テストテストテスト228

―明日には帰路に着く。出港当日の朝じゃ時間はないから、今話しをしておくよ―


 数ヶ月掛けてこの国にやって来たジンブジャックボー達だが、滞在は数日ほどだった。

 ガミルナ発注品の納品も終わり、料金も受取っている。

 

―ガミルナ嬢ちゃんご注文の品、初取引だからこの国くんだりやって来た私達だが、アンタのこの国での滞在ぶりを見るためでもあった―


―結果は?―


―うまくやっていると思うよ。正直予想以上さ―


 この国を離れる前の最後の夜、グレンバルド家に滞在する重要人物達(他の乗組員たちは宿に滞在)は邸宅の居間に集った。


―それが分かったんだ。本当は本日中に出国予定だったんだが……―


―明日に後ろ倒しになったのには理由があった。アマオウ魔王からのお招き、接見と会食ですか?―


―気になるだろう? 何を話したか―


 今回渡来した重要人物全員と、一徹とマスターグレンバルドと夫人とで一同に会す。

 シャリエールとアルシオーネはいなかった。


―やはり、《黒と白の大戦》は着実に近づいてきているらしい。そして我、《獣帝ジンブジャックボー》は、《アマオウ魔国》今代アマオウ魔王陛下から同盟を請われ、コレを承諾した・・・・・・・


―っとぉ?―


―これにより我らジンブジャックボー一大一派全組員は、起きた戦に《黒》の側として参戦する・・・・


 不意打ちにも感じた結果論。

 表情、豆鉄砲まま一徹はフローギストを見るが、引き締まった表情が逆に一徹を見据えていた。


―今回獣帝お袋に魔王が目通ったように、実はそれ以外の獣王に対して魔王陛下は遣いの者を出すつもりだったらしい―


―《タベン王国》内獣人族で天下取ったジンブジャックボーお袋の様に、その他の国で人の手入らぬ地を己がナワバリシマとす大獣人って奴ぅ?―


 一徹だけではない。面食らったのは、三名の旦那持ち忌子も同様だった。


―前回の大戦で同じ《黒》の側として戦った我ら両族には、別に盟約こそ結んでいないが、ある種の絆が存在する―


―魔族が戦う中で、獣人族が芋を引くわけにもいかなくてね?―


―今の話を、まるで俺に重点置いてしたのは、俺も陛下の直参にして親衛隊である、《獣帝の爪》だからですか? 戦の支度はしておけと?―


―そうだね。もしお前も私達の為に戦うなら、これほど頼もしいこともない。此度、獣帝として覇を私が唱えた途端、最接近である《獣帝の爪》は、その権力も・・・・、私が下して舎弟にした《タベン王国》その他3獣王に等しいのだから・・・・・・・・・・・


―参ったね。帝とは王の上。故に、一の子分級が帝の下位、王と同格。俺が、王ですか・・・・・・・?―


―フフ、安心しな。とは言うものの、今回の戦、実態は、私達の中で希望するものは不参加を選択できるものにした。もちろん内密にだがね―


―ですか?―


―ま、参戦を約してくれるなら、今この場で3獣王どれかのナワバリシマと権力をお前に与えるよ。万……とはいかんが、それでも数千の獣人戦士をお前はただの一言で動かすことができるようになる―


―お袋は傘下に治めた3獣王それぞれの大派閥に、かつての獣王の位置にお袋の一大派閥からヒトを送ってコントロールするつもりだ―


―執政官。トップダウンの獣人社会においてトップを自分の手の者にすげ替えることで、名実共にお袋一大派閥に取り込み乗っ取るか―


 ジンブジャックボーはニィっと歯を見せ前のめり。


―どうだい一徹。獣王になってみる気はないかえ?―


 あからさまに凄んで見せていて、飛ぶ威圧感が熾烈だから、苦笑いの一徹は脂汗が吹き出た。


―柄じゃありませんよ―


―そうでもないさ。お前は王として務まる貫目をキッチリ持つ。私がそう判断し断言する。すでに私に一の忠誠を放つ若頭のザイオン、第三席の若頭補佐フローギストは執政官に内定してる―


―俺は《獣帝の爪》末席ですが?―


―お前はブーピーだよ一徹。ブーピーでもないか。かつてフローギストと供に私を倒したお前は、本来筋だと私より高位に立ってるべきだった。フローギストが三席に甘んじるなら、お前は第4席にいなくては。なら最後一人、お前が残りの獣王枠を手にしてなんらおかしくない……が……―


 蛇に睨まれた蛙もとい、ワニに睨まれた人間族の図。程なくジンブジャックボーはあっけらかんと笑った。


―いやなんだろう?―


―嫌ですね。面倒だ―


―アッハハ、お前ならそう言うと思った。王になるのが面倒なんじゃない。戦に出るのが嫌だった。大した奴だよお前は。自分の為に王にならないんじゃない。誰かのためにならないんだ・・・・・・・・・・・・


―買いかぶりです―


―謙遜は時に鼻に付くとお知り? なら今の評価を下した私の目が狂ってるってことかい?―


―そいつぁ随分お人が悪い物言いで―


 放たれる威圧に押されたか、一徹はどかっと、座る椅子の背もたれに重心を乗せた。


―不干渉を貫くか。なら《白》の側にもつかないね?―


―勿論です―


 しかし、返すべきは即答して見せる一徹。淀みのなさは迷いのなさと同等。

 ジンブジャックボーは含みのある笑顔で一徹を見つめた。


―見捨てるつもりではないのか?―


―どういうことです?―


―お前が大好きは兄貴分は戦場を駆るよ? 戦という災に飲まれて命を落とすことだってある。フローギストが出撃するならガレーケ、お前も出るね? お前だっていつ死んでもおかしくない―


―愚問だね。戦場に命投げうつご主人の帰りを、安全な場所で待ち続ける? 生きのさばるくらいなら、ともに戦う。ご主人が先か私が先か。二人同時に死ぬのか片方が生き延びるか。ふたりとも生き残るか。わからないけどフェアだろう?―


―っというわけで一例を聞いてもらったが、ルーリィ・セラス・トリスクト・・・・・・・・・・・・・・はどうする一徹・・・・・・・?―


―それは……―


―人間族の伯爵代行様だって言うじゃないか。兵卒はなくても将官将兵はありうるよ。失わせないため・・・・・・・に、お前さん人間族に加担しないかい?―


―ならさらっちゃいましょうか。戦が終わるまで監禁しますよ―


―使命感に強い娘と聞いている。焦りが募り、参戦させないお前に罵詈雑言吐くかもしれませんが?―


―彼女が死なないなら、私はいくら侮蔑されても構わない―


―ま、そうなんだろうね―


 答えを聞いたジンブジャックボーは満足そうにニヤリと笑った。


―今の話はトリーシャさんにレージュも?―


―私と違って魔王は忌子を気にするようでね。接見も会食も私とフローギスト二人がもてなされた―


 ジンブジャックボーはフローギストと顔を見合わせると、二人して頷いた。


―安心したよ。一抹の迷いもあったなら、私はお前をどうにかせにゃ行けなかった―


―ハッ、そんな簡単な口ぶりで、答え合わせ先の質問が実は致命的でした……なんて言わないでくれません?―


―そりゃあそうなるさね。なんてったってお前さん……ササヌーン・ムカータのかんなぎなんだから―


=オイオイ/なんと=


 一言は、マスターグレンバルドと夫人の顔を豹変させた。


―魔族の国では神族の侵攻は無かったようだね。全人間族の国、全市町村に突如として現れ、霧のように消えた無数の神族は、お前をあぶり出すために侵攻した。それは……―


―神族は創世神ヴァラシスィにひもづく。その天敵対抗神が、邪神ササヌーン・ムカータだから―


―対して人間族はヴァラシスィ神こそ邪神と呼ぶが……なんだ、一気にきな臭くなってきやがった―


―信じられませんね。神族なんていうのは、それこそ御伽噺の存在のはず―


―さすが大将軍まで上り詰める。筆頭夢見監察官を務める。お前達夫妻は、教養が深いようだ―


 驚きの顔をグレンバルド夫妻から向けられ、一徹は居心地悪そうに笑って目を伏せた。


―巫としての使命は一体なんだい? ササヌーンムカータから、何を期待されている―


―実の所わかっていないんです。どうして俺なのか。何が目的か―  


―巫というからには、神託なるものがあるのではないのか兄弟―


―巫として定められた時にはな? 簡単に言ゃぁ『君、今日から巫決定!』それだけさ―


―うむぅ―


 まじまじ一徹を見つめる兄貴分は、その回答に黙ってしまい、口を右手で覆って眉を顰めた。


―代弁者、或いは代執行者でお前がなければ良いんだけどね―


―代執行?―


―今の話を聞くに、巫と言うものにササヌーンムカータが何をさせたいのかはわからないみたいだが、なら私達は、まずその2つの可能性に警戒をしたい―


 代執行という言葉が妙に引っかかる。一徹は首を傾げて……


―そういうことですか。ササヌーンムカータの代わりに、ササヌーンムカータの目的を完遂すること―


 考えに至ったのが……


―それはある意味、そしてもはや、2代目ササヌーンムカータになる・・・・・・・・・・・・・・・ということですねジンブジャックボー陛下?―


 グレンバルド夫人。放った意見は、数秒その場を黙らせた。


―ハハ、話が飛躍しすぎですよ夫人。じゃあ俺、神様二代目ですか?―


―或いはそうなり得ると言っても不思議じゃない。そこらの野郎がそう吹聴したところで、普通ならお笑い種さ。だがお前に関しては所々でその素養が見える。看過はできない―

 

―素養? 素養か。それを言われちゃ、納得かも知れないわ?―


―ちょっ、レージュさん? 何故に言われた俺が理解出来んで、オネーちゃんが理解できちゃうのよ。って痛っ―


 ウンウン頷くいたレージュ。一徹がふざけがちに口にしたことで、パシンっと後頭部を叩いた。


―昔は冗談言い合う関係だったから、改まってこんなこと言うのも恥ずかしいけど……圧倒的なリーダーシップでしょ・・・・・・・・・・・・・・・? 長として仲間を引き連れるだけじゃない。周囲を巻き込む力・・・・・・・・。自集団の規模をどんどん膨らませる―


―カリスマ性というより、共感性と真摯さを持って接する。相手に与し易いと思わせます。上下関係というより対等な関係で絆を増やしていくから、親しみやすく仲良くなれやすい。ある意味その関係は、一番敵にとって恐るべきものになります―


―レージュやトリーシャが言いたいのは、その類まれな人心掌握術をもって、お前は気づけばサーヴァントリーダーシップ・・・・・・・・・・・・・・を発揮していたということだ。極端だが、上官から『作戦の為に死ね』と言われるより『友の為なら死んでも良い』と思える奴の方が多いだろう―


―いやぁ、クラクラ〜っと来ちゃうねぇ。こーんな美人三人からベタ褒めとか、全員旦那持ちじゃなきゃ落とされてたとこだ―


 忌子美女三人は真面目なことを言ったはずだが、一徹はふざけたまま。

 否……


真剣に受け止めるのが怖いんだろう一徹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


―うっ―


 ジンブジャックボーに言われたのが本当の所だろう。


―何故先ほど獣王の打診をしたかだが、別に《獣帝の爪》で、傘下に別獣人大派閥を納めたからじゃない。お前は獣人族の頭ぁ張れるだけの強さも持ち合わせる。なんせこの私を沈めたんだ―


―あれは、兄弟との2対1で……―


―何より特筆すべきはその一貫性。お前はとにかく、ブレない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


―いや、いやいやいや。俺なんてもう、ブレッブレで……―


―獣王に据えようとした理由それは……お前がもはや王……だからさ・・・・・・・・・・・・・・


―ツゥ゙ッ!?―


―肩書がないだけ。冠が無いだけ。だが、《無冠の王・・・・も王には違いない・・・・・・・・


 なんとか誤魔化したり、話を変えようと試みた一徹も、とうとう押し負けてしまう。


―一徹殿に対し同じ見立てをする方がいらしたとは。ただまさかそれが獣帝陛下とは思いませんでした―


―なんだトリーシャ。お前もかい?―


―私というよりも、夫ハッサンが最初に、一徹殿に王を嘱望していました。私と夫の間には、今年で3つになる娘が居ますから―


―あぁそれが……一貫性?―


 ジンブジャックボーの発言に、まず最初に納得を見せたのが、一徹の親友であり嘗て仇敵だった男の妻だ。

 トリーシャの背景を耳に入れたレージュも、腑に落ちたか溜息を一つ。


―一徹は徹新を息子に迎えた。忌子のあの子が幸せで健やかに生きていける人生を望み、それが叶う世界を願った。そのために身を削り魂も擦り減らしてきた。いつしかその理念に共感を覚える者、賛同者が集まった―


―四族に別を作らない。他属と関係を持つ《種族の裏切り者コウモリ》や、忌子でさえ例外にない―


―《種族無関係対等》。一徹殿が提唱し体現してきた理念は、既に私達の国是・・・なのです―


 獣人と魔族の忌子が、人間とエルフの忌子が、魔族とエルフの忌子がそれぞれ評価する。


―……《灰の王・・・》……―


―ウクッ―


―だから夫ハッサンは貴方に忠誠を誓った。魔族獣人族の《黒》、人間とエルフの《白》、そのどちらでもない《灰》。世界中に散らばる《種族の裏切り者コウモリ》と忌子をまとめ上げ、第三勢力として私達を率いる唯一絶対の君主になって欲しいと―


 まさか国是こくぜとまで一徹も言われるとは思わなかった。


―お前ならもうわかってるはずだね。王に、国土は必要かい?―


―やめてください―


―必要ないのさ。民がいるから国となる。王がいるから国と成す。大事なのは繋がりさ。国土とはあくまで集団が絆を維持し安定的に暮らすために、密集出来る居住地が必要だからに過ぎない―


―個体が強い獣人族はどこでも生きていける。国土を必要としないなら、強固な絆だけで国はでき、王も頂ける。そういう形の国であれば、それだけの素質があるお前も王になれるよ兄弟―


―お前は頭がいい。打算もあるだろうが、周囲に気が利き面倒見も良い。敵対しなければ基本気さくな良いやつさ。周りから信頼と命を預けられても良いと思わせる。王になってもらっても良い位にはね―


―やめろって―    


―そして強靭な王ってのは有り難いもんさ。病に伏すのは老いてからでいい。勿論ヴィクトルなど、お前の命を手練れ達が守るだろうが、王自身が強いなら簡単に討ち取られることも倒れることもない。絆だよりの国であっても、瓦解のリスクも少ない―


―《種族無関係対等》との一貫した国是があることも重要ですね。政策にブレがあると、民が不安になる―


―なっ? それほどのお前だから、ササヌーンムカータの後継者になってもおかしくないのさ―


 ジンブジャックボーもトリーシャも手を抜かない。

 両手で顔を覆う一徹。体を前傾させた。


―話を総括しましょう―


 パァンとの柏手一つ。

 音の主はマスターグレンバルドだった。


―かぁちゃん。手伝え―


―私は貴方の母ではありません。が、良いでしょうお前様―


―まずは一徹が《白》の側に加担しないと決めてくれて万々歳です。でなければ、私は一徹を殺さねばならなくなる―


―ですが二代目ササヌーンムカータの業を背負えるだけの可能性と素養があれば、逞しく良き王となれる。ジンブジャックボー陛下は傘下に収めた別獣人大派閥属国を山本殿に与え、その辣腕を振るって貰いたかった―


―一徹が率いるなら、与えられた他派閥の軍事力の絶大な向上が見込めるからね。嘗て《白》の軍勢は、ササヌーンムカータを擁していたことで勝てた。なら……―


―此度は《黒》の軍勢が勝てるはずだ。二代目ササヌーンムカータになり得る兄弟が友軍にいて、指揮力、武力の剛腕を振るうからな―


 そういうこと。

 だからジンブジャックボーが率いる、ガミルナ貿易品納入部隊は魔王接見後、これを言うため一日伸ばしたのだった。


―俺が《アマオウ魔国》に来たのは、人間族の領土にいたら身柄を抑えられるかもしれないからだ。その時、手段を選ばなくなった醜悪な人間族が、皆を巻き込まないようにな―


 一徹は耐えきれなくなったようにスックリ立ち上がる。


―別に魔族の味方になるつもりはない。昔のような、姿見ちゃ殺したいと思うほどじゃなくなった俺だが、今でも魔族は嫌いだ。アルシオーネ含んだグレンバルド一家、ガミルナ、シャリエールと仲間たちに格別な思い入れがあるだけ―


 部屋を出ようと、出入り口に向かった。


―俺は、王になんてならない。なりたくない。《灰の王》だと? 理念に賛同してくれんのはそりゃ嬉しいが、信じて付いてきた奴を戦に動員する。命を散らせるのが王様の役割なら、俺はそんなものいらない―



――パタリと扉を閉じ、背中からもたれかかる。

 カサッと音鳴らし、懐から取り出したのは二通の手紙。


『もう自由です。約束もありません。貴方はこの世界でご自分の人生をしっかり生き抜いていください』


 リングキーの遺言書。


―参ったよリングキー。自由に生きたつもりだが、一見好転していたはずの状況が、実は悪い方に転がり続けていたことを思い知らされた―


 この遺言書になんど目を通したか、一徹はしれない。


『返信はいらない。君の居場所が知られてしまうから。愛しています。いつか再び、またあの穏やかな日々を二人で過ごせるその時を願って』


 そしてこれは、ルーリィからの文。

 レージュは親友だから。ルーリィは魔族の国への旅程を組んだ彼女に手紙を託したのだ。


―この世界五年目、ついこないだまで俺が望んでいたのは、スローライフだったんだけどな―


 ならばルーリィは一徹の居所を知っているのだが、そういうことじゃない。


―あれ、なんだ? なんか息苦しく……―


 あくまで知らない体でルーリィはいたいのだろう。

 ルーリィが知っているとなれば、ルーリィはじめレージュなど周囲のものに人間族の疑いの目が集まってしまう。


 そんなことわかっている一徹。何度も無理やり深呼吸をした。

 

―ヒッ……ヒ、あ、やべッ……ヒッ……ヒヒ―


 胸が詰まりそうになって、そうなると急に……


―い、息……―


 呼吸が出来なくなったようだ。


―ヒッ……ヒ……ヒッ……ヒヒィッ……―


 この世界に転移してから、どうにも自分だけでは許容できない量の精神的負荷がかかった時、度々過呼吸の発作があった。


―ヒィッ……ヒィッ……―


 先ずはガクッと、膝から床に崩れ落ちる。

 酸素を取り込めない気管に「仕事をしろ」と、バリバリ指で首をかきむしった。

 

―あ……ブア……あ……アッ……―


 血走った目で、今出てきた扉を、閉じられたドアを睨んだ。


 声も出ない。助けも呼べないし、崩れた一徹に気付くものは誰もいない。

 そのうち呼吸器内壁が張り付いたように、急に喉が閉じたような。

 無我夢中。両手で首を抑え、ぶんぶん首を降る一徹だが、自分で首を締めているように見え……


―……あっ……―


 一徹の眼球がぐるり白目を向いたところで……


 暗がりから、影が一徹に飛びかかった。


―ひゅぁぁぁああああっ!?―


 飛びかかられた何者かの感触を全身で受け止めた一徹。なにかスイッチが入ったように、あれほど喘いでいた状態から、


―ハァッっ!? ハァッっ!? ハァッっ!? ひゅぉぉぉおおおっ―


一分か二分かの無呼吸を取り戻すように、酸素を取り込め始めた。


 やがて少しずつ落ち着きを取り戻して……


―シャリエー……―


 そうして認める。現れた影、シャリエール。

 無我夢中で一徹の首を自身の胸に引き寄せ、強く抱きしめた。


「あ……またなんだ」


 呆然とした顔で固まった一徹は、安堵が過ぎて身体中が弛緩したからか、スゥッと目が閉じられていく。


 同時、記憶にダイブした魅卯達が眺める光景そのものが、瞳閉じるのと合わせて闇にフェードアウトしていく。


―……憎い―


「ヒッ!」


 聞き馴染みのある声だ。聞き馴染みのない声だ。


―こんな手紙など、いっそのこと……―


 闇中、呪いの響きだけが魅卯達に届く。


―もう二度と会えないリングキーじゃない。貴方のお側にいられないトリスクトでもない。私が……貴方のそばには、このシャリエールいるのに……―


 その声も、少しずつ遠くなっていく。


―私がいる。私だけは絶対、貴方のお側を離れない……のに一徹様っ、なぜ……シャリエールを遠ざけになるのですかっ!? あの二人がいるからですか? に……くい……リングキーが。ニクイ……トリスクトが……―


 恐らく視界だけじゃない。聴覚も一徹は無理矢理放棄せざるを得ないのだろう


―憎いにくいニクイ難い悪い肉い憎イニクい悪い……―


「や、やだっ!?」


 いつまでも繰り返される怨嗟に、暗闇の中で聞く魅卯は全身にゾワゾワしたものが走った。


「言ったでしょう? 貴女如き小娘が、立ち入れる領域ではないと」


 かつてこの記憶の場で負を連ねていた、今は一徹の記憶にダイブしたシャリエールは優しく魅卯の手を握る。

 柔らかな感触だが、怖いことを言うから手を握ってきたシャリエールの顔を魅卯は見れなかった。


「怖がらせるなよシャリエール」


「恨みを晴らしてくれないなんて、嫌な女ですね、トリスクト様?」


「君はこのしばらくあと、私に対して随分思いの丈をぶつけて発散したろう?」


「それでもゼロにはならないですからね。なり得ない」


 ルーリィが助け舟を出してくれたから、シャリエールの圧気がルーリィに向いたのはありがたい。


―憎いにく……いニ……難い悪……い肉い憎……悪……に……―


 次第に、連なる嫉みの音は消えゆく。

 記憶の中の一徹はきっと、意識を失い切った。

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