198

 学校の帰りしな、映画を見に行くようになった。買い物に行くようにもなった。

 休日は、水族館や近くの観光地に遊びに行った。


 一徹と南部トモカ美少女の話だ。


 柔道の試合があれば南部トモカ美少女が駆けつけ、酷い試合しようものなら叱咤が飛んだ。


 チアの競技会があれば、柔道部が総出になって応援に行き、鶴聞高校の演技中は、競技用音楽をあわや塗り潰すほどに野太い声援が競技会場を満たした。


「あ、アレ?」


「どうした魅卯少女」


「もう二人、付き合っているんだっけ? 告白とかあった?」


「結論。告白はないゆえ二人はまだ付き合ってはいない。それでいてご覧の有様さ」


「嘘ぉっ!?」


 間違いなくデートを何度もしていながら、まだ交際関係でいないことを告げるルーリィは複雑に笑って、魅卯は悲鳴を上げ、両掌で顔を挟んだ。


―な、最近山徹と遊んでばっかじゃん。たまには俺と遊ぼうって―


―あ〜ダメダメ。アンタは遊ぶ相手沢山いるでしょうが! それにアンタがいると、ウチに対する目が痛い―


―別に俺たち幼馴染なんだし、別に気にすること無いよなぁ。そだ、品河水族館館とかど? なんかイベントやってるみたいだし―


「……っとぉ? 魅卯少女、喜ぶがいいさ。君のご希望の場面、もうすぐ来るかもよ?」


 とある日の下校の段。


―……あ゛ぁ゛ん?―


 一徹が下駄箱エリアで立ち止まって、黙って見やる先に、南部トモカ美少女とイケメン幼馴染の会話は繰り広げられていた。


―あ、じゃあ遊園地とか……―


―ハァ、だぁかぁらぁ……って、へっ?―


 話は終わっていない……のに、一徹はずんずん二人のもとに近づいていく。不意に南部トモカ美少女の手首を取った。


―や、山本?―


 一徹は、驚きの声に反応は見せない。

 ブスっとした顔で南部トモカ美少女のイケメン幼馴染を真っ向から見据えた。


――何してんの山徹。今、俺がトモカと話してんだけど?―


 イケメン幼馴染は笑みを崩さない。が、睨み返す目に笑みはない。


―……うるせぇよ……―


―ハァ? いきなり割り入って『うるさい』とか意味わかんな……―


 声にも狼狽えは感じない。 


 どうでもいい。イケメンが余裕崩さないとか、筋肉ダルマ坊主の一徹にはどうでもいい。


―俺と違ってカッコイイお前なら! 心配してくれる娘もっ! 付き合ってくれる奴もっ! トモカの他に腐る程いるだろうがぁっ!!―


 柔道用に足腰作るため日々走り込む一徹の肺活量をフル活用したボイスバズーカが、イケメン幼馴染に打ち込まれる。


 電子アンプフルボリュームレベルの声量は、流石に相手を竦ませるほどにビビらせた。

 同じエリアに居合わせた同校生らもギョッとした顔で一徹たちに注目した。

 

―行くぞ南部―


―ちょぉ待っ……―


 相手のフリーズが溶けるのを一徹が待つはずない。

 南部トモカ美少女にも有無を言わせない。

 マッチョが本気で腕を引いたなら、細腕で抗えるはずもなかった。


―何してくれてんのアンタ! 皆の前で! 私、どれだけ恥ずかしいか!?―


―……サーセン―


 行くあて無い一徹に対し、南部トモカ美少女がキレまくったのは、隣町の河崎かわさきと鶴聞の間、鶴聞川にかかる橋の真ん中あたり。


―何か訳あるなら言ってみ? 聞いてあげる。聞くだけ。ゆるしはしないけど―


―ほ、他の野郎と話してんじゃねぇよ!―


―ハァッ? な・ん・で!?―


―なんでって……あっ……―


―ウチが他の奴と話すことの何がいけないわけ? 何様なわけ? アンタにそんな権利有るわけ? そんな立場なんだ。別にカレシでも何でもないのに―


―いやそれは、あのぅ、そのぅ……


―何、まさか私と付き合いたいわけ?―


―そんなことねぇよ―


―じゃあ別にいいじゃん。干渉しないでよ―


―んなわけにはいかないんだよ!―


「あぁそっか……来るんだ……」


「うん。来る……よ?」


 そこまで話が来て、魅卯はチラリとルーリィを見やった。

 

―あーもうっ!? 私と付き合いたいの付き合いたくないの!? 好きなの好きじゃないの!? 好きなの・・・・!? 好きでしょ・・・・・!? どっち・・・!?―


―好きぃぃぃ!―


 ルーリィは……クッと、目を閉じていた。


―ぃぃぃ……です―


「これが、トモカ殿と一徹の交際がスタートした瞬間か。話で聞くのと、記憶を辿って感じることは、やっぱりインパクトが違うね。それに……」


「それに?」


「とても甘酸っぱい」


 決定的な場面が過ぎ去り目をゆっくり開いたルーリィは、


―感謝するがいいわ。仕方ないから付き合ってしんぜよう―


―い、いやいやいや。もっと泣くとか。『これからお願いします』とかない?―


―ある訳ネーのよ―


「こんなやり取りを、一徹としてみたかったな」


 泣きそうな顔で笑っていた。



――ルーリィが泣きたくなる理由。魅卯にはわかる気がした。


 常識離れするほどによく出来た兄を負い続ける呪縛から解き放たれた一徹は、とにかく眩しかった。

 そんな一徹との青春を分かち合うのはルーリィではない。南部トモカ美少女なのだ。


 秋に入っての2回目文化祭。《大正喫茶》をクラスで出し物にした一徹は、「俺は現代の嘉納治五郎だ」と柔道着に身を包む。

 兄の下位互換で無理やり身につけた頭の良さと身体能力によって、文化祭中の活躍ぶりは凄まじい。


 気さくで、バカもやれる。


 この頃には以前のDQN然への周囲の警戒も薄れ、誰からも一目を置かれることでいつしかリーダーに押され、集団の中心となった。


「まるで、ヤマト君と石楠さんみたいだな」


 その隣には常に、南部トモカ美少女が立った。いつも一徹をサポートした。

 押しも押されもせぬ、学内オシドリカップルになっていた。


 タイプは違うも、たしかに一徹はヤマトのようではないか。


 なるほど。記憶に入り込むのは、入る先の人間によっては……ハードモード極みに違いない。


ー……なぁ、俺らやっぱ踊り方変なんじゃね?ー


 それは文化祭最終日での出来事。

 後夜祭。キャンプファイヤーを囲んで、鶴高生が踊っている。


ー何で?ー


ーなんつーか、周囲の目が生暖かい。男子も女子もニヤニヤしてるしー


 その例に、一徹も漏れなかった。

 

ーま、そりゃそうでしょ? 満を持して・・・・・……ってところなんだから。ねぇ、提案があるんだけどー


 手を繋いだ相手は、当然南部トモカ美少女だ。


ー見せつけちゃおっか? 『周囲の期待を一身に背負い、我等新生カップル、ついにここに誕生せり!』ってー


ーな~に言ってんのお前?ー


ーはっはー! ま、アンタだもんねぇ。気づかないかー


ーなんか、馬鹿にされたようなー


ー馬鹿にしてんのー


ーおいっー


 南部トモカ美少女の日に焼けた健康的な肌よ。だからニッと見せた歯の白さは際立った。


ーん、なんだよ今度は?ー


 情況は動く。

 一徹の腕に抱かれた南部トモカ美少女が、一徹の胸の中から薄い笑み浮かべて黙って見あげ、見つめていた。 


「「……あ……」」


 なんとなく、予期できてしまうルーリィ、魅卯は声を上げた。


 当たり前だ。


 南部トモカ美少女、背の高い一徹に向かい、背伸びし、顔を近づけるのだから。


 この流れ、雰囲気。 直感があった。


ーキス、してみよっか……一徹?ー


 だから、ハードモード極みだ。


 一徹と南部トモカ美少女の唇は……重なった。


 一徹の人生をトレースする。

 なら必然として、彼のこういった記憶も、みせつけられることになるのだ。


 もしこの先の記憶に、これ以上のことがなければ良いなと思う他ない。

 自分たち以外の、女性と……あまつさえセックスにまで至ったならと。


「いや、ないはず。無い……無い」


 もう一つ、ルーリィと違って魅卯には、もう一つ別の、一徹にこれ以上先の記憶が無いことを願った。


 今見ている一徹の記憶は高校二年生のもの。


 もし、一徹に高校三年生の記憶があったとしたら……学外であれば高校三年生に等しい一徹の三縞高3年次編入は、二度目の高校生活であることを意味する。


 そんなの、魅卯には行けなかった。

 同い年だと思い、好きになってしまった一徹の、「実は36歳でした」が確定する。


〔あらぁ、往生際が悪いこと。入ってきてしまったんですねぇ〕


 悪いイメージが頭に占めたその時、空から金属同士が擦り合うような音色と共に女の声が木霊した。


〔理由は明白。あの方を起こしに来たんでしょう? その原因究明にやって来た。なら……〕

 

 弾けたようにルーリィ、魅卯は後ずさる。 

 空を警戒した。


〔こんなの見ても面白くないでしょう? もっともっと……確信に近づくのが良いのです〕


 途端、カッと二人の網膜に白い光が焼き付くかのような。

 慌て腕でもって両目を覆って……



――キィーン……との耳鳴り。余韻も併せてずっと続く。

 それが途切れ、視界覆った腕を下げた。


「うっ……」


「なんて……酷い……」


 人生を辿る二人は耳、目で感じることはできる。だが光景に手で触れることはできず、食べることも、臭うこともない。


―ひっ……ひぃっ……―


 だと言うに、魅卯は瞬間で鼻を手で抑え、ルーリィは顔をしかめた。


〔物語は、海外赴任から帰ってきた28歳の一徹様が、私の元いた世界に転移して一月の放浪のち、ある状況に鉢合わせしたところから始まります〕


―なんて……こんな……―


 鬱蒼とした森の中。

 だがその場所はぽっかり開き、キャンプ拠点が張られていた。

 一徹はキャンプから外れ……というより身を茂みに隠しながら、息も荒らげ。


―怖い……怖いっ―


 脂汗びっしょり、涙すら滲んで歯をむき出し。

 ジョワっと……又のあたり、濃い染みが広がっていた。


〔森を遭難し、やっと辿り着いたキャンプで……一徹は見てしまった〕


―止めろ! 辞めてくれぇっ―


〔魔族の集団に拉致され、犯された後に殺された人間族の女の躯の累々。凌辱時の属性力に抗えず狂って死んだ魔族の兵士の累々……の中、魔族の生き残りに、私が犯されているまさにその時を〕


 詳しい言及は避けよう。

 が、その光景を、ルーリィは身体も強張らせ凝視した。


「怖かったよね一徹。まだ……戦えない。命のやり取りを、したことがない時代」


「お……うぇぇぇ……」


 魅卯は耐えきれず、四つん這いになって吐いてしまった。


「って……えぇっ?」


 その状態で……声を張り上げた。

 恐怖から失禁する大人になってしまったボロボロスーツ姿の一徹の隣に、


「ティーチシーフさんっ!?」


 逆地堂看護学校の制服を纏ったリィンが、蹲って動かなくなってしまっていたからだった。


「そういうことか。ここまでだったんだねリィン。魅卯少女、アレを」


 逆地堂看護学校の制服を着ているなら、一緒にこの夢にダイブしたリィンに違いない。

 リィンが倒れているその理由に気づいたルーリィは、魅卯に示した。


「ティ……ティーチシーフさん?」


 やはり具体的な描写は避けるが、ソレが繰り広げられるその奥、タープの様なテント中に、足首を鎖に繋がれたリィンが膝を抱えて蹲っていた。


 服装に乱れはない。なら、まだ順番的に汚されるのは、地獄が現在進行中のリングキーが用済みになって殺されるあとなのだろう。

 だが、とても痩せ細っていた。

 

「こ、これは一体何?」


「すべての始まりさ。コレが、彼女が徹新を宿すきっかけとなった。人間が魔族と交わり、子を宿す。自分を呪い、自殺する原因となった」


「徹新!? 桐京校の!?」


「あそこで耽る魔族は、色々満足したのち狩りに出かける事になる。恐ろしさに何度気絶しそうになりながら、隙をついて一徹は二人を助けた……そう彼から後で聞いたよ。このときの一徹もリィンも、まさかリングキーが妊んだなど思っても見なかった」


 余りに生々しい図に、再び魅卯は吐き散らした。

 

「気をしっかり持つことだ魅卯少女」


 ルーリィはその背を擦る。


「わかってるよ。この光景は山本君のトラウマでありながら、ティーチシーフさんのトラウマ。この光景を突きつけられて……」


「あぁ、一徹の精神世界にダイブしたリィンはここまでだった。心が折れてしまって……未帰還者になってしまった」


 ルーリィの断言を待っていたかの様に、失禁した大人一徹の傍らで意識を失う制服姿のリィン。

 底なし沼に飲まれたかのように、地面に……沈んでいく。


 その場面を目に、ルーリィ、魅卯はゴクリとつばを飲んだ。


「……もう一つ最悪な事がわかったよ。一徹が目覚めない原因についてだ」


「うん、恐らく原因は、さっきの空からの声の主。今のこの光景のなかで終わりない穢されつづけている女性」


「リングキー・サイデェス。そして彼女は、この一徹の夢の中にいる」


 南部トモカ美少女とのめくるめく……すらあれ以上見ていられなかったが、それでもただのプロローグだと知った。


 一徹が36歳であることも、確定してしまった。

 魅卯が出逢った18の一徹は、嘘なのか……と心が壊れそうになった。


 でも、一瞬たりとも気が抜けない。


 いつもは可愛らしい雰囲気な魅卯すら、表情を引き締まらせた。



 ――約束された未来が訪れるのを知っているから、打って変わった微笑ましい光景が悲劇的に映ってしまう。


 リングキーとリィンを助け、追っ手をからがら引き剥がした一徹が保護されたのは、リィンの出の小さな町だった。


 リィンの祖母は町の名士。

 孫娘を助けたこと、その為に、死にかけながらも追手の魔族を倒したこと。無職なこと。

 それら理由から、リィンの祖母の働きで、町の警備兵団に一徹は見習いとして入団した。


―わた……ワタシぃ……山本でした―


―山本です……ですよ一徹様―


―分かります……分かりました―


―良くできました一徹様!―


 そうして一徹、リングキー、同居用の小さな家が与えられた。


「ねぇ、トリスクトさんの言葉って?」


「言ってみればチート。君の世界に来る折、カラビエリから与えられた。勉強したわけじゃないからスキルを抜かれたら今すぐ君とも意思疎通出来なくなる。因みに今君が記憶内の言葉を理解しているのは、一徹の言語理解機能部分にも双方向アクセスをしてるからだろう」


「山本君、そっちの世界に行った時には与えられなかったの?」


 一徹は、リングキーに言葉を教えてもらっていた。

 新しい学びに一徹は嬉しそうで、リングキーも喜んでいた。


「まだ一徹は上がっていなかったから」


「えっ?」


「上がった一徹が、すべてを終わらせ君の世界に飛んだから、ついてきた私達に言語チートを与えられたに過ぎない」


 これは、先程のリングキー凌辱から随分後の場面のようだった。


―パン……下さいひと……パン一つください― 


―正解です! 流石です一徹様!―


―あ、アハハッ―


 なのに、ルーリィは顔を歪むのが止まらなかった。


「なんて残酷な物を見せるんだ」


「えっ?」


「もう、この時点で狂っていたかリングキー」


「それってどういう……」


 新たな言語を習得しようと頑張る一徹に、リングキーは応援し、正解なら笑顔。


「想像したくはないだろうが考えてみてくれ魅卯少女。君なら、果てのない弄びがやっと終わったとして……男の傍にいられるかい?」


「ッ!? そう言えば……」


 言われると、暖かな二人の雰囲気は異常なものに見えた。


「双依存だ」


「双……」


「いや、それ自体は悪くない。問題はその根底。私達の世界は、特に種族の枠が物を言う。異種族と交わった。例えそれが強制であっても、同族人間族は彼女を裏切り者とし、迫害した」


「身の置き場所がなかった? 生きていく為の……居場所が……」


「だから一徹とともにあるしかなかった。男性恐怖症。パニック障害を引き起こしてもおかしくない。それでも一徹の隣にいた。私達の世界に来たばかりの一徹は、種族概念を知らない。だからリングキーを対等に扱った」


 言葉を教えるリングキーの笑顔が、急に魅卯には怖くなった。


 寄れば虫唾が走るほど、じんましんが出るほど男性を忌避しているかもしれない。

 それでも媚を売って笑っているんだとしたら、生きるために本心を誤魔化し自分を騙してまで一徹の傍にあるのと同じではないか。


 そこまでして、生きるのだ。

 もし本当にそうだとしたら、確かにリングキーは壊れているに他ならなかった。


「って、双依存って。じゃあ山本君も?」


「そちらの説明は簡単だよ。記憶をなくし何も知らず不安な一徹にとって、導いてくれる君の優しさと頼もしさに一徹はのめり込んだろう?」


 言い方だ。

 流石に魅卯も気分は悪くなったが、ルーリィたちの世界で右も左もわからない、言葉も分からない一徹が、光景の先のリングキーに依存してしまうのもわかった気がした。


 依存の度合いが強い。強すぎる。

 だから今彼女は一徹の呪いとなったのだ。



――ルーリィらの世界に一徹が転移して半年。

 事件が、しかも立て続けに起きた。


―決闘? 俺、やるですか?―


―領のお偉いさんで話が上がってる。素性の知れないお前さんを本当に信じて良いのかってな―

 

 熊のように巨躯の髭面はどうやら一徹の警備兵団の上司らしい。


―お前の情報提供のおかげで、昨今の《聖なる癒やし手》の女達誘拐魔族達は一網打尽。領主公爵閣下様も大層喜ばれていた。だが処刑じゃない。決闘方式……―


―ひっ……ヒヒっ……―


―お、おい一徹?―


―こ……殺……殺す……俺がっ? ひっ……ひっ……ヒヒっ……グゥ!?―


 ……決闘……

 殺せ。さもなくば殺される。

 

 南部トモカ美少女と甘酸っぱい恋のドラマを演じた少年は、大学、社壊人となって数年の海外勤務から28歳の一人前になって桐桜華に帰国した。

 当然、ただの会社員としてだ。


―チィッ! 過呼吸を起こしていやがる! 誰か担架もってこい!―


 過呼吸で床に倒れ込む。突きつけられた究極の選択に、身体はビクンビクンと波打った。

 ストレスからの引きつけだった。


「魅卯少女。また正念場だよ」


「どうにも、回避出来ないの?」


「知ってるはずだ。私達が辿るは一徹の記憶。すでに起きたこと。どうにもならない」


 過呼吸の大人一徹を見るだけで、魅卯も息が詰まりそうだった。

 一応ルーリィが魅卯の肩に手をやるが、それがなんの役にも立たないことをルーリィ自身が知っていた。


「これから、ただの一般人でしかなかった一徹が、初めて人を殺す。多分その場にはナルナイが居る」


「……どうし……」


「決闘相手は捕縛された、《聖なる癒やし手》の女達誘拐魔族達の首魁。魔族の国から任務で遠く離れたその地で暗躍した軍のトップは、ナルナイの父親だった」


 魅卯が両掌で口を覆ったのは言うまでもない。


「オルシーク・ストレーナス魔将軍。彼が、一徹の最初の殺しの贄となった」


 事件は、立て続けに起きたと言った。

 すぐ次の展開が決闘方式の処刑に移るかと言えば、そうではなかった。

 

 その報せは、過呼吸にて失った意識を、翌日取り戻した一徹の耳にすぐに入った。

 リングキーが、一徹との二人の住処から忽然と姿を消してしまったのだ。


――だからと言って、探すべきではなかったのかもしれない。


ーど……して。どうし……ー


 場所は、一徹がカラビエリと出逢った森の中。

 カラビエリがあられもない姿にされ終わり無い辱めを受けていた魔族たちのキャンプ跡。

 一徹の情報提供からリィンの出身町の警備兵団が検分に来たことで、人間族の女、魔族の男の屍の山はかたずけられ、テントやキャンプ品など撤去されサッパリしていた。


ーなん……で……ー


 行方不明の知らせを受けて一心不乱に居所を捜索していた一徹。

 見つけた時には、既に遅かった。


ー守れ……なかっ……た? 守……俺……ゴメ……ー


 一目見て、呆然自失となった一徹は、その場に膝から崩れ落ちた。


「こ……こんなことって……」


 一徹の同じものを見て魅卯も呆けてしまう。気をしっかり保たせようと、ルーリィは魅卯を力強く抱きしめた。


 まるで眠っているのではないかというほど安らかな顔。しかし、肌は人形よりもなお白く、血の気が抜けていた。

 鼻周りにソバカスを散らした・・・・・・・・・・・・・ふうわりとした金色の長い髪・・・・・・・・・・・・・を持つ……仰向けに横たわり、ピクリとも動かない美女。


 その股の間、褐色肌した赤ん坊が、泣きつかれたのかスヤスヤと寝息を立てていた。


「あの子供は……じゃあアレが……」


「あぁ。人間像と魔族の血を引いた徹新だ。リングキーは、彼を産み落としたと同時に力尽きた」


ーう、あ、あ……あぁー


「この世界で右も左も分からない一徹にとって、縋りつき頼るべだったリングキーを失ってしまった」


「ど、どうして? 妊娠したなら、お腹も大きくなる。気付くチャンスだって」


「魔族は60台が寿命の代わりに早熟でね。数か月母体の腹が膨れなくても、一気に膨れた。私はそう見立てている。勿論リングキー自身が隠していたこともあったんだろうさ」


 一徹は、光景に打ちのめされてしまって……


ーあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!ー


「リングキーの、一徹への呪いは決定的になった」


 いや、打ちひしがれたというのが、正しいか。

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