《ダンスマラソン》-終 連なり、襲撃

 不思議な空気に満ちていた。


 ここはパーティ会場。その目的もあって、先ほどまではあれほど賑やかだったのに、今は誰も声を発しない。


 ただ聞こえるのは二つ。

 テンポの速い音楽、そして床を踏み鳴らすステップの音。


 魅了。それが一切の物音を立てることができないほどに釘付けにされた者たちの状態。


 その対象はたった一組のダンスカップル。この《ダンスマラソン》で、現在最後の一人として勝ち抜くべく熾烈に争っている男女二人。


 絶対に勝利してみせるという強い熱意がムワァっと観客に伝わってくるから、見る者すべてに固唾を飲ませた。


「ここまで随分と踊り続けてきた。先ほどまで『体力がどう……』など言っていた気がするが、いつまでしがみつくつもりだ?」


「だから既に言ったじゃないですか。早々に転ぶか何かしてくれると幸いだって。猛烈に辛いですよ。それよりも……」


 これはダンスだ。本来楽しくあるべきもの。

 しかし、どこか剣の試合でも見ているかのような雰囲気を二人が放つから、観客たちは手に汗を握った。


 いや、もはやそれはダンスではないのかもしれない。


「さすがに肘はいけない。それも《回転後ろ回し肘・・・・・・・》は」


「ッツ!」


 互いに追い詰め、負かしたいという気持ちが行動に現れ……過ぎていた。


「わざとじゃない」


「そうですか?」


「だが、いまからはわざとでも繰り出してやりたいと思えてならない」


 無意識的なもの。だけど無意識であっても、仮面をつけた一徹の唇は、知らずのうちに同じく仮面を取り付けたルーリィの、顕わになった耳もとから一寸(3センチ)のところまで近づいていた。


 致し方ないこと。

 一徹の腕、そして胸の中、向き合っていたはずのルーリィが踊るさなかに覚えた窮屈感から逃れようと身をよじった弾みで、グルリと一回転した矢先、遠心力に弄ばれたかのように流れたルーリィの肘が一徹の側頭部目掛けて飛んでいったのだ。


 一徹はこれを見ることもなく、肘が飛んでくる方の手をおもむろに上げ、手のひらで包み込んだ。

 肘が当たる前に止められ、身を捩ることが出来たとはいえ一徹の腕の中にいるは変らず、それによって背を一徹の胸につけながらリズムに乗るルーリィの耳元には、一徹の口。


 ……これを目に、悔しさと怒りで拳を握ったのが、いまや観客として二人を見つめることしかできないアーバンクルス。


 不愉快でしかない。 

 見ようによっては、ルーリィが、件の《不愉快男》に後ろから抱きとめられ、耳元で囁かれているようにしか見えないから……


「簡単に私に触れられると思うな!」


 向き合っていれば触れられるのは背中。だが背を向けるとあっては《不愉快男》の不愉快な指が、みぞおちあたりを触れてくるから、自身に絡みつく腕から逃れるように、ルーリィはホールドを引きちぎり、離れた。


 素振りそぶりも見せないで及んだ行為。だから突然のことに《不愉快男》も困惑することで、一気にルーリィは距離を置けた……はずだった。


「ハッ! じゃじゃ馬だねぇ!?」 


「な……にっ?」 


 線の細いルーリィ。しかしながら女流騎士とあって脚力は並ではない。故に、かなりの距離を開けることが出来たと確信した上で振り返ったのだ。が……


「どこにいかれるおつもりで?」 


 振り返った。ゼロ距離。

 愉悦に口元をゆがめた黒衣の男の仮面が、ルーリィの目の前にあった。


「それとも棄権なさるということで宜しいか?」


 近すぎた。まだ耳元に唇が来るくらいなら、何かの拍子として見なすことも出来た。 

 さすがに、己の唇に男の口が触れそうなところまで来るなら話は別。

 楽しそうなだけではない。疲れによって高ぶった体温に当てられ、同じように熱くなる吐息が、鼻に、口に掛かるのが嫌だった。


 ……そんな二人のダンスを目の前に、ギュッと、自分の組んだ両手に力を込めた者、エメロード。


 心は、決して穏やかじゃない。

 自分にとっていい玩具である筈の一徹が、自分以外の者と組むと、己といるときよりも楽しげで生き生きしたところを見せるから。


 シェイラと踊ったとき、一徹のダンスのあまりの違いを見せ付けられた。自分だけのいい玩具であるはずの一徹を、取られた気がしてならなかった。


 別にとられたというわけではないが、それで一徹が「このパートナーの方がいい」とエメロードに匂わせるような表情をするから許せなかった。


 それなのに今、一徹のダンスパートナーは……ルーリィ。

 エメロードは、ルーリィがこの国にまかり越して親友になったから知っている。

 かつて……彼女が一徹に想いをはせていたことを・・・・・・・・・・・・・・・・・


 どういうわけだか一徹は、《タルデ海皇国人》として生きている。

 それを知らないルーリィは、行方不明者として一徹のことをずっと心配していた。


 もし、二人が仮面をはずし、お互いの正体を曝け出してしまったら? 

 ルーリィは喜ぶだろうか? 怒りだすだろうか? 悲しむだろうか?


 どうでもいい。そんなこと、エメロードにはどうでもいい。


 それよりも重要なことがあった。

 一徹が、再会したルーリィに、《ルアファ王国》へ連れて行かれないか……ということ。


「それは……いや!」

 

 いま舞踏か、武闘か、互いに働きかけあう二人。

 潰しあっている二人の醸しだす空気を全身に感じながら、それでもエメロードは二人が互いにただ誤解し合っているだけなのだとわかっているから、その恐れが拭えない以上気が気でなかった。


 一徹は自分だけの玩具でなければならない。


 安心してエメロードが付き合うことの出来る、唯一エメロードを恐れず、このパーティが開催される少し前まで《悪徳公爵令嬢》と囁かれ、周囲から孤立してしまっていたエメロードをちゃんと見ようとしてくれたのが、一徹だけだったから。


 やっと自分が進むべき方向性を見つけられたのだ。一徹が与えてくれた。

 それなのに、それなのにもし、一徹が連れていかれたとしたなら、誰が認めてくれるというのか?


 それを思ったら、たとえ一徹の腕のなかにいるのがエメロードの親友であり、心酔、憧れの対象であるルーリィに対してですら、向ける眼差しは冷ややかなものになっていった……


『あれ、ダンス……なのよね?』


 誰かの不安げな声が聞こえて、ルーリィは舌を打った。

 自分でも既にもう、ダンスの形を成していないことをわかっていた。


「勘弁……して欲しいのですが。突けば矢の如く目に留まらず、蹴れば大鎌に薙がれる気分に襲われる。問題はこれが《ダンスマラソン》の競技中での行為ということ」 


 もはやルーリィは《不愉快男》の腕の中に無い。ホールドのために指を絡ませることも無い。

 ただ少し間合いの離れたところで立ち尽くし、相手を見据えていた。 


「これじゃダンスというよりは組み手です。さすがは騎士のお一人、一発一発が鋭い。まぁでも……?」


 そう、既に間合い・・・という言葉を使った通り、いつのまにか二人は、戦闘のイメージ沸く物々しい剣呑とした空気に包まれていた。


 いや、二人ではない。正しくはルーリィだけ。

 踊っていたときはゼェハァと息を切らしていた黒衣の《不愉快男》など、苦笑していた。


「組み手というなら、まだ……」


 目の前で苦笑して……  


「俺向きか?」


 瞬きしてしまったルーリィの背後から、言葉を連ねた・・・・・・・・・・・


「い、いつの……」


「『いつの間に』……ですか?」


 ルーリィは驚き、慌てて床を蹴って間合いを開けようとした。

 許されなかった。

 後ろに飛んだタイミングで差し込むように、《不愉快男》が自身の身体を前へと滑らせたから。


 男の声を聞いたとき、その顔は、後ろに飛ぶことでのけぞったルーリィの胸元すぐの所まで来ていた。

 セリフまで先読みされてしまってはルーリィも絶句するしかない。


「そうか。ただの下衆ゲスではないことがよくわかったよ。ハッサン・ラチャニーの名代とか言っていたな。奴の親友だと。その関係性に動き。貴様、奴の護衛でもしていたのか?」


「貴女に答える必要が?」


「……素材ソーサリー開放……」


「お、い……」


 しかし次に衝撃に言葉を詰まらせたのは一徹の方。


「言いたくないなら構わない。喋りたくなるようさせるのも一興」


「ちったぁ……待ってくれ? まさかご令嬢、パーティ用の靴に、魔獣の素材ソーサリー組み込んで。じゃあそのお履物、魔脚装具ウェイブソーサリーっ!?」


 パァン! と乾いた音が炸裂した瞬間、その場にいる全員が鼓膜を保護するために耳を塞ぐ。

 そして目にした。

 「あっ!」というその間、ルーリィの掌底が空を切っていた。

 穿った空間、たったいままでルーリィにとっての《不愉快男》の顔があったところ。


「ド畜生っ! これだけの鋭さ、怪我じゃすまねぇぞ!」


 大慌てで黒衣の男は頭を振ることで避けた。

 その勢いに流されるように、足元はふらつき、やっと床を踏みしめ、ルーリィに睨むときにあって怒声を張り上げた。


「これも避けるか。正直驚いたよ。これで並以上の男は何人も倒してきたつもりなんだ」


「人の話を聞けって!」


「だがよかった。私も運が良い。《ルアファ王国》からこの国にきてもうじき半年。最後の訓練から離れて久しくてね。どうにも体が訛ってしまった。ここで勘を取り戻したい。幸い貴様なら、相手にとって不足はないようだし……壊しても、構わないだろう?」


 とんでもない場面を見せつけ、とんでもないことを口にしたルーリィ。

 唖然と開いた口の下がらないの様相の《不愉快男》を前に、トーントーンと真上にステップを踏んで見せた。


「ご令嬢貴女は、いやお前は……」


 ステップだ。だが魔道具ウェイブソーサリーの一つである魔脚装具によって一つ軽く床を踏むたびに、人の膝の高さ辺りまでその身を浮き上がらせていた。


「こっちが本性かっ!」


 一喝。

 低い体勢から一気に距離を詰めてきた女の、顎に向けた閃光のような突き。一徹は超反応で片手によってなんとか捌いた。


 体勢的に、《ルアファ王国》から来たという鼻持ちならない女を今度は一徹が見下ろす形。

 線が細くスタイルの良い女の、猟奇的な笑顔と仮面から除く爛々とした瞳の光に全身が寒気立つ。

 一徹は冷や汗は止まらない。が、体温高ぶるのも禁じ得ない。


「人のことを言えた口か? 楽しそうだよ。ダンスなんかよりも」


 だから、ルーリィにやり返された。

 

 当然だ。


 それは、状況に興奮した一徹も、知らずのうちに禍々しい笑みに顔をゆがめていたからだった。



『消せっ! 消せぇぇ!』


『消すなっ! 本隊と合流だ! 目的を果たせぇ!』


 あれほど一体感を見せていた襲撃者たち。完全に統制が取れなくなっていた。


『消さねぇと! 近くの領兵が気付いて援軍を出してくるっ!』


『そんな暇は無い! さっさと本隊に合流して、作戦を果たすのが先だ! 領兵が来る前にだ!』


 襲撃者の連携を強制的に解いたもの、夜の闇に主張しまくる大火。

 

 従者待機所として先ほどまで使われていた、王家の別邸敷地内にある、大きな建築物。

 窓の中から、出入り口から、轟々と炎が魔手伸ばしているかのように猛り盛っていた。


 領兵が気付くリスクとして、何とかその場で消してしまおうと走り回る者。 

 その行動は無駄だとしてさっさとその場から離れるべきだと叫ぶ者。


「あの戦列から俺達が離脱したのも放って狼狽するか。火を放ったのは正解だった」


「っしゃ、ギッチリ十分は凌ぎきって見せたぜオッサン!」


「従者待機場の外まで他の生存者を引っ張るに掛かった時間は結局五分以上。放った火が大火になるまで五分以上」


「悪かねぇだろうが! どうだこの野郎!」


 大きく二つに分かれた集団を、離れた茂みから「してやったり」と眺めるのはヴィクトル、ローヒたちだった。


「敵勢力が分断されたことは悪くないが……いずれにしろ、戦える最初の二十五人がいまは十五人か。減ったな」


 だが、どこまでもヴィクトルは優しくない。


「悪いが俺はここまでだ。待機所から連れ出せた他の生存者数は正直俺の予測以上。だが、戦力にならぬ役立たずとくればな。ともに行動する意味が無い」

 

 状況を冷静に見てから下す、ともすれば残酷で淡白な判断を耳に、ローヒは苦笑いを浮かべた。


 ローヒや戦える者達はまだいい。

 待機場の外まで搬出された生存者の従者、戦士たちはその言葉を聞いて、はっきりと失望していた。


「一人で行ってどうするつもりだよ。それこそ多勢に無勢だろ。幾ら戦闘に重きを置かず、主人との合流を最優先にしたって……」


「いまならまだ間に合うかもしれん」


 次々と状況を動かそうとするヴィクトルに、ローヒは苦言を呈した。

 正直、周囲に対して我関せずのヴィクトルに余りいい感情を持ってはいなかった。


 とはいえ危ない所を救ってもらったこと、そして視界の先の襲撃者たちの慌てようから、ヴィクトルの振るった采配の的確さは評価していた。


「どういうことだ?」

 

 となると圧倒的強さ、参謀術を瞬時に閃くこと出来るヴィクトルの高い能力にローヒが期待しないわけにはいかない。


「『まだ間に合う』と言った根拠を教えてくれ。道理かなってるなら俺たちだってアンタに続く」


「生存者のお守りはいいのか?」


「さんざんアンタには我侭を言わせてもらった。仲間を助け出す猶予もらって、その猶予のために協力もしてもらった。これ以上はなんとも頼みにくい」


 何とかヴィクトルの離脱は思いとどまらせようとした。 


「だから今度はアンタが我侭を通し、俺らが協力する番だ。生存者は……ここに捨てていく。敵に気付かれないようにじっとでもしてもらうさね」


 ローヒが、重々しくそう言った途端だった。


 風切り音、鈍い音、くぐもった悲鳴、そして無音。

 頚動脈の圧迫、首筋への手刀、顎を掌底で打ち抜き、握った武器の柄で後頭部を殴るなどして、ここまで何とか生き抜いてきたヴィクトル、ローヒ以外の十三人が先程救い出した戦えない生存者たちの意識を同時に刈り取った。


「お前たちは……」


 今度は、ヴィクトルが重々しく口を開いた。

  

 これまでの発言から、ローヒをただの甘ちゃんだとヴィクトルは認識していた。


「言ったろ? アンタが将だ」


 ただ、ここに至るために見せてきた戦いぶりと、いま見せる真剣な表情。これに続いた他の戦士らが醸しだす空気に、さしものヴィクトルも溜息だ。


「よく……練られた作戦だった。我ら従者を殲滅し、護衛のいない無防備な主人級を襲う。確実だ。だから……待機所の外に出た俺たちは、また襲われた」


「だから?」


「念押しだ。殺し漏れがあっては救援を求めに逃げられる可能性がある。『襲撃があった』と、主人級へ報告にはせ参じないとも限らない。そうなっては逃げられる恐れがある」


 顎に手を置き黙ってヴィクトルの話を聞いていたローヒは、


「おい、そ、それって……」


「主人級には、まだ襲撃が行っていない可能性があるということだ」


「確実に従者を殺す。主人級を脅威に対し丸裸にさせる。情報も漏らさないことで無警戒な状態なまま襲撃することは、勢いに乗りながら容易に作戦を遂行できるって事だよな?」


「故に急がなくてはならない。奴らは『本隊と合流する』とそう言った」


「あの、混乱している奴らは別動隊。ならそれ以外に襲撃者がいるって?」


 気付いて頭を跳ね上げた。


「俺らが生きている時点で敵さんには情報が主人級に伝わるリスクがある。建物が火に撒かれたことで救援が来る恐れも否めない。なら、作戦の第一段階は……失敗か!」


「敵の作戦が俺の予測の通りなら、作戦第一段階の成否をあの中の誰かが本隊に伝えるだろう」


 ヴィクトルの意見だってただの推測に過ぎない。

 が、そこに一縷であっても希望が残ったから、戦士たちも胸に熱いものがこみ上げたのを感じた。


「第一段階の成否を本隊に伝えられる前に、俺たちが主人級に報告が出切れば……」


「主人級への襲撃前に、会場から避難させることも出来るだろう。逆にあの別働隊が第一段階失敗を告げたなら……」


「すぐにでも主人級への襲撃が開始される? だったら迷っている暇はねぇ! すぐに……」


 そしてそれはローヒも同じ……


『イヤァァ!』


『護衛は!? どこに行ったの! 助っキィィャァッァ!』


『賊、賊だぁぁ‼ ガァァっッ!』


 であるはずだった。


 その場にいる全員が天を仰いだ。

 間近の大火に大声を張り上げる賊たち。そこから離れたところから……確かに別の声が聞こえてきたから。


 声ではない。悲鳴、絶叫。


 認識した途端、先ほど熱いものを感じた戦士たちは、その叫びの痛々しさに全身の肌がざわめ立った。


「嘘……だろ? 本隊が、動き出したっていうのかよ!」


「チッ! しゃべりが過ぎた。各々方、敵本隊が動き出したいま、既にパーティ会場は混沌。襲撃者に溢れているのが予測できる! 我ら十五人が徒党を組み、あがいたところでどうにもできん。それぞれ目的のために行動をすべし!」


 周囲が何を思っているかなど、ヴィクトルにはもうどうでも良くなった。


「この場で襲撃者と剣を交えるもよし。会場にたどり着く前に殺されている可能性ある各主人の生存を信じ、守る為に馳せ参じて戦い、脱出を図るもよし。だがそのどちらも修羅の場であることはお覚悟召されい! では、御免!」


 驚きにまともに声も発せられないようなローヒたち戦士らにそれだけを伝えると、大きな気合を一つ、たったいま上がった悲鳴の方角へと姿を消していった。



「私だってそれ位の動き出来るんです旦那様。私だったらもっと、貴方を楽しませて差し上げられる」


 自分はなんて愚かなのだと思いながら、パーティホール中央で縦横無尽に舞っている二人に対して言を紡いだのはシェイラ、もといシャリエール。


 二人は一方で舞っていた。そしてその一方でっていた。


 ルーリィの自然なモーションによる、しかし不自然な速さでのパートナーへの間合いの詰め。

 勢いを利用した肘鉄。一徹の鳩尾に突き刺さるはず。

 否、半歩足を引き、一徹が半身になったことがその肘に空を切らせた。


 終わらない。

 半身になった一徹の、ルーリィに向かって手前の足のかかとと同じ側の足をルーリィは密着させた。

 その上で空を切った曲げた腕を伸ばし、一徹の逃げた方向へ横薙ぎに振るう。

 

「《裏投げ》。いい流れだ、投げに持っていくかよ」


「クッ!」


「だが……」


 ドシン! と、床に鳴ってはならない音が響いたその瞬間、ルーリィは悔しそうに口元を歪めた。


 踵に足をかけ身動きを取らせず、横薙ぎに腕を振るって一徹を巻き込むことで、テコの原理で投げ倒そうとしたはずだった。


「下半身を支点に、上半身を力点にした投げ技は気を付けた方が良い」


 だがテコの原理もなにも、踏み込んだ男は全く持って足を支点、腕を力点にした投げ技にビクともしない。


「見ようによっては、私の踵が貴方の足を封じている。ならこの腕をちょっと引っ張ってやれば……」


「なっ!」


 ……だけではない。投げようとした自分が反対に投げられそうになり、ルーリィの方がバランスを崩された。


「同じ条件での投げ技を返されるリスクがある」


 このままでは本当に床に叩きつけられてしまうと思ったルーリィは跳んだかと思うと、空中で前転して足から着地することで、受けるダメージから逃れた。


 ダンスのアクロバティックな動きの一つだと思っているのだろうか。これを見て観客たちはやんやと盛り上がる。


 その能天気な喝采が、二人を見ているシャリエールの苛立ちを増長させた。

 そんな動き如き、シャリエールならなんの苦も無く出来るのだ。


 一徹はシャリエールにとって腹立たしい女と踊っている。

 「勝ちたい」と意気込んだ一徹の思いをシャリエールが優先させたからだった。


 なにかがおかしい。

 踊っているときには睨みつけていたはずの女に向かって、いま一徹は楽しげに笑っていた。


 嘲笑の表情であればまだ許せた。

 が、仮面からあらわになっているのが例え口元だけであっても、シャリエールには分かった。


 一徹はいま、相手がたとえ嫌いな女であっても、気持ちが明るくなっているのだと。


 シャリエールに対してではない。

 一徹にとっての嫌いな女が、それをさせているから気に入らなかった。


 ダンスを指導し、少しずつ上達してくことで、先ほど一徹が喜んでくれたそのとき、シャリエールが感じたのは史上の快楽。


 ……あっさり、超えてきた。


 いま、敵意を迸らせる女は、相手どらせた一徹に、それ以上の笑顔を浮かばせていた。


「私だって、私だって出来るのに」


 それも、自分にだって出来るはずのことで。


 シャリエールは戦闘技能を有している。一徹と出会い、一徹を守ると誓い、今は亡くなった使用人仲間がまだ存命中に、師事したこともあった。


 その仲間が亡くなってからは、ヴィクトルにコテコテに鍛えられた。


 だから、一徹を相手どる女の動きは、シャリエールでも出来る事を確信させた。

 ただ違うのは、その女が一徹とのしがらみがないこと。そしてシャリエールは一徹の使用人であり、侍女であること。


 また一つ、何をすれば一徹が喜んでくれるかシャリエールはわかった。

 だが、恐らくその肩書があるシャリエールでは、主人である一徹に、恐れ多くて出来なさそうなのもわかっていた。


 それに苦しまされてきた。

 だから一徹のもとで生きてきた三年の間、その感情だけはひた隠しにしてきたというのに。

 葛藤をあざ笑うかのように、一徹の事を何も知らないポッと出の女が、一徹を本当に楽しませる場面をシャリエールに見せつける。


「……気に入らない」


 シャリエールが正常でいられるわけがなかった。


 ……悲喜こもごも、いま様々な感情のこもった視線が最後のダンスカップルに集まっていた。


 ここで状況が動いた。だから歓声と驚きの声が会場のいたるところで上がった。


 先ほどまで、間合いを詰めては離れ。そんな二人だったはず。


「なっ! 何をする!?」


「何をするってダンスです。始めは組み手じみていくのも悪くないとは思いましたが……このままではただの戦闘になる」


 男性側が、女性パートナーを抱き寄せた。


「一応言わせてもらいます。これは《ダンスマラソン》にて喧嘩ではありません」


 絶対に諭されたくない、《不愉快男》からもらってしまった正論に、ルーリィは悔しそうに歯噛みした。

 《不愉快男》一徹は、腕の中の相手を目に、心苦しそうに嘆息した。


「御令嬢、先ほどから私に敵意を向けていますがきっとどこかに誤解がある」


「誤解なものか。全部エメロード様から聞いているんだぞ⁉」


「エメロード様か。あの方はちょっとばかり……早とちりなところがあるでしょう? 天邪鬼で頑固なきらいもある」


「色々な被害を貴様から受けたことも思い込みだというのか!? ご姉弟への苦悩を、貴様は笑い飛ばした」


「あ、あーそれは……」


「剣をただの一度も握ったこともないエメロード様に、貴様は衆目のある中での決闘を強要したんだぞ⁉」


「決闘ごっこ。そ、そんなことがあったような気も……」


 ダンスパートナーである凛とした雰囲気の女から出てくる話は全て、このパーティの少し前に実際にあった話。


 確かにエメロードから「不愉快」だのなんだと言われたことは、一徹も聞いたところ。


 この国の皇太子に嫁いだ姉と、次代の公爵を嘱望される優秀な弟に板挟みあっている話。

 決闘という名で与えたストレス発散の機会。


 エメロードがあの時どう感じていたか、一徹もその時はあまり考えていなかった。


「け、決闘については終った後、『楽しかった』と言ってくれていたはずなんだがなぁ……」


 が、全くと言っていいほどフォローができないものばかりだから、一徹はまずいとしか思えない。


「なんだ?」


「……なんでもありません」


 手を重ね、背中を抱く一徹は、その心意を瞳の光から伺おうとする女の興味深そうでありながら攻撃的な目を、間近で受けとめる事になってしまう。

 ダンスに戻したのは失敗だったと、一徹の口角はヒク付いた。


「い、いやぁエメロード様は良いご友人をお持ちだなぁ。ここまで心配してくれる方が身近にいらっしゃるのだから」


「御託は良い」


「さいで? 一応謝ったつもりではあるんですが」


「それでおさまらないから、貴様はエメロード様に近寄るなと言っている」


「私の方から近寄ってるですって?」


 ハハハと一徹は呆れたように笑う。

 シレッと明後日の方に目を、「どこに目ぇつけてんだ」とボソリ呟いた。


「まぁ、あのハッサン・ラチャニーの親友だとする貴様だ。正論を言って聞くような男でもないだろうが……」


「それって? というか御令嬢、さっきから随分とハッサンに……」


「それでもお嬢様は公爵家の人間だ。あまり惑わせるな」


「惑わせる?」


「悩ませる隙を与えようとするな。貴様と出会って以降、お嬢様は悩んでばかりだ」


「それが私のせい……ですか?」


「同盟交渉が揺れそうになり、何とか取持とうとあの方は悩み続けた。それ以降常に、貴様に心を揺さぶられてばかり。貴様はハッサン・ラチャニー同様、同盟を人質に、エメロード様を不安にさせる」


「同盟を人質って、人聞きが悪いな」


「そうならないよう配慮してくれというんだ。エメロード様はもう18。子供じゃない。その年ごろの公爵令嬢として考えなければならないことだって……」


「んでもって、子供じゃあない……ね」


 なるほど。この世界で生まれ、生きてきた者らしい言葉を耳にした一徹は、先ほど明後日の方へと向けた目を、しっかりと仮面のダンスパートナーに合わせた。


「同じく、お貴族家所属の淑女目線で言われるか。説得力が強い」


「どの口がいう」


「私などね、18だったらもっと好き放題やっていいと思っているんですよ。大人になる前の最後の猶予。どうせあと二,三年もすれば子供ではいられなくなるだろうし、何よりその間にあるであろう事象が、子供を子供にさせなくなる」


「貴族ではそんな甘い考えは通じない」


「でしょうね。ハッハハ、この手の話は、貴族非貴族同士で話すべきではないよなぁ。私と貴女では、そもそも価値観が違う。お互い考えを述べ続けたところで所詮は平行線か」


「だがこちらの言い分は聞いてもらうぞ! もう今後二度とエメロード様には……」


 真っ直ぐな瞳、その言葉に嘘がないことをありありとわからせる。

 まるでエメロードの身に起きた出来事をわが物のように語るその真剣みに、さすがの一徹もたじろぎそうになった。


 一徹から見れば、社交界というのは陰謀渦巻く暗い影の落ちた場所。煌びやかな外観とは打って変わった陰惨な内情。


「そういえば……御令嬢は如何だったのですか?」


「ッツ!」


そこから考えると、ここまで誰かのために動こうとする女の姿勢に、むしろ清々しさを感じた。


「まだ幼かったころは? 大人になるその過程。そう、貴女がエメロード様と同じ18歳だったその時。って、そもそも御令嬢が現在18より上か否かも、仮面からでは定かでありませんが」


 貴族の令嬢としてはきっと面白い部類、そう睨んだ一徹は、だからそのような質問をした。


 誰かのために行動できる貴族の女というのがどう生きてきたのか、少しだけ興味がわいたから。


「……そんな思い出もの、とうに捨てた」


「は?」


「貴様に話すことはないと言っている! だいたい……あっ!」


 気持ちが入り過ぎた。空回りしたといった方が良いか。


「こりゃあ! 勝負は俺の勝ち……!」


 反応し、さらに詰め寄ろうとして一歩前に出ようとしたルーリィ。

 知らずのうちにドレスのスカート裾を踏んだことでバランスを崩し、つんのめったのを、一徹はフォローしようとした……


『イヤァァ!』


「……って?」


「なっ!」


 ときだった。

 会場はいたるところで轟く幾多窓ガラスの割れる音。


『護衛は!? どこに行ったの! 助っキィィャァッァ!』


『賊、賊だぁぁ‼ ガァァっッ!』


 そして挙がるは、来場者たちが一気に爆発させた絶叫と恐怖の叫び。


「えっ……と……?」


「ぞ、賊……?」


 二人はそろって拍子の抜けた声を挙げた。


 来場者が挙って円を作ったその中央で踊っていたから、観客が人垣となって突然の状況の変化を知るのは耳ばかりを頼りにしたからだ。

 

『た、助けっ! ああぁぁぁぁぁ!』


『お父様っ、お母様っ やめあああああっ!』


 混沌が、会場を支配する。

 混沌とは、来場者たちの悲鳴と断末魔。そして数え切れないほどの野太い声による荒々しい怒号。


「ッツ!」


 声を詰まらせたのは腕の中の一騎打ち相手。その様子を目に、一徹は全てを理解し彼女の視線の先へと目をやった。


『俺たちに武器をとらせた貴様らが、パーティだダンスだ良いご身分だなぁ! 俺にくれよぉっ!?』


 それは観客たちが逃げ惑ったからか、それとも力づくで人垣をぶち破ったからなのか。


「やっぱり社交界のパーティにゃほとほと縁がねぇ。良い事、ひとっつもねぇじゃねぇかヴィクトル」


『死ねよや! オラァァ!』


「……襲撃か」


 とうとう、突然に姿を現した絶望の牙が、垣根を超えて姿を現した。

 農民風情だがそれにしては身体のよくできた男。


 そうしてその襲撃者は……咆哮を挙げながら、槍を二人に向け、全速力で走って向かってきていた。

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