ハッサンの葛藤、ヴィクトルの自己嫌悪
『本当になんつーか、命からがらの脱出劇って奴で? いやぁ良かったぁ。生きてるって素晴らしいっ!』
『何ぃ? 良かったぁ? ソイツはめでたい!』
『めでたい時にゃぁ飲むにかぎらぁな!』
『おう、飲むにかぎらぁな! なぁハイハイハイ』
《タルデ海皇国》は港町の《メンスィップ》。
これほど賑やかなのは、一徹が生きていたこと、最近とんとこの町とご無沙汰だった一徹が久しぶりに姿を現したからなのかもしれない。
『ングッングッングッ! プハァッ!』
『おぉ! 良い飲みっぷりじゃねぇか! ささっ! もっと行けもっと! ホレ誰か、酒を注げ酒を』
『アイサァッ!』
『……えっと、なので……せっかく拾った命なので、酒で殺そうとするのやめてもらっていいですか?』
『おぉっ!? 一徹お前! 俺の酒が飲めねぇってのか!』
『チョッ! ヴィクトルお助けっ!』
酒瓶片手に押し寄せる《海運
今、一徹こそがこの宴の中心。
「やれやれ、愛されているねぇ一徹は」
酒を進められヒィッ! と鳴き声上げる一徹と、そんな一徹を面白がり爆笑弾けさせるメンバーたち。
これを、少し離れたところから眺めているのはハッサンとヴィクトルだ。
「そういえばエメロード嬢は?」
「
「ご令嬢を、男が部屋までお送りする。なるほど? 少し見なかった間に、随分一徹とエメロード嬢の関係は改善した様だ。さ……て?」
ハッサンは柔らかな笑みを浮かべたかと思うと、一つ大きく息を吸い、吐き……憮然な表情をした対面に座るヴィクトルに意識を向けた。
「私のこと、怨んでいますかヴィクトル殿?」
単刀直入の一言だが、その問いは正しい形のはず。
ハッサンは、ヴィクトルが実はハッサンに対して感情爆発させることなんとか抑えていることを感じ取っていた。
そうなる理由についても、良くわかっていた。
「私に謝られるおつもりか?」
「その必要はあると思っています。この一、二ヶ月、私は相当にヴィクトル殿を振り回した。そのうえ、一徹を私の代理として仮面舞踏会に参加させた。一徹を命の危機に……」
「それについて言及はしません。旦那様のことです。戦えないハッサン殿より戦えるご自分があの場にいたこと、生きて帰ってこれたこと、結果オーライとして謝罪は受けないでしょう」
「なんとも一徹らしい。でも困ったな。ヴィクトル殿、最後まで私に言い切らせてくれませんか? 話を上から塗りつぶすとは、それほど私と言を交えたくありませんか?」
「どうか勘違いなさらないで頂きたい。ハッサン殿を怨んでいるわけでも、怒っているわけでもありませぬ。私は、私に怒っているのです」
「ヴィクトル殿自身に?」
「えぇ、貴方の口車に乗せられてしまい、何が自分にとって一番大切かをはき違え、旦那様を窮地に立たせた私自身に対して。貴方を前にして、その怒りは再び己に沸き上がった」
「そ、それはつまるところ……私への怒りじゃないか」
直接的な非難はしてこない。
だが、ヴィクトルが口にする自分への怒り。聞いているハッサンから見れば、それは大いなる皮肉だった。
さすが微笑をポーカーフェイスとする《笑顔の貴公子》たるハッサン。
表情こそ笑顔のまま眉一つ動かないが、口から流れ出る感想とため息は、内に秘めた感情を匂わせた。
「旦那様を仮面舞踏会に出席させてしまった。お相手を見つけていただき、
「かつての一徹か。今の様に、仕事も身分も立場も権力一切をも他人に譲渡した、『スローライフを望む』なんて
「フッ、言い訳ですよ。『前の旦那様に戻っていただきたい』……なんて方便。私がただ、私にとって誇らしかったかつての主だった旦那様の騎士として、もう一度生きてみたいと願ってしまった故。ですが傲慢でした」
木製のジョッキに入った強めの酒を一気に煽ったヴィクトルは、ジョッキの底をテーブルに叩きつけ深く息を吐く。ハッサンを睨みつけた。
「旦那様は……トリスクト嬢にその存在を知られましたぞ」
「へぇ?」
「あの場で、旦那様は素顔を晒したのです」
だが睨みつけられても、そしてヴィクトルの声に一層のドスが感じられても、寧ろハッサンは口角を吊り上げた。
「……ヴィクトル殿、相談があります」
話がそこに至るなら、自分の考えを述べなくてはならず。せめてハッサンは、雰囲気だけでもヴィクトルに気圧されるわけには行かなかった。
「一徹には、
「ハッサン殿……まさかあのパーティ開催の目的は
二人の間に渦巻いた空気は穏やかじゃない。
だからそれでなお崩れず微笑というのは、雰囲気とのミスマッチとギャップが強いのか、一種の凄みをヴィクトルに感じさせた。
「少なくとも私はそう想っている。私だけじゃない。我が妻殿、一徹の兄フローギスト殿、さらに奥方ガレーケ。一徹と肩を並べる私たちにとって、シャリエールこそ一徹に
「今回、旦那様とルーリィ・トリスクト嬢との
「難しい? そうですね。いまだ断念はしていないのですが。
「ッツ! 確かに言い返すことは出来ません……が、それは旦那様も分かっていらっしゃる」
「そう、言葉にはしませんが、一徹は意識的か無意識的かシャリエールを
そうして二人が当事者おざなりで勝手に始めた話題は、まさか一徹とシャリエールのカップリングだった。
「なら《一徹の剣》たるヴィクトル殿が、主人の思惑に応えないわけがない。それが……一徹に想いを馳せ、行動に移ろうとするシャリエールの脚を
「旦那様とシャリエール、
同盟関係の構築に向けた懇親を期待して? とんでもない。
多くの貴族を巻き込み、盛大に開催され、大きな襲撃を受けてしまった仮面舞踏会。
すべては一徹のために仕組まれたことだということを、そのためにハッサンはラバーサイユベル伯爵に開催までこぎつけさせたことを、一徹自身がわかっていない。
その事実を知っているのはハッサンとヴィクトルだけ。
寧ろ、あえて一徹には伝えてこなかった。
離れたところで、一徹は変わらず楽し気に笑っている。
中心として周囲は騒がしいほどに盛り上がり、陽気に満ち溢れていた。
それに反してハッサンとヴィクトルの醸し出す雰囲気というのはあまりに対照的で、ズンと沈んでいた。
一徹が心から生還を喜ぶその様、ハッサンとヴィクトルに強い自己嫌悪をもたらした。
「シャリエール・オー・フランベルジュが本当に駄目なら、ルーリィ・セラス・トリスクトも候補に入れていいと考えています」
「だからトリスクト嬢との3年ぶりの再会に向け、旦那様にも隠し、貴方は暗躍した。何故です! 旦那様や私が、今の
一徹に結婚相手を見つけさせる為の思惑で、一徹に危機をもたらした……
「本末転倒ではないですか! トリスクト嬢は他国人なのですよ!? 旦那様に『《ベルトライオール》を離れろ』とまで言いなさるつもりか!?」
「ヴィクトル殿たちには申し訳ないとは思っていいる。が、最悪私は、
「なっ!」
なのに、それでなおハッサンは一徹に女をあてがうことを諦めてくれない。
「なにが大事なのか、今一度お考えなさい。それは……」
「それにトリスクト嬢の、旦那様との再会はっ! なぜならご令嬢はアーバンクルス第二王子殿下と!」
「……少し黙りなさい」
「貴方だって、パーティ開催のきっかけとなった、数年ぶりのトリスクト嬢との再会で何か感じたものがあったはずでしょう!?」
「ヴィクトル殿?」
さぁ、それこそがヴィクトルがハッサンに怒る理由だった。
「私はね、これでも本心から『彼女に申し訳ないことをした』と思っています」
一徹の命の危機に晒すことは、一徹が生きて帰ってこれた以上「結果オーライ」とでもいえるから、重要視しない。
「かつて私が没落まで仕向けた伯爵家のトリスクトが、殿下に見初められた。願ってもないチャンスじゃないですか。謝罪の念と後ろめたさに縛られる私にとって喜ばしい、そう思うべき光景だ」
だがそれでなおハッサンは、一徹の知らないところで一徹や誰かをコントロールしようとしている。
その話をヴィクトルに告げ、巻き込もうとしてくる。
巻き込まれるヴィクトルだって、主人に秘密をこれ以上作りたくない。心苦しさ溜まらない。
「正直ね、私だって迷っているところはあります。ただ、彼女との再会で私は、トリスクトの一徹への未だ変わらぬ想いを知ることが出来ました」
「だからと言って……」
それでいてまた、一徹を再び危険に晒すことだって十分にあり得るのだ。
「そう、既に会わずして3年も経っている。私は知っています。トリスクトが探し続け、会いたいと強く願う山本・一徹・ティーチシーフという男は、
だが、それでヴィクトルがハッサンを殴り飛ばすことはできないのが、ストレスを更に溜めさせた。
「会わないほうが良いのでしょう。さすればトリスクトの幻想、《思い出のなかの一徹像》が壊れることはない。自分が大きく変ったことを自覚する一徹だって同様。トリスクトから変りようをどう見られるか恐れる必要だってない」
「ご覧になったはずですハッサン殿。それを推し進めるというのなら、アーバンクルス第二王子殿下からトリスクト嬢への寵愛に立ち入ることになる。また壊してしまうことだって……」
「私だって望みませんよ。殿下とトリスクトの関係が崩れたら、彼女にどんな影響が及ぶか正直想像も付きません。彼女を想うからこそ何もしないかもしれませんが、その思いは転じて同じかそれ以上の憎しみにもなりうる。しかしながら、反省した私は……それでも
「そこまで分かっていながら……良いではないですか! シャリエールでもない、トリスクト嬢でもない!
完全にハッサンが状況を振り回す。そう見受けられたからヴィクトルは少しずつ声が大きくなっていった。
宴会によってあちこちで喧騒が沸き起こっているのが救いだ。でなければヴィクトルの声はとうに周囲へ届いていたはず。
「出来ないことも無いでしょう」
「でしたら……!!」
「ですが時間が掛かる。それに、第三の選択肢がいたとして、弱い可能性がある」
声が大きくなる毎にフラストレーションが高ぶっているのがハッサンにもわかっているのか、返すハッサンも言葉を選んだ。
「弱いですと?」
「ヴィクトル殿、私とてこれで考えて行動しているつもりなんですよ?」
何とか、冷静さを演じた。
「弱い。それは一徹が捕われ続けるリングキー・サイデェスの亡霊に対し、一徹が送る想いの強さと比べて。それより弱い想いしか送れない
「意味がないとまで言いますか!?」
「ありません。一徹に嫁取りをさせる目的は何ですか? リングキー・サイデェスという鎖を引きちぎらせ前に進めさせるためです」
「ですがっ……!?」
「だから
「どうしてです!?」
「シャリエールには
「なっ!? ま、まさか……っ」
「その屈辱と、何度心を殺された経験が、一徹に取ってリングキー・サイデェスを
「あ、貴方はっ!
「別に、一徹のシャリエールへの気持ちの入れ方が、リングキーを重ねた形になっても構いません。ですがシャリエールが相手なら、
ハッサンの言いたい事もわからないわけではない。思惑があったから、シャリエールの行動を阻害していたのも事実。
だからそこまでハッサンに言い切られては、ヴィクトルも怒気こそ孕ませるものの、返す言葉は見当たらなかった。
「もう一つ、トリスクトを候補として見定めた理由もありまして」
殴りかかることが出来ないから、怒りを見せる以上のことがハッサンにできないヴィクトル。
もう、きわどい発言ばかりをしながらも、慈愛に満ちた笑みを崩さぬハッサンには溜息をつくしかない。
「仮にシャリエールと一徹が結ばれたとして……子供を成そうとした場合です」
「……私は、
「やはり……」
今度黙ったのはハッサンだった。結構な話をしている。そしてこの話の終わりどころがなかなか見えないから、表情は別として心にはキていた。
「旦那様に……『
「そう。それが大きな懸念でした。子を成すというなら、一徹はシャリエールと交わる必要がある」
それが、予測したヴィクトルが溢すまでハッサンが黙った理由。
「我ら《灰色の側》の者たちにとって、一徹はこれまで希望を作ってくれた。その実、《灰》として生きる者たちの絶望と痛みを常にその目に焼き付けてきた。その最たる例が、山本・サイデェス・徹新・ティーチシーフ。かつて一徹が育て、彼の元から離れてしまった
それは真理だ。
「
そして核心だった。
「この世に、その子供を産み落としたのが《全ての始まり》、《始まりの乙女》リングキー・サイデェスへの魔族からの陵辱だということ」
「だから旦那様は、シャリエール、そして今は亡き使用人だった魔族の者と出会う前まで、全ての魔族が滅ぶことを心の底から望むほど憎んでいたのです」
ついに、ハッサンの笑顔は崩れ、顔を現したのは一刻も早くこのような話を止めたくてたまらないというキツい顔。
「間違いなく旦那様は思われる。もしシャリエールを抱いたならば、かつて憎んで足りなかった魔族たちと、旦那様も同じ存在になるのだと。かつて愛玩奴隷だった頃のシャリエールを弄んだ、腐れた人間族と同じことをするのだと」
「しかしトリスクトならそのリスクはない……だけじゃない。確かに一徹を想っている。かつて一徹が《ルアファ王国》にいた頃、かつての彼女たちの共通の敵だった《昔の私》を協力して倒した実績がある」
それでも、止まらなかった。
「同じ目標を持ち、達成した事に対して喜びを分かち合う経験はどちらにも深く印象に残したはず。私はね、期待しているんですよ」
「期待?」
「ルーリィ・セラス・トリスクトという女は、シャリエールのようにリングキー・サイデェスに重なることは無い」
フゥ、と疲れたのか息を吐き、空いたジョッキを弄ぶように手をもって揺らすハッサン。
「恐らく一徹への思いはシャリエールにも負けておらず、そしてトリスクトなら、シャリエールとは別の角度から一徹に気持ちを込めることが出来る」
「くぅっ」
「そうなったらもっといい。リングキー・サイデェスと重なるシャリエールなら、シャリエールへの思いのほうが強くなっても亡霊の思い出はいつまでも付いて回る。だがトリスクトならもしかしたら、一徹を完全にリングキーの呪縛から解き放つことが出来ると思うのです」
「だとしても、いや、もし旦那様にとってそれほどになりうる女性なのだとして、旦那様が喜びますか!? トリスクト嬢の今後にありえたかもしれない
「喜ばないでしょうねぇ」
そうして、ハッサンはどこか、腹を決めたようにゴクリと唾を飲み込み、またゆっくりと口を開いた。
「ですが、私も覚悟をしています」
「覚悟?」
「一徹から恨まれ、嫌われ、見損なわれる覚悟です。リングキー・サイデェスの呪縛から解放されるなら、私はいくら一徹から恨まれても構わない」
「どうしてそこまでして……貴方は一体、何がしたいのだっ!?」
少し、どころかハッサンの執着は相当な異常。
目論み、考え、そしてそれを口にするハッサンの凄み。圧倒され、息を飲んだヴィクトルは……遂にぶつけてしまう。
「そこまでする意味がある。もしかしたら私たちは急がなければならないから」
「何を言って……」
冷や汗が噴出した。
理解できぬことを告げるハッサンの瞳が、鋭くなっていくからだった。
「恐らく、《
だがその目的が、ヴィクトルの目を見開かせた。
正直、それが答えというのであれば、もはや呻くしかない。
確かにそれは、「そこまでする」理由だ。
人間族でありながら、人間族以外と共に生きるヴィクトルだから。
己が種族に対する絶対的な誇りが強すぎるこの世界で、ハッサンもヴィクトルも、すでにたくさんの、種族の枠から炙れた異種族との交流を常として生きている者たちを知っていた。
獣人族の枠を超え、ダークエルフを妻としたフローギスト。妻たるガレーケ自体が、エルフと他種族の混血児。
他種族と深いかかわりを持った者を
2種族以上の血を引いた者を忌子と呼ぶ世界。
これら2タイプをこの世界の《灰色》の側と見ている二人だからこそ、ハッサンの思惑には強い説得力があった。
「久しぶりに再会したあの時、私を殴り飛ばし、感情を爆発させるほどトリスクトが強く一徹を想っていなければ、一徹がトリスクトの中に残ってさえいなければ、私もこんな考えは持たなかったのかな?」
世界に忌み嫌われる彼らだからこそ、孤独を生きるのだ。
《灰色》の者たちの人生は凄惨だ。ゆえに人を信じられないことが多く、いかに《灰色》の者同士が遭遇したとして、それが即、同志となるわけでもない。
だとするならば、この拠点や《ベルトライオール》の様に《灰色》の者たちが共に生きるこの環境をどう説明するべきだろうか。
《ベルトライオール》はフローギスト夫妻が管理する。
《メンスィップ海運
そして、フローギストとハッサンの隣には、常に一徹がいた。
混血児を孕んでしまったことで、リングキー・サイデェスなる女は死んでしまった。
だから忘れ形見である混血児を息子とした一徹は、そんな将来的に種族のアイデンティティで葛藤するであろう息子が、「生きてもいいんだ」と思えるような
その思いにフローギストもハッサンもあてられた。
今の彼らの状況は、そういうことだった。
だが、その思いはこの世界の風習を考えると修羅の道。
その思いを貫き通そうとすればするほど、敵ができ、争いになってしまった。
いつだったか自分の存在が一徹の負担になったのではと絶望した彼の息子は、一徹の元から離れてしまった。
だから一徹は、全てを投げ出した。
だけどそれでもやっぱり一徹は、そんな《灰色》側の物たちにとっては《始まりの存在》で、特別な存在。
それゆえだ。
ハッサンは一徹に……《灰の王》を称してもらいたかった。
☆
死臭と断末魔が満ち溢れたここは地獄だ。
―う、嘘だっ! 嘘だぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁ!―
そのなかで、鼓膜を破りそうなほど一際大きな叫びが耳を叩いた。
腕の中に抱くは一人の少女。細く開いた目に宿る光は、次第に弱く失われていく。弱弱しく半開きになった口からはツツッと血が筋を作っていた。
否応もなく分かってしまう。体温の、優しい暖かさが、急激に失われていくのを。
―間に……合わなかった……―
その理由は分かっている。
いま吠えた男の妹を、自分は救えなかったから。
―私、救えなか……―
ふと、己の手に視線を落として絶句する。
おびただしい程の血に、その白い手は汚れていた。そしてありえないというのに、その手を汚す血は増殖するように広がっていく。
やがてその色の手袋をはめたがごとく、エメロードの両手全てを染め上げた血液は、意思があるかのようにうごめき始める。
手から手首へ、肘へ、腕へ、そして……首。
「イヤァッ!」
全ては悪夢。最近毎晩見るあの時の
夢から逃げるように、エメロードは目を覚まし飛び起きた。
ブランケットを握りしめ、胸の位置まで手繰り寄せたのは心細かったからだ。
闇に彩られた室内をぐるぐると見回し始めたエメロードは、着の身着のままベッドから離れ、その部屋から飛び出してしまった。
拠点外の宿で寝泊まりすると言っていた彼も、今日ばかりはエメロード歓待の宴というのもあって、《海運
ニヘラっと笑って「大丈夫ですよぉ」なんて言ってもらって、そしてあの大きな掌で撫でてもらうのだ。そうしたら絶対に安心できることを知っていた。
《ベルトライオール》から離れてこの港町に今日到着するまでに早一週間。最近は、
まだ一徹は、ヒーヒー言いながら《海運
そんなことを考えながら、エメロードは足早に廊下を歩き去った。
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