側にいる者、追いかける者

―あぁ、そういうの俺パス。ナンセンスだ。男が強けりゃ男が強い。女が強けりゃ女が強い。なんでもそう。『これは男がやるものだ』ってなら、女に足元にも及ばせないほど実力を見せつければ良い。逆に『女にも出来る』ってなら、男に力を誇示してやれ―


 耳にしたその言葉、光景は、ルーリィにはとても懐かしいもの。


 とある一軒の宿屋。中庭でのこと。

 星降る夜に槍の修行をしていた自分に向かって、《彼》は御気楽に笑って酒を飲んでいた。


 それが確か、ルーリィと《彼》との出逢い。



―わざわざ風紀委員の方の手を煩わせるわけにもいかないですね。俺はこの場を立ち去りますんで今日はこの辺で。申し訳ありません。それでは失礼致します―


 次の光景、ルーリィが直視できないもの。

 場所は在学していた大学の中庭。


 初めて《彼》と会ったときは暗がりだったから。

 顔を覚えていなかった当時のルーリィは、別のとある日に《彼》に槍を向けた。


 魔族と人間族の忌子を息子に持つ、父親である《彼》を、汚らわしい種族の裏切者コウモリとして扱った。



―スンマセン遅れました!! 夜間コースの代表です!! 山本一徹! 夜間コース1年、山本一徹をどうぞ宜しくお願いします。生徒会長様? 先輩方?―


 それら全て、かつてまだ自分も大学にいた頃の少し古いお話。


 学園祭の準備期間が始まる直前、各クラス担当が集った最中に《彼》が放った言葉がこれだ。


 練兵学科で槍にまい進しながら、『女だから』ということで悩んでいた当時のルーリィに初めて理解を示して勇気づけてくれた《彼》が、件の裏切者コウモリであったことをルーリィは初めて知った。



―頭を上げてくれルーリィ!! 話は分かった! もう謝らなくてもいい。その代わり態度で示してくれ。俺は裏切り者コウモリ、子供は忌子。それは違いない。だから忌み嫌われる。これもしょうがない事なのかもしれない―


 思い知ったのは己の浅はかさ。


 「女だから」という理由で武に似つかわしくないと言われ苦しんでいたはずの自分。

 だというのに自分は、裏切者コウモリという背景を持つだけで、盲目的に《彼》を種族の敵としてみなしてしまった。


 《彼》の心根は知っていたはず。正体が分からないから? それは言い訳に過ぎない。


 本質を見誤り、肩書だけで判断した。

 それは自分を苦しめる評価を向け続けてきた、彼女にとっての忌むべき者たちと、自分も同じ存在だったことを突き付けられた気がした。


―だけど、いやだからこそ俺には味方が欲しい。安心して何かを任せられるようなそんな味方が! ルーリィに味方になってもらえたらそれは、物凄く嬉しいんだけど……―


―君、それは……プロポーズかい?―


―ちがわい!!―


 謝罪に繋がった。《彼》は、苦笑いを浮かべて許してくれた。

 その後の慌てっぷりは笑えたが、それから友人になった。



―これが、お前が悩みに悩んでまで欲していた武の形だったのか? これがお前のやりたいことだったのか? 失望したよ。もう二度と俺たち兄弟に近づくな。リィンが悲しむ。お前だろうが、もしもう一度同じことがあったら……今度は俺がお前を殺すぞ・・・・・・・・・・・。ルーリィ―


 陰謀に巻き込まれた。ルーリィと因縁の深い、ハッサン・ラチャニーの陰謀だ。


 その後ルーリィはその目的、《ルアファ王国》の公爵家長男、ソリナウ・グラン・エラークの暗殺に失敗した。《彼》に阻止された。


 折角出来た理解者が離れる喪失感と虚無は凄く大きくて、到底耐えられなかった。



―見くびるな。一徹には嫌われてしまったがな、それでも私にはこれしかない。一徹は商会長達から私を守ってくれた。一度でいいからこうやって、信頼出来る誰かと背中を預けて戦ってみたかった―


―言うじゃないか! そいつぁプロポーズか?―


―前にも同じ様なセリフを聞いた気がするな! 好きなようにとらえてくれ!―


―おじさん、冗談でも楽しみにしているぜ!?―


 《彼》は、ルーリィが陰謀に巻き込まれていることに気付いてくれた……だけではない。

 経済的な困窮を突かれハッサンにコントロールされていたルーリィに手を差し伸べ、その後、旗色が悪くなったハッサンがルーリィに送った刺客を共に排除してくれた。


 背中合わせで戦ったのは、《彼》とが初めてだ。


―ルーリィ、これから俺は奴らを殺す。お前がどんな戦士になりたいかは分からないが、武にはこういう側面があることは覚えておけ―


 《彼》が戦いの恐ろしさを教えてくれた。

 言葉をかけてからすぐ、立て続けに数人もの男すべてを大戦斧で上から下まで真っ二つに。


 ブジュジュワ! と血が噴き出す音。露になった肉、血の生臭さ、糞尿が体外にぶちまかれ、凄惨な光景と異臭に、たまらずルーリィは地面に這いつくばり嘔吐に至った。



―だが考慮すべきは、なぜルーリィがソリナウ閣下を殺そうとせざるを得なかったかだ-


 あぁ、とうとうそこまで話が来てしまうのかとルーリィは思った。


―ルーリィは気丈に振舞っていた。が、本当は心細く辛かったはず。親父さんから継いだ家を自分の代で潰しちまう。ラチャニー家に対して雪だるま方式で借金していると思わされたから、その命令を聞くしかなかった。テメェが言ったんだろうが? 『この国の公爵家子息を殺せ』って!―


 真相を明らかにした《彼》が、ハッサン・ラチャニーと対峙したときに口にしたセリフ。

 両親の早逝によって代行としての家督を継いでしまった、当時十八のルーリィの苦悩を言い当て代弁した。


 せっかく誇り高い貴族をルーリィは演じ続けてきたというのに。胸に秘めた弱さを《彼》は周囲にぶちまけた。

 ショックだ。辱められたとも思った。

 だが一方で強がる必要もなくなり、張り続けていた気も正直楽になったのが確かだった。


―お前のやったこたぁ貴族どころか、人間族もエルフ族も獣人族も……魔族にすら劣るクズの所業。裏切者コウモリがなんだ? お前自身、それよりもっと卑怯で最低な方法でルーリィを苦しめたんだ!―



 思えば……この時にはもう、ルーリィは《彼》に惹かれていた。


―閣下ぁ!! お願いでございますっ! 寛大なお心でお許しくださるわけには参りませんでしょうか!? 私はトリスクト伯代行も本件の被害者だと思うのです! もしラチャニーに騙されていなければ事件は起きなかった! おい、ルーリィ! お前も誠心誠意謝れ!! 閣下! 何卒ご容赦を!!―


 ルーリィの罪なのに、助けてくれたのに、《彼》はルーリィが殺しかけた公爵家第一子息の足元に、更にぬかづき這いつくばってくれた。


 大の男がそんな背中を衆目ある中で晒す。惨めにも見えて、だが大きくルーリィの心を揺さぶった。


 誰かのために、ここまでできるのか……と。


 女としての弱さを捨て、強い伯爵代行として生きると決めたルーリィにとってその感情・・・・は青天の霹靂。


 困惑した一方、こういう感情とはそういうもの・・・・・・なのだろうとルーリィは思った。


 だが結局、想いを《彼》に伝えることはできなかった。


 思い切りの良さと人としての器。心の強さ。


 友であって、心の中の師でもあって、そして命の恩人でもある。


 ルーリィにとって、《彼》は大きすぎる存在・・・・・・・になってしまった。

 自分の不慣れな感情をさらけ出し、関係が壊れてしまうことが怖かった。


 それが、ルーリィの中に眠る、山本・一徹・ティーチシーフの影。


 ……それ……


―面白い冗談です殿下。りに来た者を、想われますか?―


 ……なのに……


―苦しむ生より潔く、そして安らかなる死を……ですか。騎士道。腐れた概念だ―


 ……これは……


―そうだな……私が殺しましたよ?―


 なんだっ!


「ハッ!」


 景色は失せる。変わりに視界に広がる光景は見慣れぬどこかの寝室。


 ガバッと体を起こしたルーリィ。

 寝汗がひどかったか、布団がはがれたことによって室温に触れ、急激な寒気を覚えたことで身を震わせた。

 やがて荒い息と共に、視線をあらゆるところに巡らせた。


「夢、だったのか?」


 項垂れ、ルーリィは片手を目にやってうめく。


思い出そんなもの、薄れていてはずなのに。どうして今になってあんな鮮明に……」


 ただ口にしただけ。そんな理由とっくに分かっていた。

 あまりに衝撃的な再会を果たしたからだ。


 いや、再会ではない。

 三年ぶりに再会した一徹は、仮面をかぶり続けていたルーリィに気付かず場を去った。


 だから再会ではない。

 もっと言ってしまうと、一徹はまた、ルーリィを置いてどこかへ行ってしまったのだ。


「ルー……リィ?」


 不意に、真横から声をかけられ振り返る。アーバンクルスが惚けたように見つめていた。

 枕元、その横に置いた椅子に座って見守ってくれたようだったが、故に突然体を起こしたルーリィは位置的に気づかなかった。


「あぁ、ルーリィ……」


 掛けられた声に反応できなかったルーリィは、椅子を立ったアーバンクルスの胸に抱き締められた。


「4日間は流石に、私の心臓に悪いよ」


 ルーリィの頭上から降ってくる声。

 胸に抱いたまま一つ大きな深呼吸をしたアーバンクルスは、顔を、ルーリィの顔と同じ高さに寄せる。ルーリィも柔らかく笑った。


 ここで、愁いを帯びたアーバンクルスの表情が目に入って……


「んっ……」


 唇を、塞がれた。

 一秒、二秒、三秒。ルーリィの命があること、それゆえの温もりを確かめるような長い口づけ。


「全部……終わったよ?」


 惜しむように、離れる前にもう一度短く軽いキスをしたアーバンクルス。

 安心させるように優しい語気で告げた。


 ……ルーリィは……おかしくなってしまった……のかもしれない。


 あれほど愛しくてたまらなかったアーバンクルスの、ルーリィにとって安心感と充足感をいつももたらしてくれたはずのキス。


 しかしながらいま、ルーリィが感じているのは……


 後ろめたさ背徳



「フム、このような時間に珍しい。如何されました? 先の夕方頃お目覚めになったと聞いてます。もう動いて構わないのですか?」


 責任の所在は別として、あの襲撃が自領内で勃発したことには変わりない。

 ラバーサイユベル伯爵は事後処理の一環、書類の作成に、眠い目を擦った。

 

 執務室内に聞こえたノック音、部屋照らす幾つものろうそくに灯った火が、ノックに答えたラバーサイユベル伯爵の許可によって一瞬激しく揺れた。


「トリスクト伯爵代行?」


「夜分遅くに大変な失礼を」


 火が揺れたのは執務室への入室によって廊下の空気も併せて流れ込んだから。


 両手を体の前で重ねた、姿勢正しくピンと背筋張って立ったルーリィがそこにいた。

 俯いていた。瞳には憂いを帯びていた。


 美しい。ラバーサイユベル伯爵にとって、いま目の前に立つルーリィに思うのはそればかり。

 ゆえに、自分の眼で見た光景のはずなのに。

 この美しき伯爵代行が数日前、望むまま殺戮繰り広げた襲撃者たちと槍持ちて渡り合ったことが信じられない。


「お気遣い有難うございます。こちらにお世話になって数日、あれからエメロード様は戻られてないと伺ったものですから」


「エメロード様ですか? トリスクト伯爵代行はお優しい。あの方も良いご友人を持ちましたな」


 同盟に動いているさなか、隣国の貴族がこの国の公爵令嬢を思う。いい流れだと感じたラバーサイユベル伯爵は笑って頷いた。


「いまはどちらに?」


「……余人の知らぬ、私の知己のところで保護されております。ご安心を。ある意味で絶対に安全な場所故」


「ある意味では?」


「お許しをトリスクト伯爵代行。保護先については何も聞かず。エメロード様の父君、アルファリカ公爵閣下も私を信じ託してくださった。保護先を知っているのは私だけ。貴女であっても教えるわけには……」


 話はエメロードのこと。だが保護先については話せない。

 だからラバーサイユベル伯爵も、わざわざルーリィが来るほどのこの話題も終わったものとして、また書類に目を落とした。


 その様子を目に、執務机を挟んでラバーサイユベル伯爵の正面にルーリィは立つ。

 手を、今度は胸に当てなおした。一つ、大きく息を吸って吐いた。


「その保護先。山本・一徹・ティーチシーフが、数年以上前から面識のある……私にとっても知己である・・・・・・・・・・・と言ってもですか?」


 ラバーサイユベル伯爵は、それを耳にし書類に署名する手をピタリと止めた。

 予想外と言うような顔をルーリィに向け持ち上げた。


 驚いたのに違いない。そう確信したルーリィは、しかしながらすぐに己が驚くことになる。


 ルーリィを見つめるラバーサイユベル伯爵の表情。やがて驚きから焦りと恐怖に歪んでいく。

 小刻みに揺れる瞳、顔中から拭きでる汗。


 ラバーサイユベル伯爵が何を考えているのか分からなくなったから、見逃さなかったルーリィも唾を飲み込んでしまった。



 翌日……

 いまやほとんど使われておらず荒れ果てたとある街道。


 ルーリィが馬を駆ったその後に上がる砂埃の凄まじさ、どれほど急いでいるか分からせる。


 気持ちが流行って仕方ない。一徹は、その先にいるはずなのだ。


 偶然の好機がルーリィに訪れた。

 その日から数日間、もしくは一週間ほど、アーバンクルスもローヒも、ルーリィの側から離れることになった。


 件の襲撃事件の話は瞬く間に国中に広がった。

 《タベン王国》王家の耳にも入り、国王自らが国賓に対して詫びを入れたいとのこと。


 そういうことで王都からはるばる使節がやってきた。他、国と王家の紋章が入った豪華な馬車。護衛の騎士数名。

 アーバンクルスはその申し出に乗り、王都へと旅立った。


 「謝罪する側は鎮座し、謝罪を受ける側がわざわざ出向くことになるとはね」とは言っていたものの、そこは王家の人間としての理解があったのだ。


 ただ、ルーリィは帯同を申し出ることはしなかった。少し前なら、何があっても騎士の一人として護衛のためについていったはず。

 今回ばかりは黙って事の成り行きを見つめていた。


「ずるいな私も。アーヴァインなら私の体を気遣い、連れていくことはない。そのうえで私は……」


 アーバンクルスが動くとなるなら、ローヒもついていくと予想した。

 その予想は、現実なものとなった。


「二人の心配を無碍むげにし、こうして一人で街の外へと出てしまった」


 全ては一日でも二日でも自分だけの時間が欲しかったゆえ。


 養生先のラバーサイユベル伯爵邸から街を出るなど、いまはアーバンクルスが許さない。ローヒも心配する。

 その思いがある二人のことが、いまのルーリィには邪魔。


 決して喜んでいけないが、50人いた《ルアファ王国》からアーバンクルスとともにこの国に立ち入った騎士たちも、もうローヒとルーリィ以外いない。


 ならばいま、無理をするルーリィを止める者はいない。

 ルーリィが今望むものを取り上げる者。一徹との再会の好機を取り上げかねない者が。


 さぁ、馬を飛ばし1時間ほど。そろそろ見えてきた。

 ラバーサイユベル伯爵が教えてくれた、一徹の住処ある廃都市、呪われた街、《ベルトライオール》に。



 いけないことをしている。

 そう分かっているから、エメロードは不安から胸の高鳴りを抑えられない。


『積み荷の目録は確認した。が、そこから考えれば荷車が一つ多い気がするが?』


『おっしゃる通りで。しかしご安心を。それは商用目的でなく個人使用目的によるものです。ゆえに輸出品ではない。内検も、必要ないでしょう』


『内検の要不要は我々が決める』


 窮屈さと蒸し暑さをエメロードは感じていた。


 自分がここにいることを気づかれないよう息をひそめる。

 だからこそ、外から聞こえる声にハラハラせざるを得なかった。


『このタイミングで《タルデ海皇国メンスィップ》の一大名士、ハッサン・ラチャニー殿の商会、《絆の糸》が動いた事実をよく考えた方がいい』


 確実に疑われている。

 エメロードの心臓は爆発しそうなほどドキドキだ。


 ここで聞こえてきたのは、ヴィクトルの諭すような声だった。


『おたくら、先日この領内で発生した、民たちによるお貴族のパーティ襲撃事件については聞いているかい?』


『それがどうした』


『領主ラバーサイユベル伯爵閣下も主催の一人となった本パーティ。参加者は《タルデ海皇国メンスィップ》を治めし子爵閣下の息がかかった、商会絆の糸の商会長、ハッサン・ラチャニー殿の名代だ」


『それがお前達の荷とどんな関係がある』


『ラバーサイユベル伯爵家から件の子爵家に詫びの品を』……とね。二家の関係はおたくらなら分かっているだろう? 《タベン王国》、《タルデ海皇国》両国を挟んだ国境関所を守護するおたくらなら』

 

 ヴィクトルのほかに聞こえるのは数人の兵士の声。

 次いで聞こえる余裕たっぷりそうな一徹の声を耳に入れたエメロードは、小さくゆっくり、だが大きく息を吸って吐いた。

 そうやって気持ちを落ち着かせようとした。


 これがいま、エメロードが不安に苛まれる理由。


 二国間を結ぶ国境関所。

 エメロードがいるのは、《タベン王国》から《タルデ海皇国》へと、一徹、ヴィクトルを筆頭とした数人の隊商が持ち込む積み荷の中の、大きな一つの箱の中だった。


『我が国の子爵家と、《タベン王国》ラバーサイユベル伯爵家は、国境を挟めど友好的関係にあり、ゆえに双方貴族家にて共通御用達のお抱え商会として商会絆の糸を指名した』


『それで? 臨検をするのかい? 子爵閣下へ献上されるラバーサイユベル伯からの詫びの品、足止めをするつもりかい?』


『別に我々は、貴殿らがラバーサイユベル伯爵閣下に確認を取ってもらって一向に構わん』


 いまのこの状況はさしものエメロードだってわかっていた。


『いいだろう。通れ』


 公爵家第二令嬢エメロード・ファニ・アルファリカの、《タベン王国》からの密出国、《タルデ海皇国》への密入国。


 ガタン! とまた荷車が動き出したのを感じて、エメロードは改めて息を細かくした。

 15分ほど経って、やっと自らが隠れたの蓋が開き、光が差し込んだのを目に、大きくため息をついた。


「《タルデ海皇国》に入国したの?」


「……人を、商品のように運ぶかよ俺も」


「山本……一徹?」


 ため息をついたのは柔らかい陽気だけではない。蓋は開き、外に立っている一徹の顔が、中にいたエメロードの目に真っ先に入ったから。


 安心したエメロードとは打って変わって、一徹は自己嫌悪に顔を歪めていた。


「奴隷商たちにご自分をお重ねか、旦那様? おやめなさい」


「ヴィクトル……」


 一徹に声をかけたのはヴィクトル。エメロードはそこで、チラリ、とヴィクトルの視線を受けた。


「むしろ旦那様は、いまのアルファリカ嬢のようだったではないですか」


「え? どういうこと?」


「初めて《タルデ海皇国》に入国した時、旦那様も積み荷の中に身を隠されていたのです。にしても旦那様、今回は随分スムーズですな。あの時は口八丁手八丁の旦那様が積み荷の中。常に真実に身を置き、正義の名のもとに生きてきた私にとって、国境抜けるため出まかせを口にするのは……辛かった」


 あっけにとられた顔に、いつの間にか一徹は変わる。

 やがてヴィクトルの話を受け、クシャッと笑った。


「おんまえ、主人に対し『口八丁手八丁』ってさ。それにサラサラリと俺にも密入国した過去があったこと、エメロード様にバラさない。犯罪なんだから」


 そうして一徹は手を差し伸べる。エメロードはこれに自然に己の手を重ね、一徹の手に引っ張り上げられるような形で箱から抜け出た。


「スミマセン。あんなことあってすぐだってのに、エメロード様には無理をさせる。罪に問われるようなことだって……」


「謝らないで」


「いやぁ、つっても今回ばかりは……」


「謝らないでよ」


 随分とエメロードが、一徹に対して扱いや振る舞いが変わっていることに、そしてエメロード自身が変わってきていることに、本人は何処まで自覚があるだろう。


 前にもエメロードは、一徹に対して幾度「あやまるな」と言ったことはあった。

 だがそれは一徹が謝ることによって、己の浅はかさや滑稽さにエメロードが身を炙られるような思いをしたからだ。


 気持ちが幼く、早とちりと思い込みが激しかったゆえ、十全のことをまともに考えないままに行動に移してしまった。

 失敗しまくった。

 エメロードは、常に自分だけの気持ち、感情のままに生きてきた。


 いまは違う。

 「謝るな」と言ったのは、一徹に苦しい表情を浮かべてほしくなかったゆえ。


 エメロードが見たいのは一徹の苦し気な、悲しそうな表情でも悩ましい表情でもない。

 いまのようにふと見せた笑顔。


 からかい交じりの物でも、困ったように眉をひそめて苦々しげなものでも。

 爆笑時などは一方ではイラつかせもするが、やはりその方が安心できた。


「謝らないで。この入国の算段も、《メンスィップ》への移動も、貴方が私を守るためにとった行動でしょ」


「……ですか? んじゃ、もうひと踏ん張りしてください。《メンスィップ》までもうすぐです」


「《メンスィップ》なら、《ベルトライオール》とは違って少しは街の散策もできるかしら」


「しっかり羽を伸ばせるでしょうよ」


「そう? じゃあ、そしたらまた、私を市に連れていきなさい」


「市に? 『街を歩く、拷問か?』って以前……」


「山本一徹?」


「ハイハイ」


 思えば、エメロードとともにいる時の一徹は、いつも笑顔を浮かべていたのだ。

 下衆じみたニヘラっとした笑顔。

 

 でも、その笑顔に対して躍起になったエメロードは、それでもその笑顔をいつでも追ってきたような。そんな気がした。



『聞けぃ! ここは営むことが許されぬ者たちが最後たどり着く安住の都!』


『傲慢な人間族、その女よ! この《ベルトライオール》は貴様のような者が来るところではない! 早々立ち去れぃ!』


 闘気の凄まじさよ。

 充てられたルーリィは、正面から突風に見舞われたように、ビリビリとした感覚に苛まれる。

 思わず片腕を、目と顔の前まで持ってきた。まるでガードするかのように。


 見上げるほどの巨漢二人。この都の入出を守護する門番だ。


 人間族ではなかった。身の丈は優に2メートルを超える、腕も足も大木のように太く、唯でさえ猛発達した全身の筋肉を、さらに隆起、肥大化させていたのは豚顔、牙生やした猪顔の獣人族。


『それでなお押し通るというなら、この都の太守であり、《タベン王国》四獣王が一角、《獣王》ジンブジャックボーより《獣王の爪称号》を賜ったフローギストの、若衆たる我らが貴様のその細首ねじり切ってくれる!』


 そんな存在が腕を組み、ピギィ! ピギャァッ! という鳴き声とともに警告をぶつけてくるのだ。

 受け止めたルーリィがたじろぐのは致し方ない。


 だが警告とともに威嚇の咆哮を上げられたとして、ルーリィが彼ら二人から視線を逸らすことはなかった。


 獣人族二人、次第に警告も咆哮の声量は大きくなっていく。


『止まれ! 我らは止まれと言っている!』


『それ以上は警告を無視したとして、貴様の命、本当に貰うことになるぞ!』


 彼らがそのように声を張り上げるのは当然だ。


 警戒と緊張の面持ちのルーリィはあろうことか門番の方まで歩いてくるのだから。


『限界を超えた!?』


『バカな女が! ……ヌ?』


 警告は無視され、街の入り口に、自分たちとの距離を詰めてくる女。

 だから豚顔の男は拳の骨を鳴らし、猪顔の男は、両手の硬い蹄をぶつけ合わせ、大きな音をはじけさせる。

 門番としては正しい判断。が、拍子抜けをしたように声を上げ、そして固まった。


『女、貴様何を考えている?』


 そうなったのには理由があった。

 もう「待ったなし」と、ルーリィに向けて走ろうとした男たち。

 そのタイミングで、彼らの瞳に移る、鎧を身に着けた女戦士が、槍を思いっきりあらぬ方向に投げ捨てたのだから。


 手近な大地に槍先を突き刺したのではない。遠くまで投げたことが、戦闘の意思を最初から放棄していると行動で証明して見せた。


「入れてもらえないなら構わない。この街のことは私も人づてに聞いている」


『……何が目的だ女よ。この街には貴様のような者に目的となるようなものは一つとして存在せぬ』


 とられた行動はあまりに意外なもの。


「人を、探している」


『人探しだと?』


 やられた男たちは、かえってルーリィがこの街にやってきた目的が気になった。


「山本・一徹・ティーチシーフ……この街にいると聞いた。会いに来た。街に入れるわけにはいかないというそちらの思いも理由も伺い知ることはできるが、それでも彼に会えるよう、そのために街に入れて頂けるよう取り計らっては貰えないか?」


『……叔父貴・・・


「なんだって?」


『貴様は、叔父貴の客か』


 が、結果的にガツンと衝撃を受けてしまったのはルーリィの方だった。


 話は通ったようだ。が、その通り方がルーリィには衝撃。

 門番二人は一徹のことを叔父貴と呼んだ。人間族の国では呪われた街である《ベルトライオール》にて、人間族ではない、異常なほどに屈強そうな門番が。


 それはルーリィにとって、何処かへ一徹が消えてしまってからの3年で、恐らく一徹がこの国で象ってきた姿の一部。


 ただでさえ今の一徹がどのような存在かいまだ定かでないルーリィにとって、門番二人の一徹への評価は、なおさら異質に映った。

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