました―


 一徹が諦めていた、「桐桜華に戻りたい」という願い。いつしか忘れてしまっていた。


「これが、とある白日の元に起きていた出来事。灯里や四季と同い年、齢9、10の頃に君が桜州で花嫁修業を強いられていた時、一徹は私達の世界に来るまで一番大事だった生き甲斐を失ったのさ」


 やっと帰ってきたと思ったら、この仕打ち。


「トモカさんと付き合う前の記憶から感じてた。認めたくなかったけど……山本君は、山本さん。私達とはどうしょうもなく歳の離れた、おじさんなんだね」


「同い年の四季と灯里さんの存在がこの記憶で仄めかされたなら、『その時代である』って刷り込まれているに等しいですから」


 上司に頭を下げた一徹。

 周囲のたった数分前まで同僚だった者達から奇異の視線を向けられるが、目もくれない。


―あぁ……もう……駄目なんだ……俺……―


 会社のエントランスを出て空を見上げる一徹。

 

―ゲホッゴホッ、まっず―


 スーツの内ポケットに入ったタバコとライターに気づき、ほぼ数年ぶりに喫煙を試みた。

 数年の異世界滞在は、この世界では数日にも満たないから風味は損なわれていないはずだが、しっかり非喫煙者になってしまった一徹では受け付けなかった。


―これから……どうするかな?―


 背中には失業者としての哀愁が降りている。


―まだ10歳前後で全日本アイススケートジュニア大会で優勝ですから、高虎海姫選手に期待です。そして速報です。連続殺人事件の重要参考人である山餅魔鎖鬼容疑者の目撃情報が神奈河県横浜市でありました。警察は近隣での注意を呼び掛け……―


 通りの家電店でショーウインドウに並んだテレビ製品からの音声をBGMにしながら……



――数年ぶりに元の生活に帰ってきた一徹だったが、懐かしさを感じつつも退職届を出してからは思い出の地を巡るでもない。

 以外にも一人暮らしに古アパートに帰った。


―これはこれはお早いお帰りで―


―……アンタか―


 上階に位置する部屋に戻ろうと階段に足を掛けようとしたところで、一徹に声掛ける者ありけり。

 厭味ったらしい笑みを浮かべたトレンチコート纏った初老の男だった。


―確か公安の人―


―こいつぁご挨拶だ。昨日今日感動の出会いをしたばかりのアタシの名をもうお忘れで? いやぁ、覚えたくないんでしょうが―


―アンタこそ人が悪いんだよ。アンタの事が嫌いだ。避けたいし逃げたいよ。そんなことはとっくにアンタ自身がご存じなんだろう?―


―つまらないなぁ。アタシもヒトを陥れイジメるのが好きだ。が、これで正義の徒。徹底的に洗って突きつけて相手の反応を見て楽しむのは悪い奴だけに限る。だがアンタは一切揺れない。楽しくない―


―安心していいよ。スッゴイ揺さぶられている。もううんざりなくらいだ―


 一徹は、この世界では公安に目を付けられているのを知っている。

 異世界3年目に入る直前で一度だけこの世界に戻った時、幾人もを斬り殺した片手斧に大戦斧、大ぶりナイフまで持ってきてしまった。

 色々あって、警察に見つかってしまったのだ。


―うんざりだって言うなら、洗いざらい吐いて楽になりましょう。アタシら警察の影にも困ったもんでしょう?―


―困りますよ。陰に日向に。陰にいる時や気配がぬぐえずイライラさせられる。日向に出たときゃ、俺の周囲は俺が警察にマークされていることを知るんです―


―あぁ、そう言えば会社を辞められたようですね。勤め先も薄情なものですね。ただちょっと私達が令状を取って君のデスクとパソコンをはじめとして、会社全体を家宅捜査かけただけなのに―


―ククッ……あっはは―


―……なにがおかしい―


 いちいちネチッこい男は、それでも一徹が苦笑するから面白くなかった。


―だからアンタは今、俺の前に姿を見せたんでしょう? 令状までとって家捜カソーまでしたくせに、何も出なかった。アンタの責任なんでしょうが、アンタだけで取れる責任なのかな? 大方上役も恥かいたんでしょ?―


―い……言ってくれるじゃないですかぁ―


―言いますよ。そこまでやって進展なし。何も出ないなんてあっちゃいけない。だから間髪入れずに俺に接触して揺さぶろうとしているんだ。焦ってるんですね―


 苦い顔して歯をむき出しにする初老の男の様に、論破したと確信した一徹。

 別れの言葉もなく視線を外して上階へと再び上っている。


―調子に乗るなよ? アンタ如きこちらの都合でいくらでもしょっ引いてやっていいんだぞ?―


―ソイツぁ、俺の兄貴がガチギレするなぁ。兄貴ってなぁホラ、俺の事が大好きっ子だから。そんなことあって俺が兄貴を失望なんざ許さないのよ―


 カンカンと小気味の良いリズムでタラップを鳴らす一徹は初老の男に目もくれない。


―だったらアンタの周りはどうかな? 例えば、黒い繋がりが疑われてなお、アンタとの関りを辞められず、今日もアンタの部屋に入っていった南部トモカさんとかっ―


―ッツゥ!?―


 流石にその名前を耳にしては脚を止める。思わず一徹は階下の男の顔を見下ろしてしまった。 

 男は、悪意の見えるニヤリ顔。

 男が敵と見ている一徹から、なんとか侮られないままに終われたことで悦に入ったらしい。

 

 一徹は一瞥こそするが、すぐに歩みを再開する。

 鍵を取り出し自室を開錠。ドアを開けた。


―……お帰り、一徹―


―あっ……―


 玄関には、女性もののパンプスが綺麗に並べて置かれていた。

 畳の部屋に入った一徹の目に入ったのは、正座したまま俯き、黙り込んでしまった美幼女。平机挟んで足崩して座る……トモカ。


―トモ……カ……―


―誰? この娘……―


―それ……は……―


 「久しぶり」か「会いたかった」か。さて、長すぎる時を経ての再会に一徹は言葉が出てこない。


―昨日喧嘩別れしちゃったから。謝ろうと思って……―


「「「「トモカさん/トモカ殿/トモカ殿様/トモカ……」」」」


 一徹の記憶にも久しぶりの登場。

 ゆえに魅卯、ルーリィ、シャリエールとアルシオーネは漏らした。 


 一徹は異世界にとんでからの2,3年の間に一度この世界に戻ってきたと言うが、その時の記憶は魅卯たちは跳躍して超えたゆえに見ていない。

 

 魅卯たちが最後に見たトモカは、高校2年生の頃の美少女の姿だった。

 だが、今の姿は……


―徹新じゃないよね。この女の子は別人。ねぇ、また……行っていたの?―


―あ……う……―

 

 一徹を認めるなり立ち上がったトモカは、一徹の目の前に立つ。

 

―ねっ……幾つになった?―


―……三十……四……―


―昨日会った時は30歳だったよね? そっか。私にとってのたった一日で、アンタは4年も経過していたんだ―


 なんと切ない光景だろうか。


―私はね? 変わらず28。アンタが海外赴任から帰ってきた一か月か前から変わらず、28―


―そっか。そうだな?―


 高校1年生の時に出逢って、ぶつかって、すれ違って。ドラマの果てに高校2年生のある日から、当時17歳の二人は恋人同士になった。

 そうして今は、これが現実である。


 同じ年に生まれて、同じ時代に青春を過ごした。手を繋いで、一時期を同じ方向に歩んだ二人は……一徹が34歳でトモカが28。実に6年もの年齢差を生じさせていた。


―うっ……うぅっ……―


 顔中に刻まれた34相応のシワと皮膚のカサつき。黒以上に存在感を占めるようになった銀の頭髪。

 マジマジと見つめ上げたトモカはギリッと歯を食いしばる。バッとトモカは顔を落とすと、両掌で顔を覆った。


 一徹が呆然としたのは……トモカの笑った貌、怒った顔をこれまで見てきた中で、泣いたところを見たのは初めてだったからだ。

 高校2年生の時一度泣かしたことはあったが、一徹がその場から逃げたことで泣き顔は見ていない。


―飲みに行こう!―


 大学に入ってから、留学するまで付き合っていた恋人。

 しかも嫌い合って別れたわけではないかつての恋人に泣かれてしまっては、一徹もたまらない。


―暗い話は無し! 楽しくやろうや! 俺の帰還祝いだ! お前に伝えたいこともあるんだぜ!? 解放されたんだ! もう二度と異世界に戻ることもなくなった!―


 無理やり笑みを作って、必死に空気を盛り立て、トモカをなだめようとした。


―なんでも好きな物おごっちゃる。これでも結構お大臣なんだぜ!? 海外赴任手当でしょう? 危険手当でしょう? 地域手当でしょう? 激務ってんで金使う暇もありゃしねぇ―


 忘れてはならない。

 この場には一徹とトモカだけじゃない。もう一人幼女がいる……のに、そんなの、一徹はどうでもいい。


「ただただ、トモカさんだけは悲しませたくないんだね」


「この世界だけなら、トモカ殿しかいないんだ」


「一徹様はこの時、確かに首に繋がれていた私達の世界からの手綱から解放されていた。もう二度と私たちの世界に帰ってくるはずは無かった」


「トリスクトでもねぇ。フランベルジュ特別指導もいねぇ。リングキー・サイデェスだって忘れていい。ナルナイや俺に到っちゃ多分……些事ですらないよ。んでもってまだこの世界じゃ……お前でもないんだよ。月城魅卯」


「……うん」


 一徹は帰って来たばかりだが、トモカの両肩を両掌で挟むと、力を加えて転身させる。

 背中を押して、アパートの玄関口まで押していく。


 トモカは一人幼女を残すことに気が引けているようだったが、やはりそんなこと、一徹にとってはどうでもいい。



――神奈河県横浜市鶴菊が地元の二人だが、呑みに行くなら隣町の河崎だった。


―アンタ、本当にお大臣じゃん―


―ヌハハッ。我が財力に恐れ入ったか?―


―銀行預金1,000万って。飲みに行くって言ってご馳走してもらったのだって、フグ専門店で1万円の一番高いコースじゃない―


―入社3年目で海外赴任が始まったから。色々手当もついたもんで割かし早くに溜まったんだ。別で株の投資もやってる。毎年配当は24万。ま、毎月2万円のお小遣いが仕事以外から貰える感じか? 将来に向けた備えとして始めたんだが……―


―アンタのその堅実なところ、ぶれないよね? 学生時代は将来に向けて勉強を頑張って、今は将来に向けてシコシコ金策? 守銭奴め―


―現実主義者って言ってくれない?―


 酒に逃げるは正義ではないかもしれない。

 でも、酒のおかげで鬱屈した空気になって沈みこまないなら、其れだって時には良いかもしれない。


 トモカもなかなか飲める口だった。

 飲み放題設定付きのフグのコースでパァっと金を使ったことで、ぐいぐい飲んだトモカも気が大きくなったか、気持ちが軽くなったか。


 なお、食事中の二人の会話と言えば、数年の間に忘れてしまった現在、すなわち正化何年に起きたことを挙げて論ずること。

 そうすることで一徹も失いかけていた桐桜での元の生活を取り戻そうとしたのだ。

 

 トモカだってもう女子高生な女の子じゃない。

 社会への愚痴をこぼして、政治を、経済だって語れる。


 会話の内容は、かつて好きだった芸能人とか、友達がどうだとか高校生時代の話題ではないが、大人らしい会話でも成立し、盛り上がれる。

 青春から大人へ。

 それは、二人の関係性が長いこと続いてきた証明でもあった。


―いやぁ楽しかった。やっぱトモカ最高―


―アハハ。アンタ歯に衣着せなさすぎ。いくら私とは気の置けない間柄といってリラックスできるからと、それは元カノに言うセリフじゃないから―


―うん? ソーダナ。さぁて、22時半……ね? 終ろっか―


―ッツ―

 

 しこたま酒を飲んで、二人で長いこと食事をした。

 いい時間になったのは事実。


 だが、今日退職をした一徹と違って、トモカは明日も仕事があるはず。

 普通に、この日は平日。明日は別に週末でもない。


 だから明日の仕事に響かぬようにと一徹は提案した……のだが……


―(ど)うした?―


 解散を切り出した途端だった。

 トモカが、一徹の上着の袖口を右手で掴んだのだ。


―しゅ、終電までまだ時間あるからまだいいんじゃない?―


―いいんか?―


―それに、終電逃しても隣町だし。最悪、送ってくれるでしょ?―


―……良いだろ。じゃあ締めでも行くか? 河崎っつったら宅系ラーメンは《雷土家いかづちや》のチャーシュー麵大盛味濃いめ油多め麺硬め大チャマックス、大ライス、海苔、ほうれん草レンソウトッピング―


―食えるかっ! さっきフグ雑炊締めに食べたばかりでしょ!? 成人病まっしぐらよ。せめて並サイズ。味普通油少なめ麺硬めにしときなさい! ライスも無し!―


―じゃ、じゃあ……―


―あっ! だからと言って《河崎新タンタンメンアホばかリーメン》って手も無しだからね! 大蒜が大量に入ってるからって野菜タップリってわけじゃないんだから!―


―……明日行こうと思います―


 数年ぶりのソウルフードに胸に期待膨らませる一徹。だが、許されないようだ。


―良い店を知ってる。私の行きつけ。バーなんだけどね? 仲店通りにあって……―


―まさかビール一本20万はしまいね?―


―お安くしておきまっせお兄さんっ―


 話は決まった。

 二人は二件目に行くらしい。

 酒のせいで心の戒めというか、封じていた想いが駄々洩れなのかもしれない。


「トモカ殿……手を握って、引いている」


「師匠もまんざらじゃねぇ。当然か。この時の師匠には、トモカしかいねぇ。で、幾ら師匠が『もう二度と異世界には戻らない』と言っても、トモカが信じられるわけじゃない」


 これまで精神的にも肉体的にも近づいたことはあっても、既に一度破局していた二人だから手を握る場面は無かったのに。


「どうかな。多分、師匠以上にトモカがこの場面を大切にしているんじゃねぇか? この記憶の中でのトモカは、前日に会ったばかりの師匠が翌日のこの日再会して更に4年離れていたことを知って愕然とした」


「今日を逃すと……明日にはまた何年離れ、幾つ年が違っているか分からないから怖くて仕方ない……ですね? 参りましたね。今の二人の雰囲気、下手すればこのままホテルにしけこみかねないではないですか」


 確かに、酒の助けを借りた二人が、いつ手を握る以上の展開に進んでしまうとも限らない。

 いつ口づけを交わしてしまうか。いつ……その先へと行くのか……


「……そんなことにはならない」


 だがこの光景を眺める、一徹の記憶にダイブした4人の中、ルーリィだけが揺れることなく声を挙げた。


「何か知っていますねトリスクト様。あながち……この後の展開についてですか?」


「安心して欲しい。目にして、私達の心が折れるものじゃない。未帰還者リスクは低い展開だと言っておこう。ただ、私達は心して目に焼き付けるべき場面と言っておこう」


「あぁ、そうか。それこそが……三縞校文化祭の後夜祭にて、トモカ様がトリスクト様にお話しになった真実……」


「さぁ、気を引き締めて臨もう」


 表情も改めたルーリィを一目見て、シャリエールは一息ついて光景に再び視線を送る。

 アルシオーネも魅卯も、固唾を飲んで次の展開に備え、待機した。



















ことしもお世話になりました。

三月から記憶回初めて、年内には終わりませんでした。


やっぱり完結後の一挙投稿時は、回想録は別作品として挙げた方がいいですね。

一徹昏睡から復活までが長すぎて、ダレるので。


後日談は後日談として。

前日譚は前日譚として、別枠で投稿しようと思います。


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