パートナー争い。そして不穏
「いやぁほんっと、助かりました」
人懐っこい声を受け、女は戸惑った。
こんな主人の雰囲気や、向けてくれた声を、彼女は受けたことがなかったから。
「それに驚きました。普通黙ってコトの結末を見守るだけでしょうに。貴女は助けてくれた……と、申し遅れました。山本・一徹・ティーチシーフと申します。ご令嬢はえっと……」
「シャリ……シェイラと申します」
我ながら危なかったと、シャリエールの脳裏に過った。
シェイラではない。シャリエール・オー・フランベルジュ。
ヴィクトルと同じく、一徹の使用人の一人。その立場が一徹に対して偽名を持ち出すことを選ばせた。
「シェイラ様ですか。ご令嬢もやはりどちらかのお家の一員で?」
「いや、その……」
「だとしたら心苦しい。私は貴族家に
傍若無人な振る舞いを見せた女やエメロードたちから、一徹を遠ざけるまではよかった。シャリエールの問題はそこから。
別にシャリエールがこの場にいることは、おかしいことじゃない。
一徹の友人、ハッサン・ラチャニーがシャリエールのため、エメロードとは別の主催者に、出席枠の一つを設けさせた。
それを一徹は知らない。何も知らないから、一徹はシェイラに笑顔を見せた。
その表情が、シャリエールにとっては青天の
「それにしても宜しいのですかシェイラ様。パートナーとしてお救い頂きました。ですが本当は、シェイラ様にも共にいらっしゃったパートナーがいるのでは?」
頼もしく優しい、主としての笑顔ではない。一人の女性を相手に、失礼が無いよう振舞う紳士的な貌。
侍女という立場であれば、絶対に一徹が見せてくれない貌。
彼は仮面こそかぶっているが、それでもシャリエールにはわかった。
「シェイラと」
「は?」
「どうぞ、シェイラとお呼びください。『様』という敬称は好きではありません。呼び捨てでも構わないのです」
だから心の浮つきが抑えられない。
とはいえ、「話し相手になれていない」と一徹は言ったが、何を話せば良いかわからないのは実はシャリエールの方だった。
使用人として暮らしてきた中での話しかできないシャリエール。一徹にも黙ってこのパーティに出席した身。正体が知れてしまうことだけは避けたかった。
「で、では、えっと……シェイラ?」
一徹といえば、初対面での呼び捨てを許されたことが気恥しい。
しどろもどろ、ぎこちなさそうに名前を呼ぶ一徹。母性本能か、その様子に可愛げを見出してしまったシャリエールは、一瞬胸が焦がれるような熱さを覚えたが、それが何かのきっかけか。
「さ、先ほどのパートナーのお話っ!」
とんでもないセリフが飛び出した。
「実はその、私も一人での参加で。先のことでわかる通りお節介な性格がたたり、パートナーとして声をかけられたことも、かける相手もおらず……ご、ごめんなさい! いきなり変なことを言ってしまい」
「『お節介』ですか? 助けられた私には、
「えぇっ?」
なんとか会話を成立させなければならないとシャリエールは必死だった。
とはいえ話せることはあまりにも少ない。焦る。だからか、話題の選択肢が少なすぎる状況は、思わずシャリエールの本音を引き出した。
「……宜しいのでしょうか?」
「是非。急場しのぎの形になって申し訳ありませんが、これならお互い孤立することもない。さすがにパーティにパートナー同士で参加されている招待客たちを、一人ポツンと眺め続けるのは心に来る物がありますから。そうなると、ご令嬢には本日二度も、助けてもらうことになってしまいますね。なんとも情けない」
しかしそのとっさの一言が、シャリエールにとって正解だった。
そう口にする一徹の仮面からのぞける口元が、柔らかく歪む。それは喜んでいる証。
すこし意外というか、ガッカリしたところもある。シャリエールがシャリエールではなく、シェイラとなっただけで、一徹は女性として扱った。
「私も、パーティに取り残されるのはあまり嬉しくはありません。一徹様さえ宜しければ……」
仮面一枚かぶっただけ。
それだけで、一徹が使用人シャリエールに見せ続けた、時折彼女にはうっとうしくてならない、優しい主人という一面はなくなった。
だがそこで言葉がとぎれた。一徹が、仮面越しに黙って見つめてきたからだった。
「あ、あの、一徹様?」
「
「ッツ!」
その言葉を聞いた途端だ。シャリエールが拳を固めたのは。
「私と」
右掌を胸に当て、そして一徹に、力ある言葉で申し出た。
「私と踊ってくださいませ。一徹様」
「あ、え? 宜しいのですかシェイラ? と、言いますか……正直あまりお勧めできません。私の踊り、とても女性を付き合わせるほどのものでは……」
シャリエールは知っていた。優しい語気で一徹が懐かしむ。一つしかなかった。
無意識な発言。だからこそ残酷。
一徹はシェイラ、もといシャリエールを前にして、かつて彼が失った、別の女のことを思い出した。
「私は、貴方と踊りたい」
《一徹様》、覚えのある呼称。
一徹がかつて
己の無意識的な発言で、シャリエールが憎くてならない女の記憶を一徹に呼び覚まさせたこと。
自分を前にしながら、一徹には心を占める別の女がいること。
「あのー、いや、シェイラ?」
その状況にシャリエールはいてもたってもいられず、それが真剣な目で、一徹の目を見つめさせることになった。
「……ご歓談中失礼を」
回答に困る一徹。ここで、別の声が二人の会話を遮った。
「お楽しみいただけておりますかお二方。大変申しわけありません。こちらの殿方を、しばしお借りさせていただきたく」
「は? エメロード様?」
眉を潜めながらも美しい笑顔。しかしあからさまな営業スマイルだと思わせる、公爵令嬢エメロードの襲来。
「ほ、ホヒ、確かに主張してくるこの……感覚。じゅ、十八歳のお、オ……オッパ……」
その声に視線を移し、シャリエールが歯ぎしりを見せたのは……一徹の腕にエメロードが両腕を絡ませていたため。
「では、これにて」
シャリエールの射貫くような視線など、どこ吹く風とでもいうように、軽く会釈したエメロードは、すました表情をしていた。
ちなみに、一徹の表情は……酷くただれている。
「さぁ、こちらに。山本・一徹・ティーチシーフ殿?」
「ちょっまっ! も、申しわけありませんシェイラ! 少しばかり……ってエメロード様!? どんだけ力込めて!」
「い・い・か・ら!」
困惑した一徹といえば状況をうまく呑み込めず、一方ではエメロードに怒られながら、一方でシャリエールに謝罪を見せて、その場から引きずられていった。
◇
「なに婚活にかこつけてナンパなんて決めこんでるのよ」
「な、ナンパって。それよりエメロード様、さすがにひどいです。パーティじゃボッチな私。やっと良さそうな女性を見つけ、話も纏まりかけたのに」
「どこが酷いの? 金品チラつかせ、町娘に時間を取ってもらうことを申し出たことのある貴方に、我がパーティの女性客を捕まえられてなるものですか。目を離した隙に、毒牙に掛からないとも知れないじゃない」
「性犯罪者か。って、その扱い、
強引に引きずられた一徹は、遠くの方から見つめ続けてくるシェイラに「惜しいことをした」と思いながら、一切の容赦がないエメロードの言葉でガックリうなだれた。
「だから山本一徹。貴方は今日、閉幕するまで私と行動するように」
「……まさかとは思いますが、私のお目付け役にでもなるおつもりですか?」
「主催の一人として、猛獣を羊の群れの中に放つような危険、冒せないじゃない」
言い切られてしまうから、一徹がギリギリあげられたのは、ハハハという渇いた笑い。
「さっきだって、デレデレしちゃって……」
「あんのー、エメロード様?」
「何よ」
「なんと申しますか? 怒っていませんか?」
「はぁ?」
「い、いやぁ、すっごく……怖い顔をなさっているものですから」
「……悔恨の念よ。貴方の邪魔をして悪かったわね。私が引きずってくるまで、貴方はいい顔をしていたようだったけど、そんなにあの女性客が良かったのかしら」
「えっと、エメロード様、話が見えない」
エメロードの強い瞳が見上げてくるなら、一徹はタジタジ。
「顕著よ。貴方、私と二人になって以降、顔をひきつらせてばかり。さすがにここまで豹変されるとね。よほどあの女性客と私との間に、何か大きな差があると思い知らされる」
「そ、そんなことは……ウグッ」
強い瞳だ。だが、視界に入ったら凍り付かせるほどの冷ややかな視線。
無表情は無機質さすら一徹に感じさせるから、一種の凄みが醸し出されたこともあって、一徹は背筋にゾワゾワしたものを感じた。
「そんなに……私じゃ不満?」
「いんやぁ、不満というより……」
あからさまに、恐れが見える一徹。
「貴女といるのが……怖い」
言葉にすらした。
幾ら剣呑としたエメロードだって、その言葉は重い。
言われ、ハッと目を見開いたエメロードは、しばし黙り込み、肩を落とし、ため息をつく。
「ま、正確に言えば、『貴女といるとご友人が怖い』ってところですか?」
「え?」
だから、次に耳に入った言葉は意外。
結構なショックに俯いた顔を、フと、あげた時に目に入った一徹の顔。
彼は、人を喰った笑顔でチラリとあらぬ方向に視線を送った。促された先、エメロードも視線を送って……息を飲んだ。
パーティ会場の上階。三国同盟にかかわる者達の中で、特に重要な人物同士の懇親のため、特別に儲けられた席のあるフロア。幾らパーティに招待されたとて、並みの客では立ち入りを遠慮してもらう場所。
そこから見下ろしていた者がいた。
「仮面越しにゃ表情はわかりませんが、敵意は向けられている。どうやら本当、先のご令嬢にとって、私がエメロード様とご一緒するのが面白くないらしい」
なるほど、この視線を食らって恐れていたなら、エメロードにも請け合いだった。上階から見下ろすのはルーリィ・セラス・トリスクト。
仮面があるから、一徹に気づかず彼の腕を極めた彼女。
「行きましょう山本一徹」
見られていることを認めて、だからエメロードは気持ちを切り替え、声を一徹に張り上げる。そしてルーリィの視線から隠れるようにと、一徹の腕をまた引いて、その場を後にしようとした。
「エメロード様、どちらに?」
「今日ここに来るまでに何か食べてきた? お腹、空いていないかしら」
「は?」
当然だった。エメロードにとってルーリィは、親友であり……
「我が公爵家の料理人は、宮廷料理人にだって引けはとらない。感謝しなさい。貴方が生涯をかけてもお目にかかれない至高の一皿を、堪能できる機会をあげるんだから」
一徹を連れて行ってしまう可能性のある、リスク。
◆
「いや、結構だ」
何か、おかしい。ヴィクトルが先ほどから感じ続けていた疑念というものが、いまのこのやり取りでさらに強くなった。
主人を会場に送り届けた使用人たちを、パーティが終わるまで収容する待機場でのこと。
さすがは王家の別邸か。そうはいってもその待機場とて広く、そして雅なもの。
食事が、酒が振舞われた。来賓に対してではない、その使用人たちにまでここまで応対するというのは破格。確かにヴィクトルも驚いた。
だが、どことなく気持ちの悪さに襲われたのは、待機場に入った既にそのとき。
過剰とも言える、サービスの押し売りだった。
気にせずそのサービスを享受することを選びさえすればこんなこと思わない。現にいたるところで酒に手を伸ばし、喉を潤し、腹を満たす者たちは沢山居た。
「ですが、本パーティの主催、公爵家の料理人が腕を振るった品。これをお断りになられては、公爵家にとって立つ瀬もなく、厚意を無碍にされるとあっては貴殿がお仕えなさる御家とて悶着がありましょう」
だが、主人をパーティに送るような使用人や御者は、なかなか会が終わるまで食事が取れないもの。
だから既に、この会場に来る前、一徹を連れて家を出る時には既に食事を終えていたヴィクトルは、そうならなかった。
他、ヴィクトルは使用人としての人生が長い。紆余曲折があって一徹の元で今は生きているものの、かつては、既にほろんだ別の公爵家に生きたこともあった。
その時の目線で見ても、やはり使用人に対してここまでもてなしが尽くされるのは、気持ちが悪かった。
パーティとは、招かれた者たちが交流する場であるはず。しかしその目的から外れた、使用人に対するもてなし。
やったとして、本来は意味ない行いだ。
「失礼いたしますヴィクトル殿」
そのときだった。サービスの享受を拒否したことで、顔を歪める接待の者とは別の者から声をかけられた。
「貴殿のご主人から、いらっしゃるようにとのご伝言でございます」
「……私の、主が?」
ひょんなタイミングで呼びかけられた内容に、一瞬言葉を詰まらせたヴィクトルは……
「ハイ……
思い出すことが出来ないからなのか、手元の資料を確認しながらそう口ずさむ男に向かって目を細めた。
「……ホウ……?」
そして立ち上がり……
「では、どうぞこちらに」
踵を返した男の背中について行くように、歩を進め始め……腰に、手をやった。
この待機所に案内されたとき、
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