混沌のマスカレード 底知れぬ本領

「突き飛ばす! 転ぶなよ!?」


 それは確認ではない、確定。

 返事が帰ってくる前に黒衣の男に突き飛ばされたルーリィは、しかしとがめようとはしなかった。


『チィッ! 初撃で仕留めるはずはずだった!』


 お互いのダンスホールドを無理やりにでも引きちぎり、突き飛ばすことで二人の間に空間が出来なければ、走ってきた襲撃者の槍先が、ルーリィか黒衣の男かの横腹に突き立っていたから。


『まずは女の方か……ら……』


 スパンッ! という小気味の良い音が小さく弾ける。続きその場に躍り出た男が、膝から崩れ落ちた。


「顎を打ち抜いて脳震盪。さすがは騎士様、本領発揮か」


 気絶し、たったいま倒れた男の手から、拾うように槍を手にしたルーリィ。余りに落ち着き、声を掛けてきた黒衣の男の不自然さに、訝しげに視線を上げた。


「こりゃあ、ご令嬢を守ろうとする男は大変だ。そもそも、守る必要が無い」


「だから突きばして以降、私が斬られそうになって尚、貴様は黙って見ていたのか!?」


「この襲撃は本物、この実戦も本物。本当の戦闘に慈悲なんぞなく、有るのは生きるか死ぬかの二結末。なっさけないことを言うようですがね、それがわかっていながら今日会ったばかりで、しかも敵意を向けてくる貴女を守るさなかに大怪我、最悪死亡なんて御免。適当に折を見て脱出しますよ」


「私と渡り合った実力を鑑みれば、その可能性はゼロではないだろうが……敵前逃亡か。高潔さが、欠片もない」


「高潔さ? あぁ、『貴族は高貴たれノブレスオブリージュ』というアレですか? よいのでは? 周りのお貴族様を見ても、貴族でない私が高貴さを気にする必要はないと思わせてくれる」


「クッ!」


 薄く口角を横に広げた黒衣の男。

 対してこれを受けたルーリィは、呻くしかできなかった。


 テーブルが崩壊し、テーブルセットや金属製のゴブレットが雪崩を起こす大きな音と、襲撃者たちの張り上げる声、何かの壊れた音。


 恥も外聞もなく逃げ惑い、目的地もなく会場内を走り回る貴族たちの惨めな姿について言及する黒衣の男は、腹の底で「彼ら貴族のどこに、いま口にした高貴さが見受けられるというのか?」と言っているのだ。


「では私はこれにて。ダンスのお相手有難うございました。とても楽し……」

 

 そうして、この絶望の空気のなか飄々とした黒衣の男がニカッと笑ったのを、ルーリィが目にしたのと同時。


「生きていたか! よかった無事かっ! ルーリ……」


 瞬間で、誰の声なのかわからせた。

 身を案じる呼びかけを、ルーリィは耳にした……


『誰ぞっ! エメロードをっ! 守れぇぇぇぇぇ!!』


「「ツゥッ!?」

 

 ……のだが、それ以上に、この騒々しい会場内で一際大きく天井から降ってきた叫び声が、ルーリィの心をわしづかみにした。


「アルファリカ公爵っ!」


 叫んだのはアルファリカ公爵。

 上階の、階下を覗ける吹き抜けの落下防止の手摺りに身を乗り出すようにしながら、大声を上げ、エメロードの救援に動こうとしていた。


「よかったルーリィ。本当によかった。君が無事で」


 耳は、ルーリィにとって最愛の男の安堵の声を確かに拾った。

 その声とともに、肌に、体に感じる圧は、ルーリィにとっての恋人が抱きしめることで、無我夢中にルーリィの生存を貪っているのもわからせた。


「あ……れ?」


 ……が……

 それでもルーリィは視線を、意識を、恋人に送ることはなかった。

 いや、出来なかった。


「ルーリィ、大丈夫かい? 私だ。アーバンクル……」


 恋人が必死に呼びかけてきても響かない。


 しょうがなかった。

 目を、見張ってしまったから。


 なぜならいま、ルーリィが目を向けるその空間。アルファリカ公爵の魂からの懇願に目を奪われた、一秒にも満たない刹那を経て、視線をもどした場所には……誰もいなかったから。 


 物音も、動いた気配もなかったはず。

 だがたった今まで目の前にいたはずの黒衣の男。いつの間にか忽然と、煙のように姿を消していたのは事実だった。


☆ 


 動悸、脈の凄まじいドクドクとした強さは、まるで収縮極まった心の臓の中で何とか血が巡ろうと無理をしているかのよう。


『誰ぞっ! エメロードをっ! 守れぇぇぇぇっぇぇぇ!!』


 耳をつんざき、脳に父の声が反響した。


 視線の先の二人の男が、狂喜の表情を張り付け、剣を振り上げ、奇声挙げながら距離を詰めてきていた。


 何がどうなっているのか飲み込めない……から、襲い来る男たちの耐えようもないプレッシャーに腰を抜かしたエメロードは、しかして恐怖ではなく、頭が真っ白になったことで完全にフリーズしてしまっていた。 


「……あ?」


 不意にピチャと、何か生ぬるい液体を数滴被った。それでいてなお、エメロードは状況掴めない。


 指先で拭い、確認する。

 ネットリとした真紅が、彼女の細い指先に纏わりついていた。それでもまだ、いまだに状況が飲み込めない。 


 弾けるは、バシィン! という二本の剣がそれぞれ腹から床に落ちたときに生じた音。


 そして……


『ッツ! ガァァアアアッア! アァッアァァッアァッア!』


『イテェ! イテェぇあア!!』


 秒前、剣を握っていたはずの方の手首を掴んで、男二人が絶痛に泣き叫ぶ。


 さすがに滴を被るほどの至近距離だったこともあるから、呆然としたエメロードはやっと意識を取り戻した。


 次いで襲われたのは、全身がすくむような恐怖。気持ちの悪さ。

 ぶわぁっと体は熱くなり、冷や汗噴出るのはしょうがないことだった。


「……やっぱ斬るところまでは行かねぇか。まぁ、魔道具ウェイブソーサリーでもなんでもない、ただの食用ナイフテーブルマナーセットじゃこんなものか」


 それとは裏腹、広い背中に軽薄そうな声が、目に、耳に入ったから、エメロードの恐怖はまた真っ白に転じた。


「ったぁ! にしてもよかった。もう凶刃きょうじん前にしてエメロード様ポッカーンしてるんですもん。やっと我に返りましたね?」


「山本……一徹?」


 突然の出現に、信じられないと声を上ずらせたエメロード。


 視界の先で「いてぇ! 痛ぇよっ!」と木霊する男二人を背景に、振り返った一徹のからかう様な笑顔に目が惹かれた。


『テ……メェ、殺すっ!』


 エメロードは……さらに瞼をひん剥かれることになる。

 呪いの言葉を紡ぎ、手を押さえながら剣を拾った襲撃者の一人が、


「あぁお前たち、チョッチうるさいから」


 真横に吹き飛んだから。


 強烈な一撃を浴び、飛ばされ、そして先ほどともに苦しんでいた二人目の男に衝突して巻き込んだ。

 その衝撃、幾ばくか。


素材ソーサリー開放。いいね《カマイタチ》。さっきの女騎士じゃないが、俺も《お前》の素材ウェイブソーサリーをこの靴に組み入れておいてよかったよ。調子よさげじゃないか」


 一徹が蹴った。

 蹴りきったままの姿勢でピタリ止まっていたから、それだけはエメロードにもわかった。 

 

 そのフォームの、あまりに自然で美しいこと。


 以前一度、一徹に誘われ決闘のおままごとを彼と演じたことはあった。

 やはり一徹は、こういったことに慣れているということをエメロードに思わせた。


 非常に気だるげな発言。その一方……まるで目に捉えられなかった一蹴りの軌跡。


 それだけではない。エメロードはチラリと、いま倒された二人に目をやった。

 銀食器テーブルマナーセットが、男たちが先ほど剣を握っていた手の、その甲に生えているのを認めてしまった。


「エメロード様?」


「うっ……」


 それを認識した上で一徹の声を耳にする。エメロードはビクリと身体を震わせた。

 だが、悪ガキのように笑った一徹が動かした右手によって、その視線の先を誘導させられた。


「『エメロードを、娘を守れ』……か。良いお父様じゃないですか。親心ってのに当てられて、私も思わず動いたほど」 


「う……そ……」


 「参ったなぁ」とでも言うような一徹の呆れた声を耳に、エメロードは息をするのも忘れて、ただただ一つのことに目を奪われた。


『離せ貴公ら! 娘が! 我が娘が死地にいるのだ!』


 エメロードにとって、いつもは恐ろしくてたまらない父。

 上階からの必死な顔が、自分に向けられていた。


『いけません閣下! この上貴方がこの騒乱に巻き込まれたらこの国は、同盟はいかがしますか!?』


『邪魔だてするなフィーンバッシュ侯爵!』


 実の娘を「恥だ」と公言する、あの偉大すぎる父親が、これまで見せたこともないほどに不安な表情を向けていた。


『ええい! 閣下だけは、なんとしてでもこの場から離れていただく!』


 あわや上階から飛び降りようとするほど手摺りに身を乗りだした。

 その興奮の度合いは、フィーンバッシュ侯爵、ラバーサイユベル伯爵に羽交い絞めにされて止められるほどだった。


『エメロード! いまワシが行くっ!』


『行かせませぬ! 公爵閣下を安全な所まで!』


『き、貴様ら、何をする! まて! まだエメロードがっ!』


 聞き分けないほどに狼狽、焦燥の色を見せた実父。

 ついに見かねたフィーンバッシュ侯爵の一声に、上階で彼らを護衛していた兵たちによって連れて行かれそうだった。


『エメロード! エメロードォ!?』


 逃げ惑う者たちの断末魔がいたるところで爆ぜているなかにも、父親の叫びだけはいやにエメロードにはよく聞こえた。


 想ってくれているのが、痛いほどにわかるのだ。


 だからこのような絶望的な状況にあって、エメロードは顔を紅潮させた。


『どこをっ!』


『見てやがるっ!』


 完全に意識が父親に行ってしまったから……上階を眺めていたエメロードは、まさかそんな声が聞こえるほどに、新たに襲撃者二人、間合いを詰めていたとは思わなかった。


「……えっ?」


 その声に、反応してしまった。


 瞳は男たちに向けてしまった。だが顔だけは上を見ていた。そんな状態、満足に動けるはずもない。


「あークソが……」


 そこで聞こえたのが一徹の声。

 それと同時に、向かい来る一人が、突如小さな悲鳴を上げながら武器を取り落とす。


「俺も……」


 武器を取り落とした男とは別の男が苦悶の声を上げたのは、エメロードが、飛び上がった一徹の膝が男の鼻柱に正面から埋まっていたのを目にした時。


「この手のお涙頂戴には弱いから」


『おぅぶぼぉえぇぇっ!』


 瞬きしたエメロードが次に認めたのは、たった今、武器を飛ばされた男が腹を押さえ、涙をたたえて床に崩れ落ち、耐え切れずに胃の内容物を遠慮なく吐瀉としゃしている図。


 一徹が膝を手でパンパンはらっているところを見るあたり、二人目、二撃目も膝で仕留めたのをわからせた。


「歳かねぇ? あーヤッダヤッダ」


 なんて動きをするのだろう。


 エメロードはいつの間にか、父親の見たことのない様子から、無理やりとでも言うべきか他の男に目を奪われた。


 黒衣の男、山本・一徹・ティーチシーフ。


 片手を首に添え、ボキンッ! バキンッ! と鳴らし、威風堂々と仁王立ちをしながらあらぬ方向へと目をやる、ホゥと息を吐いていた。

 瞳は……冷めていた。



「やはりっ! 槍を振るう君は頼もしい!」 


「どうして前へ出て来たんだアーヴァイン! ここは死地だ! そして君は我が国の……」


「第二王子! だから家臣である伯爵家当主代行キミ前衛まえに、私は控えていろだって!? ありえない!」 


 殺戮の波は、決してエメロードや一徹の周りだけに押し寄せているわけではない。


 肉の裂けるくぐもった音、骨の砕ける鈍い音、腱がちぎれたバチンッ! という音はあちらこちらで聞こえる。

 その音が生じたところでは、必ず誰かの悲鳴と、床に崩れる音から、絶命した者がいることを誰にも分からせた。


 その災禍にはとりわけ目的があるから、こういったところに集中した。


「それにね! こんな状況なかでいうことじゃないかもしれないけど、君と背中を合わせて戦うこの充足感っ!」


 すなわち、抵抗するに足る力を持っている者のところに。


 槍の柄を棍とし、叩きつけ、突きこみ、槍の穂先を返すと、その腹で殴りつけたルーリィ。

 アーバンクルスは突いた剣を、的確に相手の急所へと刺し込み、薙ぐとともに唱えた魔技を存分に発揮する。


 そう、だから襲撃者たちはルーリィとアーバンクルスを作戦の弊害になると判断した。


「クッ!」


「伏せろアーヴァイン!」


 二人の連携は見事なもの。

 動きの詰まったアーバンクルスは声に反応し身を低く沈みこませる。


『ガハッ!』


 鈍音と共に、後ろに男がのけぞり倒れたのは、アーバインがしゃがんだことでできた空間に、ルーリィが思い切り振った槍の腹に殴り飛ばされたゆえ。


「大丈夫……‼」


「まだだよ! 《シャッドルーウォッ》!」


 ルーリィがかけた言葉を塗りつぶし、アーバンクルスは唱え挙げる。

 視線に導かれる形で振り返ったルーリィは絶句した。


 アーバンクルスに応えた石の槍が、パーティホールのフローリングを突き破り、床からえていた。

 フォローするため振り返ったことでできたルーリィの、死角はいごから寄ってきた男の腹部を深々と貫いていた。


『が、ガフッ! フ、フ、フグゥ!』


 生えた石の槍の、上に伸びる力に持ち上げられるように、貫かれたまま宙に浮く男は口から血を吐き、ぐるりと白目むきながら、槍の埋まった腹を押さえて喘いだ。


『あ、あ……カハァ……』


 内臓を引き裂かれ、背中を貫通する。そんな目にあったジタバタもがく男が、助かるはずもなく。

 やがて細い吐息、最期の生の活動を絞り出し、ガクリと力尽きた。


「やはり、アーヴァインも騎士……なんだな。私は……」


 力尽き、柱が埋まる力に抵抗をやめていくから、ズブリズブリと死体は深く、石の槍に沈み込んでいく。


 悲鳴に反応し、至近距離でそんな凄惨な光景が目に飛び込み、一瞬の呆然。


「ルーリィッ!」


「アーヴァッ……!?」


 アーバンクルスの声でルーリィがやっとのこと我に返ったその時、走りこんできた恋人に抱きしめられ、床に押し倒された。


「ッ!」


 それをさせられるだけの事が起きたのだ。


 あおむけに倒されたルーリィは、先ほどまで立っていた箇所に視線を送った。

 凄まじいスピードで何かが過ぎ去った……だけじゃない。


 死んだ男を貫いていたままの、直径も太い石柱槍に、過ぎ去った《何か》がぶつかり、そして…… 


「あれは……敵か!」


『ガァハァァァ!』


 石柱槍は粉々に砕かれた。


 砕いたその弾となったとある男の挙げた叫び。ルーリィの脳裏にこびりつきそうなほどよく響いた。


 ビクンビクンと、それでもまだギリギリ生を保っている、弾となった男の様子。

 飛んできたその軌跡を目でたどり、軌跡の始まりと予想できる場の光景に、ルーリィはあわや槍を取り落としそうになった。


 敵、敵……敵敵敵。


 だがすべては、立っていたその男を中心として、怨嗟の声を挙げていた……床に伏しながらだ。


 倒れている襲撃者の数は五や十では利かない。

 涙を流し、叫んでいた。痛みの患部に手を当てながら、呻いていた。


「あ、あの男がやったのか?」


 立っているのは、仮面の黒衣の男。

 首に巻いていた黒い帯は緩まり、胸で一つ大きく息を吐いていた。


 両手それぞれに何本もの、銀の食用ナイフテーブルマナーセットをそ纏めて握りながら、ニカァっと口角両端を吊り上げたその様。

 目にしたルーリィは、襲撃してきた男たちを束にしても感じなかった寒気に襲われた。


「冗談も……大概にしてくれ? なんて無茶苦茶なんだ」


 いまも、一人の敵が退けられた。


 黒衣の男から受けたたった一蹴り。どれほど馬鹿馬鹿しい力かは知らない。

 聞いたこともない衝撃音は爆ぜ、ルーリィがまばたきしたときに飛び込んでくる光景は、4、5メートルも離れた壁に、背中からめり込んで行く場面。


 あまりにも信じがたい光景。

 あまりにふざけた戦い方。


 さしものルーリィも、打ちのめされたかのように不愉快男へ零すしかなかった。


「ルーリィ、取り急ぎは行くよっ!」


「行くってどこに⁉」


 状況は……そこから変わった。


「あの黒衣の彼のもとに、いまや彼が十分な戦力になることが分かった!」


 先んじて立ち上がったアーバンクルスの、ルーリィを抱き起して口にしたセリフがきっかけ。 


「ゆえに、こちら側の戦力を集中させる!」


 そうして、アーバンクルスはルーリィの手を引いて走り出す。

 声を耳に、走る方へと目を向けたルーリィも、その考えの意味に気が付いた。


 ある意味で、陣営が出来ていたから。


 黒衣の男、そして今までは気づかなかったが、その近くには、先ほど黒衣の男を救ったボディライン際立つ赤いドレスを身に纏った女も、男と同じく銀の食用ナイフテーブルマナーセットを取って堂々たる戦いを見せていた。


 その二人の後ろには、いつの間にかこのパーティの参加者で、闘えない者たちが逃げ込んでいたのだ。


 そう、ある意味では陣営。


 黒衣の《不愉快男》、そのパートナーを自称した女を防衛ラインとした、パーティ参加者の陣営。

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