202

―ぐぅっ!?―

  

 一徹の、その世界三年目は、くぐもった呻き声から始まった。


「トリスクトさん! ちょっ、コレ……山本さんが死んでしまうっ!」


 腹を……刺し貫かれていたから。


「こんな形での二人のツーショットは見たくなかったな」


 一徹は、一徹より肉厚く背の高い厳しめ顔の壮年男性に刃で不意打たれた。


「紹介しよう。《廃剣豪》ヴィクトル・ユートノルー。この後にシャリエールと並び一徹守護職の双肩をなす。一徹にとって誰よりも信頼を置かれる、山本家で家令を勤める益荒男だ」


「そんな! だって、殺そうとして!」


 二年ぶりに桐桜華皇国に帰れた一徹が、再転移させられた先はルーリィの祖国とは違っていた。


 無精髭に軽躁な旅衣装を着崩した男の後ろからあらわれたのは、身なりの良い厚い化粧で顔塗り固めた女。倒れた一徹を嗤った。


 未だ一徹の配下でない頃のヴィクトルは、歩けぬよう一徹の両足のアキレス腱を刃物で斬り千切る。

 その前に意識を奪っていた徹新の身柄を担ぎ上げると、そのまま一徹を荒野に打ち捨てた。


「この国は奴隷制があってね、人間族も含め、弱者は売り買いされた。あの女はやり手の奴隷商で、徹新の美貌を見初めた」


「人攫い。そんなことのために山本君を……」


「リングキーの容姿が良かったのは今更として、犯した遺伝上の魔族の父親も顔立ちは良かったんだろう。魔との混血にて早熟成長の徹新は、まだ齢二つにして7、8歳の見た目をしていた。商品として調達された訳じゃないが、別の目的は、あの女奴隷商の運命を決めた」


 一人、荒野で死ぬのを待つかの様……な一徹の身体が不意に光り始めた。

 

「この光は……山本君の傷を治していく? 治癒術? これってまるで……」


「リングキーが一徹に回復術を施しているようだね」


 アキレス腱は結びつき、腹部の刺し傷も塞がり、血の流出も止まっていく。


「あれをご覧よ」


「……銀色の、髪飾り?」


 羽が象られた髪飾りは、嘗て一徹がリングキーに贈った品であり、彼女によって残された思い出の品。

 自らの死を予感し、懐から取り出した一徹は、両手で握り込む。

 力失われるまで、握り続けていた。


「あの髪飾りも魔道具ウェイブソーサリーの一種になった。備わるのはリングキーの属性。白と、治癒術」


「ちょ、ちょっと待って? 術を山本君が使ったと言うの? さっき属性は導力、魔力がないと使えないって」


「いい着眼点だね。私達の世界に初めて一徹が転移したのは数多世界を監視、世界ごとの神に調整を委託された《調整者》の一人、カラビエリの手配ミスには違いない。が、そのあたりを注視していれば、第三者の思惑で恣意的に転移させられた事に気づいたろう」


「どういうこと?」


「初めての転移時にはもう、一徹の肉体は作り変えられていた。術を行使するに必要な《ケレン》の取り込み、出力を司る《ケレン内包器官》と言う新たな臓器を付け加えられたのさ」


「私達異能力者、妖魔にも似た器官は存在する。じゃあ無能力者だった山本くんは実は異能力者で、初めて転移したときにはもう、異能力者になっていたってこと?」


「まぁ、そんな器官が備わったところで、それまでの人生で《ケレン》の出力をしたことない一徹には力を使う感覚がない。だからこのときまではただの無能力者であったことに変わりはないよ」


 一徹はすでに意識は失われている。それでも光は失われないし、傷の治癒は進んでいく。


「だが出力出来ない一方、ここまでの二年と数ヶ月、《ケレン》を取り込み続けた一徹の内包器官は限界に限界を重ね、現実離れなほど拡張と肥大していたんだ」


「ダムのように、力の源は溜まっていた?」


「死を覚悟し、今わの際に体中と言う身体の筋肉や内蔵器官の収縮は弛緩した」


「ダムは、決壊してしまった」


 昏倒中の一徹が垂れ流した莫大な《ケレン》の奔流に、魔道具ウェイブソーサリーとなったリングキーの遺品が反応したということ。


「誰かが言ったよ。そこまで肥大した一徹の《ケレン内包器官》の最大内包量は、100年か1000年に一人の魔技術士が超級極大術技を行使するに使うに匹敵するのじゃないかってね」


「……チート……」


 限界内包した全ての《ケレン》が、一旦枯れる尽くされるまで、恐らく自動発現した治癒術技は収まらないだろう。


「チート……か。そうかも知れないね。でも君は後でもっと驚くと思うよ。一徹の真の恐ろしいところは、まだまだこんなものじゃない」


 倒れたまま糞尿まで流れ出てしまった、まさに野垂れ死にとの形容相応しい一徹を、魅卯は見ていられない。



――身体の傷が癒えながらも街道で意識を失っていた一徹は、狩りの真っ最中で通りがかった獣人族とダークエルフの小集団の気まぐれによって目覚めるまで介抱された。


「獣人族とエルフ?」


「ダークエルフさ。エルフの血も継いだ混血は、そのように総称された」


「本当に、私達の世界とは違うんだね」


 目を覚ました一徹は……即座に徹新救出に動くことになる。

 小集団にダークエルフがいた事が幸いした。

 混血が生きづらいこの世界で、魔族と人間の血を次ぐ徹新を父親として救おうとする一徹の姿勢に感じ入ったのだ。


―女奴隷商の屋敷にさえ入れたら、あとは俺の方でなんとかするさ―


 その頼みの元、獣人とダークエルフ小集団は、女奴隷商の館が鎮座する街に夜分立ち入り、混乱を引き起こす。

 その隙に、一徹は館に侵入した。


「ひ……どい……」


「荒れているね。そして必死だった」


 スニーキングミッションな潜入では無い。

 侵入。押し入った。


 握る斧に組み込まれた素材の属性を多いに利用し、一徹は目に入る警備の者たちを、飛翔する風の断撃でことごとく殺していった。


 認められる部屋と言う部屋に飛びいった。

 兎に角急いでいた。

 目標は徹新の救出だが、感づかれて人質にされるのも宜しくない。

 時間をかけたくなかった。


 が……やがて鉢合わせすることになる。

 奴隷商側の最強。ヴィクトル・ユートノルーが立ちはだかった。


―んじゃあ、あわせていこっか?―  


 場には三名。

 一徹、ヴィクトル・ユートノルーそして、例の女奴隷商とは違う……男。


「アレ? あの人どこかで……」


 魔族の男だった。出逢った事ないはずの魅卯だが、そんな言葉が漏れてしまった。


「世界が、違う。なら出会ったことなんて無いはずだけど……」


「無理もないよ。ラーブ・ラブタカという魔族の男でね。徹新の面影に近しいだろう?」


「……あっ!?」


 そもそも一徹にとって魔族とは全て滅びてしまえば良いとまで思う存在。

 ぞんざいな物言いなれど、一徹の隣に立ってヴィクトルに相対した。


「あの男はリングキーを汚した魔族の男の長男だ。徹新とは血の繋がった異母兄。一徹とは……部隊長であり父の親友でもあったオルシーク・ストレーナスの復讐相手として何度となく命を狙っていた」


「そんな二人が並び立つ。共闘が避けられないくらい、当時のヴィクトルさんは強敵だった? それに……弟である山本徹新君を助けるためなら山本君と協力してまで……」


―いち、にっ……さん!?―  


 同時に床を蹴るべく一徹はタイミングを合わせて……


「……は?」


 次の光景に、ルーリィと魅卯は唖然とした。


―あとは任せた! せいぜい、救出が完了してから死んでくれや!―


―穢らわしい人間族が! 山本一徹ぅぅぅ!―


 同じタイミングでスタートダッシュを切って、ラーブ・ラブタカは確かにヴィクトルへと走った。

 一徹は……事あるごとに自身の殺害を付け狙うラーブ・ラブタカに難敵を押し付けたのだ。


「な、なんて……」


「君の知る一徹との乖離に、見損なったかい?」


「状況判断能力が高い」


「ほう?」


 ズルイには違いない。

 が、「せいぜい、救出が完了してから」と一徹が言った通りだ。

 時間稼ぎをなんとか果たせるだろう程にラーブ・ラブタカの力量を認めた上で、時間を掛けたくない前提と刻一刻変わる状況を分析し、当てはめたということ。

  

 目的の為なら、どんな手でも使うのだ。

 

 一徹はとても冷静。冷静を保ち続けるためにも冷酷な決断が出来るようになってしまった。


「私達も追いかけるよ魅卯少女」


「う、うん!」


 ラーブ・ラブタカとヴィクトルの始まった死闘を捨て置き、ルーリィは館奥を目指し走る記憶の中の一徹の背を追った。


「まだ現れない。そろそろのはずだが」


「ん、どうしたのトリスクトさん」


 それは館の一室。両開きドア前に一徹が立ち往生したときのこと。

 不意に魅卯をルーリィが見やるが、瞳には不安があった。


「いや、君など、彼女など、心配してはいられないか」


「どういうこと?」


「もうじきわかるよ」


 気になることを言うルーリィは答えを示さない。

 それをよそに、手持ち斧で扉を打ち壊していく一徹は、やっと中に立ち入った。


「……ようこそ私の真実に、おふたりとも」


「あっ……」


「やはりな……」


 ……大小の牢獄の数は知れない。


 大型の牢屋には数えきれない奴隷が身じろぎ出来ないほどパンパンになっていた。

 小さな牢には……


「私の悪夢の終わりと……」


 ベリーダンス衣装のような肌の露出を目的とした怪しい衣装を纏った美しい女が体育座りのまま、牢の間に飛び入った記憶の中の一徹に目をやっていた。

 その目、とても……活きているとは言えない目。


「私に太陽が差し込んだその時へ……」


 そんな目をした女を、背中から優しく抱きしめる瓜二つの女が、一徹とともに立ち入ったルーリィと魅卯に投げかけたのだ。


「その格好、そして奴隷商の館に捉われる理由。そんな、まさか……」


「救い出されるまで、数え切れぬ程の穢れた人間共の慰み者として昼夜を問わず玩ばれた。これが私の真実です。愛玩奴隷ですよ。性的な……ね?」


「ふ、フランベルジュ教官……」


 同じタイミングで一徹の精神世界にダイブした、魅卯の世界の服装に身を包んだシャリエールが静かに告げた。


 ダイブした者の意志も行動も記憶の中の者たちには伝わらない。

 それでも昔の自分を抱きしめたのは、当時の自分への同情があったからなのかもしれない。


 流石の一徹も、これだけ集まった奴隷を前に目を剥いた。

 やがて……


―鍵は開けておいてやる。この部屋の扉も壊した。警備の奴等もだいたい殺した。あとは……好きにしな―


 皆に聞こえるように言って、牢屋全ての鍵を斧で打ち壊す。

 

―オイ―


―ヒイッ!?―


―奴隷商の部屋はどっちだ?―


 泥に濡れ、死を撒いて血に塗れ。

 修羅を転がる一徹の光宿さぬ瞳と能面の顔を向けられた性感な衣装のシャリエールは悲鳴を上げる。


「大丈夫ですよ。貴方の悪夢はもうすぐ終わる。のちの人生もしんどいですけど、それでも貴女が感じるだろう幸せは、今の私になってなお、続いていますから……頑張って」


 今のシャリエールが過去のシャリエールをギュッと抱きしめたのが通ったかはわからない。

 だが弱々しく、震えながら人差し指で「あっち」と言ったことが記憶の中の一徹をまた走らせた。


「さぁ、行きましょうか。ここからは私もお二人と合流します」


「……君が私を凌駕するほどの武を身に着けたのは、一徹に匿われてから訓練を始めたためと聞いている。たったそれだけの短い期間でそこまでの強さ。鍛錬は熾烈を極めたどころじゃないはずだ。それこそ身を削るほどの」


「一徹様は、だから私に罪悪感をお持ちになりました。無力だった頃の身体を作り替え、殺しの処女も一徹様に捧げた。『いわゆる普通の女の子としての人生を奪ってしまった』と」


「……敬服する」


 呆気に取られた魅卯を他所にシャリエールとルーリィの会話は紡がれる。

 深くルーリィは頭を下げるが、シャリエールはそれを払拭するかのように手をパァンと叩き合わせた。


「ふたりともしっかりしてください。まだ三年目すら終わっていない。そして……三年目の最悪はすぐこのあとに訪れます」


 ガツンッ! と、魅卯は頭を殴られた気分だ。

 たった今最悪だった頃の過去の自分と再会しながら、一徹を心配できるシャリエールの狂ったまでの重いの強さ。

 まして、まだまだ一徹の悲劇は坂道を転がっていくと言うのだ。



――合流して三人となった。

 

―嫌だよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!―


 過去のシャリエールが指した方角へと走る一徹と、その背に続く記憶領域に入り込んだ三人の表情よ。


―やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!―


 向かう先から悲鳴が聞こえてくる度に、切迫したものになっていく。


 女奴隷商の、シャリエールの飼い方という例も現に一徹は目の当たりにしている。

 駆けつける脚にもどんどん力が入っていった。


―てっしぃぃぃぃぃぃんっ!?―


 叫びながら、廊下奥突き当りの両開きドアを走る勢いともに蹴破った。


―「「「ツゥっ!」」」―


 かち込んで……初見にて、一徹と追ってきた三人は絶句を強いられた。


「醜すぎる……人間は……ここまで堕落出来る生き物なの?」

 

「このとき一徹の、魔族すべての滅びを願う呪いは、変容したんだね」


「リングキー・サイデェスを数え切れぬ程の魔族が犯したなら、思い出せぬ程の人数、人間族はこの私を凌辱した。あまつさえその中の人間族の一人、女奴隷商は……」


 白豚が、黒の下着でボンレスハムとなったかのような。全身から肉汁吹き出し、ハァハァ熱い吐息まま……自分が組み伏せたベッド上全身剝かれた徹新に向け、舌なめずりを見せた。


「まだ年端も行かぬ、純粋無垢な徹新様を……犯そうとした」


 恐怖と気持ち悪さに徹新は発狂寸前、泣き叫んでいた。


―う……うう……ヴヴヴっ……―


 見せつけられた一徹は床に俯く。ギシリギシリ聞こえるほどに歯を食いしばり、呻き始めた。


―アレ? アンタ、なんでここに。いや、生きて……―


―ヴグゥヴっ……―


 突然の乱入者に気づいた下着姿の奴隷商は初めこそ狼狽えたものの……


―取り戻しに来たつもりかっ!? アタシんだよ!? 誰ぞであえっ! ユートノルー、何してる!?―


 所有権なぞ訴えるではないか。

 が、侮蔑も非難も……カラダに拳に、ワナワナ震わせる一徹に通る様子はない。


 一体どれだけの握り締める膂力なら、手持ち斧の持ち手をギュチっとならすだろうか。

 怒髪天と言えばいいか、膨れ上がる例えようもない感情を表しているかのように、髪は逆だった。


 ……そして……


―ゥゥヴヴワ゛ァ゛ァ゛ァ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッ!!!……―


 咆哮した一徹は、それと同時に、人としての良識、常識、理性と尊厳を失ってしまう。

 感情と野生だけが肉体を突き動かした。


「ケダモノに墜ちてしまったのか。一徹……」


 多くは言わない。それはとてもとてもグロテスクな運びだから。

 苛烈過ぎる殺意に一徹が飲まれたことで、一撃のもと殺されたことだけが女奴隷商の幸運かもしれない。

 物言わぬ肉塊に、一心不乱に何度だって一徹は斧頭を突き埋めたから。

 

 一徹は、女だって殺してみせた。


 救い出された徹新だったが、只でさえ恐怖臨界点に加え、自身には優しく頼もしかった父親の阿修羅宿った様に限界を超えて意識を失った。


「オ゛ェ゛ェ゛ェ゛ッ!」


 まだ、オルシーク・ストレーナスの処刑が可愛かったと思わせる光景に、もう何度となく記憶にダイブしてから嘔吐してきた魅卯にまた吐瀉させた。


 ……我に返った一徹は、また魅卯には信じられない振る舞いに出る。

 先も言ったが、再転移させられた先はルーリィの国とは違う。当然通貨単位も違う。

 

 目に入る金品という金品を掻き集めた一徹は、徹新を抱きかかえると、女奴隷商だったものに暖炉から挙げた燃え盛る薪を焚べた。

 人の脂を燃油とし、炎はどんどん大きくなっていく。


 強盗殺人、放火の出来上がりだった。

 高校時代、ピュアッピュア迄に淡い恋愛模様を繰り広げた朴訥な少年が、ここまで墜ちたのだ。


 終わらない。

 一徹の非情は終わらない。

 奴隷制のあるこの国に置いて、逃げ出した奴隷は捕縛対象となる。


 一徹の、館侵入の目眩ましで陽動作戦を働いた獣人とダークエルフによって街の兵らは、てんやわんや。

 そこで百を超える大量の奴隷達が街中を逃げ惑う場面に遭遇する。


 それは一徹が逃亡するための目眩ましになった。


 捕縛、もしくは逃亡の罪で奴隷を斬ることに街の兵らが躍起になっている隙を突いて、一徹は女奴隷商の街を抜け出した。


 重罪に重罪を重ねた一徹は、自分と徹新が生き延びるためなら、誰かを囮にし、犠牲にするまでに落ちぶれた。


「町を抜け出したタイミングで、ヴィクトルや私含め、数名が一徹様に願い出ました」


「一徹を旦那様、徹新を若とした、君達の使用人人生が始まったんだね」


 確かに、街を抜け出したところでシャリエールやヴィクトルら何人かが一徹に話しかける一幕があった。


 ……が、ヴィクトルと言う男は、明らかに一徹に嫌悪感を抱いていた。


「それからは?」


「魔族が一徹様にとって腐れた存在なら、人間族も同じく、一徹様にとって腐れた存在になってしまった」


「もはや一徹にとって、人間族すら同じ空気を吸いたくない対象か」


「魔物や獣が跋扈してなお、一徹様は街の外、人里離れたところで私達と暮らし始めます。住居は外で。街なかでは商売を。強奪した金品を元手に」


「ど、どうだったんですか?」


 一徹が暴走してから暫く声を挙げられなかった魅卯。

 ようやく質問できたことに、ルーリィとシャリエールは溜息を一つ。

 

「……笑わなくなりました」


「えっ?」


「正確には、私達が使用人になってからしばらく、ただの一度も笑顔を見ることはなかった」


「笑わなくなったんじゃない。一徹は、笑……えなくなったんだろう?」


「笑わない旦那様。だから使用人になりたては、日々とても緊張したものです」


 思い詰めた顔したシャリエールの答えを耳に、魅卯は、「使用人にしてくれ」と跪く数名を前に憮然とした顔で見下ろす一徹に対し、喪失感が凄い。


「生前のリングキーを迫害してなお、一徹がそれでも人間族の集落にいたのは、あくまで魔族による所業のせいで、人間族のリングキーへの扱いでは無いと思っていたから。だが存外、人間族も負けず劣らず、腐れていた」


 なるほど、今なら有栖刻長官の実弟であるとの話も魅卯には納得できた。


 笑わない一徹の顔よ。常に厳格で綻ぶ事の無い有栖刻長官のブレない顔に、よく似ていた。



――笑わない旦那様、山本一徹には隙がない。


 魔族を呪い、人間を嫌い。

 周囲の者らが一徹から離れていくのではない。一徹から、離れるのだ。


 仕事のときだけ割り切って誰かと接する。

 プライベートでは、殺した女奴隷商人から奪った大枚をはたいて獣さえ出没する人里離れた場所にポツンと建てた一軒家に、徹新と使用人たちとひっそり暮らした。


「な、なんだか……息が詰まりそうな暮らしぶりだね」


「そうですか? 私達にとっては天国のような環境でしたが」


「そ、そうですよね」


 当時の山本親子と使用人たちの暮らしぶりを前に、魅卯は顔を張り詰めさせるが、これをシャリエールはおくびもなく言ってのけた


 山本親子を主人格とする。


 知的で礼儀正しくそつのない人間族の男が使用人の筆頭として家令を務めた。


 家令と因縁ありげで常に一徹に敵意と恨みをむき出しにつつ、何かの矜持からかそれでも手を出さない人間族のヴィクトル・ユートノルーも山本親子の厄介になった。 


 種族的な寿命に近しい、魔族の置いた男も身を寄せたが、使用人とは名ばかりで仕事は特に与えられていない。


 人間族で類まれなる美貌を持つ少年は一徹が殺した女奴隷商のお気に入りの元玩具。成長した暁、立派な執事とすべく、家令から指導されながら家の事を手伝った。


 全身の体毛は薄く所々剥げた醜悪な見た目の人間と獣人族の混血の男。苦痛ばかりの人生で全ての事に斜に構えた半人半獣の混血男は、山本家の料理番を務めた。


 そうして……


「私は、この家でメイドとして一徹様にお仕えしました。まだ旦那様とお呼びしていた頃の話です」


 外界との接触を嫌う一徹が織りなす閉塞的な新生活セカイ

 魅卯にしたら息苦しいが、女奴隷商の元で地獄のような生を強制されたヴィクトル以外の5人にとっては随分苦労が減っただろう。

 「天国」とシャリエールが言ったのは頷けた。


「そうか。これが一徹の……基盤になったんだね?」


「き・ば・ん?」


 同じ光景を見ながらルーリィがシャリエールに問う。声を出さねどシャリエールが深く頷いたことに、魅卯は眉をひそめて首を傾げる。


「一徹様が徹新様をリングキー・サイデェスの亡骸から引き取り育てたのは、愛した彼女を守れず死なせてしまったことに後ろめたさがあったから」


「私たちの世界での所属枠のこだわりにもっと理解があったら、混血徹新を孕んだことに気づき、どんな苦難を彼女にもたらすか悟れたら、死なせることは無かったと……『俺もリングキーを殺した』……と、一徹は罪悪感に囚われていたからね」


「贖罪?」


 魅卯の思い当りは正解だったようだ。


「せめてもの償いに、遺された徹新様を一人前に育て上げることを一徹様は誓われた。でも、種族枠のこだわりが強い姿勢を育成環境にするのは抵抗があった。だから……」


「山本さんと、山本家への奉仕を共通ミッションとし尽くす使用人で作る小さなコミュニティを、徹新を守り育てる世界としたってことですか?」


「えぇ、そういうことです」


「それだけにとどまらない。女奴隷商に酷使され虐げられ尊厳を奪われ続けた君たちにとって、奴隷仲間という共通の過去と、同じ苦難を経験した絆も強かった。それを前に種族枠のこだわりは問題に成らなかった。一徹にとっても都合良かったろう」


「それもあるでしょうね。奴隷の所有は奴隷商との売買取引による証明書がある。ですが私たちは取引記録がない。逃げ出せば……捕まる。違う奴隷商に引き渡されるか、逃亡の罪で殺されるかです。一徹様にすがるしかなかったんですよ」


 淡々と答えて、シャリエールは魅卯をチラリと見て笑いながら嘆息した。


「綺麗ごとではないでしょう? 物事は別に、全てクリーンに運ぶわけではないのですよ月城訓練生」


 所詮、シャリエール達も当時はそうせざるを得なかった状況であったという事。

 結局女奴隷商が殺された後も、一徹の元で働かざるを得なかった。立場が立場で、逃げ出して自由も謳歌できるわけではない。

 そんな立場を一徹に見こされて、一徹の思惑通り、徹新を守り育てる要因にさせられた……ということ。


「い……嫌な質問をしていいですか?」


「ここまで見られた以上、嫌も何もないと思いますが」


「初めて山本さんと出逢った時、血まみれの山本さんに恐怖しかなかった。今だって悪い言い方をすれば、いつ放逐されてしまうか分からない状況。山本家から追い出されたなら、待っているのは身の破滅」


「ですね?」


「追い出されないように気に入られよう。それが、教官が山本さんを好きになった理由ですか?」


 不躾も酷すぎる魅卯の質問。一瞬シャリエールは目を見開いて……


「あぁ、それは……」


 答えようとしたところで場面は変わる。


 






















うーわぁ、重た! 

この記憶のトレースが終わったら、未完だったこの作品の前身(前日譚)はそれで完結にしようと思っとりやす。







 

 


 

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