192

「魅卯少女、いるかい? 入るよ?」


 マンツーマンチェックが真実のスリーオンスリーは治まった。

 下宿建物内の一室、気絶したヤマトの治療にあたる灯里と魅卯の様子を、ルーリィは見に来たわけではない。


「あ、トリスクトさ……」


「……風呂に……入らないか?」


「へっ?」


 部屋の中に顔見せるなりそんなこと言ってくるんだ。

 余りに意外過ぎ、魅卯は目を丸くした。


「ル、ルーリィ? えっとあの……月城さんなの? わ、私でしょ?」

 

「あぁ、うん……魅卯少女だよ? 君じゃない。君は刀坂の側についているがいい。その方が刀坂も喜ぶだろうから」


「だけど、この状況で月城さんって。待ってよルーリィ。月城さん……退けなくなる」


「いや、退こうと思えば退けるだろう?」


「退くにしても退かないにしてもどちらにしたって最悪よ!」  


「そう、最悪さ。だからこそ……魅卯少女なんだ」


 なんとなく話にあたりを灯里はつけている。なんなら魅卯を心配して、親友のルーリィにまで噛み付いていた。

 それほど状況が温まってなお、魅卯だけがよく話わからないのはが気持ち悪かった。

 


 ――ピチョンッとの、雫たった一滴水面に落ちた音さえ拾ってしまうほどに、場は静まり返っていた。


 下宿すなわち、ホテル旧館。その大露天風呂に、ルーリィと魅卯は浸かっている。


(ヤッパリ綺麗だなぁ。トリスクトさん)


 気まずいままに更衣室で服を脱ぎ、下着を外した時に魅卯が目にした、ルーリィのスラリ長い手足、細い箇所と細くない女性らしい場所とのメリハリは圧巻もの。

 憧れるほどに白い肌は、湯で体温があがってほんのり桃色。なんというか怜悧冷徹、クールな雰囲気なルーリィに可愛らしさを魅卯は覚えた。


 入湯前、二人同時に身体を洗い、髪を洗った。  

 シャンプーやリンスを使うためにルーリィが目をつぶっている間、魅卯は目もパチクリ、ルーリィのすべてを凝視した。


「う〜ん、 やっぱり……違うんだね」


 青みがかった銀髪をアップセットに結わえたルーリィ。

 気持ちよさそうではあるが、どこか複雑そうに見えた?


「あ、あの……傷は大丈夫?」


「うん?」


「けっ、喧嘩していたはずだから。私はその場にはいなかったけど、お湯は沁みるだろうし」


「大丈夫さ。エメロードに貫かれた腿の虚も、肉は埋まり、薄皮膜も張っている。全身に回った火傷も癒やして貰えた。リィンの力の賜物だね?」


「え゛っ!?」


 さも当たり前のように口にするが、決して当たり前の話ではない。

 衝撃的な話を耳にし、魅卯は浴槽から飛び上がりそうになった。


「……ふぅん?」


 そんな魅卯を流し目で見やるルーリィは、感嘆の声だった。


「羨ましぃなぁ。随分とご立派なモノをお持ちのようだ」


 視線は明らかに湯面から上に浮上してしまったモノ。


「私もこれで人並以上あるらしいが。大丈夫かい? どう見ても中学生……下手すれば小学生にも近いかもしれない。そんなもので、そんなものを持っているのは……反則だ」


「わっ!」


 何を言及されたかわかってしまって、魅卯は両腕で自分を抱きしめるようにして隠し、口は湯面より下に、鼻は湯面より上に体を沈みこませた。


「私は、トリスクトさんの方が羨ましいよ」


「そうかい?」


「モデルさんみたいに細いし、脚も腕も長いし……」


「どうだろう。肩幅はある方だが」


「背も高いし、だから余計ウエストは絞られて見えて、顔も小さいし、頭身だって……」


 ブクブクと湯面の境目で口から泡を立てながら、頭にタオル巻いた魅卯はルーリィに羨望の眼差しだ。

 その視線をジッと受け止めたルーリィは天を仰いだ。


「ままならない」


 力の抜けた瞳で虚空を見つめる切なげなルーリィの表情の意味が、魅卯にはわからない。

 

「一徹は大きな胸が好きだから。シャリエールを前にすぐダラシのない顔をして、アプローチをかけていないアルシオーネにも、すーぐ鼻の下が伸びてしまう。君の意識の外でだって、一徹はチラチラ君の胸を見ていた」


「そ、それは……恥ずかしいなぁ」


「嫌ではなく、恥ずかしい……ね? 一瞬でも一徹の目を奪う君が羨ましいのに、君は私を羨ましいと言う」


「あ、ええと……」


 互いに笑えたことなど、出会ってこの方一度もない。間に一徹が立つならなおさら。


「さ、さっき言ってた、『やっぱり違う』って?」


「湯ざわりさ。旧館の湯守である一徹が入れてくる風呂は、もっと肌に柔らかい。どれほど似せて作ってみても駄目だね」


「へぇ、そうなんだぁ。あ、アハハ……」


 だから魅卯の気まずさは半端ない。なんとか無理矢理質問を作ってみるも、ルーリィは素っ気なく返すから、乾いた笑いしか出なかった。

 

「……君と私とは、そもそもが合わないのかもしれないね魅卯少女」


「ヒウィッ!?」 


 否、仮に一徹がいなかったとして、それでも性格的に二人のマッチは難しいかもしれない。


 どうやら魅卯を前にして無理をしているのはルーリィも同じようだ。

 ソリが合わない。口に出してみたのは、二人の相性の立ち位置を二人で共有するためか。


「じゃあ……聞いていいかな?」


「なんで仲良く出来なさそうなのが分かって、風呂に突き合わせたのか……だね?」


 当たり障りのない話で互いを警戒し、緊張してる雰囲気を溶かそうとするのは無理らしい。

 わかってからは魅卯はストレートに聞くし、ルーリィも小細工なしに答えた。


 湯に長く浸かっていたからか、ルーリィは立ち上がると天然石で組まれた露天浴槽の淵に腰掛ける。

 火照った体を冬の寒気に気持ちよさそうに目を閉じ晒す。

 本当、足首しか湯に浸からない今、改めてルーリィの美しい身材に魅卯はホケ〜っと見とれた。


「桐桜華には『腹を割って話す』と言う言葉があると聞いた。裸の付き合いと言うのは、相手に対する警戒を完全に取り払うのだと」


「うん、気のおけない……気を使う必要のない関係で有ることを相手に示すパフォーマンス」


「私はそのつもりだが、こうして湯に付き合った。なら、少なからず君にも同じ感覚を持ってくれていると良いが……」


「私とトリスクトさんの間にある警戒事。って言うことは、今は山本君を巡るわだかまりを入浴中に忘れようってことかな?」


 話は一徹ごとになりうる。なればやすやすとルーリィの口ぶりに魅卯は乗っかるわけにはいかない。


 だがそう言うつもりでルーリィは言っていなかった。

 ヤレヤレと、ゆっくり首を何度か横に振って……


「いや、君が一徹のことを諦めるのを、諦める事にした」


「…………………………………………えぇっ!?」


 まさかの考え。

 先程深く沈ませた体は、また飛び上がってしまう。

 トップスタァにしか許されないと一徹宣う間も、魅卯は置いてしまった


「君も少し風に当たるといい。そんなに体沈め浸かっていては、湯あたりを起こしてしまうよ」


 魅卯が立ち上がったのを見るや、ルーリィは自身が座る露天浴槽の淵の対角線上をチョイチョイ指指した。

 「お前も座れ」と、そういうことらしい。


「あ、あの……一体どうして?」


 指図された通り湯から上がった魅卯。

 流石にタオルも何も使わず、脚を組んで座るだけのルーリィとは違い、タオルを手繰って身体を隠した。


「決定打は、君まで暗殺されかかった事にある」


 魅卯がタオルを手繰ったのは良かったかもしれない。


「理由は……とっくにご存知なんだろう?」


「そ、それは……」


「君は……君も……一徹から愛されているから」


「ツゥッ!?」


 身体を隠すだけじゃない。


「あ、あのねトリスクトさんっ。そのっ……」


 心の動揺を抑えるためギュウとタオルを握りしめることが出来るから。


「良い。そんな事分かっていた。気付かない振りをしていた。だが困った事に第三者が証明してしまった。なら今更隠すことも無視することも出来ない」


 ルーリィの困って、悲しいそうで苦しい顔よ。

 

「こんな言い方、変だと思うしあり得ないと思うけど、山本君と私、まだなにもないよ?」


「ん、安心してほしい。ソレはわかっている」


「じゃ、じゃあ何か……何があったの?」


「それは一徹の名誉にも関わる。言えない。言いたく無いが正しいか。御為ごかしに一徹の為と言ったけど、どうかな? 寧ろ私の名誉に関わってるのを隠したいだけなのかもしれない」


 恥ずかしそうであって、今にも泣きそうに目尻下げて笑いながら、魅卯から顔を背ける。

 それは、魅卯の心にもキた。


「一徹に好意を向け、向けられる。故の襲撃対象認定。その事実は君に色々な疑問をもたらすだろう」


「あ、うん」


 言い当てられ、確かに胸中に疑問は浮かんでしまう。


 ルーリィ、シャリエール、山本小隊以外に一徹を好きになった存在。


 ……違う。


 一徹を好きになってしまうという意味では、きっと女の子は吐いて捨てるほどいるだろう。

 問題は狂ったまでに渇望し、実際に一徹を手に入れるためには手段厭わない。それほどぶっ壊れるに至った想いの強さと、呪いを有す何者かがいるという事。


 もう一つ。


 そんな存在は……トモカまで狙っていたらしいこと。

 どうして? トモカは一徹の歳の倍程も違う、一徹の従姉なのに? と。


「流石にもう……隠し通すことは出来ないところまで至ってしまった」


「知らなかったとは言え、多分踏み込んじゃったんだよね、私?」


「しかして『知らなかった』で済まされない。今後また、君の身に危機が降りかかることは十分に考えられる。君の命が潰えるまで、それは終わらない」


「そっかぁ……」


 怖い話をされているさなかに、冷たい風が吹き抜ける。

 上がったばかりの魅卯は、慌ててまた湯に戻った。


「可愛らしいなぁ君は。本当に、私が羨むものばかり持っている。一徹は、だから物足りなかったのかな?」


 その絵面を目にしたルーリィの発言が何処となく魅卯は気になってしまう。

 「物足りない」と。


「話を戻そうか。先の凶手が君をターゲットにした以上、私は君も一徹にとって私達と同じ立場であると思うことにした」


「ちょ、ちょっと待って!? それって……」


「もう私達に気兼ねする必要はない。君は今まで通り、存分に一徹を想ってくれていい」


 それにどことなくルーリィのセリフは、一徹の心がルーリィから離れていると暗に指しているように聞こえた。


「想い思われの関係で暗殺対象となるなら、我々は一所にいた方が良い。それが出来なくても互いに警戒するなどね。ある意味で、私達は同好の士みたいなものだ。なのに君だけ一徹を諦めろとは言えない」


 そもそもルーリィは一徹の婚約者を公言してきた。

 一徹ととてつもなく親密なシャリエールにも譲らない。

 余裕ぶって、何でもないように装って、しかし凄まじいまでの一徹の独占欲を持っていたはず。


 それが何だ。

 魅卯が一徹を好きであることを認める?

 同好の士? そんな、共通の趣味を論じるように?


「ねぇ、本……」


 「本当に山本君との間に何があったの?」……とは、喉まで来ていた。

 出したくてしょうがない。が、飲み込むしかなかった。


「さぁ、最後少し温まったら私は出ようか」


 急な提案。許し。

 狼狽えてばかりの魅卯を他所に、ルーリィは再び湯に帰ってきた。

 

 フゥ、なんてルーリィは溜め込んだ息を吐いている。

 どう声を掛けようと魅卯は悩んで、しかし声を掛けられなかった。


「彼女に目をつけられた時点で、君は選択を迫られてしまった」


「せ、選択?」


 彼女というのが魅卯にはよくわからないが、きっと一徹を掌握するため狂える何者か……ということだけは理解できた。


「賽は投げられてしまった。後戻りはもう出来ない……が、立ち止まり続けることくらいはできるかもしれない」


「どういうこと?」


「君の命は狙われ続けるということさ。だから身の安全の為に私達の傍に居たほうが賢明だ」


「……立ち止まり続けるって言葉の意味は? 『後戻りは出来ない』ってことだけど、じゃあ前にはいけるってこと?」


 話の確信は極まった。


「君も、彼女から見て一徹の心を奪いかねない泥棒猫認定をされた以上、色々知っておくべきだと考える」


「知るべき……色々?」


 それこそがルーリィが風呂に誘った真の理由であると、不意にルーリィが余念ない顔で魅卯を見つめたことでわかる。


「気になって居たんだろう? 一徹が普通でない理由。その正体」


「……あ……」


「君が気になって仕方のない、出会う前の一徹。私や私達の一徹だった時の話。そして彼女の一徹だった時代と……トモカ殿の一徹であった頃の物語」


「……えっ! トモッ!?」


「そうそれは、君なら独占したい一徹の全てさ」


 持ちかけられた話題。大爆発ものだ。

 よもや、トモカの一徹などと……


 いっちばんの疑問を与えておいて、ルーリィばザバァ音立て露天浴槽から出てしまった。


「好きな相手の色々をちゃんと把握しておきたい。それは当然の欲、そして性だ。まぁ、それと真実に耐えられるかは別の話かもしれないけど」


「お、お風呂上がっちゃうの? 山本君の事を教えてくれるんじゃ。それに耐えられないかもっていうのは?」


 内湯の扉にてを掛けようとしたところで魅卯の問いにルーリィは足を止める。


「……覚悟はしてほしい」


「えっ?」


「散々君には警告してきた。しかし状況はここまで至ってしまった。なればこの先に進めば君に待つのは地獄……かもしれない」


「じ、地獄って……」


「一徹の真実は地獄だよ? あとは知った君がどうなるかさ」


 だがルーリィは振り返りはしない。


「真実は知らないままでもいいのかも知れない。君は、ただただ一徹を想うといい。私達の手が届く範囲内であれば、私達が彼女の魔手から君を守ろう」


「それが立ち止まるってことなんだね?」 


「一歩踏み込み、すべてを知って一徹を諦めることもあるかもしれない。それ自体私は構わない。だが誰にも言えない、信じて貰えない真実の重さに、キミ自身が耐えられないかもしれない」


「知った上で諦めることがなければ?」


 なるだけ魅卯は情報を引き出そうとする。

 それが背中を向けていたルーリィを振り返らせるに繋がった。


「真実を知った上でそれでなお一徹とともにあろうものなら、その瞬間から君の人生は偽りに満ちるだろう。君の家族、親しい友人すべてに対し、墓に入るまで守らねばならない秘密を抱えることになる」


――世界を敵にする。世界が敵になる。月城さんが今日まで生きてきた中で作ってきた大切な誰か、大切なもの、想い。そのすべてを、貴女は捨てなくてはならなくなるのよ?――


 ルーリィの発言。つい先程灯里に言われたことを思い出すに繋がった。


「私から語れることはあまりない。百聞は一見にしかず。見たほうが……早いかもしれないしね」


「見……」


「今夜一晩、君に時間を設けよう。先に言っておくけどこの話は決して『逃げた、情けない』などの類ではない」


 魅卯とルーリィの珍しいツーショットはこれにて終わる。


「じっくり考え、明日答えを出してほしい」


 言ったっきり、内湯への扉を開いてルーリィは姿を消した。

 内湯と露天は大きなガラス張りで挟まれているが双方の温度差に曇ってしまい、中に入ったルーリィの裸体は見えない。


「ねぇ、トリスクトさんとの間に何があったの、山本君。どうしてトリスクトさんは、あんなにも追い詰められているの?」

 

 一人になった魅卯は、考え込んだせいか自ずとまた身体を湯深くまで沈めた。


「……覚悟を決めろって事なのかな」


 ポツリこぼし、頭の先まで浸かるほどに潜り込んだ。

 湯面からは、ブクブクコポコポと気泡が上がっていた。


 









 




 

 





 






 

 



 





 





ハイ、スミマセン!

ルビ、諦めてます!

スマホ入力ルビ振り、楽にならんもんかいや。


あ、前回レビュー頂きました。

なんとか書き続けるカンフル剤になっています。

投稿は……何話分書いて一話だけの感じですが(汗)

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