エメロード・ファニ・アルファリカの安堵と勇断

「無様ですな旦那様」


「お前、んなバッサリと……」


 舌を出し、うつ伏せに倒れている。しかめっ面を浮かべていた。


「だって容赦ねぇんだもの先輩たち」


 《メンスィップ》に到着してはや一週間が過ぎた。一徹は……二日目以降からお客様扱いを受けることはなくなっていた。


『ゴルァ下っ端! 寝てんじゃねぇぞ!』


『まだぁ荷だってタップリあるんだからね! お動きでないかい! ぶん殴るよ!』


 この街の臨港部。切られた石で作られた石畳が綺麗に敷き詰められた船着場。


「なぁ、覚えているかヴィクトル。この街と各離島間との流通量を増やしたのも、伴って船便が増えたのも、交易量が増えハッサンの商会には発展を、《海運協業組合ギルド》にゃ儲けを、もたらす仕組みを作ったのは……俺だったはずなんだ」


 日光に焼かれて足場は暑くてしょうがないというのに、一徹は疲れから倒れてしまっていた。


「んな俺たちが、何だってその仕組みの末端で協業組合ギルド宜しく積荷運ばなきゃならねぇ」


「いまや過去の栄光ですなぁ」


「ウグッ!」


「それに旦那様が協業組合ギルド一の末席構成員だというのは今更でしょう」


「ひ、ヒデー言いよう」


 平等に日光はさんさんと降るから、汗をかきかき一徹は塩をかけられたナメクジのように溶けてしまいそうだった。 


『山本一徹ー!』


「ハイハーイ、エメロード様聞いていますよー」


 うつ伏せの状態。顔だけ、体が向く方向に向けた一徹。遠くのほうで手を振ってくるエメロードに反応して声をあげた。


『違う! 働けって言ってるの! 私が荷を運んでいるときに貴方がサボってるなんてどういう了見よ!』


『おう! そうさ嬢ちゃん! もっと言ってやんな!』


『アンタ三十路も超えて18のお嬢ちゃんに言われっぱなしたぁ悔しくないのかい。仕事量も、負けてるよ!』


 が、予想とはまったく違うエメロードの言葉に、乾いた笑いを浮かべた一徹は、ガックリというか、今度こそ地面に額をこすり合わせた。そうしてため息をひとつ、重そうに身体を起こし、立ち上がった。


「若い娘っこに言われ放題ですな旦那様」


「年長者としては立つ瀬が無いね本当に」 


「だが、目論見は当たったといったところですか? 初め旦那様が『エメロード様に貨物運搬作業員として働いてもらおう』と言われたときには驚いたものでしたが、なかなかどうして、ちゃあんと先輩方にも受け入れられている」


「ま、賭けだよ。《仕事に貴賎なし》っつー観点からしちゃ言っちゃいけないんだろうが、相当な肉体労働。そもそも労働なんて縁遠い公爵令嬢には過ぎた仕事だ。しかも人間族以外とね。やっぱ根性があるよあの子は」


 が、面倒くさがりは極まっていた。立ち上がったかと思うとしゃがみ込む一徹は、自分に向かって「コラー!」と叫ぶエメロードに破顔した。


「おかげで良い恩返しをさせてやれてるさ。さすがにタダで先輩たちに守ってもらうってのもムシの居所が悪いかったからな。超絶高慢チキチキ傲慢令嬢の性格は苛烈、同じ苛烈同士、馬も合ってるみたいだし」


「考えさせぬためでしょう?」


 不意に言われた一徹、見上げた先のヴィクトルはニッカリと歯を見せて見下ろしてきていた。


「ただ保護をされる。じっと帰る日を待つ。そんな状態じゃあいろいろ考えてしまいますからな。手を動かす、身体を動かす。とりわけこれほどの重労働だから、あの襲撃で起きたことについてせめて日中だけは気にしなくてよい」


「んくっ」


「さすがに、睡眠中だけはどうにも出来ないからせめてもの配慮というところですか? いや、重労働後の泥の眠りは夢さえ見せない。悪夢すら、エメロード嬢から取り除きますか?」


 言い切ったヴィクトルに対し、呆けた一徹は、しかしながら遠くから聞こえる幾たびものエメロードの呼びかけに立ち上がる。


「いつもは悪魔的に傲慢なお嬢様が、夜な夜な心細そうな顔浮かべながら自分のところに来る。想像してみろよ。ありゃ一種精神攻撃だ。こっちが心苦しい気分になる」


そしてエメロードのほうへとゆっくり歩き始めた。


「あーあ、やっぱりお前にゃ隠し事は出来ないな。少し大人気ないんじゃないか? 10も歳下な俺のこと、あんまりいじめてくれるなよ。魂胆見抜かれたら恥ずかしいんだから」


「保護者ですなぁ旦那様?」


「うるへー。なお更恥ずかしいだろ。お前が俺の保護者なんだから」


「よくわかっていらっしゃる」


 完全なる捨て台詞を漏らした一徹の、あまりのバツの悪そうな雰囲気に、背中を眺めたヴィクトルは楽しそうな表情で小さく笑い声を上げていた。


「そういえば、旦那様のお部屋に毎夜足を運ばれる心細げな美少女。二人きりの状況。よく理性が保てましたな」


「バーカ。アルファリカ公爵家は《タベン王国》王家除いちゃ筆頭格の超名門。その第二令嬢に手なんか出せるかよ」


「これでエメロードお嬢様が人妻であったなら、最悪手を出してもバレなかったものを。残念ながら未婚。ことごとく縁談も破談していったと聞いています。婚約者もない。であればわかってしまいますか? 誰がソレ・・を奪ったのか」


「頭弱ぇ尻軽な女だったら、まだいろいろやりようはあったけどな……」


処女純潔。ふしだらでないこと示す重要なシンボルは、他家との婚姻を大きく左右する……ですか。だからどの家にとっても娘の純潔は婚姻に関わる武器であり、大きな財産である」


「ハハッ! んなことしてみろ? 仮面舞踏会で見た超絶親バカ公爵が、俺の敵になるってこった! 想像したくもねぇ! ありゃどんな手ぇ使っても敵を滅ぼすタイプだわ」


 一方で、ヴィクトルにとって少しだけ残念なところがあった。


 面白おかしく笑って見せる一徹の様子と言葉を受けながら、エメロードを「ない」という結論に至ったのは引っかかった。

 確かに違いすぎる身分。一徹の言葉だって説得力があった。

 だが、それでも……


「……なぁ、ヴィクトル」


「なんでしょう?」


「今日、娼館プロに頼っちゃ……」


「とはいっても持て余しますか。その足ですぐ、エメロードお嬢様に顔向けできますか?」


「はぁ、無理だよねぇ。やっぱり……」


 ヴィクトルの中で、エメロードという少女は、シャリエールでもなくルーリィでもない、「第三の選択肢」にも成り得る存在として、実は期待していたところはあったのだ。



『すまなかったね。君を、危ない目にさらした』


 《海運協業組合ギルド》のバーの店内にも似たエントランス。協業組合ギルドへの依頼も請け負う受付にもなるその場に、一徹がいなかったから、この拠点の、いまは不在だと言われているギルドマスターの執務室に一徹はいるものだと踏んだエメロード。


 彼を探したのは、熟睡に至れず今日は悪夢を見てしまったエメロードが心細さに苛まれたから。


 一室の扉をノックしようとしたところで、中から聞こえてくる声にとどまった。


『謝罪はなんつーの? 複雑だわ。結果だけ見れば俺は生きてる訳だし。自分で言うのはおかしいけど名代でよかった。もし俺が名代にならず、お前がパーティに行っていたらと考えたらなぁ』


『死んでいた。妻と娘をこの港町に残したまま』


 聞こえてくるのは一徹とハッサンの声。微妙な空気感は、声とともにドアを抜けてエメロードにも感じさせた。


 名代に仕立て、一徹をパーティに行かせたのはハッサンだ。ならば結果的に一徹を襲撃にさらしたのはハッサンの責。


『結果オーライ。いいんじゃない? その借りは、エメロードお嬢様の保護にしっかり協力してもらっているってことでチャラになってるわけだし。んにゃ、元は同盟パイプ役は俺がお前に押し付けた話。それを考えると、チャラどころか俺、お前に借り作ってばっかだなぁ』


 とはいえ現実を見てしまうと、まだ参加したのが一徹だから何とかなったという結果が、一徹にハッサンを問い詰めさせなかったようだった。


『借りを自覚しているのは良いとして、それをあまり私にひけらかさないでくれ。こちらがまるで借りの返済を取り立てているような感覚に苛まれる。結果オーライかぁ。期待を裏切らないと言えばいいのか、予測した通りと言えばいいのか。謝るべき側からしてみたらなんとも複雑だよ』


 あの、顔だけが異常によくて陰湿極まりないハッサン・ラチャニーとは思えないほど親しげな口調と、そんな彼が冗談を言う珍しさ。

 それを一徹が受けている状況の不自然さが気になって、エメロードは声を殺してドアに耳をつけそばたてた。


『そうだ言っていなかった。ありがとな、あの日シャリエールをつけてくれて。あいつが無詠唱魔技出力するために仮面をはずしたときゃ、驚いたもんだったが。本当よく戦ってくれた』


『無粋だねぇ一徹。君は、シャリエールを戦士として見ているのかい?』


『んー、いやそりゃあ……』


『襲撃前はどうだった? シャリエールとは話したのかい? 踊ったりだとか。我妻殿がドレスを選んだんだ。『身材麗しいシャリエールならきっと似合う』と言ってね。普段とは違う装いに、美しいとも思ったんじゃないか?』


『あんまり《俺のシャリエール》を色目で見てくれるなよ?』


『……へぇ?』


『何だよ?』


『なんでもない。それにしても、別にかまわないだろう? 私たち二人は他の人間族とは違う。むしろ役得だとは思わないかい? 種族の枠を離れているから、私たちは人間族以外の女の美を愛でることが出来る』


『うっわ寒っ! 優男過ぎる台詞でゾワゾワしてきた。それ、完全ナルシストが言う奴。しかも美男専用』


『ば、馬鹿にしているよね』


『近からずとも遠からず』


 あの怜悧冷徹なハッサンがしてやられている。一徹の回答に狼狽しているハッサンの声を聞いて、「ざまぁみろ」とまで思ったエメロードはたまらず噴出してしまったが、気付かれないようにと口元を手で押さえた。


『……綺麗だったさ。襲撃前、まだアイツが会場内護衛として参列していることを知らないときにね、少し話した。奥方にゃあ感謝を。露出の多いエロエロなドレスだった。まぁでも、正直セクシーには程遠かったかな』


『そうだったのかい?』


『白のインナーを中に着込んでいたから。あいつが仮面を外したときに気付いたよ。肌の色で魔族とバレることを避けたんだろ。自分がいることがわかったら、俺がパーティを楽しめないとも配慮したのかね。《シェイラ》なんて名前まで騙っちゃってさ』


『そこまでだ一徹。どんどんシャリエールについての話が、君への自己嫌悪に向かっている。あのパーティに参加したのも、君と踊ったのも、戦ったのも、すべてシャリエールが選んだゆえじゃないか。そこに、君が責を感じる必要が?』


『は? だってパーティにシャリエールがいてくれたのって、そもそもお前が命じてくれたからじゃないのか?』


『き、君は……そろそろ私も本当に怒るよ?』


『なんで!?』


 なかから含み笑いの声が聞こえてきた。悪意のある含み笑いと、うろたえた一徹の泣いているのじゃないかという声。


 いよいよ本格的に盗み聞きに浸っていたエメロードは、やがて違う話題を始めた頃に固まった。


『あー、いや、もういい。この手の話を君とすると私がイライラする。それで? 彼女は、どうだった?』


『彼女? 誰だ』


『いただろう? 《ルアファ王国》から来訪したアーバンクルス第二王子殿下の隣に』


 まずい、間違いなくそれはルーリィについてのことだ。

 そう確信して、エメロードは息を飲んだ。


『隣? ああ、騎士だって言ってた女ね。からかったぁ。エメロード様に挨拶するじゃん? 腕絞り上げてきてさ。んでそれからずっと敵意向けてきやがんの。いんやぁあれと踊ったときゃ辛かった。敵意っちゅうかもう殺気? 殴りまでかかって……って、ハッサン? 何固まってんだ?』


 いつやらか、エメロードが扉の中から聞こえる声が一徹のみになってしまった理由がわかった。どうやらハッサンは固まっていたらしい。


『会わなかったのか? 君はきっと、あちらには認識されているはずなのに?』


『いや、え? 俺、なんか間違ったのか?』


 やはりあのパーティに一徹が名代として参加したのは、ルーリィに会わせるためだったのだとエメロードは確信する。だからこの後の話にハラハラせざるを得ない。


『……本当、私の努力を無駄にしてくれたね君は。まぁでも? シャリエールもう一方のほうに進展があったならまだ救いはあったのか』


 今度黙ってしまったのはどうやら一徹のほう。聞こえてきたのはハッサンの憂鬱そうな声のみ。


『あのねぇ一徹。あれだけ私が苦労したというのに、『何も無く今後も起きる予定は無い』というのはあまりに癪だから言っておく』


『えっと……ハッサン?』


 そして状況は動いた。


『あの3ヶ国同盟目的のパーティ、《ルアファ王国》アーバンクルス第二王子殿下の相伴預かったのは、ルーリ……』


『あ、ちょっと待った。カギなら開いてますよ~って……ん?』


 動いたというよりは動かした。


『アレ? 開いてる……はずなんだがな』


 部屋の中から聞こえてくる一徹の声、そしておそらく一徹のものと思われる足音は、扉の前に立つにはよく聞こえた。

 会話が途切れたのも、足音がが近づいてくるのも、廊下からエメロードが扉をノックしたゆえだった。


「アッレー? 立て付け悪いのかなぁ……って、エメロード様貴女ですか?」


 そうして扉はギギッと軋んで開いた。くぐもっていた声も今なら明瞭だ。

 中から出てきたのは高い位置にある一徹の顔。やはり背の高い一徹、少し拍子抜けをした顔を浮かべてエメロードを見下ろしてから……


「どうしたんです? また怖い夢ですか? 大丈夫ですよ。大丈夫」


 すぐに柔らかい笑顔を見せて、大きな手のひらでやさしくエメロードの頭を撫でた。 


「そうだ、ちょうどいいものがあった。いまハッサンと酒を飲んでいたところでしてね。少しいかがです? 糖蜜があったはずですのでそれを入れましょう。口当たりもいいですしきっと寝付けもいい。エメロード様だってもう18、飲めないってことは無いでしょう?」


「貴方、いつだってお酒を飲んでばかり」


「ホラ、《酒は百薬の長》と申しますでしょう?」


「《過ぎたるはなお及ばざるが如し》よ。山本一徹?」


「おっと、これはやり返されてしまいましたね」


 髪に触れた手は、そう言いながらエメロードを促すように部屋の奥へと一徹自ら歩くことで離れていく。


「ご新規様一名だハッサン」


 手が離れたときには少しばかりの落胆はあったが、ドアの付近で立ち止まったエメロードに向かって振り返り、「さっ、どうぞ」と一徹がニカッと笑ってくれたからエメロードは安心できた。


「これはこれはよくいらっしゃいました。なかなか、奇遇にしては良過ぎるタイミングでのご登場ですね」


 ……唯一、その中で気になることがあるとすれば、いつもはエメロードに対して不快感と敵意を見せる超絶美男のハッサンが、面白そうに瞳を細めて視線を向けてくることだった。



「怖くない言い張るお嬢様も頑固だったけど、怖いって認め始めたらとどまることを知らないね」


「う、五月蝿いわねぇ!」


 眠たい目を擦り、ダラリダラリと後ろをついてくる一徹に、前を歩くエメロードはプンスカ怒っていた。


「もっとシャキッとデキないの!?」


 それはそうだ。この町に来てからと言うもの、細い体に鞭を打ち、白い肌を太陽にさらしてまで港に到着した船から荷を運び出し、仕分け作業に汗したエメロードにとっては、やっと貰えた休み。


「ハイハイ、しゃっきぃん」


「ハイは一回! 声に力が入ってない!」


「ふぁ……」


 一徹を連れ出し市に出た。楽しみにはしていた。だが一徹が興味なさげに欠伸するものだからたまらなかった。


「山本一徹!」


「ハァイ」


 理由は知っている。毎晩一徹はエメロードが落ち着き、なだまるまで夜遅くまで付き合ってくれていたからだ。 


「しょうがないじゃない。怖い物は、怖いんだから!」


 エメロードに、続く一徹は乾いた笑い。

 「ま、少しは素直になったってことでよしとするかぁ?」など言いながらため息をつく。

 ムッとしたエメロードは振り返った。


「怒らないでくださいよ。別に、怖いって感情は悪いことじゃない。誰でも悩むもので、それはもちろん私もです」


 軽い口調の一徹。立ち止まり振り返ったエメロードの肩に手を置き「歩き続けて」と言わんばかりに少し押した。


「怖いって、貴方も?」


 押され、また歩き始めたエメロード。

 気になるゆえ歩き始めど前は見ず、首で背の高い一徹の顔を見上げた。  


「例えば、だ……」


 さっきまで苦笑いだった一徹、見上げてくるエメロードの視線を受け止めない。

 歩く方向に目をやる表情が少しだけ引き締まったからエメロードは見入った。


「今、エメロード様の肩を押す私の手、幾たび人を殺め、血に染まってきた」


「ッツ!」


 耳にした瞬間、飛び上がったエメロードは一徹と距離を開けた。

 一徹を恐れたのだ。


「正しい反応だ。決しておかしいことじゃない。それも確かなる本来の私の一面」


 一徹はそれに特段反応を示すことも無い。

 エメロードが離れたら離れたで、そのまま進行方向をゆき続けた。


「そしてね、『恐れられても仕方がない存在になるんだ』って予想はしてました。初めて誰かを殺さなきゃならないって場面を前にしたとき、怖かったものです」


「うっ」


「嫌ぁなことに、その初めての殺しは、得てして殺される可能性もありましてね、やはり怖かった」


 下がったエメロードに一徹が視線すら向けず、歩き続けるから、取り残されるとも思ったエメロードは恐る恐る一徹の後をついていく。


 いまは一徹がエメロードを引っ張っている形。


「少し、安心しました」


「安心?」


「前にも申しましたが、恐怖とは自己に対する危険への警鐘。《触らぬ神に祟りなし》とはよく言ったものです。それによって下手なゴタから身も守れる場合もある」


 不思議な感覚だった。

 たったいまエメロードが一徹に感じたのは恐怖。


「ただ貴女はちょっと意固地過ぎた。『怖くない』なんて言ってね。危険に対する警鐘は自己の中で鳴っている。だがそれを無視する。いつか痛い目を見ないとも限らない」


 だけど、その忠告には心配が織り交ざっている。 

 理解すると、怖いと思う一方で一徹の背中から目を背けることは出来なくなった。


「そう、怖いってのが正常なんだよ。怖いって感情がなくなったら己の要領のキャパシティに制限がなくなり自制心が効かなくなる。自分のキャパシティがわからないのに、他人ヒトのキャパシティなんてわかるはずが無い」


 だけではない。苦しさを感じた。


「誰しも持ってる共通認識の恐怖を失っちまったら、他人の恐怖の如何なんて、受け止めきれる痛みや不安の要領なんて、わからなくなったら、それは、人々の《共通倫理・良識セカイ》から見て……異端か?」


 前を行く一徹の背中には寂しさが見えていたから。


「おっ! エメロード様、アレ!」


 もしかしたらそれはエメロードの気のせいだったのかもしれない。一徹の思う何かがわからなくてエメロードが注目して背中は翻ったから。

 一徹は行く先に指を差し、ニカッと笑っていた。


「あの露天商がどうした……髪飾り?」


 視線の先、店先に幾多髪飾りを並べた露天商。


「お嬢様の髪飾り、以前壊してしまったままでしたね。《海運協業組合ギルド》に保護してもらう条件として働いてもらっているとはいえ、それだけじゃあ心苦しい」


 もちろんほかにもさまざまな店は連なり、賑わいを見せていた。

 だが一徹が指し示したその意味がわかったから、エメロードは髪飾りの露天商しか目に入らなくなった。


「どうぞお好きな物を選んでください。お贈りします。あんまりっ高価なものじゃないといいなぁ……なんて」


 まったく小さなことを言う、とエメロードは嘆息した。一徹は、本当は信じがたいほどの大富豪のはずなのだ。


「これにする」


「へぇ? これですか!? 銀の……髪飾り……」


 そうして、エメロードが選んだのが、銀の髪飾り。


 銀の髪飾りなんて別に珍しい物じゃあない。普通なら一徹だって言葉を詰まらせない。

 だが、形が似通っているなら話は別だった。


 鳥の羽が象られた髪飾り。


 一徹が驚くのは無理無かった。その形状は、一徹が所有しているリングキーが遺した髪飾りとよく似ていたから。


 故意に・・・……エメロードは選んだのだ。

 先日のパーティ襲撃。一徹がその髪飾りをとても大事そうにしていたのを目にしたから。


 思い入れある髪飾り。きっとそれは、誰か大切な者の形見。

 それを分かったうえで、エメロードは似た髪飾りを選んだ。

 

 羽の形をした銀の髪飾り。

 そしてパーティで聞いた、すでに亡くなっているという女に備わっていたとされる《癒しの力》。


 その2つが、エメロードにも共通するとしたなら?

 自分にその女を重ねさせることで、一徹からの視線を向けてもらうため。


 一徹に取って大切なヒトとの共通点、それはエメロードの思う限り、ルーリィにもシャリエールにも無いアドバンテージ。


「んっ……」


 そのときだ。


「あ……レ?」


 ふと、エメロードは気付いてしまった。

 かつて一徹から聞いた話で自分が勘違いをしていたということ……


「違……う?」


 共通点への考えによって至ってしまった。


「ルーリィ様……じゃない・・・・?」


 かつて一徹から聞いた事がある。一徹が想い、そして二度と会いたくない女がいるという話。

 ずっとエメロードは、その女がルーリィではないかと思っていた。


「ルーリィ様じゃないんだ」


 違う。確信だった。


 一徹は、「もう2度と会えないが、会いたくない。会ってしまったら、彼女が信じてくれた自分はおらず、失望させてしまう」とそう言った。


 住む場所というか、世界が違うといった真の意味は……死に分かれたから。


 分かったとたん、体が熱くなった。


「だったら、いい……のよね? もう……」


 興奮だ。仮に一徹の想い人がルーリィであれば、そこには相思相愛があるから気が引けた。

 だが、罪悪感を気にしないでよいというところに、エメロードの胸のつかえは取れてしまった。


「怖くない」


「は?」


「山本・一徹・ティーチシーフ、私は……貴方なんて怖くない。勝手に勘違いしないでよ。『人を殺した』なんて驚かされても、私は貴方如き怖いとも逃げたいとも思わないんだから」


「えーっと……いや、脅しじゃあなくって……」


「わ、わた……わたっ……」


「わたわたぁ?」


「わっ……私の隣を歩くことを許してやる・・・・・・・・・・・・・・って言ってるの・・・・・・・っ!?」


「ツゥッ!?」


 だから言い切って見せた。

 

 自分は全く恐れていないことを見せつけ、あたかも自分のそばには一徹の居場所があるのだとでも言うように。違うか、手の届く範囲に一徹を置いておきたいのだ。


 恥ずかしいこと言った。ある意味それは告白にも近しいじゃないか。

 地面にうつむきながら力一杯言い切ったエメロードは顔も真っ赤。耳も真っ赤。


 されど放ってしまったセリフへの反応は気になって、恐る恐る一徹の顔を見やった。


 やってしまったかもしれない。

 思いもしない言葉が返ってきた事に一徹は目も剥いて驚いていた。


「……あ……」


 だが、エメロードも瞼を見開いた。

 驚愕の一徹の表情はやがて、とても柔らかな笑みを浮かべていた。

 優しく穏やかな包容力を感じさせる貌。慈悲深く慈しみを感じさせる暖かな眼差し。

 

 イケメンではないのに、エメロードは目を離せなくなった。

 そこからフッと、一徹は急にニヘラっと笑顔を作った。


「オヤジ、この髪飾りを一差し」


 ……いつもの一徹に戻っていた。


 せっかくエメロードが勇気を奮い立たせと言うのに、あまりにもその反応は物足りない。

 ゆえに、不満そうな顔を浮かべてエメロードは一徹をにらみつけた。


「さようで? さ、それじゃお納めを」


 それでも一徹はこの有様だ。


「ちょっと、何よこれ」


「え? だから、エメロード様が選んだ髪飾り……」


 普通の一顧客として露天商の男へ対価を支払うと、たったいま手に入れた髪飾りをおもむろに差し出した。


「普通、髪に通すところまでがプレゼントでしょうが! 貴方はなんて気が利かない!」


 それが、エメロードは許せなかった。


「え! そういうもの? そういうものなの?」


「いーから!」


 自然の流れ、自然の動き。まるでエメロードなど眼中になく、意識すらしていない証明だから。


 突然のことにオタオタする一徹と言えば、オロオロとした顔でイソイソとエメロードの髪に髪飾りを取り付けようとした。

 だが……


「モタモタしない! って、いった! ちょっともう少し優しくできないの!?」


 不意に一徹がエメロードの髪をなぜるようになったのはいつからだろう。

 それから、褒めてくれる時、慰めるとき、一徹は何度だってエメロードの頭をなで、その髪を触れたはず。


 いつの間にかエメロードも、一徹を自らの髪に触れることを許す存在として心のどこかで認めていて……


「貴方は本当に淑女の扱いってものが……」


 だというのに、改めて髪飾り一つ取り付けるにあたっては……


「か、勘弁してくれぇっ!」


 二人ともこっずかしそうに顔を赤らめ、汗をかきかき、焦ってならなかった。


 ギャーギャー、わーわー


 どう見ても二人は周囲から見て仲の良い兄弟の様にしか見えなくて、その様相に、目の前で見ていた露天商の男、同じ道を行きかう周囲の者たちは、そのほほえましさに、楽し気に笑っていた。



「ほーう?」


 一徹の感心した声を耳にしたエメロードも、胸の高鳴りを抑えることは出来なかった。


「え? コレどうして? だって私は……」


 この仕打ち、想定をうわまわっていたどころか考えもしなかったこと。


 いつもは冷たい眼差しを向けてくるハッサンすらが、含みのない純粋で柔らかい笑顔を見せるから、うろたえることをエメロードは禁じえなかった。


「我々は、礼に対しては礼を持って返します。それは全うな行いに対しても同様。お受け取りなさい。これは、ご令嬢の行いが誠実であったこと証明するものなのですから」


 どうしても自分の両手のひらに注目してしまった。ズシリと重い、皮袋がのった手のひらを。


「まぁ、ご令嬢にとってその額は、幾分も満足は出来ないでしょうが」


「なぁなぁハッサン、俺、それ以上に満足できなさそうなんだけど。幾分も、エメロード様の皮袋より小さくて、痩せているような……」


「ま、ね? 正しく評価がなされたゆえかな?」


「ゲロゲロ」


 すぐ後ろに控える一徹など、片手で握り締めるほどしか大きくない皮袋に、落胆から項垂れた。  

 

 余りの情けなさを目に、噴き出すエメロードだったが、噴き出した途端に頭を挙げた一徹が「引っかかったな?」とでも言ってそうな顔で笑ってきたから、それが演技だと分かってハッとした表情を浮かべた。


「やめてよワザとらしい。そもそも貴方、別に稼がなかろうが超が付くお金持ちなんでしょう?」


「一応、働いたのは事実じゃないですか? 報酬をもらうことはおかしいことじゃない。ま、この額は、この額程度にしか働きが評価されていなかって……」


『正当な評価じゃないか。良くサボっていたじゃないさねアンタ』


「グッ!」


『運んだ貨物数もそうだが、それらの合計重量を考えたら……エメロード嬢ちゃんが運んだのは間違いなくお前の3倍以上だろ一徹』


「……先輩たち、まじ容赦ねぇ」


 悪びれもせずに肩をすくめる一徹に苦言を呈したエメロードの発言。

 その場にいたギルドメンバーたちの後援にも助けられ、言葉は威力を増したことで一徹がたじろぐから、その様相が面白かったからか、やがてドッ! と皆が笑顔に沸いた。


 笑えたのはエメロードも同様。本当は先ほどまでは少し憂鬱だった。

 実は今日がこの町に滞在し、保護される期間の最後の日だったから。


 あともう小一時間が経てば、一徹が、ハッサンから預かった商会、《絆の糸》の貨物を、ヴィクトルや海運協業組合ギルドメンバーの一部で隊商を編成し、また《タルデ海皇国》、《タベン王国》の国境を抜けるため出発する。


 それはエメロードが帰国の途に着くということ。

 国境をすぐ抜けた町に、ラバーサイユベル伯爵が迎えに来るという。


 もう、あの襲撃から2、3週間。

 

 エメロードは思いのほか、この保護をされた期間のおかげで、自分もずいぶん落ち着けたとも思った。

 もちろんいまでも夜毎悪夢は見る。だが、目を覚ましてしまえば不安になることは無くなった。


 滞在するこの協業組合ギルド1階のラウンジに顔を見せれば「なんだ嬢ちゃん寝れないか。るかい?」なんて、どの二種族の血を引いたかわからない忌子の男が牙をむき出し、涎をあふれさせ、口角を吊り上げ、酒瓶を手に、呼びかけてくれた。


 「そいつにお近づきでないよ。話しただけで孕まされる可能性だってある」と、そこに割って入ってくるとある魔族の女は、確かな配慮を見せてくれた。


 そうして、「あんまり無茶させないでやってくださいよ。酔いつぶれでもしたら明日の仕事に響く」などといいながら、どこからともなく現れるのが一徹だった。


 いつもそばには一徹がいてくれた。その上で、一徹の願いを聞き届けてくれた協業組合ギルドメンバーは、皆エメロードのことを見守ってくれていたのだ。


 少しの物悲しさを、エメロードは感じていた。

 それは、この世界ではある意味異常。


 人間族の王国、王家に告ぐ公爵家の人間であるエメロードが、この世界の厳しすぎる《種族観》から見ると嫌悪すべき人間族以外それいがいから離れてしまうことに、しのびなさを感じている。


 その感情……一種エメロードの中で、そんな彼らを大切な存在だと思ってしまったということ。


 エメロードは人間族だ。それも高位の階級にいる人間族。

 しかし本来生きるべき人間族の社交界セカイでまったく認められ、受け入れられることのなかった彼女にとって、この《メンスィップ海運協業組合ギルド》は愛おしいものとして認識された。


 だが、だからこそエメロードは、額に汗して働いたことが認められ、手渡された人生で初めての・・・・・・・お給料・・・を強く握り締め、皆に合わせて笑って見せた。


 悲しさを表に出したくは無かった。

 彼らが「エメロードを悲しみに沈めないように」と、この保護の期間いろいろ気にしてくれたことを裏切ってしまうようなことがないように。

 そのために、いろいろと働きかけてくれた一徹の心遣いを無にしないように。


 自分がとても愛しいとすら思える、この異常な《一徹と、その周囲セカイ》を、エメロードは気持ちを曇らせ、悲しむことで……不安にはさせたくなかった。


 ゆえに、改めて己に呼びかける。強く、強くあらねばと。

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