仮面の下の、その奥に……

 酷い。エメロードがそう思ってならないのは、一徹の遠慮の無さを目の当たりにして。


「んまいっ! さっすがは公爵家の料理人! 手はこんでて見た目も華やか。なーるほど。これがいわゆる『お貴族様の食べる物』ってところか!」


 パーティは立食スタイル。

 背の高い席に、テーブルに張り付き、テンションが高いまま次々と料理を頬張る一徹がいた。


 その味わいにするため、その見た目にするため、料理人たちは時間を掛けた筈なのに。

 ことごとく料理を口に放り込んでいき、咀嚼物を、酒を含むことで喉に流し込む一徹のさま。

 同じテーブルを挟んだ反対側で頬杖をつき、あきれ顔で一徹の様子を眺めるエメロードにはとても、その言葉とは裏腹に感銘を受けているとは思えなかった。


「どーしたんです? あ、もしかして召し上がりたいんですか? ま、主催者の一人、会の運営に多忙ならそれも頷けるか。では少々お待ちを、適当に見繕って持ってきます」


「ちょ、ちょっと止めてよ!」


 その視線を受け、エメロードが腹をすかしているのだと勘違いした一徹。

 そう言ってテーブルから離れたとき、大慌てで呼び止められた。


「……なにか、また失敗しました?」


 質問こそしたが、自分が失敗したことだけはシッカリと確信した一徹。

 スーツの裾を思いっきり握ったエメロードが、顔を真っ赤にしていたからそれが伺えた。


「そのお皿の持ち方!?」


 苦しげに悲鳴を漏らす、俯いたエメロードに指摘され、たったいま完食したことで空となった平皿ソーサーを持つ己の手に注目した。


 左手二枚、そして右手に一枚。


 左手の、親指と小指を持ち上げ、人差し指と薬指を下げた。その間に深く、指の付け根に届くくらい平皿ソーサーを差し込む。

 そうすると。空いた親指と小指の腹と手首の3点で、もう一枚平皿ソーサーを載せられるのだ。

 そしてもう一方の手でさらに一枚。


 優雅な立ち振る舞いを見せ、料理を運ぶ配膳人にとっての必須技術とも言っていい。

 そう、配膳人としてなら、その持ち方は問題なかった。


 その技術を本来料理を頂く側が見せたらどうだろう。

 あまつさえそうして持つ平皿ソーサーの上に、料理をてんこ盛りにするならもうそれは……ただの食いしん坊だ。


 オジさん一徹には、そういう事で一緒にいることを恥ずかしがっているエメロードの葛藤が、いまいち掴み切れていなかったから、首をかしげて苦笑いをするしかなかった。



「うんぬぅぅ!」


 親の心子知らずとはこのこと。

 エメロードにとって父親とは、恐怖の対象でしかない。

 それに反して父たるアルファリカ公爵は、恨みがましそうな顔で、目の前の話を聞くしかなかった。


 話とは、締結に向けて進めている三国同盟について。


 心配事というのは、階下で《どこぞの馬の骨》である黒衣の男に戯れている、可愛い娘がたぶらかされていないかどうか。


 エメロードはパーティ主催の一人。そしてパーティの趣旨は、同盟締結に向けた各国要人同士の懇親。

 《タベン王国》外交大臣の任を受けたアルファリカ公爵が、この会場にいることはおかしいことじゃない。


「……それは誠かな? ラバーサイユベル伯爵。《タベン王国》は《タルデ海皇国》に対し、関税率を暫定的に低くするというのは」


「誠でございますアーバンクルス王子殿下。そもそもの国は同盟について消極的。というより、一度打診を断ってきた経緯がある。同盟の窓口をこじ開けるには、それにたる有利な条件を見せねばなりません」


「万が一、《タベン王国》に兵力を貸せなかった場合、物資供給のみの協力で緊急事態を乗り切ったその時、貴国に経済優遇を図ろうという我が《ルアファ王国》の、二国間交易での関税率を下げようというのとはまるで逆。面白くないな」


 真剣に耳に入れ、自分の考えを述べねばならない場面。

 が、もしもだ、もしエメロードが、くだんの黒衣の男とキャッキャウフフしていないとも限らないから、なかなか身が入らなかった。


 それほど、先ほどチラリと娘の居所を探した時に目にした光景、エメロードの表情は楽しげだった。


「聞きようによっては《タルデ海皇国》への有利な条件というより、ハッサン・グラン・ラチャニーへ甘い汁を吸わせるようなもの。奴は《タルデ海皇国》で一大商会を率いていると聞く。我が国を追放された男が成功をおさめ、同盟という各国の一大事に食い込んでくるか。あさましい」


「ハッサン殿はあくまで、《タルデ海皇国》に同盟交渉の窓口をこじ開けさせ、先方の同盟交渉担当官を務める貴族の者を、表に出させるためのパイプ役です。仕事が終わり、役目から離れたのちにも利益が得られるようにと考えたのでしょう」


「どこまでもこすっからい。それにこのパーティだってあの男の発案だと聞いている。それで参加をしないとは、非常識の度も超えている」


「それなのですが、ラバーサイユベル伯爵……」


 不愉快そうなアーバンクルスの声。答えにくそうなラバーサイユベル伯爵。

 それまではアルファリカ公爵も、愛娘のことで気もそぞろ。


「どうして伯爵は、ハッサン・ラチャニーをパイプ役に選んだのですか?」


「どのように選んだとは?」


「同盟に関わるのはそうそうたる顔ぶればかり。対してあの男は、いくら一大商会の長とは言え、民草には変わりません」


 が、ここで出てきたのは興味深い問いだった。


「確かに《タルデ海皇国》で社交界に顔が利きそうな一大商会長というのはコネクションとして魅力でしょう。ですが本当に彼でいいと思ったのですか? 不安だと思いませんでしたか? 隣国ならよく正体も知らず、そしてあの若さ。伯爵やアルファリカ公爵閣下を前に尻込みする可能性だって無きにしも非ず。なのに最後までパイプ役の任を押し通した。その理由をお聞きしたいのです」


 問いを投げかけたのはアーバンクルスと同様、《ルアファ王国》からの同盟交渉官の一人、ルーリィ。

 アルファリカ公爵の、愛娘への意識すら捻じ曲げたのは、ルーリィと話に上がったハッサン・ラチャニーという男の間で、小さくない因縁があることをアルファリカ公爵も知っていたからだ。


「出会いは、どのように……」


「出会いですか? なんというか若さですか。トリスクト伯爵代行が若さを持ち出されるのは少し。話では、ハッサン・ラチャニーと貴女は、貴国の大学で同級生だったと……」


「ラバーサイユベル伯爵、彼女の質問に答えてくれ」


 静かに声を上げるルーリィ。続いてフォローしたのがアーバンクルス。


「それはワシも一度聞いてみたいとは思っていたのだ」


 面白そうな話。そこはアルファリカ公爵も知りたいところだった。


 ロマンスグレー感じさせる顔立ち整ったラバーサイユベル伯爵。

 三国間同盟を提唱した《タベン王国》の、《タルデ海皇国》に対する同盟交渉官であり、このパーティではエメロードと別の主催の一人。


 《タルデ海皇国》との同盟交渉官となった背景には、当該国との境を控える領土の領主、《辺境伯》との立場を国王から下賜されたから。


 これだけみれば大貴族とも言えるかもしれない。

 しかし代理であっても他国の同爵位、一国の第二王子、自国では二爵位上の公爵から詰め寄られる。

 目に見えて嫌そうな顔したところに、大人物の境地にいま少し届いてないことがうかがえた。


「《辺境伯》になる直前、我が領は物資の壊滅的な不足に見舞われました。当時の実力者、現在は家を廃されたとある男爵の失策が、冬を満足に越せぬ状況を作り、とうとう困窮あえいだ民は爆発、乱を起こしたのです」


「それこそが子爵位にあったけいが、伯爵位へ大躍進を果たした理由だったな」


 話始めたラバーサイユベル伯爵。

 それがずっと前から興味のあった話題だったから、相槌を打ったアルファリカ公爵はニヤリと笑った。


「当時からすでに商会単体レベルながら、《タベン王国》、《タルデ海皇国》間の境を行き来し、越境商売していたハッサン・ラチャニーとのコネクションを使うことで、《タルデ海皇国》から大量の物資を持ち込ませ、これを民に充てた。己が守る街だけでなく、他の街へまで卿は救援物資を回したと聞いている」


「なるほど、それが乱を収めさせたラバーサイユベル伯爵の実績か」


 美談だ。そしてこれだけならば決して嘘はない。


 ……皆気付かない。ラバーサイユベル伯爵の笑顔が、優れていないことに。

 

 正直、ラバーサイユベル伯爵にとっては思い出したくない話。

 当時の領の凄惨さに、目にした彼は耐えきれず幾たび涙を流したことか。


 そんなこと当事者以外に知るよしもない……から、ラバーサイユベルが打ち立てたとされる実績しか聞いたことのないアルファリカ公爵の笑顔には、感心がにじみ出ていた。


 そういうことが、ラバーサイユベル伯爵にはたまらない。


「申し訳ない。それはラバーサイユベル伯爵が、あの男の力を借りて成した実績の話。トリスクト伯爵代行は、貴殿とラチャニーとの出会いを聞いている」


「良いのです殿下。不躾な質問、お許しくださいラバーサイユベル伯爵閣下。ハッサン・ラチャニーをどう思われていますか?」


 趣旨が趣旨だから、同盟に関わる最重要人物が顔を突き合わせるこの特別席で、仮面を付ける者はいない。


 静かで涼やかな切れ長の瞳。結われた長い絹よろしく、艶やかな白い髪に少しの青みがかかった、絶世とも思える美しい面立ちから放たれる、ルーリィの眼差し。

 受け止めたラバーサイユベル伯爵は、半ばほうけてしまった。


「彼の性格は良く分かっています。誰より頭の回転が速く、狡猾で姑息、陰険で冷徹冷酷、容赦がない。だから弱みにつけ込むなど、た易いもの」


「弱みに、つけ込むですか?」


「売った恩の返済を、執拗に迫られているのでは?」


「……どういう意味でしょう?」


「例えば先ほどおっしゃった伯爵領の惨事。救いの手を差し伸べて売った恩に対する恩返しの強要。お話を伺っているなか、ハッサン・ラチャニーに対し、あまりにラバーサイユベル伯爵はお立場が弱い。そう思いました」


 しかしそこまで言われたことが、表情を一気に引き締まらせた。

 随分と失礼で、図々しい物言いだ。


「《ルアファ王国我々》は、《タベン王国貴国》にあらゆる点で譲歩を見せているのに、《タルデ海皇国》対しては融通を利かせてばかり。先のハッサン・ラチャニーに旨味ある関税率の低減は、閣下があの男をパイプ役に選んでから導かれた結果の一つ。これより先、どれだけあの男の要求を飲まれるおつもりですか?」


「なるほど? それだけ聞くだけでも、私は随分と《タルデ海皇国》に対する交渉担当官としては役不足のようですな」


 男顔負けに政治での論戦を見せる女傑だと、アルファリカ公爵からは聞いていた。

 確かに言は立ち、鮮烈。

 が、幾ら他国からの国賓だとしても、その発言はラバーサイユベル伯爵も面白くなかった。


「私は心配なのです。このパーティとて本来は開かれるはず無かった催し。あの男のリクエストによって急遽強行開催された。それで? 主催の一人として、閣下は今日の招待客をどのように思われます?」


 フィッと、階下に視線を巡らせるルーリィにつられ、盛り上がりを見せるパーティホールをラバーサイユベル伯爵は見下ろした。


「確かに様々なお家からお集まりいただいたようです……が、見れば当主級での参加者は少なく、長男や長女の参加者も数えるほどしかいない。ほとんどが家督を継ぐことが絶望的な次男三男、政略結婚を求められる次女三女ばかりだと思いますが」


 嫌なことを突いてくる。

 ルーリィに視線を戻したラバーサイユベル伯爵は、苦い顔で呻くしかない。


「だというのに肝心なハッサン・ラチャニーは欠席。素人目に見ても、良いように使われてしまっているのでは? とまで勘ぐってしまう」


「……ほう?」


「き、気を悪くしないでくれ伯爵。彼女は少し、あの男の事となると……」


 流石に、同盟締結に関わる重要人物同士が剣呑な空気になっていくのが分かったのか、アーバンクルスの挟んだフォローには、焦りがにじみ出ていた。


「かまいません王子殿下。客観的に見ればそう評価されてもおかしくない。例えばこのパイプ役の任も、その時の恩に対する過剰な返済だったとしたらと」


「あ、いや……」


「ハッサン・ラチャニーはかつて貴国から追放された伯爵子息・・・・・・・・・・・・・・・・。ならばこの期に乗じて同盟の中枢に立ち、いつかまた、政の世界に返り咲く……など。それを成すだけの絶大な借りが私にはあり、あの男には私をコントロールするに十分な立場的優位性がある。そういうことでございましょう?」


「うっく! そこまで、伯爵から言わせてしまうつもりはなかったのだが」


 それは図り難い立場の違うアーバンクルスからの謝罪。

 だが、ラバーサイユベル伯爵の目は依然据わったまま。


「その……失礼を……」


「ご無礼をお許しくださいラバーサイユベル伯爵閣下。大変に言葉が過ぎました」


 だから、ルーリィは深く頭を下げ、謝った。

 アーバンクルスに謝罪の言葉を言わせきらせず、己の言葉をもって上から塗りつぶした。

 謝らされたといっていい。


 ルーリィは自分がどう思われようと、非難されても狼狽しない。

 しかし己の振る舞いが、恋人であり自国の王子でもある彼に苦しい立場とさせるのだけは望まなかった。


「私はただ、伯爵閣下にはあの男にご注意頂きたくて。我が国を追放され三年。先日久しぶりに会いましたが、何一つ変わっていなかったものですから」


「あまりお気に病まれませぬようトリスクト伯爵代行」


 見せつけられた経験の差。これが彼女に謝らせたラバーサイユベル伯爵の実力。


 ルーリィならアーバンクルスに迷惑はかけたくないだろうと踏んで、わかりにくい皮肉、「随分と《ルアファ王国オタク》の貴族は失礼だな」と、冗談にも聞こえる口調でアーバンクルスにぶつけたのだ。


 それが勝負を決めた。

 言を封じられたことで悔しそうなルーリィ。透き通るほどに白く、滑らかそうな肌など、体温の上昇と紅潮から、桃色に染まっていった。


 アーバンクルスを攻める形で黙らせる。

 それはもはや攻略法をつかんだラバーサイユベル伯爵に、ルーリィは首根っこを押さえつけられているのと同義。


 伯爵位になったのは最近。とはいえ、子爵位という貴族社会で言えば下級貴族として、それでも政に携わり、清濁併せ吞み、腹の探り合いを長年経験してきたのがラバーサイユベル伯爵。

 ここ一番では、話運びと地力が勝っていた。


「あ、あの男は要求と、その結果ばかりを享受し、それで筋を通さない可能性だってありえます。同盟にだって大きな障害を……」


「筋を通さない? 大丈夫ですよ。そのあたりは」


「安易で短絡的な物の見方です! 私は、あの男の危険性を良く知っていて……」


「それは生まれてこの方、伯爵家の人間として生きてきたところからくる、伯爵位を賜ってまだ半年足らずの我が家への助言ですか? 舐められたものだ」


 それでも、ルーリィはなかなか食い下がらない。

 それが、ラバーサイユベル伯爵に……


「調子に乗るなよ小娘!?」


「ッツ!」


けいっ!」


「ラバーサイユベル伯爵、それ以上はっ!」


 一喝を放たせた。


 三国同盟に関係する重要人物が会す滅多にない機会。これに私情が先行し、一つの話題に執着して時間を食いつぶすルーリィの若さに、ラバーサイユベル伯爵は叱咤した。


 普段言葉を選び、今までの口調が穏やかなラバーサイユベル伯爵だからこそ、その豹変ぶりにルーリィは顔を跳ね上げる。


 直情的な物言いは、アルファリカ公爵やアーバンクルスにも身を乗り出させた。


 また、この場にいたが、ずっと黙っていたフィーンバッシュ侯爵。《タベン王国》侯爵の一人で、《ルアファ王国》との同盟について交渉してきた壮年の男はまぶたをむいた。


「失礼しましたトリスクト伯爵代行。ですがハッサン・ラチャニーは筋を通す。お約束差し上げます」


「なぜ、言い切れるのですか?」


「なぜならば私はトリスクト伯爵代行が知っている、三年前までのハッサン・ラチャニーを知らず、トリスクト伯爵代行の知らぬ、追放されてから今日までのハッサン・ラチャニーを知っている」


「何を、仰って……」


「彼と私にはそれなりに繋がりもありまして。淡白な絆ではありますが、単純で分かりやすい絆でもある」


 困惑するルーリィ。対するラバーサイユベル伯爵の口調は、一転諭すよう。


 ラバーサイユベル伯爵は、本日のパーティに代理の者を寄こしたハッサンが、必ず筋を通すことを知っていた。


「にしてもトリスクト伯爵代行は、随分とハッサン・ラチャニーを恐れていらっしゃる。まるで人生の最恐であるかのように」


「……そこまでだラバーサイユベル伯爵。トリスクト伯爵代行は、先の失言を詫びている。それ以上はこのアーバンクルスが……」


「殿下、責めたいのではありません。ただ今後も長く、政に身を置くであろうトリスクト伯爵代行に助言がしたかったのです」


「助言だと?」


 必ず、ハッサンは筋を通す。

 なぜならばハッサンは、この場ではラバーサイユベル伯爵しか知らない、とある男の嘆願を受けて、パイプ役の責を負うことを決めたから。


「ハッサン・ラチャニー。確かに二十一という若さで、私を恐れさせる存在も珍しい……が、上には上がいる」


「なん……だと?」


「私は、真なる恐怖を知っている。それこそハッサン・ラチャニーなどまだ可愛いと思えるような」


「彼の纏う恐怖の風が、可愛いものって……」


 その発言、ルーリィとアーバンクルスの予想のはるか上を行っていた。ゆえに絶句するのは必然。

 ……だけではない。直にハッサンと出会い、その底知れなさを感じ取ったことのあるアルファリカ公爵の注意も大きく惹いた。


「覚えておきなさい。ハッサン・ラチャニーですら、まだ可愛いと思うほどの絶対的絶望、虚無、恐怖を奏でられる者を、私は一人だけ知っている」


「あの男以上の?」


「ええ。その者に、この世の絶無の最上を見せつけられた。それでなお相手取り、立ち向かう勇気を奮い立たせなければならない。そういう機会もこの先きっと出てくるでしょう。ですからいつまでもとらわれてはなりませんよ。ハッサン・ラチャニーなどただの、ただの……」


「ただの、何でしょうかラバーサイユベル伯爵?」


 話しぶり、そして内容の気持ち悪さに、その場にいる全員が伯爵に注目する。

 者によっては話の続き、ラバーサイユベル伯爵にとっての《最上の脅威》について問いかけようとしていた。


 状況というのは皮肉。

 ラバーサイユベル伯爵がその答えを既に行動で示していることに、誰も気づかない。

 《最上の絶無》。それはこのパーティに来ているというのに。


 だからそこまで口にして、ラバーサイユベル伯爵は階下のパーティホールに顔を向け、視線を送った。

 認識してしまったゆえ唾を飲み込む。結局言葉にもできていなかった。

 ラバーサイユベル伯爵の様子は異様。それが理由か、その場にいた者皆、伯爵の視線ではなく、伯爵当人を注視するだけにとどまった。


 ハッサン・ラチャニーが筋を通さないわけがないのだ。

 このパーティに姿を現した黒衣の男。あのハッサン・・・・・・ラチャニーが・・・・・・忠誠を誓った・・・・・・山本・一徹・ティーチシーフが、ハッサンに同盟に対して協力するよう願ったから。


 階下では平和的な光景に満ち溢れていた。皆がこのパーティを楽しんでいた。

 だが主催者の一人であるラバーサイユベル伯爵は、黒衣の男の一挙手一投足が気になって仕方がなかった。


 たとえ、ひときわ賑やかな音楽が奏でられ始めたことで、ダンスを始めた招待客の輪のその中心に向かって、エメロードが一徹の腕を引っ張っていったとしても。

 そしてその一徹が、画面が隠さぬ口元に苦笑いを浮かべながら、仕方ないとばかりに引きずられていく場面を目にしたとしても。


 仮面の下、和やかな表情のその更に……奥。

 燃え盛る、復讐の炎。ラバーサイユベル伯爵にだけは、見えていた。

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