ルーリィとシャリエールの邂逅。格別扱いのエメロード

 張り詰めた表情で豪華な椅子に座ったルーリィは殺風景な周囲を見回した。

 ところどころ不自然さ際立つのが、気持ちを落ち着かせない。


 ルーリィは《ベルトライオール》に立ち入ることを許された。

 門番の一人がどこかに消え、やがて戻ってきた時には、門番たちが「姐さん」と呼ぶダークエルフの女が姿を現した。


 城主の妻と自称する女に連れられ、荘厳な城内部に通され、城主、この街の太守務める男の部屋に通された。


 門番が「都」と口にしたのも頷ける広大な街。城は確かに治める者が住まうにふさわしい佇まい。

 が、内部は贅沢とは程遠い、飾り気のない質素なものだった。

 

「生きた心地がしていないという顔を浮かべているな女」


 不意なる、重厚感に満ちた声。

 心臓がギュッと握りこまれたようにも思ったルーリィは慌てて立ち上がった。


「非奴隷人間族のよそ者は珍しくてな。ゆえに街に立ち入って城へと通されるまで、敵意や殺意をかなり向けられたのではないか?」


 立ち上がったさなかに声の方へ体を向ける。


 獣人族の男。ルーリィに与えられた椅子が向けられる、正面にある執務机に向かって歩きながら語り掛けてきた。視線は、ルーリィには送られない。


 少しばかりそのナリがルーリィにとって意外。

 あれほど屈強な門番たちの長ということ。どれほどの化物かとも思っていた。


 いざ目にしてみると、門番たちより幾分体が小さい。身長で言えば、人間族の背の高い女とそれほど変わらない。


 先の門番たちは上半身裸で下はズボンという感じだったが、こちらは風格たっぷりの着物を召している。位が高いことだけはルーリィにもわかった。


「どうだ?」


 いや、見た目だけで判断するのはやめた。


 カエル顔した男。

 露出している首元や手首から指先まで、強者の証、数えきれないほどの傷の痕を認めることができたから。


 語り掛けるさなかに執務机に着き、両手を顔の前に組んだこの男こそ城主だとルーリィは確信した。


「それを押しても遂げたい目的がある。そのために決まりを捻じ曲げ、私を街に入れてくれたこと、感謝する」


「遂げたい目的。一徹に会いたい……だったか?」


「だから貴殿には感謝せど戸惑っている。私が望むのは一徹との面会。貴殿に目通るためではない」


「フン、変わった女だ。人間族でありながら獣人族たる我に《貴殿》をつかうか。名は?」


「ルーリィ・セラス・トリスクト。《ルアファ王国》はトリスクト伯爵家の伯爵代行。言っておくが私を捉えて伯爵家に身代金を……なんて算段は使えないから予め言っておく。数年前に没落を仕掛けて、振る袖がない」


「ハッ! 感謝せど警戒は解いていないらしい。自らの側の不祥な話を曝け出し、我をけん制するかよ」


 ルーリィは「自分を襲っても捉えても何の得にも成らない」と言って見せた。

 この街の者に、自分へ攻撃するりゆうを一つでも先に摘んでおく。身を守る手段の一つだった。


 確かにルーリィはいま、生きた心地が全くしていない。街に入ったこと、城に入ったこと、何をされてもおかしくないのだ。


 そう考えると、今更恐ろしさが全身を染めた。


 危険な場所だというのは、ラバーサイユベル伯爵からも聞いていたはず。

 だが一徹に会うことだけ考えていて、自分の命が潰えるリスクをまるで考えていなかった。

 猪突猛進さが、この状況を生み出した。


「いいだろうトリスクト。だが残念だったな。覚悟決めて街に立ち入ったお前だが、無駄になった」


「無駄?」


「奴はいまいない」


「なっ! ではエメロード様は!?」


「ほう? お前の本命はそちらか?」


「なら二人はどこに!?」


「それは言えんことだ」


「ッ!?」


 その上さらにカエル顔の城主は、話を本題に入ってすぐにバッサリとこの話題を切り捨ててしまう。

 ルーリィは声を上ずらせた。


「兄弟は言った。エメロード・ファニ・アルファリカの面倒を見ることになったのは、貴族であれ平民であれ人間族の社会セカイで起きた話。ゆえにこの街を出た。その問題を我ら種族の枠から外れた場所セカイで生きている者たちに及ばせ、巻き込むわけにはいかないとな」


 目を細めてルーリィの心を見通すように瞳の光が強くなったカエル顔の男は、顔の前にやった重ねた手にかけるように、鼻からため息をついた。


「それだけ覚悟持って行動をする弟分を、兄がジャマできる者かよ。ラバーサイユベル伯爵と兄弟は、その問題が人間族枠内の問題ゴタだからこそ、人間社会セカイの手が及ばぬ枠外コチラがわに一瞬でもあの娘を移すことで保護することにした。そこで我がトリスクトに情報を伝える。それがどういうことか分かるか?」


「私が知るということは人間社会セカイにその情報が漏れ出る可能性がある。そしてそれは追跡に及んだとき、人間社会セカイ枠外ソチラがわに捜索の手を伸ばすリスクをはらむことになる」


「その結末は我の兄弟が望まぬこと。兄弟が望まぬのはな、それが我らが望んでいないことを知っているからだ」


 ルーリィは打ちのめされた。こんなにも、一徹と自分とは縁がないのだ。

 こうして第三者の言葉で耳にするのも心に来た。


 一徹は人間族、人間社会を警戒している。それはかつて彼の背を追って走っていたルーリィにも理解ができない事ではない。


「兄弟は我らを守るために動いている。だからこそ、我も兄弟を守るのよ」


 ショックだったのは……第三者から見て、ルーリィもまた、一徹にとって警戒すべき人間族だととらえられているから。


「そういうわけだから、すまんが話はこれで終わりだ。さぁ帰ってもらおう。そして二度とここには来ない方がいい。全てが終わったら兄弟は帰ってくるだろう。トリスクトが会いに来たこと、伝えおこう」


 悔しさを顔に滲ませて項垂れるルーリィ。しかしふと、全く関係ない疑問が思い浮かんでしまった。


「兄……弟?」


 わざわざ執務机にまで座っておきながら、すぐに終わった話。ゆえに立ち上がったカエル顔の男は廊下に続く部屋の出口から女の名前を呼んだ。その名はルーリィをここまで連れてきてくれたダークエルフの名


「話は終わりだ」


「なんだ、速かったねご主人。まぁ、義弟(おとうと)のあの様子じゃ、話す事なんてないとは思ってはいたけど」


「おと……うと?」


 呆然とでも言えばいいのか、いま頭が空っぽであることを見るだけでわからせるような顔で、ルーリィは城主と妻の女に視線を送る。


「も、もし!」


「なんだ? 言っておくがこの手に関しては幾ら問い詰められようが……」


「そうではないんだ。ただ先ほどから気になってしまって。その、兄弟がどう、弟がどうって……」


 確かに聞かれたくない質問ではなかったこと、だが聞かれるとも思わなかった質問を受けて、瞬間沈黙を見せる二人。


「貴方は一体何者なんだ。彼とは、いったいどういう関係で……」


「そうか、そう言えば言っていなかったな。いや、気になるとも思ってはいなかったが……」


 やがてルーリィに向かって少しだけ笑みを見せた。


「我が名はフローギスト。この《タベン王国》は四獣王が一角、《獣王》ジンブジャックボー陛下より親子の杯を交わし、称号、《獣王の爪》を賜った、いまはこの街の太守を務める者。聖魔の忌子の父となり種族の裏切者コウモリと蔑まれた人間族、山本・一徹・ティーチシーフとは五分の兄弟杯を交わした」


「杯が五分であれ、ご主人が兄貴分であることは重要だよ」


「五分杯? 種族が違う彼が、弟分?」


「まったく一徹ときたら。《獣王》ジンブジャックボー直参、ジンブジャックボー一大一派直系、《商会銀の髪飾り》商会長くみおさともあろう立場でありながらその自覚がない」


「なっ!」


「ただ本家直系一次団体集落長くみおさってわけじゃない。ご主人と同じく《獣王の爪》を賜ったアイツも、腐っても一応、本家の大幹部だっていうのに。最近じゃ何でも断捨離して……まぁ愚弟らしいと言えば、愚弟らしいか」


 嬉しげで、そして自信に溢れている物言いのフローギスト。そこに追加情報とばかりに言を挟んだのはガレーケというフローギストの妻だ。

 疲れた顔。だが苦笑だった。妻ゆえに、一徹を義弟おとうとと呼ぶことができているのだ。


「い、一徹が……獣人族集落の大幹部……?」


 その事実を言葉として、


「一徹が……称号……?」


 そして彼らの発する雰囲気を感じて思い知らされたルーリィは、


「人間族の一徹が……」


 どんどん頭の中に入り込んでくる信じがたい情報の数々、


「獣人族最強の称号……《獣王の……爪》?」


 重さ、濃さについていけず、しばらく固まってしまった。


「失礼致します。フローギスト様」


 そんな時だ。

 新たな声が、回廊に続く扉の先から聞こえてきた。聞こえた途端、フローギストとガレーケの表情が強張った。


「お、お前か。どうした。一人で城に立ち寄るのは珍しいではないか?」


 入室の許可はしていない。だが、拒絶ではない事、さらに親し気なフローギストの物言いから、慣れ、というのもあったのだろう。部屋の外にいるであろう者、声からして女だと分かる者は、「失礼します」と念押しのように告げてそのまま入室した。


「あの人間族ですか?」


「な、なんだ入っていきなり……どうした」


 明らかに、フローギストは入ってきた女に狼狽していた。狼狽していたのはガレーケも同様だった。


「お、おい! 姿を現して早々、お前は一体何を考えてる!?」


 焦燥じみたフローギストの声を耳にしたルーリィが感じるのは狼狽ではない、驚きだった。


 当たり前だ。部屋に入るなり、そして自分の姿を認識されるなり、女は大ぶりのナイフを抜き禍々しい切っ先をルーリィへと向けるのだ。


 驚きの理由はもう一つあった。


「噂を聞きました。珍しく人間族がこの街に立ち入ったと。女、武装していると。それでいてその女は……」


 切っ先を向けてくる、青紫色の肌を持ち目鼻立ち整った美しい女に、ルーリィは見覚えがあった。


「一徹様を捜しているのだと。その方が件の女戦士ですよね? 一徹様に害がないとも限らない」


「シャリ……エール……」


「だからお邪魔しました。一徹様に出会ってしまう前に、処理しておかねば」


 シャリエール。

 一徹の隣に立ち、彼の為なら戦いにも幸福見出す魔族の女。


 驚きとともにブルリと身が震えたのは、シャリエールの醸し出す殺気に体が凍てついただけではなかった。

 また一人、一徹の元へとルーリィの手を届かせうる彼との強い繋がりを、見つけ出すことができた故だった。



「まずは物騒な物をしまわんか」


「ですが……」


「真偽は別だが、女は伯爵代行を自称する。仮にここで死なれては困る」


「知られないよう最後まで……」


「万が一知られた場合を憂慮せよと言っている」


 ナイフを向けられたこと、向けられた殺意に圧を感じたルーリィ。フローギストがシャリエールを宥める光景を目にしながら、緊張で口の中が渇き、喉の粘つきを覚えた。


「伯爵代行が、人間族以外が占めるこの地で死んだことが明るみになる。それによって引き起こると予想される物が、我らを巻き込みたくないとして街を出た兄弟の思いに反することがわからんか?」


「それは……」


 指摘はドンピシャだったようだ。

 黙り込んだシャリエールは、しかしルーリィの恐れの瞳をにらみ続けるのやめぬまま、腰に下げた鞘にナイフを納めた。


「では旦那様に何用ですか? 『会いにきた』と、その目的は?」


 剣呑とした空気は已然のまま。掛けられた問いにルーリィは言葉を詰まらせた。

 目的? 特段ない。衝動に突き動かされた。

 ここまで来たのだって「会わなくてはならない」という思いからの結果だ。


 単純に「会いたかったから」と言うのが正しいが、幼稚すぎる。

 普段冷静を地でいくルーリィにとってあまりに恥かしかった。


「聞いているのですが?」


 そんなこと知る由もないシャリエールが質問する態度はとても悪い。敵意がにじみ出ていた。


「フム、控えろシャリエール」


「……ハイ」


 それを諌めたのがフローギスト。


 ルーリィは、先ほどの彼の発言が真実だというのをここで知る。

 一徹の兄貴分。だから一徹を慕うシャリエールは、いまの命を聞き入れた。


「帰れと言ったが、少し我からも聞かせてもらおうかトリスクト。お前と一徹との関係だ」


 諌めたフローギストは続けてルーリィに問いかける。

 問いが問い。シャリエールの恐ろしい視線が向けられ、ルーリィは息苦しくなった。


「……《ルアファ王国》での友人。先日この国の王家別邸で開かれたパーティで再会した。3年以上ぶりだった」


 何とか、ため息交じりに答えを返す。

 友人には違いない。だがいざ口にしてみると、「友人」としか返せない自分が情けなくなった。


「嘘……ですね。パーティには私もいた。私が一徹様を見ていた限り、再会による心の揺らぎは見られなかった」


「そうじゃないんだ。私はあの襲撃中も最後まで面をつけていた。あの襲撃の終わり、一徹の仮面の紐を剣閃で裂いたアーバンクルスの隣に立っていた。貴女だって見たはず」


「ッツ! 貴様っ・・・! 襲撃者たちの詠唱魔技を浴びせ、あわや死んでしまうというところまで一徹様を追い詰めたあのときの女かっ!」


「……謝っても許されないことをした……とは自覚している。仮面で知らなかったとはいえ、貴女の目の前で一徹の腕をねじり上げたことも。それでも、あの時は申し訳なかった」


「敵意を見せた。愚弄もしてくれた。一徹様は……困っていらした」


「そう……だろうな」


 「貴様」とまで呼ばれたこと。間違いなくシャリエールは、ルーリィを一徹にとっての面倒くさい相手とみなしている。

 感じたルーリィは、目に見えて歯切れが悪い。


 そんなルーリィでは相手にしても拉致あかないとも思ったか、シャリエールはひとつ深く息を吐き、落ち着いてから問いを新たにした。


「わかりました。3年ぶり、信じましょう。ですが貴女がわざわざ来た理由を知りたい」


「理由?」


「あのパーティは同盟にかかわる者たちの懇親の場。当然ラバーサイユベル伯爵とは面識もあり、だから今日この街にたどり着いたのも、伯爵に聞いて一徹様の居場所を教えてもらったから」


「それのどこが気になって……」


「この街は、貴女たち穢れた人間族にとって立ち入ること適わぬ場所だと聞いたはず。ただ再会を望むにしては、その賭けは危険すぎる。そうさせるほどの何かがあるのではないですか?」


 落ち着いた物言いだった。圧迫も、少なからず収めていた。


「……別れ方が、酷かったから……」


 しかしながらじっと見つめてくるシャリエールの瞳には興味深げな光が灯っている。耐え切れずにルーリィは目を背けた。


「忽然と姿を消した。どこに行くともいつ帰ってくるかも言わず、一徹は私たち・・・から離れてしまった。だからあのパーティでの邂逅かいこうは、千載一遇のチャンスだった。とうとう会えた」


「私……たち?」


「いなくなった一徹を心配している者たちのことだ。私はもとより、他にも一徹には仲間がいた。何より、一徹がその成長と幸せを誰よりも願った、彼のリィンも」


 目を背けた。


 だけど正直に、ルーリィはいま前に立つ三人に、その訳をちゃんと伝えきった。


「妹……様……旦那様に……妹……」


 ところがだ、伝えきったルーリィはチラッとシャリエールに目をやって困惑した。

 先ほどまで、痛いほどに攻撃的な視線で貫いてきていたのに、いま目を背けていたのはシャリエールも同様。


 シャリエールの視線から逃れるように目を背けたルーリィとは少し違う。

 シャリエールが逃れようとしたのは、ルーリィが口にした話にからだった。 


☆           


『へぇ? 結構な面構えしてんじゃねぇの。このピリッとした感覚、一徹が、久しぶりだねぇ』


『あんまいい気分じゃないさね。この組み合わせは珍しくないが、両者がその顔・・・で鼻突き合わせる。少し前を思い出させるじゃないさ』


『あぁ、港町を支配するために、警備の兵を皆ごろ……』


『しっ、お止めよ』


 この場に集った者たちがヒソヒソ口ずさむのを、エメロードは耳で拾おうとした。

 前回エメロードがこの場所に来たときと今の、ここにいる者たちの一徹に対する視線が明らかに違ったからだ。


「まさか公爵令嬢を《ベルトライオール》で匿うなど常識的には考えられないから、あそこでの保護は悪い選択じゃないと思うけれど」 


「《ベルトライオール》じゃ街の所以ゆえんゆえに軟禁になっちまう。あんなことがあったばかりだってのに、それじゃ気持ちがふさぐ」


「気持ちがふさぐのは君のせいじゃない。君は命を救った。それで十分だろう?」


「考えてないわけじゃない。だが、人間族の公爵令嬢が人外の都にいる、それはフローギストたちに対する潜在的なリスクだ」


「やっぱり君は甘い……が、まぁそういうことにしておこうか?」


 《タルデ海皇国》に密入国が叶ったエメロード。辿り着いたのは、その国土内で《タベン王国》との国境に一番近い港町、《メンスィップ》の、《海運協業組合ギルド》拠点。


 そこは人間族もそうでない者も、あまつさえ忌子すらが集う場所。

 

 かつて一度この場所に来た来たエメロードが目にしたのは、《海運協業組合ギルド》に所属しているそれら多種多様な種族皆が、一徹に対して横柄、豪胆に接してきた光景。


 いまは違う。

 ヴィクトルを後ろに控えてエメロードを隣に控えた一徹が、拠点長が座るべき椅子で足を組んでいる美青年と協議しているのに対し、確実に配慮があった。


「悪いねハッサン。他に迷惑を掛けられそうな場所は見当たらなくて」


「良いよ。この街は私たちの街だし、この街も、そして私たちも……君のもの・・・・なのだから」


「言ったろ? 俺にはそーゆー趣味はねぇってな。単純に同盟締結前の《タルデ海皇国》なら、うかつに《タベン王国》も手が出せない。そう思ったんだよ」


「大々的にはね。小規模的なら分からない。先日、そうして我が妻殿が襲撃を受けたんだ。娘もね。ま、幸いにして被害はなかった。この街で我らに牙を剥くその意味を、分かっていないようだった」


「それは初耳だぞ? 俺が知ってるのは、同盟に関わり《タベン王国》の対、《タルデ海皇国》向けのパイプ役として、お前が外交大臣アルファリカ公爵と協議するために赴いた《タベン王国》王都で、刺客に遭遇したって話だけだ」


「言ったら君が気に病む。ただでさえ、同盟にかかわることは君に推された仕事なんだから」


「グック!」


 指摘は図星。

 だから明らかに顔色を変えた一徹に、言いすぎたとばかりにハッサンは変わらぬ柔らかい笑顔を浮かべたまま肩をすくめた。


「ホゥ?」


 そして不意にエメロードに視線を移して……目を細めた。


「君という男は、本当ほんっとうに女難に見舞われている」


「は? いきなり何言ってんだお前」


 ハッサンが一徹に聞いてしまったのは理由があった。

 ハッサンの視線から逃れるよう、一徹のスーツのすそを握ったエメロードが、その背中へと立ち居地を変えるような動きを見せたから。


 ハッサン・ラチャニー。

 ゆるくウェイブのかかった長い金髪は、太陽に晒されればキラキラと黄金色に輝く質の良い絹の様。

 抜けるように白く、きめ細かい肌。

 シャープな輪郭だが、柔らかい眼差しを醸す翠玉のような瞳。高くスッキリとした鼻筋。


 かつてエメロードをして、「見つめるだけで千も万もの女を堕とすほどの美男子」と思わしめるほどの美貌を持つ一徹の親友。


 だがハッサンを見返すエメロードの瞳には明らかに警戒の色があった。

 彼女は知っていた。

 一徹からはよく《笑顔の貴公子》などとも称されるハッサンが、決して見た目通りの男でないということを。

 そもそも、過去にルーリィを陰謀に陥れた首謀者その人だから。


「優しすぎる男というのも、時に考えものだよ。節操ないんだから」


「や、知んね〜から」


 エメロードから警戒されている。自覚がハッサンにもあって、だから一徹は言われてしまった。 


 十分に一徹は、エメロードにとって逃げる先、頼る先として見られているのが見て取れた。


「さすがに、公爵令嬢じゃ私の計画・・・・・・・・・・に組み込むことはできないのだけれど」


 ハッサンは、一徹がエメロードにかつてどれだけ毛嫌いされていたのか覚えていたから……


「わけわかめ」


 それを思い返すと随分と距離が近くなったことが複雑だった。


「いいよ? 君からのたっての願いっていうなら我が商会、《絆の糸》商会長として、兼この《海運協業組合ギルド》サブマスターの立場に掛けて、ご令嬢は私たちでしっかり保護しよう。密入国に関してもご安心を。港町を治める私たちの子爵閣下お人形にも何もさせない」


「山本一徹、話が違う!」


「さすがに、四六時中お供するわけにも行きません」


「私はっ! 貴方が守ってくれるって言ったから」


 そんなエメロードが、いまやここまで一徹を求めるとは。

 ハッサンはコメカミを人差し指で抑えながら、エメロードにタジタジな一徹を不憫そうに笑うしかなかった。


「私なんかといるより、ここで守ってもらったほうがずっと安全ですよ? 本当」


 一徹といえば、焦りの表情で食いかかるエメロードに苦笑いを見せ、やがて落ち着かせたのちにハッサン以外、集った者たちに体を向けた。


「ッ!」


 ……また、エメロードは息を飲んだ。


 目に映ったのは笑顔の一徹。


「と……いうわけで、またしばらく先輩たちの厄介になります。何卒宜しくお願いします」


 両足を肩幅に、少し腰を落とした体勢。膝に両手を、深々と頭を下げた一徹。


 人間族が、人間族外それいがいに頭を下げた……ということ。


 人間族にとって本来天敵種である魔族に対し。


 佇まいに荒々しさを纏わせる獣人族に対し。


 頭を下げた先には同じ人間族もいたが、到底まともな道を歩いてきたとは思えぬ雰囲気を醸し出し出していた。


 そして忌子。

 《種族観》をどの種族も絶対視するこの世界では、生まれることすら禁じられた混血の者たち。

 

 深々と頭を下げたところには、この世界で異端と呼ばれ、種族によっては敵とまで見なすような者たちに向け、一徹の確かな敬意が宿っていた。


 自分の為に行ってくれている。その振る舞いに、エメロードは痛み入った。


 この場に集った全員、集中した面持ちで頭を下げる一徹に視線を集めた。


 エメロードは覚えている。

 前回この場に来たときは誰も彼もが一徹の話など上から塗りつぶしてしまったはず。

 違う。

 いまはその言葉と、こめられた思いをかみ締めるように静かに聴いていた。


 やがて聞こえるは「任せろや」だの、「致し方ないねぇ」という受け止めの言葉。


『んじゃ、その前に……だ』


「……は?」


『エメロード嬢ちゃん歓待の宴と行こうじゃねぇかぁ!』


『『『『『ッシャァァ!!』』』』』


「こ、この人たちは……」


 突如の感情の爆発。話が纏まったということ。


 なかなかに広い《海運協業組合ギルド》拠点すら、大地震が起きたかというほどに振るわせる喝采。

 ヤレヤレと首を振り天井を仰ぎ、手で瞳を覆った一徹はため息ひとつ、エメロードを見やる。


「滞在は、宿ではなくこの拠点を使って頂きます。この人たちのこのテンションはいつものことなんで疲れるでしょうから。日中は私が表通りにでもお連れします」


「『日中は』って、それ以外は?」


「私とヴィクトルはこの街のどこか適当な宿に滞在しますよ」


「旦那様、勿論部屋は同じでしょうな!?」


「……突っ込まない。俺は何も突っこまない」


「突っ込むですと!? ナニを!? ドコに!?」


「違うわドアホ!」


 沸き立った雰囲気にこの流れ。一徹が繰り広げたのはヴィクトルとの漫才のような掛け合い。


 こんな状況でも馬鹿馬鹿しさを地で行く一徹に、エメロードも思わず笑みがこらえきれなくなりそうな……ときだった。


「いよいよ本格的に……逃げられなくなってきたか・・・・・・・・・・・・?」


 ポツリと、小さく一徹が独り言を呟いたことが、エメロードが笑いだしてしまいそうなのをせき止めた。


 なんとも、感情の処理がエメロードは忙しい。


 港町にたどり着くまで感じ続けてきた不安。

 たった今話が纏まったことで沸き上がった喜び。

 しかし瞬間で、胸がキュッと締め付けられる感覚に苛まれる。


 襲撃は終わった。港町で保護をされているのも、《タベン王国》内の騒乱が落ち着くまでの一時的避難。

 別に、何かから逃げているわけではないはずなのに……


 なのに一徹は「逃げられない」といった。

 それがエメロードには何を言っているかわからなかった。

 一徹のことが、気になって仕方がなかった。



「……会わせ……られない。会わせられるわけがない」


 《メンスィップ》で一徹が酒宴を始めた頃、国境を越えた先。

 《タベン王国》は呪われた街、《ベルトライオール》で続いていたルーリィとシャリエールの話し合いは、拒否拒絶という形で終わるところだった。


「どうして!?」


「貴女は、本当はただ一徹様に会いにきただけではなかったから……」


 シャリエールもルーリィも、双方ともに苦しそうな顔をしていた。


「心配している者がいるんだぞ!? 一徹を、待ちわびている者たちが!?」


 ルーリィの言葉は、シャリエールの心を深く穿った。


「お引取りを」


 しかして一貫として首を縦に振らないシャリエールに、話が進まないことで憤るルーリィも歯を食いしばった。


 ルーリィとシャリエールの言葉の応酬。

 フローギストやガレーケにいたっては蚊帳の外にまで追い立てられていたから、苦い表情を浮かべて成り行きを見守っていた。


「ただ『会わせられない! お引取りを!』では私だって退けない!」


「どうせ何を言っても聞くつもりはない。だから帰れといっています」


「それでは話が終わらない!」


「……やめんかシャリエール」


 とはいえだ、このままでは互いに手が出てしまうとも思ったゆえ、制したのがフローギストだった。


 フローギストはシャリエールが優秀な女戦士だと知っている。

 これまでの話のなかで、ルーリィも先日の襲撃を槍捌きにて生き抜いたのを聞いた。


「シャリエール?」


 言での決着がつかない。それによって……次の段階・・・・に至ってしまう前にけん制した。


「お言葉ですが、一徹様の隣に立つことが出来る貴方様なら、この女の話を聞いて何も思わなかったわけないはずです! だって、だって、この女が一徹様に会いに来た理由は……」


 呼びかけられたシャリエールは激昂とまらず、ルーリィを睨んだまま、フローギストの声に返した。


「私たちからセカイを、奪い取ることに等しいんですよ!?」


「世界を……奪う?」 


 瞳を見据えてくるシャリエールの憎しみのこもった目。

 力が入ってブルブルと体を震わせながらの叫びは、ルーリィの声を詰まらせた。

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