噛み合わない即席二人と、愛を囁く恋人二人

「さぁ、もう見えてまいりました。あちらの部屋でございます」


「なるほどあの部屋……と、その前に質問があるのだが」


 使用人たちの待機所もとい、接待受けた広い場所から結構に歩いた。

 さすが王家別邸。それだけ広いことを身をもって知ったヴィクトル。これまでずっと閉じていた口を開いた。


「先ず貴殿のご主人のもとにはせ参じるのが先。我々も使用人の端くれ。何を押してもあるじ第一というのは心得てございますから。さぁ」


 回廊行くはヴィクトル含め四人。前に一人、斜め左右後ろに一人ずつ。  

 ちょうど正三角の形で先を進む他の者たちのその中心を、ヴィクトルは囲われ進んでいた。


「まぁお聞きくだされ。貴殿らは先ほど『ご主人ハッサン・ラチャニー様がお呼びです』と申しましたが……そんなはずないのです」


「そんなはずがない?」


「我が主の名は山本・一徹・ティーチシーフ。招待受けた方の代理で参加しましてなぁ。ゆえに私が、参加されなかったハッサン・ラチャニー様から呼びつけられる事などありえないのですよ」


 質問をしたところで取り合わない者たち。そういいながら目指す部屋へと歩を早めるものだから、ヴィクトルはとうとうここに至るまでに感じていた疑念を曝け出す。


 前方の、言葉を受け振り返った男。


 感情の欠落した顔。

 驚きでもない。怒りでも、困惑でもない。その表情は……


「斬り捨てるときの顔か!」


 心得た様に、表情を目に叫んだヴィクトル。

 背中に、バァッ! と膨れ上がった二つの殺気を感じ取った……


――それから……      


「そういう……ことかよ」


 立ち尽くすヴィクトルは呟く。

 仕方ないことなのかもしれない。

 さきほど「あと少し」とされた部屋にたどり着き、中の光景を目に、自然と口をついで出た。


 死屍累々。


 その光景、驚き、そして得も言われぬ悪寒。

 顔を拭うヴィクトル。手刀で空を切るが如く床に向かって振り切った。


 弾けるのはベチャリという生々しく重い、鈍い音。


 腕で擦るだけでは足りないから。手を持って細かく念入りに顔に付いた物を寄せ集め拭い去ったのだ。


 そうして床に降ったもの。

 ヴィクトルの身体中からツツっと途切れることもなく床に降り、流れたものと合流し、やがて、死屍累々が接面する床に広がる、同じ色、ヌメヌメとした光沢を放つ黒赤色の粘液と同化する。


「おかしいと思っていた。使用人待機場にしては主が出席する会場とあまりに離れている。主が使用人を呼びつけるだと? いや呼びつけるのはいい。だがこの建物に主がいるのがおかしい。パーティ会場から使用人待機所たるこの場所まで、わざわざ脚を運んでいる事になる」


 同化したそれは……血溜まり。


「この光景、使用人たちや護衛の装備を預けさせた理由。それは……効率的な使用人たちの殲滅。そして主人級の孤立か! クソッ! 後手に回った!」


 巨躯のヴィクトル。が、気付き、ここまで来た廊下を跳ねるように駆け出すさまはまさに脱兎の如く。


 逆走できるのは、もうその場で生きているのはヴィクトルだけだから。


 男たち三人に案内された部屋。そこには何体もの死体が転がっていた。

 男も、女も、どちらも今日のため、主人の供としてついてきた従者ばかり。


 もしヴィクトルが最後までその部屋についていたら同じ道を辿っていたかもしれないと思うと、その胸中が穏やかであるはずがない。


 ならば主人である一徹にも危機が迫っていることは容易に想像できた。

 それが血にまみれた体のまま、その手に大ぶりの剣を握りしめた彼に全力ではしらせる理由。

 先のヴィクトルの問いに反応し、殺気膨らませた三人の躯も・・転がっているため。剣は、凶手のうち一人から奪い取った。


 突然の命の危機は回避した……が安堵は無い。


 まず目指すのは、元の使用人待機場所。遠くから、悲鳴と怒号が聞こえてきて……

 駆けるヴィクトルが使用人待機場所との距離を縮めるにしたがって、それらは少しずつ大きくなってくるのだった。



「は、恥ずかし……」


「よかったわ。少し安心した。貴方にも人並みに羞恥心はあって、自覚もしてるようだから」


 トリプルの恥ずかしさに身を焦がされた一徹は、溜まらず苦悶の声を漏らす。

 言葉を耳に、一徹の腕に抱かれた・・・・・・エメロードは、呆れたように表情を崩した。


 平和なパーティ会場。

 しばしの歓談は過ぎ、いまは多くの招待客が連れてきた恋人だか婚約者フィアンセだか伴侶だかと指を絡ませ、腰に、背中に手を回し、幸せそうに音楽の中をたゆたっていた。


 トリプルだ。

 初めてパーティ内で格式高いダンスを一徹が実践することへの気恥ずかしさが一つ。


 酷いダンス技術と、経験の浅はかさを一徹が露呈するのが二つ。


 余りに酷いからこそ、周囲の奇異の目と、嘲笑が集まるのが三つ。


 これら三重の恥ずかしさについて、奏でられる美しい音楽に合わせ、あえて三重奏フーガと言おう。


「あっ!」


「す、すみませんエメロード様。なんと言うか余り、こういうダンスには慣れておらず」


「慣れてないというか、初心者過ぎるにも程があるでしょ?」


 訂正。四重奏カルテットの間違い。


「エメロード様、もう止めましょう。このままだと一緒に嗤われます。面白くないでしょう?」


「面白いわけないじゃない。貴族は皆、教養としてダンスを嗜む。初心者のもたついた脚運びや身のこなしはそのなかで際立つ。貴方のパートナーたる私にも、皆が嘲笑を向けるのよ?」


 もう一つ、一徹が感じる恥ずかしさ。


 どういうわけだかダンスパートナーになったエメロードに、一徹のせいで恥をかかせていることがわかってしまうから。


 脚を踏みつけた。歩幅を間違え、胸や腹で跳ね飛ばしてしまった。

 こんな齢三十二、三の一徹の不甲斐ない姿を、十八のエメロードに見せる事は耐えかねた。


「よ、よかった。それでは……」


「って、ちょっとどこいくのよ」


 だから一徹は、エメロードを包む自身のホールドを解こうとして……逆にギュッと、先ほどからエメロードが手を乗せていた自分の腕を掴まれた。


「勝手に終わらせないから」


「勘弁してくださいよぉ」


 フフンと嗤うエメロードの楽し気な視線に、超絶傲慢高慢タカピー公爵令嬢の、ドSっ気を見た一徹は、溜まらず泣きそうな声を上げた。


「ダーメ。貴方はこれまで私を困らせてばかり。だから今日くらいは私が貴方を困らせるの。いい気味」


「いい気味って……」


すっごい楽しい」


 これはどうやら簡単に逃れられなさそうだと、嬉しそうなエメロードの表情で一徹は理解した。


「なんだかんだ言って貴方はなんでも要領よくやりそうだもの。面白いじゃない。ちゃんと苦手なこともあって四苦八苦している状況。ハイッ! 背中を張って!」


「うっく!」


 エメロードの次の行動は、一徹をタジタジにさせた。


 十八のエメロードと指を絡ませる。それだけで三十路の一徹は変な気分になりそうだ。

 細い背中に一徹はもう一方の手を添える、その為に張った肩肘に、小枝のように繊細な白い手が置かれた。

 正直窮屈な体勢、その上で背筋なんか張ってしまったら……


「……どこを見ているわけ? 山本一徹」


 もうエメロードを見るわけには行かなかった。


 そうした体勢のまま背筋を張るとなると、胸や腹が、互いに密着することになってしまうから。


「こっちを見なさいよ!」


「その、近くて」


「当たり前じゃない! 何いい歳して今更恥ずかしがっているのよ! ダンスなんてそんなものなの!」


「いや、なんと言いますか……無理」


「無理って! 何で貴方が『生理的に受け付けない』みたいになっているわけ? それは普通、女性のセリフでしょうが!」


 一徹なんて、学生時代に手をつなぐだけのマイムマイムでおなか一杯になる男。

 唯一気が張らなかった相手など、当時付き合っていた彼女くらいのもの。

 あくまでそれは、カレシという安心感があったから。


 社交ダンスなど、たった半年前に婚活を始めるまで手を出してこなかった。

 その上で一徹が、初めて出会った時、『人間族の中では至高』とも、外見なら評価したエメロードと、たとえダンスのフォームをキメているだけとはいえ、抱き合うというのはなかなかこたえた。


 背の高い一徹。胸の位置に頭が来るエメロードの甘い香りが、容赦なく一徹の鼻腔へと突き上げる。

 きっと見下ろすと、不機嫌そうでいて超絶とまで言える美しい顔立ちが見上げているだろう。

 予測してしまうと、ドギマギ禁じ得ない。 


「あ……」


 故に、何とか背筋を張るどころか、反るところまで上体をエメロードから引き離し、さらに明後日へと視線を巡らせて……気がついた。


「やっちまったのかもしれないな」


 ホール中央で自分を含め、グルグルとステップを踏む招待客たち。

 その外、このパーティホールの壁際で、ポツンと背中預けて立っているものがいた。


「……パートナーがいないってアレ、嘘じゃなかったのか」


 自分とエメロードとは違いそこかしこで賑やかな音楽に併せ、美しく舞いながら思い思いに言葉を紡ぎあうパートナーたちがいる中、立ち尽くす女性、シェイラの姿は、一徹には寂しげに移った。


「悪いことしちまったかな。シェイラ」


「私に集中しなさいよ!?」


 どこと無く申し訳なさに一徹が苛まれたのは、自分からパートナーに誘ったくせ、シェイラがいま一人で佇んでいるからだけでない。

 自意識過剰か、なんとなく仮面越しのシェイラが、自分に視線を送り続けているのではないかと一徹は感じたからだった。


「私を見てよ……バカ」


『お集まりいただきました皆様、それではここいらで一つ……!』


 だからとにかく、一徹がシェイラを気にして仕方なくなってしまったことと、音楽奏でる者たちを纏める指揮者がハキハキと声を張ったことで、エメロードの呟きは一徹の耳に入らなかった。



「は、恥ずかしい……」


「よかったわ。少し安心した。貴方にも人並みに羞恥心はあるようだから。そして自覚もしているようだから」


 全く持って呆れるばかりだ。


 「踊れません」とは確かに聞いた。が、汗をかきかき喉を何度も鳴らしステップを踏む一徹の、リードにならないリードを受け、ダンスのレベルの低さ、質の酷さを実感したエメロードは……思わず苦笑した。


 平和なパーティ会場。しばし歓談のときは過ぎ、いまは多くの招待客が連れてきた恋人だか婚約者フィアンセだか伴侶だかと指を絡ませ腰に、背中に手を回し幸せそうに音楽の中をたゆたっていた。


 絡ませた一徹の指は、異常なほど汗で濡れていて、少しばかりの気持ち悪さは拭えない。

 だがそこに、それ相応の緊張と恥を一徹が思っていると考えると面白かった。


 ダンス経験の浅はかさは、一徹の腕に抱かれ、動きを併せるエメロードには手に取るようにわかった。

 パーティ内で格式高いダンスを一徹が実践することに気恥ずかしさがあるのだろう。

 酷いダンス技術と経験の浅はかさを露呈するのがきっと嫌なのだ。


「あっ!」


「す、すみませんエメロード様。なんと言うかあまり、こういうダンスには慣れておらず」


 なぜなら、あまりに己のパートナーのリードの程度が悪いから、周囲の奇異の目と嘲笑が集まってしまう。


「慣れていないというか……初心者過ぎるにも程があるでしょ?」


「エメロード様もう止めましょう。このままだと一緒に嗤われます。面白くないでしょう?」


「面白いわけがないじゃない。貴族は皆、教養の一環としてダンスを嗜む。初心者の貴方のもたついた脚運びや身のこなしの失敗はとてもそのなかでは際立つ。そんな貴方のパートナたる私にも、皆が嘲笑を向けるのよ?」


 それは総じてエメロードも嗤われることにつながる。


 道化となる。エメロードが最も嫌うこと。

 だけど、いまはよかった。


 もう一つ、一徹の感じる恥ずかしさについて察知できた。それこそが何よりエメロードを楽しませた。


 一徹が己のせいでダンスパートナーに恥かかせていることに引け目を感じている。


 脚を踏みつけてきたり、歩幅を間違えて、胸や腹で跳ね飛ばすなど、齢三十二、三の一徹は、図らずも不甲斐ない姿を十八のエメロードによく見せる。

 一徹の声色も良くない。焦っていた。


「よ、よかった。それでは……」


「って、ちょっとどこいくのよ」


 だから一徹はエメロードを包む自身のホールドを解こうとした。

 これを逃がさないとばかりに、逆にギュッと、エメロードは自身の手を乗せている一徹の腕を掴んだ。


「勝手に終わらせないから」


「勘弁してくださいよぉ」


 幾たびも悶着のあった、かつてエメロードをして《不愉快男》とも評価した一徹の、これまで見せたことのない新しい表情。

 困りきった表情と、泣き入りそうな情けない言葉に、嗜虐心を掻き立てられたエメロードは楽しくてしょうがなかった。


 実際に見えるのは仮面に隠れていない口元だけ。だが「これを剥いだら」と考えてしまうと溜まらなかった。


「ダーメ。貴方はこれまで私を困らせてばかり。だから今日くらいは私が貴方を困らせるの。いい気味」


「いい気味って……」


すっごい楽しい」


 困りきった一徹をさらに困らせてやる。そんな楽しいこと、簡単に手放すつもりはエメロードに無かった。


「なんだかんだ言って貴方はなんでも要領よくやりそうだもの。面白いじゃない。ちゃんと苦手なことがあって四苦八苦している状況って。ハイッ! 背中を張って!」


「うっく!」


 しかしながらその発言も本心だ。

 一徹は、何でもかんでも飄々としながらこなしてしまうイメージがエメロードにはあった。


 悔しいが、それがきっと大人の余裕という奴なのだろう。

 いつもはあえて道化を演じることで隠そうとする一徹が、いま垣間見せる表情は珍しくタジタジ。


 一徹のそう言ったところをもっと見てみたい。

 これ以上からかってみたくなって、エメロードは逃がさぬようビッとダンスのホールドを正しくさせ、一徹に自身の背中を抱き寄せさせた……


「……どこを見ているわけ? 山本一徹」


 ……のに、一徹はエメロードに顔を向けようとしなくなった。

 ダンスパートナーである自身に目を向けず、どこか遠く明後日のほうに顔を向けるようになったのだ。


「こっちを見なさいよ!」


「その、近くて」


「当たり前じゃない! 何をいい歳して今更恥ずかしがっているのよ! ダンスなんてそんなものなの!」


「いや、なんと言いますか……無理」


「無理って! 何で貴方が『生理的に受け付けない』みたいになっているわけ? 普通、女性のセリフでしょうが?」


 たまらない。

 折角楽しいとも思えるのに、一徹が見ようとしてこなくなった途端、なにかエメロードは取り残されるような感覚に苛まれた。


 背の高い一徹に必死に呼びかけるも、それでも一徹は意識をむけてくれない。

 ガッシリとした腕に抱かれているというのに、からかいが過ぎただろうかと不安になった。


 あまつさえ、一徹は上体をそらすのだ。

 まるでエメロードから距離をおきたいかのように。


「あ……」


 突然の変りように困惑禁じえないエメロードは、気が抜けた声を漏らした一徹の目線につられるように、その先に同じように目を送り、息を飲んだ。 


「やっちまったのかもしれないな」


 ホール中央で自分を含めてグルグルとステップを踏む招待客たち。

 その外で、このパーティホールの壁際で、ポツンと身体を背中から預けて立っているものがいた。


「……パートナーがいないってアレ、嘘じゃなかったのか」


 それは女だった。


「まずいことしちまったかなシェイラ」


「私に集中しなさいよ!」


 思わず、エメロードは声を張り上げた。


 自分と一徹とは違って、そこかしこで賑やかな音楽に併せて美しく舞いながら思い思いに言葉を紡ぎあうパートナーたちがいる中で、立ち尽くす女性。


 たしかシェイラと言う名の女に、一徹は踊りながらずっと視線を送り続けていた。


 面白くなかった。

 自分を前にして、自分をパートナーにしながらおざなりにされるのが許せなかった……だけでない。


 一徹は、エメロードから離れていってしまってはいけないのだ。


 思いっきり迷惑かけられても、強く何かを言われたとしても、困った笑顔を浮かべ、それでなお変らずエメロードと付き合ってくれる。


 いいストレス発散相手だ。エメロードにとってはいい遊び相手にも等しかった。


 そんな一徹は、当初パートナーに選ぼうとしたシェイラという女を眺め、申しわけなさそうな声を上げるではないか。


 エメロードではない。シェイラをパートナーに踊りたいのが一徹の本心だとしたら……

 そう思うとエメロードの狼狽は強くなった。


「私を見てよ……バカ」


 自分で開いたパーティに参加するは、爵位は違えど己と同じく貴族の者達ばかり。

 だが貴族ではない一徹と一緒にいるときの安心感が、他との追随を許さないのは事実。

 故に、一徹が他に注意を向けるのが心苦しくなって、口から感情は漏れ出てしまった。


『お集まりいただきました皆様、それではここいらで一つ……!』


 だがその呟きは一徹の耳に入っていないようだ。

 一徹がシェイラばかり気にし始めたこと。奏者たちを纏める指揮者のハキハキと張った声は、エメロードの呟きを打ち消してしまった。



「なかなか懲りないね彼も。しつこい男は嫌われるともいうけど、あそこまで毛嫌いされた表情を前にまさか手を取ってダンスまで。その固い意志に敬意すら表したくなる」


「楽しんでいるのかアーヴァイン」


「楽しいよ。国に帰ったら君と踊ることのできる機会も少なくなるかもしれない」


「問題発言はよしてくれ。まるで我が国の王子が、帰国を望んでいないようじゃ……」


「だから、ね? 折角の機会は思う存分楽しみたい。エメロード嬢が心配なのはわかるけど、もう少し私に意識を向けてくれないかな。黒衣の男を睨んでばかりでは物足りない」


 パーティホールに音楽が満ち、やがてホール中央では招待客が踊り始める。

 先ほどまで上階で、同盟にかかわる情報交換をしていたアーバンクルスにルーリィも、その輪の中に加わっていた。


「このパーティを終えたら帰国。そういう意味では今回がこの旅最後のダンスになる。そういえば随分上達したね。初め君の手を取った頃、結構酷いものだった」


「そうだろうか。押さえる所は押さえ、ちゃんと練習は重ねていたつもりだったのだが。これで私も、我が家で開催したパーティでは何人とも踊ってきた。実践は多いはず。というか、君はそう思いながら私と踊っていたのか? 言ってくれればよかったのに」


 二人が交わすはとても砕けた会話。しかしながら舞踏については、誰が見ても見事という他なかった。


 第二王子と伯爵代行のダンス。

 二人がこれまでの人生で学び、吸収してきた数多くの事柄への経験は、舞踏を高いレベルに昇華させる……だけじゃない。


 見方を変えてみる。騎士団中隊長と、その部下である騎士同士の踊り。

 無意識中にもピンと張った二人の背筋、美しい以外に無かった。


 アーバンクルスがルーリィの背中を抱く腕の、肘の角度は高く、正しい姿勢。

 その肩にたおやかに手を置くルーリィの所作。

 精度正しく足を運び、身体をひねる動きの一つ一つに。騎士団で培った高潔さが垣間見えた。 


 二人のダンスは他を置いて圧倒的に美しく、故に踊り始めてしばらく、他のカップルたちは目を奪われ、言葉を失わせ、者によっては踊ることすら忘れた。


「違うよ。技術の話じゃない。心の話。君は踊るとなると、とても頑ななんだ。無表情で冷たく感情を隠す。まるでただ、こなすだけの作業さ。だから私は、ルーリィと踊っていても正直楽しいとは感じられなかった」


「こなすだけの作業。その通りだよアーヴァイン。私にとっては苦痛な作業だ」


 口元を見るだけで、仮面の下のアーバンクルスの表情がわかる様な気がしたルーリィは、言われて苦笑いを浮かべた。


「傾きかけた家を復興させようと、支援者を募るためによくパーティを開いた。社交辞令として招待客とは必ず踊るんだ。助兵衛スケベな客もいてね。客には違いないから、気分を悪くしないようダンス相手は何とか勤め上げた。私にとってダンスなど、交流を図るための業務ツールに過ぎない」


「でもいまはもう違う」


 言葉とともに、キュウッ! とした力に抱き寄せられたルーリィ。

 抱き寄せられたことで、すぐ目の上にまできたアーバンクルスの仮面から覗く口元が、嬉しそうに歪んでいるのを認めた。


「少なくとも私にだけは、そんな感情で臨まないでいいよルーリィ」


「何を言っている。君に対してだけは、既に違うつもりだが?」


「それは感じる。でもこういう大切なことはハッキリ言っておきたいタチだから。それにキチンと言っておかないと。そうは言っても、きっと君は帰国後に、それら出資者・支援者パトロンとの付き合いが今後も続くだろうから」


「ちゃんとわかっているんだね。私が帰国したら、君以外の男の手を握ることになるということ」


「優しい言葉の一つもかけられたなら良いんだけど、ルーリィの苦労は決して、言葉そんなもので何とかなるほどヤワでないのは伺えるし、きっと君も喜ばない」


「少し気持ち悪い。本当によく私を見ているようだ。私が欲しい言葉を先んじて、伝えてくるんだから」


 そこまで言葉を紡いで双方、黙り込む。

 ルーリィはアーバンクルスを見上げ、そしてアーバンクルスは見下ろすようにルーリィの瞳を見つめた。


 両者の、恋人となってからこれまでの一月半、幾たびも重ねてきた唇。

 また触れそうになるほどに近くなり、お互いの熱い吐息を感じることが出来るほど。


「……ねぇルーリィ、この旅が終わって《ルアファ王国》王都へ戻ったら、私は君に婚や……」


『お集まりいただきました皆様、それではここいらで一つ……《ダンスマラソン》と参りたいと思いますっ!』


 その空気に耐えかね、気持ちのはやったアーバンクルスの申し出。

 会場内に響いた指揮者の声に塗りつぶされてしまった。


「すまないアーヴァイン。聞き取れなかった」


「いや……いいんだ。にしても珍しいね。社交界、とりわけ上級貴族ばかり集まる場にあってこのゲームを始めようなんて。参加してみようか?」


 思いは届かない。

 問い返してきたルーリィに気恥ずかしさからもう一度同じことを口には出せなかったアーバンクルスは、ゲーム始まりそうなのを幸いにと、少し強引に話しの方向を変えた。


「《ダンスマラソン》、確か決められた振り付けのまま、同じ曲をエンドレスで踊り続け、最後まで立っていた踊り手を優勝者とするあれか。音楽も重ねるだけ早くなる」


「別名、《奏者と舞者の決闘》。カップルじゃなくて踊り手というのがミソだ。パートナーが脱落したとき、同じタイミングで他カップルに脱落者発生。残った踊り手が異性なら、パートナーとしカップルを作り直してコンテスト継続が可能」


「いいのだろうか? 先ほど他の男と私がパートナーを組むことに、酷く嫌そうだったが?」


「そう、とても嫌だ。だから何とか最後の二人となるまでルーリィと踊りきりたい。 私たち二人は、これで騎士としての訓練は受けてきた。基礎体力だけで言えば、よほどのことがない限り負けるとは思えないけど?」


「勝ちを見越した上での参加か。少し、性格が悪い」


「悪くてもね、帰る前にもう一つくらい、良い思い出を作っておきたいのさ」


 《ダンスマラソン》。二人が互いに確認し合ったルールがルールだから、踊りや体力に自身のなさそうな者たちは、サァっとホール中央から退いていく。


 始めは二十数組いたカップルたちは、今や半数の十組程度まで少なくなっていた。


『ダンスマラソンですってぇっ!?』


『そんなうろたえないでよ!』


 その時だ。ルーリィ、アーバンクルスの耳に、狼狽えた大声が聞こえてきたのは。


「ほぅ? で……どうやら彼らもまたこのゲームに参戦するらしい」


「寧ろゲームにまでエメロード様を振り回すとは。せいぜいエメロード様を疲れ切れさせた暁に、一層嫌われてしまえばいい。その上で、先の忠告を忘れたことがどういう結末に繋がるか教えてやるさ」


 そうして、二人は目にした。


 半数以上のカップルが退いたことで開けた視界。

 その中にエメロードと、いまやルーリィにとっての《不愉快男》となった黒衣の男が残っているところを。


「さっき彼を救った令嬢は一人……か。本当はパートナーではなかったようだ。機転を利かせて助け出したというところかな?」


 エメロードに黒衣の男が付きまとっているのを事実として見るルーリィにとって、更にゲームに巻き込んだ事は酷く不愉快で身体も熱くなった。


 しかし先ほど黒衣の男を救った女、会場の端っこで突っ立っているだけの彼女の存在を、アーバンクルスの声で改めて認識したことで、黙り込んだ。

 言いようもない得体の知れなさ、それがルーリィをけん制した。


 ……そうして、賑やかな音楽とともに、ゲームは始まった。

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